色んな人が歌ってきたように 11

 それからの日々は穏やかだと言っても良かった。わたしはクリードの謝罪を受け入れて、クリードはなぜわたしを愛したかを真摯に語った。人種差別についての彼の考えも、彼の悩みが根底にあったなんて想像もしなかった。それでも、曝け出してくれたことは嬉しかった。
 ドクター・キリコを知った──思い出した、と言っていいのだろううか──わたしはクリードの愛を受け入れることはできなかったけれど、それでもエミリーが歩けるようになるまでは、良き友人でいられればいいと思った。
「ルル、ドレスはどれにする? 外商からサンプルを借りて来たの。好きなのを選んでね」
 アビゲイルが使用人に山のようなドレスを持たせてわたしの部屋に来た。わたしは苦笑するしかない。クリードのバースデーパーティに出るように、アビゲイルとアメリアにまさに文字通り懇願されて、クリードとこじれかけた仲を修復したばかりのわたしに断る勇気はなかった。
「任せるわ。わたしよりアビゲイルが選んでくれた方が似合うに決まってる」
「そんなこと言わないで。着たい服が一番似合うのよ。──置いて行くからゆっくり選んで頂戴。わたし、孤児院の訪問とエステに行かなきゃいけないの」
「行ってらっしゃい」
 アビゲイルは日に日に美しくなって行く。間違いなくドクター・キリーを愛しているからだと思う。彼はドクター・キリーじゃないわ。そう言えないわたしはアビゲイルを裏切っていると言われても反論ができない。でもドクター・キリーが──ドクター・キリコがアビゲイルを愛していないのなら、裏切りなんかじゃない。そう言い訳したい自分が醜く思えてたまらない。
 彼に愛されているのはわたしなのだと、心の中で鼻を鳴らすわたしがいる。
 わたしは醜い。
 見た目も心も醜いなんて、本当にわたしは彼に愛される資格があるんだろうか。
 それはともかく、ドレスを選ばなければ当分アビゲイルに同じことを繰り返されそうだった。溜息をつき、布地の山にしか見えないドレスの数々を手に取ろうとする。
 ふと、ミアとケイラに気付いた。
「あなたたちが一着選んでくれるとしたら、どれかしら」
 二人の表情が見る間に輝く。仕事中でなけばきっと歓声を上げていたに違いない勢いで布地の山に飛びかかった。二人に任せてバルコニーで煙草を吸おうとしたら、ここにいて下さい、と強く要請された。何かと思えば着せ替え人形だ。ミアとケイラの表情はそのうち真剣そのものになり、メイドではなく、デザイナーとメイクアップアーティストがそこに現れた。
 パーティのドレスを選ぶなんて、少女向けの漫画の世界にしか存在しなといと思ってた。それが今、何てことをしてるんだろう。記憶を失う前のわたしだったらどんな顔をしただろう。何となく、冗談じゃない、私は御免被るよって、本当にこの状況からさっさと消えてしまうんじゃないかって思った。
 ミアとケイラが選んでくれたドレスはわたしによく似合った。でも首や肩が──デコルテって言うの?──大きく露出している。それだけでも慣れなくて恥ずかしいのに、目立つ傷が見えすぎた。
 わたしが何か言う前に、メイクアップの専門家が言った。
「お身体の傷もメイクで消せます。その──ご気分を悪くなさらないで欲しいんですけど、クリード様のバースデーパーティならその方がいいと思うんです」
 ケイラの言葉に、まるで自分も連帯責任だと言いたいようにミアも頷き、言った。
「そういう階級なんです。これがこの国なんです」
 わたしは頷いた。分かっていたし、僻む気もなかった。それが現実なら現実に即した格好をするだけだ。クリードの、そういう階級のためのパーティなのだから、それに出席すると決めたわたしが階級の意識に合わせるのは当然だと思う。これが毎日なんてことになったら絶対に御免だけど、一回限りのことだもの。どうってことはない。
「目一杯綺麗にしてくれる? クリードに恥をかかせるわけにはいかないわ」
 二人は今までにないほどに顔を輝かせ、はい、と嬉しそうに約束してくれた。
 家の中は騒がしい。当主のバースデーパーティを前にすれば当然だろう。色んな業者が出入りして、警備が大変だとクリードから聞いた。彼は仕事の合間にわたしの部屋に来て、少し話して行くことが多くなった。油断するとわたしに愛を囁こうとするから、それだけは気を付けた。ドクター・キリコを愛していると、愛されていると思い出した以上、僅かでもクリードに期待をさせるような言動をするわけにはいかなかった。
「ドレスが決まったんだって? ねえさんが絶賛していたよ。必ず似合うはずだから、私に期待するようにってうるさくてね。もちろん期待しているよ」
「あなたに何も期待させちゃいけない立場だけど、こればっかりはね。ミアとケイラが選んでくれたから、我ながら最高に似合うと思うわよ」
「ミアとケイラが?」
「未来のデザイナーとメイクアップアーティストよ。知らないわけじゃないでしょう?」
「いや、知らなかった。ねえさんが手を貸した二人だって言うのは聞いていたけど、そんな特技があったのか」
 この家では男と女の役割が完全に分かれてるみたい。家の中は完全にアビゲイルが取り仕切っている。それでうまく回ってるから構わないんだろうけど、少なくとも自分の家が関わるNPOから預かった女性のことくらいは知っておくべきだと思う。オブラートに包んでそれを言うと、クリードは何度も頷いた。
「正直、この家はそういう立場の女性をよく預かるんだ。でも私は彼女たちがどんな背景を持っているかは全く聞かなかった」
「これからは聞いてもいいと思うわよ。どこにどんな逸材がいるか分からないから」
「そうするよ。ありがとう」
 クリードはわたしの手を取り、嬉しそうに微笑んで礼を言ってくれる。ドクター・キリコの愛を思い出す前のわたしだったら、きっとはにかんで微笑み返したくらいに魅力的だった。
「そう言えば、エミリーなんだけど」
「うん」
「思ったより回復が速いわ。あと何日かすれば自力で歩けるようになると思う。歩行訓練のリハビリ計画を主治医に相談した方がいいわよ」
「もう歩けるように? 本当に?」
「たぶんね。あの子がきちんと薬を飲んで、医者の言うことを聞く良い子だからって言うのもあるわ」
「よかった」
 大きく息を吐き、クリードは本当に嬉しそうに笑った。この家の人たちは家族としての愛情がとても深く、強いのだとわたしは改めて知った。アメリアがわたしのためにフォート・デトリックまでドクター・キリーを訪ねたと言う話を知ったクリードは、アメリアを長いこと抱き締めていたし、アメリアはそんな兄に悪態をつきながら、離れようとしなかった。話を聞いたアビゲイルは号泣したほどだ。
「ルル、その──エミリーのことは嬉しいんだが」
 今度は少し遠慮がちな、不安そうな声を出す。何を言うのか分かって、わたしは先回りをした。
「エミリーがもし明日歩けるようになったって、金曜の夜まではいるわ。約束する」
「それからは?」
「出て行く。もう決めたの」
 あの人が迎えに来てくれるから。それは言わなかった。アビゲイルに何て言おう、って、今初めて思った。恩を仇で返すようなものなのだから、どんな言葉も意味を成さない気がする。
「辛いことがあれば、いつでも帰って来ていいんだ。それだけは覚えておいて欲しい」
「ここはわたしの家じゃないでしょう」
「もう家族だ」
 クリードはわたしに、これ以上なく真摯な顔で言ってくれる。わたしは答えなかった。それでも彼の心に、微笑んで感謝を示すことはできた。クリードは安心したように微笑んだ。
 きっと、わたしの家族は他にいるの。それを告げるほど、わたしは自分に好意を超えた愛を向ける男の心を踏み躙れなかった。踏み躙った方が、きっと出て行きやすいと知っているのに。


 時が経つにつれて家の中の喧騒は大きくなって行く。わたしは特にやることがなかったけど、取り敢えず上流階級のパーティのマナーを知っているかどうかを自分に確認した。アメリアが部屋に来る時間、練習の相手を頼んだら、一通りわたしを馬鹿にした後にしっかり付き合ってくれた。
 最低限のマナーは分かっていた。後はクリードの隣に立って、挨拶に来る人たちに適当に頷いて、女性とだけ握手をすればいい。招待客の男性にはわたしに握手を求めないよう──肉体的接触をしないよう、既にアビゲイルが連絡をしてくれていた。
「あんた、本当にどんな人間だったの? しっかり分かってんじゃない」
「どんなって──医者だった、って以外はなんにもよ、相変わらず」
「それなのに家を出るの? まあ、出た方がいいけどさ」
「あなたは清々するでしょ」
「わたしが猿って言わないようにしてやってるのに、何であんたはわたしに嫌味を言うのよ!」
 アメリアが本気で怒った。わたしは確かにそうだと思って反省した。アメリアは人種や肌の色、見た目のことでわたしを揶揄することをやめていた。あの赤毛のSPのお陰だと言うことは、何となく想像がついた。──わたしはなぜか、彼が差別を許さない人なのではないか、と言う気がしていた。
 なぜか、と考えるのはやめた。彼はドクター・キリーのSPとしてわたしの目の前に現れた。彼がSPとして守るのはドクター・キリーなのかドクター・キリコなのかまでは分からなかったけど、あっと言う間にアメリアの心を掴んでしまった以上、普通の人ではないと言う予想ができたからだ。
 この家の2人の女性の心をほぼ同じ時期に掴んで、簡単にコントロールする男たち。きっと普通じゃない。何か目的があるのかもしれない。そう察するわたしもきっと、普通じゃなかったんだろう。
「悪かったわ。ごめんなさい。もう言わない。──あなた、最近とても素敵になったわ」
「そう? 元々魅力的だって言われてるから、全然。悪いけど、にいさんのバースデーはねえさんやあんたより目立つからね。残念でした」
「そうでしょうね。あの彼も目立つし、二人並んだら一番目立ちそうよ」
 嫌味でも揶揄でもなく素直に言ったら、アメリアの顔が一気に赤くなった。可愛くて笑いそうになったけど、笑えば怒り出して面倒くさいだろうから触れないでおく。
「あんたに、わたしのドレス」
「え?」
「見せてやってもいいわよ」
 真っ赤なまま、なぜか必死にそんなことを言い出したアメリアに首を傾げる。するとアメリアはまた言った。
「見せてやってもいいって言ってるの!」
 ああ、そうか──あまりにも可愛くて、笑いを堪えるのが本当に大変だ。
「そう、見せて欲しいわ。レディシュの彼ってどんなドレスが好きなのかしら」
 今度こそアメリアは怒り、それでもわたしに見せたくて──似合うかどうか不安で仕方なくて、誰かの意見が欲しいんだろう──頭から湯気が出てもおかしくないほどに真っ赤になって、自分の部屋にドレスを取りに行った。
「見てあげてね。わたし、センスがないから役に立てないのよ」
 メイドの姿をしたデザイナーとメイクアップアーティストに頼むと、二人はまことしやかに「お任せください」と声を揃えて返事をしてくれたのだった。
 こんな時間ももうすぐ終わる。初めてこの家で目が覚めた時、想像もしなかったような日々だ。わたしは相変わらず何も思い出せない。でもきっともうすぐ出て行く。自分の名前すら思い出せないのに、何も不安はなかった。
 彼が、キリコと言う男が迎えに来てくれると知っているから、何ひとつ怖いと思わなかった。


 エミリーが歩けたのは木曜日だった。朝の診察をしに部屋に入った途端、わたしを見て笑顔になったエミリーは、驚くほどあっさり立ち上がった。一緒にいた母親が歓喜の悲鳴を上げて泣き出し、わたしは衰えた筋力で身体を支え切れなかったエミリーを抱き止めるために駆け寄り、それから嬉しくてたまらなくて笑ってしまった。わたしの患者が元気になった! 何て嬉しいことなんだろう!
「先生に、一番に見て欲しかったの」
「わたしに? 嬉しい。よく頑張ったわね」
 駆け付けた兄と二人の姉はやっぱり大歓喜で、朝から大騒ぎだ。あまりにもうるさくなってしまった部屋の中で、わたしは医者として「少し静かに」と言うしかなかった。大騒ぎしたい気持ちはとても分かるけど。
「良かった。ドクター・キリーの言った通りだったわ」
「彼が何か?」
 アビゲイルが零した言葉につい反応してしまう。医者として、と言う言い訳を自分にする気にすらなれなかった。アビゲイルは嬉しそうにわたしに教えてくれた。
「昨夜の電話で、きっと今日明日には歩けるようになるって言ってくれてたの。本当だったなんて。ルル、あなたもあの人も、なんて凄いお医者様なの!」
「そんなことないわ。彼はともかく」
「何言ってるの!」
 彼と電話をしていたのね、なんて、そこらへんの嫉妬深い女のようなことを思ってしまった。でもきっと、わたしなんてそこらへんの嫉妬深い女なんだと思う。普通じゃないかもしれないわたしと、そこらへんによくいるわたしと、きっとどっちもわたしなんだ。
 どうしよう、どう言おう。エミリーが歩けるようになった以上、わたしはもうこの家を出る。明日のバースデーパーティが終わったら、外の世界で生きて行く。
 どうしよう。アビゲイルに何て言えばいいんだろう。
 それから──ようやく、愛をくれる違う男のことを考えた。わたしは醜い、酷い女だ。そうとしか思えなかった。
 クリードに何て言おう。
 あの人が迎えに来てくれるその時、わたしはクリードとアビゲイルに何て言えばいいんだろう。
 クリードの視線を感じた。わたしはそれを見返した。クリードは僅かに笑い、小さな声で言った。
「離れたくないよ」
 わたしは何も言えなかった。わたしは醜い、酷い、そして最低の女だと思った。
 離れたくないと言ったクリードを、怖いと感じてしまったのだから。


 その夜、クリードがわたしの部屋を訪ねた。予想していた。わたしはドアを開けられなかったし、彼もそれを責めなかった。ただ、この家のドアは厚い。閉じたままでは普通の大きさの声が聞こえない。クリードが少しだけドアを開けて欲しいと言い、わたしは承知して、ほんの少しだけ、お互いの顔も見えない隙間越しに話をした。
「しばらく生活できる金と家は用意してあるから、心配しないでくれ」
「ありがとう」
 本当にキリコが迎えに来てくれるのなら──迎えに来てくれないなんて考えてもいない──必要のないものだった。でもそれを言う勇気がまだなかった。
「連絡をして欲しいとか、たまに会いたいとか──本当はそんなことを言うべきなんだ」
 わたしは答えなかった。クリードが何を言いたいのか分からないほど薄情な女ではなかったようだ。いっそ薄情だったら良かった。
「みっともないことは分かってる。こんなことを誰かに言うのは初めてだ」
「わたしに初めて言うべきことじゃないわ」
「言わせてくれ。二度と誰かにこんなことを言いたくない。──行かないでくれ。今は本当に、きみとの出会いを神に感謝している」
 ああ、とわたしは思った。クリードは今、愚かな過ちを犯してしまった。わたしがずっと彼を愛しきれなかった理由がそこにあったし、わたしはその理由をやっと理解した。
 今は。
 ねえ。
 それなら──最初は?
 わたしを轢いた事故を隠して、病院に連れて行くこともなく、警察に通報することもなく、救護義務違反を犯した。
 優しくしてくれた。この上なく大切にしてくれたことはわたしが一番良く知っている。
 でも本当は知っていた。
「理由は分からないの」
 知っていた。
「でも、分かってたの」
 分からないこともまだあるけれど、気付いていた。いつもアビゲイルをわたしの傍にいさせた理由。客人にすぎないわたしに何でも報告するメイドを2人も付けた理由。わたしが具合を悪くした時、外に出ないようにと勧めた理由。
「あなた、最初からわたしをこの家に閉じ込めたかったのよ」
 クリードは答えなかった。いつも、どんな時でも明快な答えをくれる優しい男が、扉の向こうでどんな顔をしているかなんて想像できなかった。想像したくなかった。
「知っているんでしょう」
 きっと答えてくれない。でもわたしに質問する権利はあるはずだ。
 だってわたしのことなのだから。
「わたし、誰なの?」
 答えて欲しい。
「あなたがこの家に閉じ込めておきたかったわたしは、一体誰なの?」」
 答えはなかった。長い、長い沈黙が降りる。わたしは足元に視線を降ろした。仕立てのいい美しいスカートの裾と、長い時間歩いたら疲れてしまうような華奢で可愛らしい靴が目に入った。まだ続く沈黙の中で、もう身に付けることはないだろうと思った。
 やがてクリードが呻くように言った。
「愛してる」
 聞きたい言葉はそれじゃなかった。だからわたしは言った。
 愛せない、愛せるはずがなかった嘘つきの男に、丁寧に言った。
「おやすみなさい」
 ドアの僅かな隙間を閉じて、息を吐く。彼から欲しい言葉はそれじゃなかった。でも、その言葉と感情があるからこそ、わたしはこの家を出て行けるのだと理解していた。
 わたしを愛していないのなら、どんな手を使ってでもわたしをこの家に監禁することなんて簡単だ。でも彼はしようとしない。出て行くわたしの意思を尊重してくれている。
 愛してくれたからこそ、わたしは出て行ける。
 迎えに来る人がキリコだと、どうしても言えなかった。言えば彼は今以上に傷付くだろう。傷付くのはきっと男性のプライドだ。
 応接室でわたしのカウンセリングについてキリコとクリードが口論している時、わたしは感じていた。クリードはキリコに勝てない。人生の中の経験なのか、それとも別の理由なのかまでは分からなかったけど、確かにそう感じた。それはクリードにとって屈辱だっただろう。恵まれた血統、環境、社会的地位──何もかもクリードの方が上のはずなのに、それでも勝てないと、第三者にまで分かってしまう相手に、嘘をついてまで閉じ込めておきたかった女を奪われるなんて。
 しばらくするとアビゲイルが来た。明日の用意で忙しいだろうに、きっとクリードから聞いたんだろう。ソファに座ったアビゲイルはクリードよりも冷静だった。
「あなたにずっといて欲しい気持ちは本当なのよ」
 アビゲイルの言葉に嘘はない。わたしは頷いて礼を言った。
「ありがとう。本当にお世話になったわ」
「ずっといて欲しいけど──少し安心しているの」
「安心?」
「クリードがあなたと結婚するって言い出したら──勘違いしないで。あなたが妹になるなら嬉しいわ。でもね」
 笑ってやりな。違うわたしがわたしに言った。そうね、そうするわ。それがいいわ。何を言われたって好きな人だもの。
「やっぱり、あなたと結婚するのは難しいのよ。だからあの子が言い出す前に、愛人として迎えようって言う話を母としていたの」
 わたしは笑った。上手く笑えたかどうかは分からなかったけど、アビゲイルが少し困ったように、それでもどこかほっとしたように笑ってくれたからそれで良かった。
「もっと早く話してくれれば良かったのに」
「そうなの?」
「そうしたら、とっくにクリードを嫌う振りくらいしていられたわ」
「──それだって、嫌よ」
 優しい女性は我儘だった。じゃあわたしにどうしろって? わたしの意思を無視して愛人だのって。でもそんなことを言う必要なんて、今はない。その我儘が通じる世界に生きている、これからも生きて行く女性に言ったって残酷なだけだ。
「明日、パーティが終わったら、少しだけ最後の時間を頂戴」
 アビゲイルは言った。
「わたしが知っていることを全部話すわ。だからそれまで、明日のパーティが終わるまでは、わたしたちのルルでいて欲しいの」
 我儘な女性は身勝手だった。でもわたしだって身勝手だ。この女性が恋した相手に愛されているくせに、それを言わない。
 だから明日、言えると思った。アビゲイルがわたしに全てを話す時、話し終えた時でいい。彼女を傷付けるためではなくて、ただ事実として教えておかなければいけないから、きっと言える。彼がわたしを迎えに来るのよ、って。
 わたしはアビゲイルのことがとても好きなのに、きっとそう言えてしまうだろう。
 認めたくなかった。
 事実として教えておかなけれないけない?
 嘘よ。
 わたしはアビゲイルに嫉妬したんだ。
 わたしの愛する人から電話をもらう人。フォーマルの席でわたしの愛する人をパートナーにする人。
 そんなこと、誰かが聞けば何て小さいことなんだ、これだから女ってやつは、って笑うだろう。
 でも悔しくて妬ましくて仕方なくて、だからわたしは自分を許したんだ。
 認めたくなかった。でも認めるしかなかった。
 わたしにとても優しくしてくれたのに、でも騙し続けたんだから、少しくらい傷付けてやってもいいはずだって、思ってしまったわたしを認めたくなかった。認めるしかない事実なのに、わたしは認めたくなかった。
 わたしは醜い。顔の、身体の傷じゃない。
 わたしの心がとても、とても、醜い。
 認めたくなかった。でも、これがわたしなんだ。認める以外にどうしろって言うの?