色んな人が歌ってきたように 02

「まだ帰国してない? ──ああ、そう」
 闇医者でありながら宮仕え、情けないと言わば言え。俺だってたまには人生の選択をミスる時がある。それはともかく、フォート・デトリックのリラクゼーションフロアにある電話から国際電話をかけ、はかばかしいとは言えない返答に首を傾げそうになった。
『ロクターのアパートメントに泊まるって言ってたのわよ?』
「そうなんだが、まだ来てないんだ。てっきり緊急で帰ったのかと思った」
『予定が変わることはよくあるのよさ。そのうち連絡してくると思うのわよ』
「俺はともかく、お嬢ちゃんにはもうちょっとこまめに連絡するように言っておくよ。不自由はない? 何かあったらユリに電話するといい。今ちょうど日本にいるから」
『さすがロクターはジェントルメェンねぇ。ピノコの恋敵に相応しいのわよ』
「そいつは最高の褒め言葉だね」
 しばらくお嬢ちゃんの世間話に付き合う。中身はともかく見た目は完全な幼女、それからやっぱり中身もまだまだ子供だ。あの家で一人きりの留守番は心細いのか、それとも暇なのか、取り止めのない話を随分と長く続けた。たまに様子を見に行くよう、ユリに頼んでおこうと思った。
 電話を切ってから今日の日付を思い出す。おかしい気がしてならない。俺の思い過ごしなら笑ってくれればそれでいいが、どうもすっきりしない。
 俺がフォート・デトリックで仕事をする期間、BJはワシントン近辺で仕事があれば俺が滞在中に使っているアパートメントに来る。これは今の関係になってから必ずだ。今回もその予定で、あいつが日本を出る前に連絡を受けていた。
 それきり連絡が取れない。俺のアパートメントに来る予定だった日から一週間、俺どころかお嬢ちゃんにも行方が分からない。
 稼業が稼業だから数日、あるいは数週間連絡が取れないことなんぞ珍しくない。だがワシントンでこの状況は何かおかしいとしか思えなかった。
 治安がいい、大統領の御膝元、そしてあいつは大統領のお気に入りで、入国すれば必ず歓待される。歓待と言えば聞こえはいいが、要は入国審査の時点から監視されるというわけだ。BJ自身は少し干渉しすぎだと不快そうな顔もするが、それがあいつの身の安全を保障する一面もあって、俺としてはありがたかった。
 そんな状況で行方不明になることなんぞあるだろうか。考えにくい。ロン──大統領と結託して俺をからかっているのなら笑い話で済むが、しかしお嬢ちゃんに心配をかけるような遊びをBJがするとは思えない。
 何かがあった。そう考えるのが妥当だ。
 もし何かあるのなら、あまり手をこまねていることもできない。どうするか。俺自身にできることは、実はあまりなかった。人探しは向いていない。大抵は闇稼業の人間に大枚をはたいて頼むことにしている。結局は今回もそうなりそうだ。
 もう一度受話器を取り上げ、覚えている番号をコールしようとしたが、思い直した。ここから闇に連絡を取ることは得策じゃない。どうせ俺がかけた番号は全てチェックされる。闇と連絡を取ろうが文句を言われる筋合いはないし、それも契約条項に盛り込んであるが、FBIなりCIAなりが番号を頼りに闇を一斉検挙しかねない。そんなことになれば俺は闇に恨まれて、明日の太陽を拝めなくなる。公衆電話からフェイクの番号を経由してかけるしかなかった。
 急用だ、帰る、とスタッフに告げようとした時、先手を打たれた。俺は思い切り溜息をつく。確かにフォート・デトリックに俺がいる間は奴も基本的に常駐になると知ってはいたが、滅多なことがなければ顔を合わせないのだ。その男が来たとスタッフに教えられれば、滅多なことがあったと言うしかない。
「嫌な顔しないでよ、お互い様だ」
 短機関銃を下げた迷彩服姿の赤毛のデルタフォース隊長が、俺に負けないほど嫌な顔をしながらリラクゼーションフロアに現れた。
「送るよ」
 ここでは、施設内では話せないと言うことだ。帰りたかった俺には一見朗報だが、こいつの前で公衆電話を使うチャンスが訪れるとは思えない。
「俺の家なら先に行ってくれないか。少し用事がある」
「──番号なら追跡しません。ロンに言質を取りました」
 日本語に切り替え、グラディスは言った。以前よりも格段に日本語が上達しているが、感心している暇はなかった。俺も日本語に切り替える。この施設には日本語が分かる人間が他にいないはずだし、グラディスはそれを調べ上げた上で日本語を使っているはずだ。
「信用できないなら公衆電話を使って下さい。途中で車を停めます。私は手元を見ませんし、あなたの行動を制限しません。とにかく緊急で、私はあなたと早急に話をしたいと思っています」
「物分かりがいいな。気味が悪いくらいだ。家の電話でいい」
「──これで話が進むならいくらでも」
 米語に戻したグラディスは皮肉に笑い、早く、と俺を促した。俺はこの男がBJの失踪を既に掴んでいることを予感した。正確にはこの男だけではなく、大統領、ひいては合衆国政府が。
 徒歩で帰れる距離だが、グラディスの部下が運転する軍用車で戻った。近所の連中は驚くだろうが、仕事先がフォート・デトリック、そしてこのアイパッチの見た目とあって、そんなもんかと微妙な納得をされていることを知っている俺は気にならない。その点は軍事第一の米国が有り難い。日本だとこうはいかない。
「予想してるだろうから単刀直入に言っちゃうけど、先生が行方不明だ」
「そうか」
 驚くに値しない。大統領にとって重要な人物であることは当然だが、別の意味でもBJと言う人物はアメリカが監視下に置かなければならない存在だ。BJ自身はそこまで自覚がないようだが、俺は最近、薄々理解していた。
 あの女を手に入れた勢力が、闇社会の多くを手に入れる可能性が高い。それほどあの女の指に救われた闇の大物は多く、それこそ心酔している者も少なくない。
 闇の大物がBJを見るなり相好を崩し、必死と言っても良いほどにもてなしたがり、対抗勢力に狙われたという話を聞けば激怒し、自分が話をつけると言い出す光景を俺は何度も見ていた。
 だがあの女は決してどこの組織にも属さない。闇で最大と言えば最大の勢力のひとつ、暗黒街の皇太子をバックにつけながら、決してひとところに収まろうとしない。だからこそそれを不安視し、命を狙う者も少なくないと言える。
 闇社会の組織は政治に深く関わるものだ。どの勢力が大きくなるのか。そのたびに起こる抗争の規模は。全てが政治に、政権に関わると言っても過言じゃない。組織に重大な影響を与える可能性が高いBJを政府が野放しにしておきたくないのは当然のことだろう。
「ピノコちゃんは在日のアメリカ大使館が保護下に入れた。あの家は監視しにくいって、向こうのCIAの奴が嘆いてたよ」
「あそこはそういう家だしな。そこまで考えて買ったのかもしれないが」
 アパートメントに入り、先に電話をかける。グラディスが番号を追跡しないと宣言したのであれば、フェイクの番号を経由する必要もなかった。いけすかない男だが、仕事で嘘をつくことはほとんどない。たまにあるが。
「──人探しを」
『ブラック・ジャック先生ですね』
 いつも仕事を頼むマネージメントの男の声がいやに真剣で、そして俺からの依頼を待ちかねていたように応答した。俺は眉をひそめる。あいつの失踪が既に知れ渡っているということか。
「間違いない。可能な限り速く。もう知れ渡ってるのか」
『ロクロー・マクベが欧州中の手下に先生の行方の確認を命じたって言う情報が入りましてね。ああ、これは無料でいいです、ドクターと先生のことは知ってますし、ドクターはお得意様なんでたまにはサービスしないと』
「それはどうも。──間久部もあいつの場所を知らないって結論でいいのか? まさかあいつが?」
 BJに異常な執着を──BJ自身は気付いていないのかもしれないが──見せる間久部は、BJの逐一を監視しているはずだ。数日も居場所が掴めないとは思えない。
『過去、マクベが人探しでそこまで大きな命令を出したことがないんですよ。しかも相手があのBJ先生。こりゃおかしいと思うのが当然だ』
「俺もそう思うよ。間久部があいつの居場所を見失うなんてのは相当だ」
『ですよね。もう少し無料で提供します。──先生を最後に確認できているのは、うちが潜り込ませているスタッフが働いているワシントンのチケットセンターです』
「飛行機?」
『そうです』
「購入履歴で分からないのか」
 会話までは聞こえていないだろうに、俺の声だけを聞いていたグラディスが、勝手に座ったソファからちらりとこちらを見たことが分かった。
『それが、買ってないみたいなんですよ。随分先の飛行機のフライト日程を聞いていただけみたいで』
「いつの飛行機だ? 行先は?」
『すみません、ここから先は有料で』
「依頼料に上乗せして請求してくれ」
『中東です。国は──でした。三ヶ月先の飛行機を調べていたそうです』
「──神よ」
 あいつは頭がおかしい。俺はしみじみそう思う。急を要さないが依頼が入ったのだろうか。数年前に終わったばかりの戦争で、まだ恐ろしく混乱している地域のはずだ。介入したアメリカもまだ駐留軍を引き上げられていない。
 それ以上の情報は今は分からないと言われ、とにかく速やかな捜索を頼んで電話を切った。
「待たせた。話を」
「間久部の件と先生がチケットの確認をしたのは知ってる。前者はMI6、後者はFBI。そこまでしか足取りが掴めてないってのが本当のとこ」
 説明する気もなかったが、話が早くて助かった。俺は幾度か頷き、少し考える。知り得た情報を組み立てるためだ。だが数秒で諦めた。『どこにいるのか分からない』。それが結論だから。
「出国した形跡がないから、まだ国内にいるか、それか別の方法で出国したかのどっちかだ。で、さっきのドクターとピノコちゃんの電話で、こりゃ本気でまずいなってことになってとりあえず僕のとこに話が来た」
「当たり前のように俺の電話を盗聴していると宣言するのはやめろ、知っていても気分が悪い」
「フォート・デトリックから発信してる電話は全員分、全部リアルタイムで盗聴してる。ワシントンに来るって連絡を電話でしてた時、ドクターが先生に愛してるよって言ったのもね」
「口を縫うぞ」
「やめてよ、仕事ができなくなる。──問題は先生がどこにいるかってこと。それに加えて、もしどこかの組織に監禁されてるなら、多分ロンは救出命令を出したがると思う」
「まあ、出すだろうよ。あいつの利用価値は充分あるし、アメリカ国内であいつが犯罪に巻き込まれたなんてことになったら俺がフォート・デトリックの契約を切る。大統領にとっていいことは何もない」
「で、先生に万一のことがあったらフォート・デトリックの件を全部バラすんでしょ」
「当たり前だ」
「Fxxk」
 俺に弱みを握られている大統領の腰巾着は罵りの言葉を吐き、だがそれほど怒ってもいない。今は怒りよりもBJの失踪の原因と行方を知りたいのだと俺に態度で教えていた。
「それでさ、問題中の問題がね。先生は日本人ってことなんだ」
「それがどう──」
 どうした、と言おうとして、俺は絶句した。グラディスが問題だと言う理由が分かってしまった。グラディスも溜息をつく。
「よほど緊急で生命の危機に立たされてなきゃ、救出任務に応じられる我が国の特殊部隊が出動できないってこと。この緊急も『同じ場所に自国民がいた場合』にしか適用できない。あとは日本政府が正式に日本国民保護の要請を出して、外務省と軍の両方が受け入れれば可能になる」
 言い換えれば、万一特殊部隊員が投入されるような緊急事態であっても、今グラディスが言った以外の状況ではBJを救出することができない。日本政府の要請が最も現実的に思えなくもないが、緊急時にどこまで早く要請を出してくれるか。それどころかあの女は日本で逮捕歴がある上に、今も無免許医として睨まれている。どんな扱いになるか、とても安心できない。少なくともスピーディな要請は期待できないだろう。
 グラディスも俺と同じ考えなのか、溜息をついて煙草を咥えた。
「何で先生って、どこにいてもトラブルに巻き込まれるんだろう。もう家から出るなって言いたい」
 半ば本気の嘆きを聞いて、俺はつい苦笑した。確かにあの女がトラブルに巻き込まれる確率は高い。俺もあの女とふたりになってから、随分と巻き込まれているような気がする。
「で、これからどうするんだ。おまえさんたちの方針は?」
「FBIとCIAが先生を捜索する。見つけ次第救出の必要があるかどうかを確認して、必要なら何とか段取りをつける。滅茶苦茶でもいいから言い訳を見付けるってことだね」
「なるほど。そこは得意な奴らがいるだろうから任せるよ」
「一番いいのは先生が自分で平和に帰って来ることだ」
「俺もそう願いたいよ」
 心から言ってしまった。心配をかけやがって、このクソビッチ、と喧嘩を吹っ掛ける未来が一番平和だ。
「ドクターがフォート・デトリックにいる限り、僕を含めてデルタが警備につく。これはいつも通り」
「ああ」
 別に警備なんざいらないんだが、とは言わないでおいた。彼らの心配事も分かる。俺はフォート・デトリックの闇を知り過ぎている。一言でも外部に漏らせば政権を揺るがしかねない。それから俺は知っている。
 俺がフォート・デトリックで仕事をするたびにこの赤毛とデルタの連中が俺を警備するのは、本当は俺の身を心配してなんかじゃない。少しでもまずい真似をすれば即座に殺すためだ。
 俺とBJは赤毛と妙に仲良くしているように誤解されている。闇の連中にもこの関係を警戒されていることを知っている。だが全然違うんだ。俺たちは全く仲良くなんかない。お互いに顔も見たくない、理解し合えないと知っていながら、俺たちにとってはそこに仕事が、赤毛にとってはそこに国家があるから同じ場所に立つことが多いだけだ。
「あいつが数日いなくなるなんてことは珍しくないんだが、今回ばっかりはな。そっちが捜索してくれるならそれはそれで助かる」
「税金で日本人のモグリ医師を探すんだもん、働くのが嫌になっちゃうよ」
「そう言うな。必要経費だ。──お嬢ちゃんを保護してくれたことだけには礼を言う。それと、たまにユリが行くことを現地のCIAに伝えておいてくれ。あの家に一人は結構可哀想なんでな、様子を見に行かせるよ」
「いっそこっちに連れて来てもいいと思うけどね」
「BJがアメリカ国内にいるって確認が取れればな。ないのに連れて来たら混乱するだけだ」
「──いや、あの子、ドクターの家にいるだけで安心すると思うよ」
「そうか?」
「そうさ。──まあいいや、考えといて。もしピノコちゃんを呼ぶなら手配が必要だし、ユリちゃんも来るならそっちも」
 ああそうか、ユリと一緒に呼んでもいいのか。ユリは今無職だ。あの馬鹿、まだ貯金があるからって俺の家を拠点に遊びまくってやがる。次の職場を探すのは貯金が心もとなくなってからだろう。いい加減にしろと言いたいが、なまじ有能な看護師だから多少ブランクがあってもすぐに職場が見つかるんだ。一向に危機感を持ちやしない。
 とはいえ、あいつが失踪したと聞けば二人ともひどく心配するだろう。いつまでも黙っておくわけにはいかないが──特にお嬢ちゃんには──いつ言うべきか。
 考えることがありすぎてうんざりしていたら電話が鳴った。フォート・デトリックからの連絡で、解析が完了したデータに異常が見つかった、できれば戻って来て欲しいという話だった。俺は心底うんざりした。


 異常値とされたデータを見て、面倒がらずに戻って来て良かったと思った。炭疽菌に汚染されたシェルターを浄化している軍人の検診データだったが、あまり良いと言えるものじゃない。
「防護服に異常は? 素手で触った時に近い数値じゃないか」
「そうなんです。防護服の方はさっき調査を依頼しまして──」
「一着に異常があれば全着廃棄して新規にする。結果が出たらすぐに上げてくれ」
「分かりました」
「本人の収容命令を。新規の検体をセーフティレベル3に。解析できたらデータをくれ」
「はい」
 必要な指示を出してもう一度データをチェックする。原因が分かれば対処は楽だが、分かるまでは面倒だ。とりあえず清掃している軍人たちを一時引き上げさせた方が良いだろう。所定の手続きでそれを通達し、検体を待つことにする。
 本当は防護服の全着新調ってほどでもないかもしれない。何しろ手間と時間と金がかかる。少し考え、指示を変えようかと思ってデスクの電話に手を延ばした。だが急にあの女を思い出した。きっとあの女なら言うだろう。それで防げることがあるならそうしろよ、馬鹿じゃないの。
 そうだな。俺は僅かに笑い、延ばした手を引っ込めた。
「そう言えばドクター、奥様はお元気ですか」
「私は独身だよ」
 繰り返す仕事の中で多少は世間話をするようになった古参の男性スタッフに話しかけられ、俺は苦笑したくなる。最近よく勘違いされる。勘違いしているのか、それともわざと言っているのかは知らないが。
「そうでしたっけ」
「そうさ」
「その奥様なんですけど」
 わざと言っている。口を縫うほどの不快感もないし、スタッフはスタッフなりに職場の人間関係に重きを置くタイプで、俺とも上手くやっているという自信が欲しいんだろう。
「もう日本に帰られたんですか? 伝説の外科医と一度でいいから挨拶してみたくって、今回こそお願いしてみようと思ってたのに」
「──え?」
「あ、御挨拶だけですって。そんな顔しないで下さいよ」
「いや、今何て?」
 俺をからかおうとして失敗したことを悟ったスタッフは首を傾げる。
「だってドクター、こっちで仕事の時はよく奥様と一緒に滞在してるじゃないですか。今回はそうじゃないみたいだから」
「その前。もう?」
「──ケンウッドでお仕事だったって噂を聞きましたよ。違ったかな。俺の従弟がケンウッドでハウスキーパーをやっていて、いつだったかな、一週間前に見たって」
 一週間。連絡が取れなくなってからの日数。ケンウッド──ワシントンの超高級住宅地だ。いわゆるオールドマネーが居を構え、関係のない人間は地域に足を踏み入れることも難しい。
「ああ、そうか。それは偶然だったな」
 俺はできるだけ動揺を出さないように努める。あまり人に感情の揺れを見せるべきじゃない。
「少し難しい問題があるようでね。今回、私とはしばらく別行動なんだ」
「ええ、そうだったんですか。残念だな」
「また次のプロジェクトの時に機会があればぜひ、あいつにも挨拶くらいさせてやってくれ。あいつの機嫌が良ければね」
 スタッフを少し笑わせてから電話の内線ボタンを一度押し、その発信で決められた場所に来る赤毛に会いに行くことにした。
「少し外すよ。結果が出たらよろしく」
「はい」
 大収穫だ。どこにどんな縁があるか分からない。これからはもう少し、フォート・デトリックのスタッフとの人間関係を見直しても良いかもしれない。
 警備の任務を見た目以上に真面目にこなしていたグラディスは、施設内で俺と二人で話す時に使う談話室で先に待っていた。俺の話を聞いて頷いてみせる。
「スタッフの名前は?」
 名前を教えるとまた頷き、無線で誰かに連絡をしていた。FBIかCIA、もしくは彼らとの連絡役を務める者だろう。そもそもこいつは「ムカついたから」程度の理由でCIAのメンバー数人を狙撃するというとんでもないことをやってのけた男だ。間に人が入っていてもおかしくない。
「オールドマネーの地域か。面倒だな」
「おまえさんから見てもそうか」
「大統領だって中々手を出せない。影響力が半端じゃないし、家によっちゃ対立党員を支持してたりするしね。ただ、もしオールドマネーのどこかの家にいるんだとすれば、先生の身の安全は保証されているとは思う。あいつら、映画やドラマより狡猾だ。先生の利用価値はよく分かるはず」
「あいつが天才で良かった」
「確かにね」
 グラディスはやや黙り、それから溜息をつく。
「オールドマネーに厄介な奴がいるんだ。その家にいるんじゃなければいいんだけど」
「聞くのも嫌だが聞いておく必要がありそうだ。話せ」
「デルタのメインの任務って、本来テロ関係で、分かりやすく言えば対テロ制圧とかでね」
「何でも屋じゃなかったのか」
「たまに間違われる。そういうのは別の特殊部隊がいる。──オールドマネーの家のひとつが去年代替わりしたんだけど、新しい当主の正義感が強すぎて、今までずぶずぶでやって来た闇の連中と手を切りたい方向で話を進めてるんだよ」
「──なるほど、見えて来た」
 どうせ武器や違法薬物の横流しだの、経営する会社の幹部への賄賂を今後は禁止すると言うことだろう。濁った水を清水に一気に換えようとすれば、濁流に住んでいた生き物たちは暴れて反発するしかない。
「クリードって奴なんだけどさ。お陰であいつもテロ組織の標的になりかねない。個人的にあいつは嫌いだから出動したくない。だからテロが起きて欲しくない。神様、お願いします」
 最後は赤毛の心からの願望だった。俺はその点についてノーコメントを貫いた。
「しかも先生がこの家にいたらまずい。本当にまずい」
「理由は?」
「ロンの対立政党を昔から支持してる。ベトナムを悪夢って言う奴らの政党さ」
「──あいつがその家にいないことを望むばかりだな。そもそも、もうケンウッドにいない可能性もある」
「死んでも死なない人っぽいし、きっと大丈夫だよ」
 俺は咄嗟に返事ができず、ついまじまじとグラディスを見てしまった。俺の視線に気付いたグラディスが少し赤くなり、何、と言った。
「いや、まさかおまえさんに慰められるなんてな」
「──二度と言わねえし、馬鹿」
 顔を赤くしたまま、若い陸軍少佐は談話室を出て行った。彼の親切を意図せずとはいえからかってしまって、少し悪いことをしたような気分になったが、まあ俺はあの男が嫌いだし、あまり気にしないでおくことにした。