「で、どうなの」
朝、医局に入った途端に同じ大学の女性に絡まれた。
「どうって?」
「ステディでいいの?」
「──そんなに気になる?」
意趣返しでも何でもなくて、わたしは困り切ってしまう。この国の人たちはステディかどうかがとても重要らしい。いや、それは日本人でも同じだけど。
「あなた、キリー軍医としかデートしてないでしょ」
「し、しか?」
「ああ、もう。きっとクロオの国とは違うんだわ」
彼女はこの国の一般的な恋愛について教えてくれた。並行して何人もの異性と親しくするのは別段不誠実というわけではないらしい。ステディになる前のお試し期間のようなものだ、って。わたしは目を白黒させるしかない。日本でそんな真似をしたら大変なことになる。
「日本じゃそういうのは御法度なのよね」
岡本先輩が助け船を出してくれた。この人はわたしをからかうのが好きだけど、わたしが困っているとすぐに助けようとしてくれる。
「そうなの? 日本人って生真面目なのね」
「たまに違う人もいるけどね。まあ、間さんは同時進行なんて器用な真似はできないわよ」
それに、と先輩は続けた。誰もが納得しそうなことを。
「キリー軍医と張り合おうなんて男、いないと思うわよ」
「──そうねえ!」
彼女や周囲で聞き耳を立てていた人たちは納得したように、一斉に頷いた。なるほど、やっぱりキリー軍医はそう思われるような人なんだ。惚れた欲目かと思ってた。
「ステディになる前にセックスすることも珍しくないわよ」
「いや、いやいやいや、それはちょっと……!」
アメリカ人の彼女のその発言はわたしにとって爆弾に等しい。いくらそういう文化があったとしても無理、わたしには無理! でも彼女は「困ったガキね」って言わんばかりの顔でわたしに向かって溜息をついてみせる。
「身体の相性だって、恋愛には大事なことなんだから。日本人は慎み深いって言うけど、もっとオープンになったっていいと思う。まだしてないの?」
「し、して、してない!」
「──ふうん。キリー軍医、本気じゃないんじゃない?」
急に棘のある声でそう言うと、彼女はぷいと身を翻して医局を出て行ってしまった。ああ、とわたしは思った。
いくら恋愛ごとで察しの悪いわたしでも分かる。彼女、きっとキリー軍医が好きなんだ。
「気にすることないわよ」
岡本先輩がわたしの背中を少し強く叩いた。
「だったら、彼女がキリー軍医にアプローチすればいいんだもの。ステディな関係がいないなら許されるはずなんだしね」
この気の強さ、見習いたい。でも先輩がこう言ってくれなければ、きっとわたしは落ち込んでいたと思う。
「先輩」
「何よ」
「たまにはありがとうございます」
「一言多い!」
今度は背中をかなり強く叩いて、岡本先輩は自分の仕事に取りかかった。
本当に、つまらない恋愛映画だ。ステディ未満の素敵な男性、ちょっと棘のある女性、頼りになる先輩、そして愚かなヒロイン。
愚かなヒロインって、なんて心地良いんだろう。ランチタイムにキリー軍医が迎えに来てくれて、そう思えた。
また図書館の閉館時間に待ち合わせをして、一緒に夕飯を食べて、家まで送ってもらった。頬にキスしてくれた。
明日は土曜日だからわたしは休み。キリー軍医は病院に詰めるって言った。
「明日は遅くなりそうだ。会えないな」
「うん、分かった」
「──寂しいって言ってくれる?」
キリー軍医がそんなことを言って、わたしはなんとなくはにかんでしまったけど、言ってもいいんだ、って思えた。だから言った。
「寂しい」
「俺もだよ」
また頬にキスしてくれた。嬉しかった。
嬉しかったけど、唇にキスして欲しいな、って思った。
家に入る前、あの鋭い目をした男が見えたような気がした。息を呑んだ瞬間、少し離れた部屋のドアが開き、眠そうな住民が出て来た。早く、とキリー軍医に言われて家に駆け込んだ。また何かが弾けるような感覚がした。
「そろそろ家の中に招待したら? 前もって言ってくれれば出かけてあげるわよ」
岡本先輩がそんなことを言って、わたしは怒ってみせて、その感覚を忘れることができた。
翌日は土曜日。家で勉強しようと思ったけど、明日のことが気になって手に着かなくて、昼前に何となく家を出た。気になって──だって明日はキリー軍医と出かけるから。毎日一緒にいるんだから何がどうってわけじゃないけど、やっぱり、好きな男と改めて二人で出かけるのって、ちょっと特別感がある。ううん、恋愛経験が少ないわたしなら、ちょっとどころじゃない。
キリー軍医が毎朝連れて行ってくれるカフェじゃなくて、もう少し安価でカジュアルなファストフードでランチを食べる。世界を席巻するチェーン店のハンバーガーは美味しいのか分からない。でも、肉を食べた! って気になれて嬉しい。
カウンター席のガラスごしに道を行き交う人たちを眺めながら、紙コップに入った食後のコーヒーを飲む。天気が良い。道を歩く人たちはお洒落で明るい表情をしていて、ここが夢と希望に満ちた大都会だってことを思い出させてくれる。どこにも絶望を抱えた人なんていない──ううん、きっといる。
絶望を抱えて明日が見えなくて、でも生きたくて生きたくて、勉強もお金も──借金も──何もかもを覆したくて足掻いている人間だって、きっと確かにいる。
でも今、リーズナブルなファストフードでも、自分のお金で洒落た通りに面した店で食事をして、食後のコーヒーを飲んで、好きな男と出かける明日のことばっかり気になってる今のわたしみたいな人間にはそれが見えない。
わたしだけじゃなくて、つまりは──こういう明るい通りを歩く人々には、見えない。
ああ、わたしは、
今、明るい通りを歩く人間なんだ。
通りの中にまた、あの鋭い目の男が見えた。わたしは唇を噛んだ。分かってる。──分かってる。きっともう、その時間が近づいていて──
ぱちん。また弾けた。同時にガラスを叩く音がした。顔を上げたらガラス越しに立っている赤毛の青年がいた。グラディスだ。今日は私服なんだ、ってぼんやり思った。土曜日だから休日なのかな。
彼は何も言わずに歩き出して、数秒後にはわたしの隣にいた。
「ええと──ごめん、実は女性と話すのってあまり得意じゃなくて」
「──そうなんだ?」
意外。つい横顔を見たら、そこにはちょっと苦虫を噛み潰したような10代の男の子の顔があった。ああ、10代の男の子なんだ、ってなぜか思った。
「何もしないで行っちゃおうかと思ったんだけど」
「うん」
何もしないで──そう。
あの男は、外部から何かのアクションがあると姿を消す。わたしは、そしてきっとキリー軍医はもう気付いてた。グラディスもそうなんだ。今、「ガラス窓を叩く」のがそのアクションだった。
「でも、多分──あなた、まだここに」
いたいんじゃないかって思ったから。最後は小さく消えそうな声になったけど、わたしの耳にはきちんと届いた。
それからちょっとした沈黙が下りる。彼はあまり口数が多いわけでも、女性の相手が得意ってわけでもないみたいだった。何だか意外だった。グラディスは軽く息を吐いて「さよなら」って言ったけど、わたしは急に思い出した。
「あの、コーヒーおごるから」
「いらないよ」
「アドバイスが欲しいから、その報酬ってこと」
グラディスは首を傾げた。わたしは少し言葉を選んで彼を見上げた。剣呑な目で見られるだろう、きっとわたしはその目に慣れてる──そう思ったのに、そこにあったのは年上の女に難題を投げかけられるのを予想したのか、かなり戸惑った10代の男の子の目だった。だからわたしは急に、この子なんだか可愛いな、って思った。
「僕、きっとそういうの苦手だよ」
「聞いてみなけりゃ分からない。単純なことなんだ」
「何?」
観念した顔で溜息混じりに返される。
「取り敢えず座って。コーヒー買ってくる」
「自分で買うよ」
「いいから」
「僕に恥をかかせないでくれ」
それまで柔らかい話し方だったのに、それだけはきっぱり、強めに言われた。少しびっくりした。そうか、そういうのって──女性に何かをおごらせるのって、彼の中では、もしかするとこの国の男性の中では、プライドに関わることなのかもしれない。そう気付いたのは彼が2人分のコーヒーを買ってきて、ひとつをわたしの前に置いて隣に座ってからだった。
「ありがとう」
「で、何?」
「ああ、うん。あの──」
何をどう言おうかな。少し悩む。結局うまい言葉が見つからなくて、そのまま質問することにした。
「この国だと、何がどうなったらステディな関係ってことになる?」
その質問をしてから数秒も経たないうちにわたしは後悔して、グラディスは難しい顔で「ああ、うん、いや、うん……」って呻くように色々考えていたようで、ふたりして困っていたらベネットがやって来て、事情を説明したら笑われた。テーブル席に3人で移動してからも、グラディスがずっと本当に苦虫を噛み潰したような顔をし続けていた。わたしは自分の質問が異性にするべきものじゃなかったと気付いて恥ずかしい。
「こいつ、士官学校じゃ毎度一番か二番の成績らしいのに」
ベネットが笑う。
「女のことになるとからっきしでさ。口も上手くねえし」
「少尉に言われたくありません」
グラディスは苦虫を噛み潰した顔で苦々しい声で、いわば完璧に「不本意」な態度だ。口下手なんだ。そうなのか。
「まあ、俺らの国で言うステディってのは──そうだな、俺とこいつじゃ違うな」
「違う?」
「いわゆる階級? っての?」
なあ? ってベネットはグラディスに言い、グラディスは肩を竦めたけど、それ以上何も言わなかった。ベネットが困ったように少し笑って教えてくれた。
「簡単に言うと俺は貧困層で、人種もヒスパニックでね。典型的なWASPのこいつとは文化も流儀も違う」
「彼女はWASPなんて知らないと思いますよ」
「あ、いや、知ってる。平気」
それは知っていた。あまり日本人に馴染みはない言葉だったけど、この国に来てから分かったんだと思う。この時代のホワイト・アングロサクソン・プロテスタント──この国のイギリス系白人、そして保守派のエリート層のこと。簡単に言えば階級。そうか、そう言えばグラディスは見るからにイギリス系白人だし、育ちの良さが隠せない顔立ちをしているし。
ヒスパニック系はスペイン語を母語とする南米系移民の人、ってわたしは覚えてる。確かにベネットは肌の色が少し濃いし、顔立ちもそういう系統に見える。
「色んなルーツがあるんだね」
「ルーツは大切だけど、ステイツ民ならみんな一緒だ」
グラディスがぼそりと言った。ベネットがまじまじとグラディスを見て、それからとっても嬉しそうに笑って、背中をばんばん叩いてグラディスを嫌がらせていた。少尉と士官学校生の間には歴然とした上下関係があるのか、グラディスは嫌がっても振り払えないみたいだった。でもなんだかわたしも嬉しくなって、ベネットと一緒に笑った。そのうちグラディスも少し笑った。
「まあ、話を戻すとな。俺とこいつの間だと、多分ステディの成立条件が違うんだよな。そんなに細かい条件なんていらねえと思うけど」
「自分たちの間でも細かい条件はありません、サー」
「へえ。俺んとこは良いと思えばとりあえずやって──」
「ノー、サー」
「あ、ごめん」
言葉以外は上下関係を無視したんじゃないかって思うくらい鋭くて低い声だった。グラディスに指摘されたベネットは、自分のセクハラ発言を謝罪してくれた。わたしは少し困ったからありがたかった。
「こいつはこういうことになると上にも噛み付くんだ。カデットの中でも有名らしいぜ」
ベネットはぶつくさ言った。でもちょっと嬉しそうだった。
どこか、誇りに思っているような嬉しさだった。わたしはそれに気付かない振りをした。──今は気付かなくていい。
まだここにいたい。
「それに、ヒスパニック系の誰もが少尉のように行動するわけではないと思います」
「確かになあ。奥手なとこは奥手だし。人それぞれだ」
ベネットは陽気に笑う。わたしも何となく楽しくて笑う。
うん、楽しい。
こういう時間、楽しいな。──きっと今しか経験できないような楽しさ。
「僕だって人によるけどね。ただ、キリー軍医なら僕と同じ階級だから──」
あっさり名前を出されて、わたしは自分でも「ぼん」って音が聞こえたんじゃないかってくらいに一瞬で顔が赤くなった。
た、確かにマンハッタンで会ったんだから知られてるのは当然だし、うん、当然だからここで名前が出るのはまったくおかしくないんだけど、なんだろう、恥ずかしい。グラディスはまた肩を竦めた。
「他に同時進行がいなければあなたで決まりだよ」
「いない──と、思う……」
「じゃあ、そのうち丁寧にベッドに連れてってもらえるんじゃない?」
「ノーォ、サー?」
「あ、今のは平気」
「何が違うんだ!」
意趣返しをしようとしたベネットはわたしの一言でテーブルに突っ伏してしまった。何が違うって、うん、違うとしか言いようがない。ベネットのはセクハラで、グラディスのは普通の説明って感じだった。
でもなんとなく、これが「おそらく優秀な軍人」のベネットと、「おそらく将来出世する成績優秀なカデット」の違いなんだと思う。そんな気がする。
「決まった形式なんかないんだよね、本当に。でもいつの間にかそういう関係なんだろうな、って周りが認識する感じ」
「ふうん」
「日本人はどうなんだい?」
ベネットが興味津々な顔で訊いてきた。わたしは先日、病院で説明したような話をまたここでもすることになる。ベネットは「めんどくせえ」と正直に言って、グラディスは「重い」とこちらも正直に言った。なるほど、ルーツは違ってもステイツ民なら一緒。納得、納得。
「俺は日本人と恋愛できねえな」
「日本人にも選ぶ権利はあります、サー」
「何だって?」
「キリー軍医、今日は一緒じゃないんだ?」
グラディスの無視振りに笑いそうになった。上下関係はしっかりあるけど、気心が知れた2人なんだろうな。
もしもこの関係が逆転しても、きっと。
「うん。1日病院に詰めるって言ってた。特に約束もしてないし」
「約束なんてしなくていいじゃない。会いに行きたければ行けばいいし」
「仕事。迷惑になる」
「多分」
ベネットが今までの明るい声じゃなくて、真面目で、そして少し小さい声で口を挟んだ。
「もう、あまり長くいられねえよ」
「おっしゃる通りです、サー」
グラディスが窓の外を見ながら言う。わたしも釣られてそっちを見た。息を呑んだ。
「出てくるスパンが短くなってきてる」
立ち上がったベネットが早足で店を出た。
その瞬間、窓の外にいた鋭い目の男の姿は消えた。
「行った方がいいよ」
店内の喧噪の中、まるでそこだけ切り取ったようにはっきりと、グラディスの声はわたしの聴覚を震わせた。
「今が幸せならね」
そう、とわたしは答えた。答えになっていなかったかもしれない。手の中にあるコーヒーはすっかり冷めていた。
「グラディス」
「うん」
「まだ、ここにいたいと思う?」
グラディスは沈黙した。わたしもそれにならった。
やがて若いカデットは、小さく、ぶっきらぼうな、いかにも女性のあしらいが苦手な青年の声で言った。
「そう思わない人が」
きっとそれは若い彼の真実の声なんだろうと思わせるような、正直で嘘のない声だった。
「どこにいるの?」
「護衛付きのプリンセスのお出ましだ、って聞いたんだ。誰かと思ったら」
アポイントもなしにやって来たわたしを見て、キリー軍医は怒らなかった。それどころか嬉しそうに笑ってくれた。わたしはほっとして笑い返す。わたしを病院まで送ってくれたグラディスとベネットは、キリー軍医に軽く手を振って姿を消した。
「どうしたの」
本当に素敵な男性だと思う。背が高くて、綺麗な顔で、笑顔が素敵で、優しくて甘い声で。
わたしはそんな素敵な男性に愛されている。大切にされている。
なんて素晴らしい恋愛映画なんだろう。だから愚かなヒロインぶって、その台詞を心から言った。
「明日まで待てなくて」
「──ふうん?」
「来ちゃった」
キリー軍医を見上げる勇気はなかった。でも彼が笑ってくれたのは気配で分かった。思ったより顔が熱くなるものなんだ、って知った。
「俺も会いたかったんだ。嬉しいよ」
わたしを喜ばせてくれるようなことを言って、それから頬にキスしてくれる。わたしはとんでもなく嬉しくて、恥ずかしさよりも嬉しさが勝って、我ながら馬鹿みたいに甘ったるい声で「えへへ」って笑った。彼もまた笑った。
1日病院に詰めると言っていたキリー軍医は、少しだけなら一緒にお茶が飲める、って言ってくれた。わたしはそれで充分だった。この人がどれだけ医療に人生を捧げているか知っている。それなのに、わたしのためにそれを曲げて時間を作ってくれるなんて、きっと他の誰も経験したことのないすごいことだ。わたしを愚かで図々しい、恋愛に目のくらんだ女だと言う人がいるかもしれない。でもそれは、きっと今の有頂天なわたしの耳には届かない。
わたしは恋愛の真っ只中にいる。素敵な男性と手を繋いで、頬にキスをしてもらうのが精一杯で、でもそれはわたしを大切にしてくれているからで──世間を知らない馬鹿な女が夢見る、馬鹿な女だけに都合のいい素晴らしい恋愛。そんな恋愛を心底楽しんでいる。
ベンダーでコーヒーを買って、病院の中庭で少し一緒に時間を過ごす。キリー軍医は本当に優しくて、わたしは本当に幸せでたまらなかった。学生のわたしが知らない最先端の医療の話も軽くしてくれたけど、そしてわたしもそれはとても興味深かったけど、ふたりで同時に笑って話題を変えた。
今はいい。そんな話はいらない。
目の前にいる、好きな人のことだけに夢中になりたい。
「ねえ」
いつまでも、こんな時間が。
いつまで、こんな時間が。
若いカデットに投げた質問と同じことを、素敵な男性に言った。
「まだ、ここにいたいと思う?」
キリー軍医はしばらくわたしを見つめたあと、ふっと口元を微笑に形に歪めた。
「そう思わない人間が」
鋭い目をした男が視界の端に映る。
ゆっくりとキリー軍医は言った。
「どこにいる?」
空になった紙のコーヒーカップを男に投げつけた。何かが弾ける音がした。
「もう戻らないと」
男の姿は消えていた。わたしたちはその存在なんて知らないように、視線を絡ませて笑い合った。キリー軍医は言った。
「夜に電話するよ」
「待ってる」
わたしは笑う。とても嬉しそうな笑い方だったと思う。キリー軍医がとても嬉しそうに笑ってくれたから、きっと間違いじゃない。
あと少し。
もう少し。
まだ、この恋愛の真っ只中で、愚かなヒロインでいたかった。
その夜、わたしは意を決して岡本先輩に相談した。明日は何を着ていけばいいですかね? って。先輩は事情を聞く素振りすら見せず、わたしの部屋のクロゼットに突進して、1分も経たないうちに悲鳴を上げた。いわく、どうしてこんな服しか持っていないの! って。うん、わたしもそう思わなくもないけど、だって必要なかったから。それにしてもひどいかも。色気も素っ気も洒落っ気もない服ばっかりが並んでいる。数も少ない。
好きな男性とふたりきりで日曜日に出かけるなんて、留学する前は考えもしなかった!
結局、先輩は手持ちのワンピースを貸してくれた。それはわたしには少し大きくて、先輩は大騒ぎしながらウエストと丈を詰めてくれた。借り物なんだからそんなことしないで、って言っても聞き入れてくれなかった。
脚を出したくないからタイツを履こうと思ってクロゼット下の引き出しを開けたら、それは駄目よ、このワンピースは素足とパンプスが似合うのよ、ってきつく言われた。
それは駄目よ。傷を隠すなんて駄目。
わたしは口にしなかったことを見事に指摘されて言葉に詰まった。先輩は強い口調で続けた。
「その傷も間さんの一部よ。それを認めない男なんて、間さんのステディになる資格はないわ!」
愚かなヒロインはうっかり涙ぐむ。愚かなヒロインの頼りになる先輩は抱き締めてくれる。
ああ、なんて心地よい駄作だろう。
それでも人生なんて──きっとわたしが送る人生なんて、駄作と言われる恋愛映画みたいなストーリーを幸せだと感じられるものなんだ。
わたしが送る人生なんて。
わたしが憧れていた人生なんて。
電話が鳴った。好きな男の人がくれた、お休みの電話だった。
ああ、幸せ。
とても。
きっとわたしが憧れていた、駄作と言われる恋愛映画。