昼過ぎ、ランチ後の一服への欲求を精神力で耐えていたキリコに一本の電話が入った。事務員が持って来た最新型の子機で対応し、電話の相手が所属を名乗った瞬間、そうだ、俺はなぜこんな簡単なことに気付かなかったのか、あまりにも浮かれ過ぎていたんじゃないか、と猛省した。自分の生き方の中ではミスとして数えられるべきことだ。
「──ああ、いや、考えてみれば当然だ。前回の件から初めて入国しているわけだし、入国の時点で大統領に報告が行ってたんだろう?」
電話の相手は大統領のプライベートをマネージメントする公務員だった。彼は肯定も否定もしなかったが、それこそが肯定の返事だとキリコは知っていた。どこの国でも公務員は何かと言葉を濁したがる性質があるのかもしれない。
「俺はプロジェクトの予算で今の宿にいるから移るつもりはないが、BJ先生がホワイトハウスに移るのは俺が決めることじゃない。本人と交渉してくれ。どうせ居場所は分かってるんだろう」
『実は、先にご連絡をしたんです。ドクターのアパートにいるのは分かっていたので』
「仕事がお早いことで」
ワシントンに到着し、滞在中の宿泊先としてフォート・デトリックから提供されているホテル──実際はアパートメントだが、中長期滞在の旅行者もよく使う場所だった──にBJを連れて行った後、早く帰るからと言って仕事に出た。それも既に政府側には筒抜けだったようだ。
「彼女は何て? 大統領の招きを断るような女じゃない」
ここぞとばかりに喜んで、キリコの帰りも待たずにホワイトハウスに移動する姿しか想像できない。何と言っても世界最大の営業相手なのだから、彼女が躊躇う理由はない。キリコとしてもそれは充分理解できるので、不快になることはない。だが電話の向こうの公務員はやや戸惑った声を出した。
『いえ、それが。あの、──ドクター・キリコと一緒にいたいから嫌だ、と断られてしまいまして』
「……今日は何日だったかな」
『え?』
「失礼、エイプリルフールかと思ったんだ。それで俺に電話した?」
『そうですね、4月1日でもありませんし、ドクターにお電話を差し上げたのはそういう理由なんです』
「つまり俺に『よろしければ私から彼女を説得しましょう、出過ぎた真似で恐縮ですが』と言わせたいわけだな」
『いえ、あの──え? 何? ──失礼、一度保留にしてよろしいですか』
「どうぞ」
センスのない民謡の保留音楽を聴きながら、一体どういう風の吹き回しなのかとキリコは真剣に考えた。あのBJが。営業相手には完璧な対応をするBJが。
──大統領の招待を断ったって? 理由が俺と一緒にいたいから? 冗談だろう。大統領に気を持たせて何かまた別の件の営業をかけようとしてるんじゃないか?
保留音が途切れ、お待たせしました、と再び通話が繋がった。そしてキリコが今日最大級に驚くべきことを告げられた。
『つい先ほど、BJ先生が大統領閣下に直接電話をして──断った、と言う報告が今入りまして』
「……本当に?」
『その、ドクターと二人でいたいから今回はごめんなさい、と言いますか……はっきり申し上げますと、二人だけでいたいの、邪魔しないで、と言ったとのことで……』
「大統領に、邪魔……」
『……しないで、と……』
うわあ、とキリコは頭を抱えそうになった。きっと電話の向こうの彼も似たような気持ちのはずだ。合衆国大統領にそんなことを言えるのは、おそらく家族を除けばBJくらいのものだろう。本人も大統領も気にしないやり取りかもしれないし、むしろあの大統領なら笑って喜ぶかもしれないが、第三者としては肝が冷えるどころではない内容だった。
「なあ、本当は今日、4月1日だろう? 先生と一緒に俺を担いでないか?」
『4月1日でもありませんし、担いでもいないんですけど、むしろその方が気が楽でしたよ』
同感だよと呻いてキリコは電話を切り、待っていてくれた事務員に子機を返した。何を考えているんだ、と溜息をつきたくなる。だが素直に嬉しい自分がいることも誤魔化しきれなかった。
そして数分後、電話を取り次ぐ事務員が再び子機を持ち、転がるようにしてキリコの元へ再び現れた。それだけで全ての予想がついたキリコは、もうあの女はモグリ医師なんかじゃなくて世界最強のパトロンを持つ天才医師を名乗るべきだとしみじみ思った。
「ドクター・キリコ! あの! お電話が! ちょ、直接! 直通! あの! えっと!」
「保留になってないぞ」
「え、──あ、ああ、なってない……!」
何もかもが面倒になり、キリコは無言で子機を奪う。そして苦笑を隠すこともなく挨拶をした。
「ご無沙汰です、大統領閣下。私の仕事が終わったら彼女を連れて行きますから、夕飯でご勘弁願えませんか?」
電話の向こうで機嫌の良い笑い声が聞こえた。強引だが余裕のあるこの権力者の声が、キリコは嫌いではなかった。
BJに電話をしなければ、と思った。手こずりそうだ。だがそのやり取りを考えると幸せになる自分がいた。
最初に何を言おうか。俺も二人でいたいよ、と言うべきだろうか。素知らぬ顔でいつの間にか、昨夜からボーダーラインの甘い呼び方を忘れていることには気付かない振りをした。
やっぱり行きたくない、と拗ねて嫌がるBJの姿がこの上なく可愛いと思いつつ、何とか宥め賺してアパートメントを連れ出すことに成功した。早く帰って来ればいいだけだ、挨拶代わりだと思えばいい、と何度言ったか知れない。
アパートメントからホワイトハウスまでは徒歩で30分程度だ。迎えを寄越すと言うSPの申し出を断り、歩いて行くことにした。
まだ拗ねた顔のままの女の機嫌を取るために、初めて手を繋いで歩いた。裸を見たどころか内臓まで見られた仲だ、それなのに初めて手を繋ぐなんて10代の子供よりも不器用だ、とキリコは自分でおかしくなったが、彼女との出会いからを考えてみれば、手を繋いで歩く今がひどく不思議なものだと思う。BJはほぼ無言だったが、繋いだ手を離そうとはしなかった。
「先生!」
ホワイトハウスに着いた途端、飛びついて来たのはパティだった。途端にBJが掛け値なしの笑顔になり、再会のハグをしてキリコを安堵させる。気難しい女が子供に不機嫌を隠し切れないことを危惧していたのだが、杞憂に終わりそうだった。
「会いたかった! とってもよ!」
「わたしも会いたかったわ! 少し背が伸びた?」
「そうなの! ドクターもこんばんは!」
「こんばんは、小さなお姫様」
礼儀正しく挨拶をするパティに幼いユリの姿が見えたような気がして、やはりキリコも掛け値なしに微笑み、少女が喜びそうな騎士の礼をしてみせた。パティは飛び上がって喜んでからスカートの裾を広げ、プリンセスの礼の真似事をして大人たちを喜ばせた。
大統領夫人は二人の闇医者がホワイトハウスに着いたと聞いた時から涙目で、二人を見た時には泣き出してしまっていた。あの時はありがとう、命を懸けて助けてくれてありがとう、と何度も二人に繰り返す。それを宥めることに苦労していると、上機嫌の大統領が現れた。
「先生、ドクター。夕食が終わったらすぐに解放してあげるから、それまで囚われの身になってもらおうか。きみたちは捕虜だ、分かっているだろうな?」
「その質問には答えられません」
キリコの返しに大統領は笑った。従軍経験のある男同士だからこそ、すぐに通じる冗談だった。それで場の空気が和み、夫人は泣き顔を笑顔にようやく替え、BJも大統領への好意を取り戻すことができた。
「お招きありがとう、ロン。謝らないわ。邪魔をしないでって言ったことは本音なんだから」
「本音の付き合いができるなんて嬉しいことだよ。でも本音の付き合いが続いたら、その可愛い喋り方は終わりにされてしまうんだろうなあ」
「終わりにしないであげる。こういうのがお好きなんでしょ、知ってるわよ?」
「そうとも! 妻を見てくれればすぐに分かるだろうね!」
キリコは思わず唸るところだった。なるほど、この女言葉は分かり合った上での営業、サービスだったということか。大統領も分かっていて楽しんでいたのだから相当な食わせ物か、悪く言えば女好きだ。元俳優ならさもありなん、それをあからさまに利用する先生も大したもんだよ、とキリコは呆れるばかりだった。
急な客が訪れても大統領一家の食卓は上質のままで、充分に楽しむことができた。フォート・デトリックの仕事に来てからデリやインスタントで食事を済ませていたキリコにはありがたい。昨夜のユリの料理が入国してから最大のご馳走だったほどだ。
BJは今回好意的な依頼主に充分すぎるほど贅沢な食事を宛がわれていたため、キリコほどのありがたみを噛みしめることはなかったが、ピノコを思い出させてくれる可愛い少女と食卓を一緒にできて何よりも嬉しかった。
「ねえ、先生が一番好きなお料理は何なの?」
「ボンカレーかな」
「ボンカレー?」
「ああ、先生が好きなのは日本のカレーだよ。パティは何が好きなんだい?」
「わたしはねえ、パンケーキ!」
「それは美味しそうだね」
上流階級の娘にレトルト食品を教えることに疑問を感じたため、キリコがすぐさまフォローする。そういやそうだ、とBJも内心で反省した。
「さて、先生。男たちの夕飯はまだ続くんだ」
食事を終え、歓談室でお茶を、パティはもう寝る時間、と言う流れになった時、大統領が断られるはずがないと言う顔で言った。BJはこれ見よがしに大袈裟な溜息をつき、大統領を笑顔にする。
「よくもそこまでわたしをないがしろにして下さるものね」
「ないがしろなんてとんでもない。男同士で少し親交を深めたくて。許してくれる?」
「ソ連が関わらなければ」
正面から堂々と探る目を向けられた大統領は有権者に向けるよりも少し親愛を込めた目で頷き、BJは引かざるを得なくなる。
「──どうぞ。わたしのことなんて軽く扱って下さって結構よ」
「馬鹿言っちゃいけない、私がどれだけ先生を大切にしているか神様がご存知だ。すぐに終わるよ。ドクター、少し歩くが執務室へ」
「ええ、分かりました。──話が終わったらすぐ戻るから」
頬にキスをしようとしたらぷいと避けられ、言葉以上に拗ねている態度を見せたBJにキリコは驚きつつ、可愛いな、と思ったことも確かで、ごめんねと言って頬を撫でてから大統領に従った。流石に大統領もBJが本気で拗ねていることを理解し、「ドクター、急ぎだ、私は早口になるぞ」と宣言した。
「驚いた。彼女があんな顔をするとはね」
「今日は失礼ばかりで申し訳ありません」
「とんでもない。私が権力を振りかざしてドクターと先生を呼び付けたんじゃないか。何が失礼だって言うんだ」
権力を行使したことを悪びれず、しかしBJが本気で不機嫌な態度を見せたことに慌てるこの男の二面性に笑いそうになる。大統領という重職にありながら、破綻しそうで破綻しないバランスで生きていることがよく分かる瞬間だった。
大統領が好むブランデーを前に話が始まる。キリコはフォート・デトリックで今手掛けている仕事の話だとは思っていなかった。そしてそれは正解で、大統領はあっさりと「例のソ連のスパイに騙された女性のことで」と切り出した。
「グラディスが話をしたことは報告を受けている。二人に断られたこともね」
「そうですね。間違いありません。お断りしました」
「確認だが、先生も断ったんだね?」
「国からの依頼としては完全に。公権力の仲介が一切なく、患者自身からの依頼であれば話をしてみると言っていますが、正直、私は関わらせたくない」
「関わらせたくない理由は?」
「既に心臓移植のドナーの当たりを付けている公権力があり、目的のためには手段を択ばない気狂いがいる。これで充分でしょう。──私たちは非合法な医者ではありますが、確実に殺人が起きると分かっている件には関われません」
「ふむ」
大統領は葉巻を取り、しばらくの時間をかけて燻らせてから、ふと思い出したかのように言った。
「気狂い、とは?」
「閣下が利用しているのか、閣下を利用しているのかは私には測りかねますが、デルタフォースの隊長は私たちのような非合法医師でも関わりたくない気狂いですよ」
「なるほど、なるほど」
大統領は笑った。同意の笑い方だと知り、世界で一番まともではないのは合衆国大統領なのかもしれないな、とキリコは思った。
「先生はドナーの当たりが付いていることは知らない、と気狂いが言っていたんだが、それは本当かね」
「彼が言っていないのなら本当でしょう。私は言っていませんし、言う気もない」
「──フォート・デトリックの件は?」
大統領の目から笑みが消え、望んで世界を背負った怜悧な政治家の目になった。キリコは直感した。──迂闊な返事はできないな。返事次第で俺と先生の身柄が拘束されるような何かが、多分隠されている。
「彼女は何も。私も言うつもりはありません。現状が望ましい」
「現状と言うのは?」
「彼女があなたを仕事の営業先としても、世界の指導者としても、とても愛していると言うことになりますね」
「光栄なことを知れて嬉しいよ。──しかし、なぜそれが望ましいのかね?」
「彼女はあなたが好きなんです。それに勝る理由はないでしょう。──彼女は確かに泥濘を知る人間ではありますが、泥濘を作り出す正義の政治家でも野望の経済人でもないんです」
「ふむ」
正義の政治家は頷き、葉巻を燻らせて闇医者の次の言葉を待つ。キリコが滔々と話しているように見えながら、その実、かなり慎重に言葉を選んでいると感じ、気分が良くなった。言葉の選択を間違えない男はきっと、今行うべき選択を間違えることもないだろうと思った。それは大統領にとってまあまあ良い結果になるはずの選択だった。
「もし私があの件を言えば、彼女はあなたを今と違う目で見なくてはならないことになる。それは残念なことだ。できれば避けたい。私は彼女に言いたくないんです。──ええ、彼女に言うのは死んだって御免ですね」
遠回しと言えば遠回しだが、キリコは自分が言いたいことはおそらく理解されるだろうと踏んでいた。要は「今まで通りBJの前では気のいい大統領としてお互いに楽しんで騙し合え、彼女を利用しようとするな、そうすれば前回のフォート・デトリックの件は墓場まで持って行ってやる」とキリコから要求したのだ。
大統領はしばらくキリコのひとつだけの青い瞳を見詰めていたが、やがてふっと笑った。
「ドクターと先生がホワイトハウスに滞在してくれなくて残念だ。きっとアンとパティが喜んでくれたのに。もちろん私もね」
「──ええ、確かに」
「親交を深められたようで嬉しいね。心配することが何もなくなった」
「閣下が何もなくなったとおっしゃるなら、きっとそうなんでしょう。喜ばしいことです」
言いながら、やはり今、かなり危ない橋を渡ったのだと実感した。しかしこれでフォート・デトリックの件がキリコにとっても有利な交渉材料になることが確定したも同然で、親交が深まったと言う表現はあながち間違いではないようだった。
「さて、そろそろ戻らないとな。先生の機嫌を取らないと」
「最大の難問ですね。先日のテロの方が簡単に解決できる」
心からうんざりして言うキリコに大統領は笑いそうになり、それから言った。
「結婚まで純潔を守るのは素晴らしいと思うよ。発散は先生に知られないように気を付けてくれ」
「──あの赤毛のキチガイ、助けるんじゃなかった」
今度こそ大統領は笑った。大統領の口を縫いたいと思いそうになったキリコは何とか自制し、そう言えば今のアパートメントはベッドルームが二つだが、さてどうするべきかと考えることにした。
歓談室へ戻るとBJと夫人が話し込んでいるところだった。珍しく夫人が聞き役だったようだ。だが男たちが戻った途端、二人して話を止めてしまったので確認はできなかった。
「ごめんね、終わったよ」
「……うん」
今度はキスを拒まれなかったので安堵する。夫人が悪戯げに笑ったので、きっと夫人がBJを落ち着かせてくれたのだろうと思い、キリコは目で礼を伝えた。美しい夫人はうふふとまた笑った。
「泊まって行って、って言いたいけど、今日は駄目だわ。二人とも、歩いて帰って頂戴」
「歩いて? アン、何を言ってるんだ、ゲストを歩いて帰らせようなんて──」
「ロン、駄目よ。二人は歩いて帰らなきゃいけないの。手を繋いでね」
途端に大統領が陽気な男の顔になって口笛を鳴らし、BJは真っ赤になり、キリコは咳払いをした。話したのか、と小声でBJに問うと、だって訊かれたから、とBJは顔を赤くしたまま答えた。
「今日、初めて手を繋いで嬉しかったなんて。何て可愛いの! 素敵だわ! 本当に素敵!」
少女のようなロマンチストである夫人は我がことのように興奮し、いい歳をした客人たちの若すぎる行動を揶揄することなく、ただただ喜んでいる。大統領は「ほう、なるほど」と呟きながらキリコをちらりと見、キリコをいたたまれない気持ちにさせた。恥ではない、だが恥ずかしい。
「そういうことなら歩いて帰った方がいいな。また来てくれ、何なら毎日だって嬉しいよ」
「毎日はともかく、美味しいご飯が食べたくなったらお邪魔するわ。今日はご馳走様」
大統領夫妻と別れの挨拶をしようとした時、控えめに歓談室のドアが叩かれ、ホワイトハウスのスタッフが顔を出した。
「ドクター・キリコにお電話です。フォート・デトリック、緊急とのことで」
その瞬間、BJの表情が全て消える。大統領夫妻は気まずい顔で視線を交わす。キリコは胃痛を覚えたような錯覚に陥りつつ、「すぐに」と言って部屋を出た。
そして数分後、死刑宣告を受けた気分で歓談室に戻り、トラブルが起きた、これから行かなきゃいけない、多分明日の昼までかかる、とBJに告げる。BJが恐ろしく無感動な声で「行ってらっしゃい」と言い、歓談室の室温を氷点下まで下げてみせたのだった。
「先生、今日は泊まって行って頂戴。嫌って言ったらロンが大統領命令を出すわよ」
夫人が宣言し、大統領が頷き、キリコは二人に深く感謝した。BJは抱き締めようとしたキリコの腕を避け、もう一度「行ってらっしゃい」と言った。
細菌の流出を危惧するほどではなかったが、確かに緊急と言うべきレベルのトラブルではあった。特に炭疽菌関連は一部の技術者とキリコしか関わることができない規則になっている。対応できるスタッフが少ないため、深く関わるキリコが呼ばれるのは仕方がないことだった。
「セーフティレベル3のフロアは念のため封鎖した方が良さそうだ。館内空調もフロア独立にして内部循環のみに切り替える。完全封鎖の必要はないと思うが、まだ数値は出てないか? 暫定でいい」
繰り返す仕事の中で、自然と助手的な立場になったスタッフのアリーチェが「まだよ」と答える。
「少しかかるわ。──陸軍の警備小隊がこちらに向かっているそうよ。それとは別に完全封鎖の場合はデルタフォースの警備が義務付けられるけど、デルタフォースに知らせる?」
「すぐに動けるのか? 今どこにいる?」
「そこまでは。ごめんなさい」
「それは間違いだ、謝ることじゃない」
キリコは電話に手をかける。陸軍への確認では時間がかかると分かり切っていたので、不本意ながら違う番号に連絡することにした。
「フォート・デトリック、緊急だ。デルタフォース、今どこにいる?」
『緊急了解。僕と3人がマンハッタン、他の連中はノースカロライナの駐屯地と世界の色んな場所。何?』
「ハザードの可能性」
キリコは手早く説明した。グラディスは少し考える間を取った後、分かった、と言った。
『ホワイトハウス付近にいる連中に向かわせる。常駐の8人の半分、4人が行く。後は陸軍から正式な命令が出たらノースカロライナから規定人数が行くし、僕も合流することになる』
「おまえさんの顔なんぞ見たくないんだ、完全封鎖にならないことを祈ってくれ」
『マフィン食べながら朗報を待ってるよ』
「口を縫うぞ」
電話を切り、陸軍へ完全封鎖の可能性の通達をするようスタッフに指示をする。だがそこまでの規模にはならないだろうという予想があり、フロアはそこまでの緊迫感がなかった。キリコからすれば歓談室でBJにフォート・デトリックに行くと告げた時の方がよほど緊張した。
帰ったら全力で機嫌を取らないと、とキリコは本気で思い、それにしてもBJがいやに女らしい我儘振りを見せることが不思議でならなかった。
「ドクター、数値が出たわ。完全封鎖の必要はないと思う」
「見せて」
良くも悪くも仕事に対して真摯な男は、書類を手にした途端、BJのことを忘れた。