ふたり 02

 嘘みたい、しか言えない。観光客なんか入れないホワイトハウスの内部にあっさり招き入れられて、しかもキリコは慣れ切った顔で警備員の人と何か話してる。通された応接室はクリードの家よりも歴史を感じる、でも現代的な機能を組み込んだ部屋で、やっぱり慣れ切った顔で勝手にソファに座るキリコが妙に景観にしっくりきて、何から驚こうかな、って順番付けをしそうになった。
 ピノコとユリさんが出掛けてから少し寝て、わたしが起きたのは昼前だった。キリコはそれよりも早く起きていて、彼に会えるよ、ってわたしに言った。それから用意を急かされて、13時には迎えの車が来て、あれよあれよと言う間にホワイトハウスに着いて──
「まだ信じられないんだけど。本当に大統領がわたしたちに?」
「正確にはおまえに。信じられないならそっくりさんが来ると思えばいい」
「ここまで来てそれはないわ」
 我ながら戸惑っている。でも、違うわたしが顔を出して、元気かな、お小遣いもらえないかな、ってさもしいことを言っていた。そりゃあ大統領なんだからお金持ちだろうけど、合衆国大統領に小遣いをねだるような真似ができるわけがない。
 そんなことを考えていたら急にドアが開いて上品な男性が入って来た。まだ完全に立ち上がっていないわたしに速足で近付き、彼は「神様!」と言ってわたしの手を取ろうとして、慌てて引っ込めた。
「触っちゃいけないんだった、そうだった」
「ご不便を」
 わたしの隣でキリコが言った。そうか、先に伝えておいてくれたんだ。今のわたしはキリコ以外の男性との接触が難しいってことを。でも今のことで分かった。わたし、この人が──大統領が好きだった。それはもちろん恋愛のことではなくて、人として、きっと凄く好きだったし、尊敬していたんだと思う。
 だって、わたしから手を差し出せたから。
「あの、──こんにちは」
 何を言ったらいいのか分からなかった──何しろ「わたし」は初対面なんだから──から、それだけを言った。彼は目を見開いた後、キリコを見て、キリコが頷く気配がして、それから満面の笑顔でわたしと握手をしてくれた。
「話は全部知っているよ。無事で良かった、まずはそれだけでも嬉しいよ」
「閣下がお気を砕いて下さったって、少佐から聞きました」
「少佐──ああ、グラディスか。そう言えば少佐だったな。いつも尊大だからとっくに将校だと思っていたよ。彼は私を大統領なんて思ってないのさ。この間だって偉そうに、『ロン、早く日本政府に文句言ってよ、仕事が進まないじゃないか』なんて電話をして来て!」
 ここにはいない男をわざと揶揄いながら、大統領はわたしを笑わせてくれた。こういうところが彼の優しいところなのかもしれないし、俳優と言う経歴のなせるわざなのかもしれない。自分のことは何も分からないのに、彼がどういう経歴で、どんな人なのか、すぐに思い出せた。
 応接室から日当たりのいいバルコニーに用意されたティーテーブルに行こうと言われた時、大統領がわたしに向かって肘を曲げたことも驚いた。でもそれを当然のように取ったわたし自身にも驚いた。キリコが苦笑しているのが分かったけど、怒ってないってことも分かった。わたしたちはいい関係だったんだ。そう思えた。わたしと大統領じゃなくて、わたしたち三人が、きっと。
 あたたかい日差しが気持ちよかった。大統領──ロンと呼んで欲しいと言われた──の話は楽しくて、覚えていないわたしを緊張させないように気を遣ってくれていることが分かった。でもしばらく続くとそれが何となく居心地の悪さを呼んで、わたしは言ってしまった。
「ロン、あの、わたしに気を遣って下さらなくて大丈夫ですから」
「そんなこと──」
「たぶん、ロンなら大丈夫だから」
 事情を知っていたロンはわたしを見詰めた後、静かに頷いて、それから微笑んでくれた。その微笑み方はとても懐かしくて、きっとこの人のことをとても好きだった、ってまた思えた。キリコを見たらやっぱり微笑んでくれた。嬉しくなった。
 それからはもっと砕けた話ばかりになって、わたしは笑い通しだった。キリコまで笑っていた。キリコが誰かの話で笑うのは珍しいって何となく思って、それも嬉しかった。
「もう時間か」
 忙しい大統領はわたしたちのために急遽時間を作ってくれていた。とても残念そうに言ってくれて、わたしは申し訳ないと思うより、やっぱりこの人が好きだって分かった。
「私はもう行かないと。でも、良かったらドクターと一緒に家の中を少し見て行って。何か思い出せるかもしれないしね」
 最後にキリコに向かって「いいかな?」と訊いて、キリコが肩を竦めて「彼女がOKなら」と答える。それがどういう意味か分かって、わたしは笑ってロンよりも先にハグした。彼はとても喜んで抱き返してくれた。
「そっくりさんにしては素敵過ぎたわ」
 ロンが仕事に戻ってからそう言うと、キリコが噴き出した。それから一緒に笑った。
「見てみる?」
「その方がいいのかしら」
「シェルター以外なら安全だし、刺激になるかもしれない。行こう」
 キリコが昨夜話してくれた中に、わたしはここでテロに巻き込まれたと言うものがあった。嘘みたい。全部嘘みたいだったけど、ホワイトハウスでテロになんて、本当に嘘みたい。
 でも道を覚えていた。あっちへ行った、ここを曲がった、って、手を繋いで歩くキリコを引きずるように速足になってしまった。覚えてる。──覚えてるんだ、わたし。
 涙が出た。覚えてる。それがこんなに嬉しいことだったなんて。
「キリコ」
「うん?」
 返事をしながら、キリコはわたしの涙を指で拭ってくれた。
「思い出したい」
 やっと言えたような気がする。本当は怖かった。思い出した記憶の中に、耐えられない哀しいことがあるかもしれなくて、それから逃げたかった。
 思い出さなくたって何も困らないって思い込もうとしてた。キリコがそばにいてくれて、ピノコがいて、ユリさんがいて、もう寂しくなかった。幸せだった。
 そんなことなかった。思い出したかったんだ。思い出したい自分を忘れようとしてた。
 キリコが言った。
「辛いことがあるかもしれない」
「わたしは不幸だったの?」
 見上げるわたしに、キリコは優しく笑ってくれた。
「幸せかどうかなんて、本人にしか分からないよ」
 わたしは頷く。少し考えて、それからもう一度キリコに訊いた。
「キリコは幸せだった?」
 今のわたしじゃないわたしといて、あなたは。
 幸せだと思ってくれていた?
「俺は」
 キリコはわたしに言い聞かせるように、ゆっくり言ってくれた。
「おまえといると、いつも当たり前に幸せ過ぎて、幸せだってことにも気付けなかったよ」


 家の前でパトロール中の警官に会った。彼はわたしたちに声を掛けて来た。何もしてないけど、この見た目なら仕方ないよ、って違うわたしが溜息をついていた。わたしも納得した。
 でも警官は職務質問でも何でもなくて、先にキリコに「職務質問じゃない。彼女と話をしてもいいか」って訊いていた。キリコはしばらく考えてから、「距離を取ってなら」って言ってわたしの腰を抱いた。警官は言われた通り、わたしと距離を取ったまま話を始めた。
「ずっと気になってたんだ。覚えてるか?」
 わたしは返事ができなかった。覚えてないけど、でもこの警官が真摯な顔をしているから怖くなかった。
「あの時は悪かった。俺の間違いだった。とても傷付けたはずだ。本当に申し訳なかった」
 ずっと謝りたかった。彼は言った。違うわたしがちょっと困ったように笑ってわたしに言った。気にしてないって言ってやりな。だからわたしは言った。
「……気にしてないわ」
「──ありがとう。何か役に立てることがあれば──」
「お気持ちはありがとう。これで」
 キリコがそれ以上の会話を阻んだ。こんなキリコを再会してから見たことがなくて少し驚いたけど、警官が納得したように頷いたので、思い出せない記憶の中で何かがあったのは理解できた。キリコは優しく、でも有無を言わせない力でわたしの腰を抱いたまま家に入った。
 家に入ってからキリコは少し不機嫌だった。わたしに気取らせないようにしているのが分かったけど、ちょっと失敗してる。わたしはそれが嫌だったから言った。
「今のは?」
「──昨日話した。俺がおまえに銃を向けた時、家に来た警官だよ」
 わたしは「なあんだ」と言っておいた。キリコがわたしに銃を向けたことをどれだけ悔やんでいるか、昨日の話で分かってたから。キリコは何も言い訳しなかったけど、なぜかわたしには分かったからそれで良かった。
「彼こそ気にしてたのね。不思議だわ」
「何が?」
「自分の過ちなんて忘れて生きて行けることなのに、覚えていて──謝れるなんて。勇気があるのね」
 それに、とわたしは何の気なく付け加えた。
「彼が今謝ってくれたから、そのことを思い出しても、わたし、きっと哀しくない」
 キリコはしばらくわたしを見ていたけど、やがて黙って抱き寄せてくれた。ごめん、ありがとう、と言われた。何を謝るのか分からなかったけど、でも何となく分かった。キリコは悔やんでいたし、気にしていたんだ。あの警官もそうだった。身の安全や治安のための不可抗力だったとしても、わたしに向けた過ちの結果を悔やんでくれている。それだけでいい、って思えた。
「実際問題として催眠療法よね」
 医者としてのわたしが現実的な話を始めた。夢みたいな今から抜け出す準備をして行くんだ。ううん、もしかしなくても以前の方が夢みたいだけど。キリコも医者の顔になって、そうだな、と言った。
「ただ、俺としちゃ懸念がないこともなくてな」
「どんな?」
「おまえが催眠にかかるかどうか」
「……わたし、そんなに意思力強い?」
「──おまえで弱かったら人類のほとんどは薄弱レベルだよ!」
「そうなの!?」
 わたしが余りにも驚いたからか、キリコが大笑いしてソファに沈んだ。失礼な。腹が立って軽く叩いたら、痛くないはずなのに痛い痛いって言って、それでもまた笑いながら抱き込まれた。
 催眠療法は記憶障害の治療にそれなりの効果が報告されてるけど、キリコの懸念も最もだった。意思が強い患者は催眠そのものにかからないケースもある。わたし、そんなに意思が強いのかな。流され続けてクリードの家にいたような気がするんだけど。
「何日も経ってないのにもう忘れたのか。俺が一緒に帰ろうって言っても、エミリーが歩けるようになるまで帰らないって意地を張ったじゃないか。あれだけ寂しがってたくせに」
「え、それは、だって医者だし!」
「デルタと一緒に入るって言った時は? 赤毛があんなに嫌がったのに押し切ったじゃないか」
「だってやっぱり、だって医者だし──」
 キリコの笑いが止まらない。わたしは唖然とし過ぎて、もう怒る気にもなれなかった。そのうちピノコとユリさんが帰って来て、笑い転げているキリコを見て凄く驚いていた。
「にいさん、昼から飲んだの?」
「まさか。いや、あんまり面白くってな。──お帰り」
「ただいま。嫌だわ、雨が降ったらどうしよう」
「ちぇんちぇい、ロクターがあんなに笑うの、アンティーヴ以来なのよさ」
「え、そうなの」
 その場の話題がキリコで持ち切りになって、ピノコとユリさんが話してくれることにわたしは笑い通しになってしまった。
「勝手に俺を笑ってろ、出掛けて来る」
 キリコは笑いながら出て行ってしまった。クリードの様子を見に行ったんだろう。適当な時間に勝手に行く契約をしたと聞いたけど、それにしてもいい加減かも。まあ、手抜きはしてないんだろうけど。わたしも明日あたり、少佐の様子を見に行かないといけないと思い出した。引き継ぎはしたものの、主治医は取り敢えずわたしのままだ。
「アンティーヴって、あれよね、ホテルで銃撃戦があって」
 わたしが訊くと、ピノコはぽかんとした顔をしてからユリさんを見た。ユリさんもぽかんとしてわたしを見る。それで急に、この二人はわたしの前で、何ひとつ過去の話をしなかった、気を遣ってくれていたんだって分かった。
「思い出してないんだけど」
 慌ててわたしは言った。言っておきたかった。
「キリコに聞いたの。あの、ほとんど全部──ホワイトハウスのこととか、陸軍病院の心臓移植のこととか、ガリシアのことも」
「──きゃーっ!」
 ピノコが悲鳴をあげてわたしに飛び付いた。わたしは慌てて抱き止めた。ユリさんまでわたしに抱き付いて来て、勢いがよくて倒れそうになったくらいだった。
 それから二人は楽しそうに話してくれた。キリコが知らなかったことまで教えてくれて、わたしは楽しくて仕方なかった。ピノコがずっとわたしに抱き付いていて、ユリさんはずっとわたしの手を握っていた。わたしもピノコを抱き返して、ユリさんの手をずっと握り返していた。寂しくなかった。きっと思い出しても寂しくないんだって分かった。


 キリコの帰りが遅い。夕方に出て行ったのに、20時を回っても帰って来ない。夕飯を先に食べてしまった。ユリさんも気にしていたようで、ピノコが寝てから「遅いわね」と初めて言った。
「先生、お酒は?」
「──ううん、いい」
「全然飲んでないわよね。前はすっごい酒飲みだったのよ」
「信じたくないけど、きっと本当なんでしょうね」
 クリードの家では鎮痛剤を飲む機会が多かったのと、ずっとエミリーの様子を気にしていたから、お酒を飲もうなんて考えもしなかった。それにしてもすっごい酒飲みだなんて。
「ユリさんは飲まないの?」
「にいさんが帰って来てからにするわ」
「そうじゃなくて、酒飲みなの?」
「自分で言うのも何だけど、かなり飲むし、ついでに酒癖が悪い自覚があるわね」
「信じられない」
 こんなに綺麗で健康的な美貌の人が大酒飲み、しかも酒癖に難があるなんて。神様って不思議な真似をする。
「本当に遅いわね。病院に電話してみるわ」
 ユリさんが電話に向かう。わたしは溜息をつき、煙草に火を点けた。ピノコとユリさんがいるから寂しくないけど、だからっていなくて平気なわけじゃない。いてくれた方がずっといい。
「──ええ、ドクター・キリコの──え? 手術?」
 手術。わたしは電話をするユリさんを見た。ユリさんもわたしを見た。「誰の、症状と緊急性」とわたしが近づきながら言うと、ユリさんは流石看護師だけあって、慣れた口調で電話の向こうに訊いてくれた。でも返答はあまり捗々しくなかった。
「言えないって──オールドマネーでしょ? 兄は主治医だし、彼以外の手術なんて契約外よ。──そうなの? どういうこと? 何があったのだけ教えてくれない? こっちだって家族として心配なんだから」
 電話の向こうはやっぱり言葉を濁しているようで、ユリさんは苛立った顔で唇を噛んでから言った。
「兄を何かに巻き込んでるんじゃないでしょうね。最低限のことも言えないなら直接そっちに行くわよ」
 物騒な物言いにわたしは息を呑む。ユリさんはしばらく話していたが、「ちょっと!」と言って受話器を見詰めた後、美貌に似合わない罵りの言葉を吐いて受話器を置いた。
「切られたわ」
「何があったの」
「分からない。とにかく手術中ってことしか言えないし、電話の取次ぎもいつになるか分からないって」
 二人で考えたって分かるはずがない。病院に直接行ってみるべきかと意見が一致しそうになった時、電話が鳴った。ユリさんが素早く受話器を取った。
「Hello──ええ、そうです。ええ、はい──ブラック・ジャック先生? 陸軍病院が何の御用?」
 二言みこと交わしてから、ユリさんは溜息をついて「陸軍病院から」と言って受話器を渡してくれた。電話に出ると確かに陸軍病院だった。明日行こうと思っていたのにどうしたんだろう。まさかわたしの患者──少佐に何かあったんだろうか。
 何かあった、と言うよりは、何をする気なんだ、って気分になった。
『少佐が病院を脱走したんです。何かご存知じゃありませんか』
 まだ抜糸も済んでないのに。最低でもあと三日は入院していなきゃいけないのに。
「さあね、彼がやることなんて知らないわ」
 医者としてはかなり突き放した言い方をしてしまった。でも本当は何となく分かっていた。彼は対テロ部隊の人間だ。こんな時間に無理矢理出て行くなんて、何かあったとしか考えられない。
「何か分かったら連絡するわ。そちらも分かればお願い」
 電話を切ってこめかみを揉む。頭痛が起きそう。それからユリさんに話した。わたしとユリさんは見詰め合った後、同時に深い溜息をついてしまった。
「先生は何があったと思う?」
「キリコと連絡が取れなくて、少佐が脱走。ろくでもないことがあった、って思ってるけど、ユリさんはどう?」
「全く同じ気持ちよ」
 二人でもう一度溜息をついて手を打ち合わせた。
「何か食べておかない? 眠れない夜になりそう」
 ユリさんの提案に反対する理由はなかった。酒を飲まなくて良かった。
 簡単な食事をユリさんが作ってくれていた時、インターフォンが鳴った。こんな時間に男がいない家に来られても、と思ったけど、次にノックされた叩き方が覚えのあるものだった。クリードの家で非常時に使われた叩き方だ。
 ドアの覗き窓から外を見てみる。思いっきり溜息をついてから、我ながら乱暴にドアを開けた。
「その叩き方、よく覚えてたわね」
「先生こそ」
「退院許可を出した覚えなんかないんだけど?」
「飢え死にしそうだったんだよ。ご飯食べさせて。病院食じゃ足りなくて。何だよ、あの少なさ」
 迷彩服姿、頭に包帯、顔中に大小の再生テープを貼った赤毛の少佐がそこにいた。我が家を見張っていた警備のデルタ隊員一人が慌てて現れて、隊長、って声をかけて、グラディスに「仕事しろ」って言われて、手を振って野良犬のように追い払われていた。それからグラディスはわたしに訊いた。
「今の奴、怖くない? 平気?」
「──あ、うん。平気だった。警備してくれてるんだし、それにあなたの部下でしょ?」
「うん。理由に納得できれば怖くないのかな」
「そうかも。気を遣ってくれてるならありがとう」
「任務遂行のための情報収集だよ。自惚れないでね」
 この男の口の悪さの裏には色々なものが隠れているのかもしれない。何となく分かった気がする。
「あら、脱走兵」
 ユリさんが安心半分、皮肉半分の声でグラディスに声をかけた。
「こんばんは。匿って」
「罪にならなきゃね」
「僕が脅したことにしていいよ。──外に警備のうちの奴がいるけど、先生が大丈夫らしいから、それっぽい男性がいても気にしないで」
「──そうなの?」
 ユリさんはわたしを見た。わたしは頷いて、簡単に説明をした。ユリさんは微笑んでくれた。
「ドクターって護身用の銃、家に置いてるでしょ。どこ?」
「知らない。でもわたしがキリコに銃を向けられたのがリビングの入り口だったらしいから、その辺にあると思うわよ」
「さらっと殺伐とした夫婦の話をありがとう。大体分かった」
 大体と言いながら、グラディスはリビングのテーブルの隠しポケットからあっさり銃を見付けて弾倉を確認していた。あまりいい感情が湧かなかったから、何だかんだでわたしは本当に不愉快だったんだろうな、って分かった。
「早くしまってよ、そんなもの」
 呆れながらも料理──タコライスだ、美味しそう──を用意してくれたユリさんが、わたしの心を代弁してくれた。グラディスは迷彩服のベルトに銃をしまう。
「足りなかったらパスタでも茹でてあげるから、とりあえずこれ食べて」
「全然足りない」
「食べる前から言うんじゃないの!」
 ユリさんは怒ったけど、もうパスタを茹でにキッチンに行くのだから優しい人だ。看護師は気が強いけど面倒見のいい人が多い。ユリさんもたぶんそう。
 グラディスは早速食べ始めながら──わたしの治療計画ではあまり食べさせたくないものだったけど──簡単に話を始めた。
「今夜いっぱい、ドクターは帰って来られないと思う」
「結論から入る男は好きじゃないわ」
「急かす女は振られるよ」
「喧嘩売りに来たんなら病院に帰りなさいよ」
「ちょっと、グラディスくん。この後に何かあるなら警備の人にも食べさせてあげるわよ、必要なら家に入れて!」
 キッチンから顔を出したユリさんが言った。その方がいいかも、どうせキリコのために働くんだろうし、とわたしも思った。グラディスは心から感嘆した顔でユリさんに向かって「女神がいる」と言って、家を警備している部下を呼びに席を立った。
 かなり恐縮した様子で入って来たデルタの隊員はタイニーと名乗った。本名じゃなくて部隊の中で使われる呼び名らしい。大柄な男性だけどタイニー(小柄)なんて不釣り合いすぎて、逆にすぐ覚えた。
「立派な体格なのにタイニーなの?」
「小さい部分があるのさ。僕がつけてやった」
「……ああ、そう」
 グラディスの言わんとすることに下品な想像がついて、わたしはそう言うしかなかった。ユリさんは苦笑していた。タイニーは恥ずかしそうだった。
 食事をしながら話を聞く。聞きながら本当にうんざりした。ユリさんも本気でうんざりしていた。でもグラディスもうんざりしているようだった。
「次から次に、本当にあなたたちはトラブルに巻き込まれてばっかりで。もう家から一歩も出ないで暮らして欲しいよ」
「好きで巻き込まれてるんじゃないわ。最高に面白い漫画を描く神様ならこれくらい平気でするんじゃないの?」
「こんな話、粗が有り過ぎてお描きにならないさ。──まあ、今度はデルタが突入ってことにはならないと思うから。一応ドクターの身内ってことで知らせに来ただけ」
「ご飯を食べに来たのかと思ってたわよ」
「それも本当。あの治療計画、見直してよ。食べても1時間で腹が減るんだもん、嫌んなるよ」
「軍人の回復力を見くびってたことは認めるわ。後で変更する。で、わたしたちはどうするべき?」
「家でおとなしく待ってて、って言いたいんだけど、オールドマネーの馬鹿が攫いに来ても困るし。ピノコちゃんとユリちゃんと三人で現場のデルタの車両の中にいてくれれば僕は安心できる」
「何であなたを安心させてやる必要があるのよ」
「医者の努めでしょ? 僕はあなたの患者だと思ったけど?」
「──あまり動き回って頭の包帯がずれても知らないわよ。この間は毛根に影響がないように縫ってあげたけど、傷が開いて縫い直しになったらそうもいかないわ。今度こそハゲるからね」
「主治医のご指示に忠実に従います」
 赤毛の少佐は真摯に誓い、笑いそうになったタイニーをひとつどついた。
「それにしても」
 ユリさんが溜息をついた。
「オールドマネーって厄介な家ばっかり。クリードの家の次は違う家だなんて。先生もにいさんも優秀すぎるってことなのかしらね」
「優秀を通り越して変態って聞いたことあるよ。──ピノコちゃんの寝室に。ドアの前に置けるものがあったら置いて。後で僕かタイニーが迎えに行く」
 誰が変態だって怒る前に、グラディスとタイニーが立ち上がった。二人とも流れるように銃を抜いて、わたしは竦んだ。ユリさんも息を呑む。でもすぐに、この男の指示に従った方がいいって理解できて、わたしたちは急いで二階のピノコの寝室に上がった。
 ユリさんがドアの前に動かせるものを片っ端から置いてくれている間、わたしはピノコを起こして着替えをさせた。ピノコは眠そうな中、嫌がらずに従ってくれた。
「これから出掛けるの。眠いのにごめんね」
「──ほんとにちぇんちぇいは大変なのよさ」
 事情を説明していないのに何かを察したその言い方は、まるでトラブルには慣れているとでも言いたげで、わたしはこの子を巻き込んで本当にどんな生き方をしていたのかと悩まざるを得なかった。
 銃声はしない。でも、階下で人の気配を感じた。少しだけ気配が乱れて、すぐに静かになった。数分してからグラディスが家に来た時と同じリズムでドアがノックされ、力を発揮する機会のなかったバリケードをどかしてわたしが開けた。
「訊く必要もなさそうだけど礼儀として。怪我は?」
「お客さんたちの肩が外れてる。こっちは大丈夫?」
「問題ないわ」
「警察を呼んだ。僕が説明するから先生たちは何も話さないでいい」
「誰だったの?」
「今、病院でドクターを脅してる奴に雇われた連中。3人しかいなかった。先生とユリちゃんとピノコちゃんだけだと思ったんだろうね。銃持ってたし、ご飯食べに来てよかった」
 病院でキリコを脅している。キリコはそんな状況にいる。それだけで気が急いた。クリードの家ではないオールドマネーの一家が、なぜかキリコを病院に──クリードの病室に監禁する流れになって、キリコを警備していたベネットから緊急連絡が入ったらしい。今は地元の警察が対応しているようで、デルタフォースがどう動くかは未定とのことだった。
 相手が相手だけにベネットが無線で上の指示を仰ごうとしたら、キリコに「仕事して来い」って言われて病室を蹴り出されたって聞いた。
 リビングには縛り上げられた3人の男たちが転がされていた。肩が外れたまま縛られるのは凄く痛いだろう。その他にも打撲の様子が見て取れたけど、治療してやる筋合いがない。死ぬこともないだろうし、放っておいた。
 警察がものの数分で駆け付けた。その中にはあの警官もいて、大丈夫か、彼はいなかったのか、ってわたしを気遣ってくれた。嬉しかった。
 グラディスとタイニーは遊びに来ていた軍人だと名乗って、簡単に状況を説明した。
「軍人なんだけどこういう者で」
 状況を説明した後、グラディスが首元からドッグタグを出して警官に示す。何が刻印されているか知る由もなかったけど、警官たちが一斉に敬礼したから、彼らにとっては重要なことが書いてあったんだろう。後で聞いた話だと、二人のドッグタグにはUSSOCOM(特殊作戦群)と刻印してあって、警察に対しても結構な無理が利くらしかった。軍事優先の国だからこそかもしれない。
「これ以上の現場検証は必要ない。『留守中に入ろうとした空き巣集団をパトロール中の警官が逮捕した』ことにしておいてくれないかな。そのためにあなたたちに来てもらったんだ。──皆さん、素晴らしいお手柄だ。おめでとう」
 白々しく笑顔で言ったグラディスに、警官たちが咄嗟に返事をできないまま突っ立っていた時、タイニーが外を見て言った。
「少佐、車が来ました」
「分かった。先生、ユリちゃんとピノコちゃんと乗って。鞄が必要なら持って行っていいから。タイニー、警官の皆さんのお見送りと戸締りは頼んだ」
「イエス、サー」
「ではご機嫌よう、正義の警察官の皆さんに感謝を」
 軽く敬礼してグラディスはわたしたちを促し、逆らえなかったわたしたちは車に向かうしかなかった。来てくれたあの警官に悪いことをしてしまったような気がする。彼にありがとうって言えなかったことに気付いたのは、車が病院に向かって走り出した時だった。