桜坐の宴 09



翌日の昼、片倉家で非常に重要な会談が行われたことを知る者は少ない。
昼に会談が行われたのは、晴久が昼まで眠り続けたからだ。小十郎が朝に会談のために起こそうとしたのだが、夫に従順な吉がこの時ばかりは頑として許さなかった。理由が分かる小十郎も溜息をついて諦め、政宗に待つよう要請したのだった。
事情を知った政宗は受け入れるしかなく、吉が普段以上に自分に冷たく当たろうとも、拗ねることすらできなかった。無視されないだけましだと分かっていたからだ。
幸村は事情を聞き、政宗に呆れた視線を投げながらも、それは政宗殿だけが悪いのではない、と正論を言ったものだ。吉は肩を竦め、少しばかり政宗に対する冷たさを和らげることにした。
内容としては政宗がひたすら頭を下げ、晴久がとにかく片倉さんちに滞在したい、それが無理ならこんなとこにきつを置いておけないから出雲に連れて帰る、ついでに絶対何としても奥州との交易を切ると言い続け、最終的には「城の女中たちに政宗直々に厳重注意、晴久は片倉家に滞在する」ということに落ち着いた。
政治を知らぬ女中たちは厳重注意に落ち込み、己の刹那的な夢を諦めるに留まったが、小十郎や重臣たちは胸を撫で下ろすどころではなかった。晴久は冗談で政治を語らない。切ると言えば切る。それは昔から知られていることだった。
「割と即断即決だよな、尼子は」
城で女中たちをきつく叱りつけた後、政宗は政務を前に溜息をつく。小十郎も似たような息の吐き方をした。
「そうですね。元々頭の回転が速いのでしょうが、決断力もあります」
「だよなー。 少し前に毛利の領地の一部、制裁で攻めたんじゃなかったっけ。毛利にちょっかい出された翌週には派兵したって聞いたけど」
「尼子は昔から、お家騒動の多い家系です。命を狙われることも多々あったはず。相手が毛利に限らず、何事に対しても、躊躇っていては後手に回るという考えがあるのでしょう」
「あー、そういう中で育ってりゃ、即断即決即実行は当たり前だな」
「お家騒動の辺りは、織田が尼子の支援を行ってからは少なくはなったようですが」
「どこまで姐さんに世話んなってんだ、あの砂と風のプリンスは」
俺もお家騒動はあったけどねえ、と政宗は口の中で呟く。小十郎は聞こえない振りをした。返事を求めているわけではないと分かっていたからだ。政宗にはそういう一面がある。鋭敏な感受性が思い出した記憶で傷付かないよう、少しずつ小さく言の葉に載せて唇から流し、自らを守る。
「ところで尼子が滞在ってことは、片倉さんち、大変じゃねえの」
「そこは妻が仕切りますので、俺にはあまり」
「もし大変なら真田をこっちに」
「ま、大丈夫です」
幸村が絡むと小十郎は素っ気ない。いわば冷たい。最後まで言うことすら許されなかった政宗は苦虫を噛み潰した顔になり、おとなしく政務に意識を戻すことにした。
「何だこれ」
政宗が一片の書付に眉を顰め、小十郎に突き出す。
「拝見」
書付は情報収集を担当する、騎馬隊の中では古参に入る青年からのものだった。戦で戦功を挙げるばかりが騎馬隊ではない。こういった役目を担う者もいる。忍を持たない伊達としては貴重な存在であり、また、育てて行かねばならなかった。
「最上だと思うか」
「──断言は難しいですね。大規模な夜盗と考えることもできます」
「お前はどっちだと思う」
「ふむ」
小十郎は暫し沈黙し、やがて書付を二つに畳んだ。
「断ずるには、情報が足りませんな」
「Shit」
「政宗様はどちらと思われますか」
「情報が足んねえよ。だからお前に訊いたんだ」
ここ最近、最上との国境に大人数の夜盗が現れているという情報だった。寂れた国境であるため、まだ被害は城下や大きい村に比べて少ないように見えるが、標的にされた集落は甚大な被害だ。国境に配属されている騎馬隊がいなければ集落が全滅していたかもしれない、とまで記されていた。
「情報、引き続き集めさせろ。もし討伐が必要なら、俺が動けない時はお前の独断で派兵していい」
「かしこまりました」
「野元のこともあるし、面倒くせえなあ。どっちもキナ臭ぇったらありゃしねえ」
「野元の件は」
小十郎は静かに言った。
「妻が標的だと確定次第、妻に自分で何とかさせます。我々は妻が助力を請うまで手を出す必要はないでしょう」
「……伊達領一の愛妻家の言葉だと思えねえな」
政宗は驚いた。妻以外の女は目に入らない、仕事が終われば家にさっさと帰る、仕事中に必ず手紙を一通書く、休日は連れ立って市に出向く──この時代では聞いているだけで赤面するようなことをするほどの男が、いわば妻を突き放した言を吐くとは。
「むしろ妻はそのつもりだと思います。俺に話を通さず、真田を呼んだのもそのためでしょう」
「え、あれ、本当にお前知らなかったの」
「政宗様から伺うまで、何ひとつ知りませんでした」
「んー……」
少しばかり頭を回転させる。
──これ言ったら怒るかなー、でも大丈夫かなー、でもなー、でも言っちゃおうかなー、まあいいや言ってみっか。
「小十郎」
「はい」
「奥さんの独断、実は結構怒ってる?」
小十郎が微笑んだ。
「いいえ、全く、何も」
「──ああそう! ならいいんだけどさ!」
その微笑の仕方が、本当に怒っている一歩手前のものだと分かるものだったので、政宗は余計なことが何ひとつ言えなくなった。
「野元の方も探りを入れさせてるが、今んとこ怪しい動きはなしか」
「今のところは。ただ、文の遣り取りや人の出入りは厳しく監視した方がよろしいかと」
「もうやってんの」
「はい、昨夜のうちに」
そういえば、と小十郎は思った。
──きつに言われてやったんだったな。あいつの判断が間違っているわけがねえ、と思って。
「……なるほど」
「ん?」
「いえ、思った以上に」
小十郎は苦笑した。自嘲だった。
「俺は妻の過去を、盲目的に見ていたのだなと」
妻の過去、と言う言葉に、政宗は「ふうん」と答えるしかできなかった。
吉は過去を語りたがらない。
だがそれ以上に、小十郎は語りたがらないことを知っていたから。




家に帰ると、吉の出迎えが少し遅れた。体調が悪い時以外ではまず考えられない。吉はこの時代でも珍しいまでに、夫を立て、夫に尽くす妻として生きている。小十郎も古い男であり、どこかそれを当然としている部分があることは否め得ない。今は自らそれに気づいた。吉の出迎えが遅れたことに、我知らず、ほんの少しだけ苛立ったからだ。晴久と幸村の相手をしていて遅くなったと予想出来たので、苛立ちを抑えなければならなかった。
「お帰りなさいまし」
「ああ。何かあったのか」
「何? 何ぞ?」
「何でもねえ」
なぜ出迎えが遅れたんだ、と訊くことは我慢した。口にすれば男を下げると分かっていた。
「おまえさま、何ぞあらしゃったの」
「晴久殿と真田の様子は?」
夫の様子を訝しむ妻の問いを無視し、重要なことを訊く。たとえ女主人の気の置けない旧い知り合いだとしても、この家で何かあることは許されなかった。
「……午後に茶を立てて、ゆきとも笑うておって、取り立てたることは、なんも」
無視されたことを分かりつつも、吉は答える。分かっていると知りながらも小十郎は頑なにそれを無視し続けた。
「おう、旦那さん、お帰り」
「右目殿、ご無事のお帰りに」
客が来た時に使われる部屋で、客人が家の主を出迎えた。身分の割に二人とも気さくなものだ、と小十郎は思う。特に晴久は、本来なら小十郎が挨拶をするまで「お帰り」などと言わない身分だ。
だがそれよりも小十郎が目を疑ったのは幸村の格好だった。いつもの青年らしい武者姿ではない。古い時代に宮中の出仕者が着ていた、今では礼服としか使われない衣服に身を包んでいる。
「真田」
「うむ」
「その格好は?」
「その」
幸村はやや苦笑いを見せ、晴久が僅かに声を出して笑った。それで小十郎は、きっと吉が着せたのだろうと予測する。そして幸村はその通りのことを答えた。
「きつ様が、それがしに着るよう仰せになられて。茶会用に持って参ってはいたものの」
「それが何で、今着てるんだ?」
「ゆきが、所作に自信がないと申すのだもの。だから前以て──」
「お前には訊いてねえ」
「……御免あそばし」
棘というほどの棘ではないが、吉を黙らせるには充分すぎる効果があった。小十郎は自分の言葉が過ぎたことを知り、自己嫌悪に陥る。晴久が笑いを収め、一瞬だけ自分をちらりと見たことも自己嫌悪に拍車をかけた。
「あ、ええと、まあ、そういうことでござる」
他人の感情に敏感な幸村も、正確なことは分からないまでも何かを感じ取り、努めて明るく笑ってみせた。小十郎は自らの未熟さに苦笑した。
「似合うな。驚いた」
「それは有難いお言葉だが、それがし、粗野な出であるからして。前以て──その、晴久殿にご指導頂ければと」
「そうか」
本当は「きつ様に」と言いたかったはずだ。小十郎には分かる。素直すぎる少年は取り繕うことが苦手なのだから。──政宗のように。
「きつ」
晴久が言った。さも退屈だという口調だった。
「腹減ったよ。旦那さんのこと待ってたんだから、帰って来たなら早く食わせて」
「ん、今申し付けて参るゆえ、ナ。お待ちたも」
廊下に待つおこうに言いつけるため、吉が裾裁きも鮮やかに部屋を出る。
「待っていなくても良かったんだが。俺は帰りの時間が一定でもないしな」
夕飯を待たせていたことに気づいた小十郎は、さすがにそれは申し訳ないと思って晴久と幸村に言う。
「ああ、ええと」
幸村がちらりと晴久を見る。すると晴久が肩を竦めた。既に上下関係が出来上がっているようだ、と小十郎は感じる。元々幸村が弟気質なのか、晴久が兄気質なのかまではまだ分からなかったのだが。
「だって、きつが」
「きつが?」
「──『旦那様がお帰りあらしゃるまでお待ちや』って言うからさ」
「晴久殿、似ておられます……!」
幸村が思わず唸るほど、晴久は見事に吉の口真似をしてみせた。
小十郎は深く溜息をつき、二人に頭を下げた。いくら吉にとっては家族同様に可愛がる二人とはいえ、小十郎──片倉家にとっては一切の粗相が許されない相手なのだ。吉の言い分は認められなかった。
「俺から言っておく。明日からは気にしないでくれ」
「まあ、そりゃ有難いけど。──真田、きつに俺の茶道具も用意してくれって言って来てくれるか」
「仕る」
本来なら使用人に言いつけるべきことだが、幸村は素直に返事をし、部屋を出る。直感で「席を外せ」と晴久が要請したのだと理解したからだった。
「あのさあ、旦那さん」
「何だ」
自分を呼んだ晴久の声が溜息混じりであることを知り、小十郎は内心で首を傾げながら返事をする。昨日から見え隠れする晴久の鋭さが、自分では分からぬ部分で何かを掴んだのかもしれないと思う。
だが小十郎が期待した、「何か」ではなかった。むしろ触れられたくない部分だった。
「きつに当たんなよ」
そんなつもりは、だとか、何の話だ、などと言えればよかった。だが言えなかった。他の誰かであれば言ったかもしれない。晴久に対しては言えなかった。
この青年は──伊達に強固な国の国主ではない、と、何度か思っていることをまた思った。政宗が避けたことを正面から切り込んできたのだから。その勇気と度胸、そして自分の処理能力を分かった上でのことだ。政宗にはまだ出来ない類の行動だった。
「返す言葉もねえな。無様を姿を申し訳ない」
「返されたら、きつ連れて本当に帰ろうと思ってた。旦那さんが見栄っ張りじゃなくて残念だよ」
「きつを連れて帰る、ってのは俺に対する伝家の宝刀か」
「ぶっちゃけると本音の願望だよ。俺、旦那さんのこと認めたわけじゃねえから」
「……ふむ」
「俺なんざ旦那さんより戦功もねえし、出雲の国主ってくらいしか価値がねえ。そういう俺に言われてムカつくかもしんねえけど」
「いや、そんなことはない」
晴久の能力を疑うなど微塵もないことだ。何しろ立場が違う。武人として戦功を上げ、主君に忠義を持って仕えることを誇りとする小十郎と、出雲という国を反映に導き、今も確固たる地位を保ち続けている有能な国主の晴久は、そもそも世界が違う。
「でも、きつが絡めば別だ。きつは俺の家族だ。きつが俺を家族にしてくれた、って言った方が正しいんだが」
「なるほど、上の弟、だったか」
「そうだ。──その姉貴が、目の前で旦那に八つ当たりされてんの見て、気分いいわけがねえ」
「本当に」
小十郎はまたぞろ、自己嫌悪に陥るしかできない。先日も言われたではないか。そして自分も、もし姉が嫁ぎ先で──そう思ったではないか。
「返す言葉もないな」
「俺、思うんだけど」
「ああ」
「根深いぞ」
「何が」
吉がこれで怒っていたら、だろうか。確かに吉は一度怒ると不機嫌が長く続く。
だが晴久は違うことを言った。
「きつが織田のあの人だったってこと、思った以上に──旦那さんにとって根深いと思う」
織田のあの人。
織田上総介信長という人物。
思わず小十郎は晴久をまじまじと見つめる。晴久はその視線を受け止める。
「あいつは」
小十郎は言った。疑ったことなどない言葉を。
「ただの女だ。平凡で、どこにでもいる」
「俺はそう思わない」
「俺はそう思うし、初めて会った時からそうとしか思ってねえ」
「旦那さん」
晴久の声にはいっそ哀れみが混ざっていた。感じた小十郎は苛立つ。
苛立つと共に──焦燥をも感じた。

俺は間違っているのか。
俺は間違っていたのか。

「俺、伊達に期限を切った。来月の茶会までに分からなかったら、って」
「ああ」
「旦那さんにも同じ期限を切る」
「──何だって?」
「旦那さん、ずっと苛立ってるだろう。多分、昨日今日の話じゃねえよ」
晴久は言った。罪人に最後の機会を与えるかのような声で。
「旦那さんが何で、何に苛立ってるのか、来月の茶会にまで分かってくれ。分からねえなら──俺はきつを連れて出雲に帰る」
流石に小十郎は激昂しかけた。勝手なことを抜かすな。そう言いかけた時だった。
「きつは昔から、部下の能力を見抜く能力は凄いのに──男だけは見る目がねえんだ」
吐き捨てるかの如く、晴久が苦々しく言った。
小十郎が無意識の中で、聞きたくないとずっと思っていた名前を。

「あの松永も。俺はやめろって何度も言ったのに、入れ揚げて痛い目見て」

他の誰とも間違えようがない。小十郎はすぐさま理解した。

「どういうことだ」
小十郎が呻く。
「──知らなかったのか」
まさか、という顔で晴久が小十郎を見る。
「てっきり知ってると──」
「知らねえ。──何も。まさか」
その時だった。

「おまえさま、おひもじであろ。お許したも。晴久も」

幸村を伴い、吉が戻って来た。
それきり晴久は小十郎にその話をすることはできず、小十郎も問い質すことができなかった。




「さっきは」
夫婦の部屋で二人になり、小十郎は言った。
「すまなかった」
「何のお話」
いつもの反応だ。吉はいつも、小十郎が謝ると忘れた振りをする。それに小十郎が甘えたことも多々有る。だが今は甘えてはいけない、と思った。
「八つ当たりをした」
「そ。もう忘れたえ」
それでも安堵したように笑顔を向ける。ずっと気にしていたことは小十郎にも分かっていた。晴久と幸村の手前、態度には出さなかったが、たまに夫の様子を窺う視線を送る回数がいつもよりも多かった。
普通の女だ。小十郎にはそうとしか思えない。
むしろ普通の女よりも夫のことを気にしている。
夫が怒ったと知れば、たとえ八つ当たりだとしても夫の様子が気になる。
夫が八つ当たりを恥じて謝れば安堵し、笑顔を向ける。
どこまでも──普通の、あるいは、普通より古い時代の尽くす女だ。
俺の妻だ。強く思う。俺の妻だ。俺だけの女だ。
分かっている。
それなのに。

──旦那さん、ずっと苛立ってるだろう。多分、昨日今日の話じゃねえよ。

そうだ、と認めた。心の奥底に秘めていたことを、晴久に直面させられた。
苛立っている。
何に苛立っているのか分からない。
幸村を勝手に呼んだことだろうか。
違う。
客人の相手のせいで出迎えが遅れたことか。
違う。

違う。
本当は分かっている。

本当は──

「きつ」
「はい」

本当は、

「松永に入れ揚げてたってのは、本当か」

瞬時に強張った妻の顔を見て、いっそ絶望感を覚えればまだましだった、と思った。
絶望ではなかった。
納得してしまった。



情けねえ。
守ってやると言いながら。
俺は苛立っていた。



俺はずっと、
お前の過去に、苛立っていたんだ。