茶会の話は奥州を席巻した。
城下街から近辺の村、国境までもがその話題で一色だ。
──腕っ節と勢いで知られる奥州で、妙に優雅な話じゃないか──
──政宗様もさぞお力を入れて──
──仕切るのは小十郎様だってさ──
「実質、仕切るのはお前なんだがな」
「道明寺の桜餅」
「手配済みだ、心配するな。茶会が終わったらたらふく食えよ」
「たばかりを仰ったら離縁だえ」
「何で俺が被害を被るんだ」
「わらわが仔竜に何ぞしてまた頭を抑えられるのが、いや」
「お前、それはもう……」
誰かに手紙を書いている妻は手を止めることなく、涼しい顔で夫に恨み言をぶつけ、夫は恥じ入るしかできない。
「そういえば、お前」
「ん」
「政宗様にお渡しする手紙、全部仮名で書くのはやめろ」
てっきり少し意地の悪い顔で笑い返されると思った小十郎は、きょとんとした吉の顔に、吉とは違った意味できょとんとした。
「何だ、お前。その顔」
「仮名だけではだめなのかえ」
「読みにくいそうだ」
「なにゆえ。仮名より易い字は知らぬ、困るではないの」
小十郎は暫し考える。酔狂で伊達の軍師を名乗っているわけではない。まずは自分の中にある、ありとあらゆる情報を思い出していく。政宗と妻の性格、二人の関係、過去、最近、今。
結論。
情報不足。
新たな情報を収集するには通常、様々な手段を考えるものだが、今回は楽なものだった。目の前に一番大きな情報源がいるのだから。
「俺は考え違いをしていた。最初からお前にこう訊くべきだった」
「何をだえ」
「なぜ、政宗様への手紙に限り、全部仮名で書くんだ?」
墨の乾いた手紙を綺麗に折りながら、それでもきょとんとした顔のまま吉は答えた。
「わらわの申すことがむつかしいゆえ、易く伝えよ、と申したのは仔竜であろ」
あれだ、と小十郎は眩暈と共に思い出した。
あの大阪で対峙した時の、あれだ。
しかし吉は本当に他意なく続けていたことだったのか。すべてそのせいだったのか。
「きつ」
「何なの、もう。先から」
「──大丈夫だ。漢字を混ぜても大丈夫だ。これからは普通に、お前が文を遣り取りする男たちと同じように書いてやってくれ。そうだな、政宗様と歳が近いのは尼子か。それくらいには」
「んん、では、晴久と同じゅう書くけれど」
吉は眉を顰めた。不満なのかと小十郎は思ったが、そうではなかった。
「おまえさま」
「うん」
「もし、仔竜が読めねば、おまえさまがお読みたも」
「──大丈夫だ。大丈夫だから!」
吉は本心で心配していた。それが分かるだけに、小十郎は「政宗様を馬鹿にするな」と言うことすらできないのだった。
「小十郎」
「はい、政宗様」
「姐さんと尼子ってどーゆー関係なん」
「妻いわく、真田幸村殿が末の弟ならば、尼子晴久殿は一番上の弟だと」
「……弟とどういう遣り取りしてんの、姐さん……」
「え」
政宗は吉から届けられた手紙を小十郎に差し出した。読めということだ。小十郎も今の政宗の発言は聞き捨てならず、心で妻に詫びながら受け取る。
全て読むまでもなく、ああ、と小十郎は遠い目をした。胃が軋まなかっただけ御の字かもしれないと思いながら。
「確か、お市殿が」
「市ちゃん? 姐さんの妹?」
「はい。──尼子殿から妻への手紙を、その、まあ──覗いたところ、恋仲と勘違いしたことがあった、と聞き及びました」
「……そこまでじゃねえけど、でもまあ……お前、姐さんが尼子に手紙書くのだけはやめさせた方がいいんじゃねえの……」
俺、勘違いするとこだったわ、と政宗は溜息をつく。小十郎も溜息をつく。
身体を気遣う文言に始まり、そちらの様子はどうか、変わりはないかと柔らかい字に優しい言葉で書き綴ってある。途中には有名な文学の一節や、逆にそれほど知られてもいないであろう文学の一節が引用され、風流すぎる手紙が出来上がっていた。
「尼子殿は文化人として大変な才能があるようでして」
「初耳」
「俺も妻から聞くまでは知りませんでしたが。妻が期待しているようで、そういうこともあるのでしょう」
とはいえ、今度尼子からの手紙を見せろと言うべきか否か、小十郎は男の見栄と嫉妬心の狭間で悶えるはめになった。
「で、その手紙、目録兼ねてのことなんだろうけど」
「はい」
「……仮名より分かりにくい。普通に目録でいいのに……何が必要なのか、ボク、分かんないです……」
「……政宗様がお分かりにならなければ、俺に読めと申しておりましたが、俺にも分かりにくいですね」
「小十郎」
「はい」
「……晩飯、片倉さんちにお呼ばれしていい?」
吉に直接訊く方が早い、と政宗は判断したのだった。小十郎は頷くしかなかった。妻が同席するだろうか、と悩みながら。
家に使いを出すために政宗の前を辞す。手紙を持ったまま出て来たことに気づき、懐に入れた。胃が痛いな、と独りごちながら小十郎は廊下を歩く。軍師の浮かぬ表情を見た兵や女中が不安そうな顔をしたが、構っている余裕がなかった。
「こ、小十郎様」
騎馬隊の一人が珍しく、歯切れの悪い声をかけて来る。常は威勢のいい騎馬隊とは思えないほど、ばつの悪い顔をしていた。
「どうした、何かあったのか」
「ええ、その」
「何だ」
「あのう……」
暫く言い辛そうにしている彼を見て、小十郎は首を傾げる。言い辛いなら場所を変えようかと提案しかけたその時、彼は意を決したように言った。
「城下街の料理屋の二階に、奥様が上がったって、今日の見回り当番から聞いたんす」
「遠峯か?」
「ああ、そうす」
「確かによく行くが──」
吉だけではなく、小十郎もその料理屋にはよく行く。二人で城下街に出かければ、そこで昼食なり夕食なりを取るのが決まりのようなものだ。だが、二階、と言うのが気になる。二階は個室になっていて、上がるのは夫婦揃っての時か、小十郎が一人の時だけだった。吉が一人の時は一階で、他の客と話しながら食事をするはずだ。
それを知っている部下は、自分が悪いわけでもないのに、またばつの悪い顔をする。
「そのう」
「ああ」
「──若い男と、一緒だったって。聞いたんですけど」
料理屋のみならず、近辺が妙な空気に包まれていた。来なければよかったな、と小十郎はいっそ思った。戸惑いと好奇の目が一斉に向けられたのだ。皆知っているのだろう。片倉家の正室が、若い男を料理屋の個室に上げたことを。
小十郎も来るか否かは迷ったのだ。男の見栄もあるし、吉が浮気をするとは思えない。むしろ浮気をするなら、小十郎には絶対に勘付かれない方法を取るはずだ。その予想も悲しいものだが、小十郎はそう思っていた。
だが城内に電光石火で流れた話が、ものの半刻もしないうちに政宗の耳に入り、「噂が一人歩きする前に行って来い」と城を追い出されたのだった。
「あ、小十郎様」
無言で店に入った小十郎に、遠峯の主人が引きつった笑顔を向ける。店の客たちも似たようなものだった。小十郎は溜息をつき、虚勢を張るのはやめることにした。男の見栄と哀れな虚勢は違うのだ。ここで虚勢を張らずとも、誰も小十郎を笑いはしないだろう。
「話は聞いている。上か」
「そ、そうです、はい」
「誰か分かるか」
一緒の男は誰か、と言うことだ。
「いいえ、初めて見る顔で。着流しの若い男です。この辺じゃ、あんな格好はしないですよ」
「着流し?」
着流しで家の外に出るのは本来無礼とされるが、茶道では稀にあることだ。だがこの辺りでその様式を取っている茶家はないはず。
「今、お食事を上がってますが。その、男の方が」
「まだ、何もないみたいです!」
料理を運んでいる小女が口を出し、あまりのことに小十郎は流石に言葉に詰まる。小女も自分の発言が直截的だったと思い至り、真っ赤になった。主人が小十郎に繰り返し頭を下げるはめになり、客たちは聞かぬ振りを貫くしかない。
「騒がせているな、すまねえ」
「とんでもございません。御無礼申し上げました、申し訳ございません」
「何があっても流血はねえ、心配すんな」
溜息をつきながら言い、小十郎は二階へ上がる。主人は言葉の通りであって欲しいと願わざるを得なかった。
階段を上がり、幾つかある個室の中、襖が閉まっている部屋へ向かう。客がいるのはそこだけだ。
襖の前に立つ。吉が何か話していて、男の声がそれに答えていた。確かにまだ若い男の声だ。
また溜息をつき、落ち着け、と自分に言い聞かせ、ゆっくりと襖を開けた。
左の奥に座っていた吉がすぐに気づき、小十郎を見る。
さて、どんな言い訳をするものやら、と小十郎は待つ。
すると吉は言った。
いつもと同じ声で。
「あれ、おまえさま。どうなすったのだえ、なにゆえここに」
「なにゆえ、って、お前なあ」
右奥に座り、箸を持ったまま、深緑の着流しを着た男が小十郎を見た。それからまた吉を見、口を開く。
「きつの旦那?」
「そ。男振りよかろ」
「あー、きつ、好きそうだよなー」
男は笑い、再び小十郎を見る。
「きつの手前、悪いんだけどよ。一応俺、どっかの国主だ。名乗るのは旦那さんからだぜ」
吉が訂正しないということは事実なのだろう。小十郎は何やら、全てが読めたような気がした。
閉じぬままの襖がある背後に、様々な視線を感じる。階下の客が覗きに来ていることは振り返らずとも分かった。こういう展開なら襖を閉めない方がいいだろう。
息を吐き、腰を下ろす。礼儀に則って頭を下げ、言った。
「奥州伊達軍が軍師、片倉吉が夫、片倉小十郎と申す。御名、拝聴仕りたい」
小十郎が頭を上げると、男は箸を置き、小十郎に向き直って居住まいを正す。若い、と小十郎は思った。若いが──政宗のように、国を背負う覚悟を負った目をしている、と知る。
「出雲守護代、尼子晴久。来月の招きにはまた改めて参るが、此度は片倉吉殿に届け物ありて参った次第。吉殿の御主人たる片倉殿に御挨拶遅れ、大層申し訳ない」
小十郎は改めて深々と頭を下げる。だが心底思った。なぜ俺の妻が左奥に座っているのだ、当然のように。胃が痛い。本気で胃が痛い。
「おまえさま、お座りあそばしや」
吉が自分の席を譲ろうとする。勘弁しろ、と小十郎はまた思う。国主を前に一番上座に座ることなどできるはずもない。晴久は気にしないのか、「座れば?」と言ってまた箸を取り、食事を再開した。だが小十郎の葛藤に気づいたのか、少し付け加えた。
「正式の座じゃねえし。きつの旦那なら俺の上だ」
「お気遣い、恐れ入る」
晴久がまだ若かったからこそ、その言葉に従えたのかもしれない。これが歳を重ねた者の言葉であれば、さすがに小十郎は呑めなかっただろう。
「晴久」
吉が笑う。
「よう喋るようになった」
「きつのお陰」
「そ?」
「うん。あ、そうだ、旦那さんにも土産あるんだ」
「頂き終えてからにし」
「うん。これ美味いね。甘い卵焼きなんて知らねえや」
「わらわも嫁いで来てから頂いて、驚いたのだえ」
「西にはねえな、確かに」
なるほど、と小十郎は納得した。幸村は一番下の弟、晴久は一番上の弟。二人の短い会話を聞いただけで分かった。吉は晴久が可愛くて仕方ないという様子で世話を焼き、晴久はいちいち「いい、自分でやる」と困ったように笑う。姉と弟の再会としては何ら不自然ではなかった。
「お前、尼子殿なら何で城に──せめて家にしねえんだ。いい店だが、国主を招く場所じゃねえぞ」
「急だったのだもの。おまえさまのご許可もなしに、家に入れるわけにもゆかず」
「だからって料理屋の個室もなあ」
「この辺りではいちばんよいところではないかえ」
「まあ、そうだが」
理解していないな、と小十郎は諦めた。吉は廊下に出、覗いていた店主に「旦那様のお茶と、晴久にお米の代わりを」と言いつけている。そのまま階下へ降りて行ってしまった。小十郎の食事も頼むつもりなのだろう。
晴久が茶碗の飯粒を綺麗に平らげながら、小十郎を見ずに小さな声で言った。
「姉上みたいなもんだから。心配すんな。手紙もあんたののろけばっかりだ」
こんな年下にそう言われては、小十郎も苦笑するしかなかった。
手紙と言う言葉で思い出す。懐に入れた吉の手紙だ。晴久に宛てるものと同様だと言うのなら、政宗と揃って頭を抱えたこれも分かるかもしれない。
事情を説明し、読んで欲しいと言うと、晴久は「いいよ」と言った。
「いいけど、きつに訊けばいいのに」
「訊いたところで、なぜ俺たちが分からないのかを理解させるまでが大変なんだ」
「ああ、きつってそんな感じ」
晴久は手紙を受け取り、ざっと目を通す。
そして政宗と小十郎が考え込んだ時間の数十分の一の速さで、あっさり答えた。
「伊達が持ってる由緒のある茶器出せってことと、新しく作る道具と費用、時期が桜の頃だから外にしたいし、翌日もやるなら酒も出す、場所は城なのか片倉の家なのか、目録としては他に警備に必要なもん全部」
「晴久殿」
「ん」
「感服いたした」
深々と頭を下げる小十郎に驚きつつ、しかし晴久は何となく、小十郎の気持ちが分からないでもない、と思ってしまったのだった。自分と吉の手紙の内容は、他人には分かりにくいものだと十分に理解している。晴久の好みに吉が合わせてくれているだけなのだが、これを他の誰かに出すのは無理があると思った。
そして小十郎はふと思い出した。礼状は出したものの、顔を合わせたのであれば改めて言わねばなるまい。
「きつの結婚祝いに頂戴した品々、かたじけない」
「──ああ、あれか」
諸将から届いた結婚祝いの中には、無論晴久からのものもあった。着物や装飾品が多かった他の武将とは異なり、晴久は筆と硯、そして銀山で採れる銀を贈ったのだ。結婚祝いにしては珍しいな、と首を傾げた小十郎だったが、その後、吉が何くれとなく手紙を書くことが多くなり、的を射た実用的な祝いだったことに驚いたのだった。
「中々手に入らない良いものだと、きつが喜んでいた。銀も──有り難かった」
銀は即座に役立った。身ひとつで来た嫁にいい顔をしなかった片倉の一族の一部をあっさり黙らせたのだ。晴久がそれを見越して贈ってくれたのかどうか小十郎には分かりかねたが、目の前の晴久はいかにも大したことではないという顔をしていた。
「まあ、銀は元々、きつのお陰で本格的に採れるようになったわけだし。贈って当然だろ」
そこで晴久は声を潜め、「信長さんの代に援助を受けて本格開発できたから」と付け加えた。悟った小十郎は頷くにとどめる。
「筆と硯は──どうせ手紙書くこと多いだろうし。着物は他の奴が贈るだろうし」
「手紙は──まあ、そうだな」
小十郎が思わず濁した言葉の意味を分かっているとでも言いたいように、晴久が軽く笑った。
「旦那さん」
「何だ」
国主に「旦那さん」と呼ばれると少々ならず違和感を感じる。だが晴久としては吉の夫を呼び捨てにするのも憚られるのだろう。何となく理解できた小十郎は敢えて触れないことにした。
「甲斐の虎と若虎なら大丈夫だ。別の意味で大和の弾正もな。他は気をつけな」
「……と言うと?」
「結婚したって関係ねえさ。皆、あんたの嫁さんを狙ってるってことだ」
小十郎は観念した。さすが弟を自認するだけあって、「姉」から色々と聞いてはいるらしい。
悩みと言うほどではなかったが、吉が奥州に来て以来、かつて交友のあった武将からの手紙が引きも切らない。小十郎は役目上のこともあり、吉に内容を質したことがある。奥州軍師の妻が万が一各地の武将と政治的な話をしているとあれば大問題になる。吉は肩を竦め、小十郎に手紙の数々を見せた。そして小十郎は呆れ返った。どれもこれもはっきりとした言葉は遣っていないが、明らかに求愛と分かる文章ばかりだったのだ。こと家康からのものは燃やしてやろうかと思うほどだった。また吉がそれに返事を書くために、いつまでも彼らは諦めない。
とはいえ、吉が返事を書くことを小十郎は止めなかった。むしろ「きちんと書け」と言うほどだ。吉が彼らを繋ぎ止めておくことで、それぞれが奥州と敵対した時の切り札を作っている。小十郎としては有り難いことだった。どこかが奥州に一方的な難癖をつけて来た時に、奥州は「軍師の嫁に手を出そうとする輩が何を言う」と切り返すことができるのだ。男女のことなぞ些細なものだが、誇り高い生き方を求められる将としては触れられたくない部分だろう。そこから先は外交手腕が必要となるが、それは政宗と小十郎の仕事だ。
「甲斐の虎と若虎、か。確かにな。あの二人はきつにとっちゃ、家族みたいなものだろう」
「きつが真田を気に入ってんのは知ってるけど、信玄公は意外なんだよな。昔はとんでもない仇敵だっただろ」
「俺にもよく分からないんだがな。恥な話だが」
小十郎は咳払いをする。
「奥州に来て早々、大喧嘩をして」
「……あ、俺、知ってるかも」
「……何を」
「きつが手紙にちらっと書いてた。原因は知らねえけど」
「そこは勘弁してくれ。俺にも男の矜持はある」
「むしろあんた、男らしさしかねえよ。で、喧嘩して?」
「──甲斐に逃げられた。一ヶ月ばかり。俺が迎えに行くはめになった」
思い出して苦々しい顔をした小十郎を見、晴久は遠慮なく笑った。
「実家かよ!」
「全くだ。だから分からねえんだ。あれだけ反目してた家に行くか、普通!」
「きつらしいっちゃあらしいけど、受け入れる虎もすげえな」
晴久は噎せるほどに笑った。小十郎は苦笑するしかなかったが、当時の大騒ぎを思い出し、やがて自分も笑い出してしまった。
「あれま、殿方二人で賑やかなこと。厭らし」
ひとしきり笑った頃、吉が戻って来る。
「馬鹿言ってんじゃねえ、お前は」
「おまえさま、今お食事が参るけれど、酒は召し上がるのかえ」
「酒はいい。食ったら城に戻る。晴久殿、お泊りは我が家でよろしいか」
「そうさせてもらう」
晴久の身分であれば城に行くのが正しいのだが、国主という身でありながら連絡もなく、唐突に来たということはともすれば無礼にあたる。下手をすれば政治的な問題になる。今回はあくまで「私人として」ふらりと吉に会いに来た、という理由のため、その吉の住む家に泊まるのが無難だった。聞いた吉が喜ぶ。
「嬉し。晴久、夜も美味なもの頂こ」
「うん。奥州は米が美味いな。こんなに食ったの久し振りだ」
「ああ、きつ、──夜に政宗様が家にいらっしゃる。夕飯の用意を頼む」
夫の言葉に、途端に吉が嫌そうな顔をする。
「晴久が参るのに、なにゆえ仔竜の分なぞ」
「お、れ、の、主君だ。分かれ」
強調された部分の意味を悟り、吉は頬を膨らませるが、夫のために家を整えるのが今の吉の仕事だ。そして小十郎がここまで言うことは滅多にない。今回は片倉家の女主人として、従わざるを得なかった。
「是、是。心を込めておもてなしだえ」
「おう、そうしてくれ。期待してるぜ」
「あァ、いや、いや。せっかく晴久が参ったのに」
その時、不意に晴久が笑った。
「晴久、何がおかしいのだえ」
「だって」
晴久はまだ笑っている。だがその笑い方がどこか嬉しそうなものであることに、小十郎は気づいた。
「きつ、普通に奥さんやってんだもん。安心した」
そう言って晴久はまた、笑った。本当は心配だったんだ、と笑い声に隠しながら。
だから小十郎は、この青年を掛け値なしで好きになれると思った。