桜坐の宴 02



「で、俺には淹れてくれねえってのが姐さんロード貫いててまじクール」
「きつ、頼む、これじゃ俺が飲めねえ」
本当に桜餅に釣られてやって来たことに驚けばいいのか、この状況に至っても夫にしか茶を淹れない吉の徹底した態度に感嘆すればいいのか悩む政宗の前で、妻に自分だけ茶を置かれた小十郎がやや胃の軋みを感じながら言っている。
吉は既に桜餅に手を伸ばしていた。政宗様にひとこと申し上げろ、とさすがに小十郎が言ったのだが、ぱくぱくと食べる方に口を使うばかりだ。
「いいよ、小十郎。姐さんからすりゃ献上品みてえなもんなんだから」
一度天下を取ったも同然だった女からすれば、自分がその程度の存在にすぎないのだと政宗はよく分かっていたし、小十郎も実は分かってはいた。
「そのかわり、姐さん、俺がもっとナイスガイになったらそれなりの扱いしてくれよな」
吉は政宗をちらりと見、早くもふたつめの桜餅を完食する。それから溜息をつき、政宗に出がらしの茶を淹れてやった。小十郎はもはや咎める気力もなかったが、政宗 が「まじでー!」と喜んだので、ここはもうこれでいい、と諦めるしかないのだと理解した。正確に言えば理解するように努力することにした。
「で、実はさあ、姐さんにも用事があって」
「何だえ」
初めて吉が政宗に返事をした。次に食べる桜餅をどれにしようかと選んでいて、口が空いていたに過ぎないのだが。
「桜餅、好きなのか?」
「好き。これは長命寺かえ」
「ああ、姐さんの方なら道明寺ってやつだっけ。──小十郎にもまだ言ってねえんだ。さっき思いついたから」
「さっき、ですか」
小十郎は政宗のこういったところを褒めるべきかどうか、常に悩んでいた。だがこれがあるからこそ、いくさ場での難所が見事に好機となったこともあり、何とも判断し難い。
「来月の茶会、小十郎から聞いた?」
吉は答えない。口が新しい桜餅で塞がっている。小十郎が溜息を殺して「話しました」と言った。
「呼んでもねえ茶人が来ることになっちまった。最上の筋だから断りにくい」
それは小十郎も聞いていなかった。ということは、小十郎が城を下がってから明らかになった話なのだろう。吉は興味もなさそうに桜餅を食べている。姐さんってこんな見た目なのに案外大食いだよな、と政宗は思う。
「その茶人とは誰です?」
「明石広ノ進」
小十郎は途端に嫌な顔をした。政宗も思う存分同じ顔をする。政宗の母方の一族だが、茶人として名高い。茶だけではなく、書や歌にも秀で、京に上れば必ずや日の本に轟く文化人になっていただろうと噂されていた。
だが政宗と小十郎はこの明石が大嫌いだった。以前奥州に来た時、奥州を散々田舎だと嘆き、馬に乗ることはできても茶や歌は無理だろう、と遠まわしに貶めたからだ。
実際のところ、政宗や小十郎は歌や書に時間を割く余裕がない。だがいずれという願望があるのは確かで、ああも揶揄されては面白いはずもなかった。
吉は明石の話を聞いても返事をしなかった。桜餅を食べ終え、茶を飲む。それから夫に新しい茶を淹れ、茶葉を変えることなく自分にその次、最後に政宗に。淹れ直してくれただけでも大サービスだよね、今日はだいぶ親切だな、桜餅効果かな、と政宗は思う。
「まあ、つまり、その茶会のな。亭主を、小十郎と姐さんにやって欲しいんだよ。最初は俺がやるつもりだったんだけどな」
「政宗様、何を」
「明石が来るなら、鼻を明かしてやりてえの」
相変わらず桜餅をぱくつく吉の目を見る。ぞくりとした。
こうでなきゃ、と思ったのだ。

──無関心ですって顔しておきながら、全部聞いてんだもんなあ。ちゃんと俺の目見て、さ。やっぱこうでなきゃ。

「そのような大役、まさか片倉家が」
あまりの申し出に小十郎は言葉に詰まる。何しろ出席者が生半な階級ではない。国主が二人(家康、晴久)、国主の正式な代理(幸村)が一人。それに北で有名な文化人が集うのだ。片倉家は代々武家の家で、こんな大役を務めた歴史がなかった。
「野元の方がよろしいのではありませんか。あちらは仮にも茶で名高い家」
「それも考えたんだけどさー」
「野元では失敗しようぞ」
たまたま口が空いた、という風情で吉が言った。
「正室の義子が武家の奥方に疎まれておる。助力を請うこともできまい。斯様な席、奥方の取り仕切りは必須。更に今の野元であれば各家の助力なくして成り立たぬであろ。なれば野元ではたらぬ、たらぬ」
指についた餡をぺろりと舐める。人前で見せる動作ではないが、それだけに、政宗には腹を割って話しているのだと伝わった。政宗は妙に嬉しくなった。こんな ことで嬉しくなるのは国主としてどうかと自分でも思ったのだが──とにかく、嬉しい。少しだけ認められたような気がする。
「That's Right! 姐さん、正しい」
ふん、と吉は鼻を鳴らし、また桜餅を口に運ぶ。
「野元の義子おばちゃんが他の家の奥さんに嫌われてんのは、姐さんのせいでもあるけど」
「それはもうご勘弁を」
小十郎はまた胃の軋みを感じた。片倉家の政敵の正室を吉が叩きのめしたことを思い出したのだった。
「と、なると、だ。確かに片倉はこういうのやったことねえけど──今は姐さんがいるじゃねえか。茶も歌も書も舞もパネェ、片倉家の奥さんがよ」
「いや」
あまりにもあっさりした言葉を、予想していなかったわけではなかった。むしろ断られるのは当たり前だと考えてもいた。
だがここまであっさり言われ、ほぼ同時にまた桜餅をぱくつかれては政宗も流石に悲しい。
小十郎は政宗の命令とあらば果たすつもりであることは記すまでもないが、この任には必ず吉の協力が必要だ。むしろ吉が主導で、自分の名など添え物にすぎなくなることも分かっている。
それから政宗と小十郎は説得に説得を重ねたが、吉は頑なに「いや」と言うばかりだった。
最後は完全に黙り込み、こういう状況の吉の精神状態がどうなりつつあるかを理解している小十郎は強く言えなくなる。小十郎の様子から直感で「これ以上は言えない」と察した政宗も、そこでやめた。
「ごめん、姐さん。しつこく言い過ぎた。俺が間違ってた」
その途端、吉が動いた。手元の湯呑みを政宗に投げつけたのだ。
ぬるくなった茶が政宗の髪を、肩を濡らす。
「お前!」
政宗が止める間もなかった。
小十郎が怒鳴って吉の頬を張った。自らの衝動に驚く余裕もない。妻を打ったのは初めてのことだ。
「小十郎!」
政宗が日頃ないほどに焦った声を上げた。だが小十郎の衝動が止まらない。人生を捧げる主君への無礼を見た瞬間、常に冷静であるべき理性が飛んだ。
倒れた妻の頭を畳に押し付ける。妻とは言えこれは許し難い行為だった。吉は暴れることもなく、おとなしく畳に抑え付けられていた。
「やめろ、小十郎!」
「お前、いくら何でも今のはねえだろう! 謝れ!」
「やめろって! 分かるから!」
政宗には分かった。茶をかけられた瞬間に自分の失敗を悟ったのだ。
「姐さん」
吉が言わんとしたことが分かる。
「謝って、ごめん」
その途端、吉が驚くほどの身のこなしで押さえつけられた体勢から抜け出し、するりと立ち上がった。知ってはいたものの、久々に見せたその技に小十郎は舌を巻く。最初から逃れようと思えば逃れられたのだろう、と知った。そして自分の衝動を恥じる。
「道明寺のが、美味であるわ」
それだけ言い、吉は男たちを一瞥することすらせずに部屋を出る。
小十郎は呆然とそれを見送ったが、やがて我に返り、拭くものを、と使用人に言いつける。
政宗は自分の答えが正解だったのだと予想し、息を吐いた。
「ああ?」
ふと気づく。
「食うだけ食って、道明寺の方が美味いって、さすが姐さん」
結構な数の桜餅を、深窓の姫のごとき見た目の女があっさり平らげてしまっていた。
「道明寺なんて、奥州じゃ中々手に入らねえよ」


政宗は小十郎に今の理由を話し、「姐さんによろしく」と言って帰って行った。小十郎は恐縮するしかなかった。
吉は既に床に入っていた。が、起きているのは明らかだった。頭まで布団を被り、小十郎に背を向けているのが分かる。
小十郎は溜息を隠し、自分の布団に座る。
「きつ」
返事はない。予想していたことだった。
「殴ったことは謝る。あれは俺がやりすぎた。すまなかった」
だからまず、話してしまうことにする。妻はどんな姿勢でもきちんと聞く。小十郎はそれを知っていた。
「俺には、政宗様や昔のお前の階級に求められるものが分からねえ。俺の世界は狭い。──さっきのように、分からねえ時は、俺は俺の世の正義で動くしかねえ」
吉は動かない。声も出さない。小十郎は続けた。
「だから、怒ったことは謝れねえ。これは理解しろ」
まだ返事はない。
「お前の心を理解できない瞬間が、おそらくこれから先もあることを、謝る。許せ」
小十郎が黙れば沈黙が降りる。敢えて吉に返事を促さず、触れることもせず、小十郎は待った。
やがて吉が動く。身体の向きを変え、布団を僅かに引き下げて、目から上だけを小十郎に見せた。
目元に泣いた跡を見つけ、小十郎は「やっぱり」としたくもない後悔をする。
吉は小十郎の心など分かっていた。むしろ小十郎のような立場の者の心を拾い上げる者として生きてきたのだから。
だがそれでも、実際に──夫に怒鳴られ、強い力で従わせようとされたことが、ひとりの女としては泣くほどの衝撃で、恐怖だった。
夫に怒鳴られたのも、手荒に扱われたのも初めてだったのだ。
織田信長であれば鼻で笑えることだった。普通の人間としての、女としての感情を全て封じて巧く生きていたのだから。女となる時は常に一人か、もしくは自らを害さない者だけを傍に置いていた。
だが今、吉として感情を封印しない日々を生きる女としては、夫の行為を何の衝撃もなくやり過ごすのは難しいことだった。
「謝らぬ」
「構わねえ」
「謝ったら、仔竜が間違っていることになってしまう」
「謝るな。政宗様にお聞きした。お前も政宗様も、間違ってねえ」
結局──吉は政宗を口ほど見下しているわけではない。小十郎は知った。
吉は政宗に、上に立つ者がしてはいけないことを教えたのだ。


正当な理由があると思って頼みごとをするのであれば、それを断られようと、不愉快にさせようと、決して謝ってはならない。
謝るということは、最初から相手を軽んじ、「あわよくば」やらせようと思っていたという意味になる。
物事を頼むのなら、責任は自らが取ることを前提に頼め。
それが上に立つ者の「頼み」だ。
出来ぬのであれば「命令」すればよい。
尊重する振りをして軽んじるな。
軽んじれば怒りを買い、侮られ、争いを招くだろう。
誰のためにもならない。


「来るか」
小十郎は膝を叩いた。吉はしばらく布団の中でぐずぐずとしていたが、やがていつものように、のそりと膝に乗る。猫のようだ、といつも小十郎は思う。
「痛かったのだえ」
「悪かった」
「もういや」
「気をつける。できるだけ」
泣き声の妻を宥めるように抱く。
怖がらせたことを詫び、優しく触れ、自分は決して吉を傷付ける存在ではないと分からせた。
いつもよりも妻に尽くす時間を過ごし、明り取りの窓から差し込む光で白み始めた空に気づく。眠った吉を起こさぬよう、静かに床を抜け、単衣を纏い、廊下へ出た。
厳しい冷え込みも遠のき、遅い春が来た。茶会の頃にはもっと暖かくなり、桜が咲き誇ることだろう。
縁側に座り、空を見上げる。
ほどなく朝陽に飲み込まれるであろう月が白い。澄み切った空気が心地良かった。
不意に、背後から暖かい重みにのしかかられた。僅かに笑い、どうした、と言って、首に回された腕に触れる。
「寝てろよ」
「おまえさま」
「ん」
「明石は、いやァな奴なのかえ」
「──俺は、好きじゃねえなあ」
小十郎は明石を嫌う理由を吉に話した。吉は黙って聞いていた。
夫が話し終え、妻は返事をしない。
つまらない話をしたと思った小十郎が口を開きかけた時、吉が言った。
「仔竜が」
「ん」
「道明寺の桜餅を都合するなら、やらぬこともない」

長命寺の桜餅はよう好かぬ。

あれだけ食っておいて好かぬって何なんだ、と小十郎は面食らう。
だがそんな文句を言うよりも、振り返って妻を強く抱き締めることが先だった。




裏があるんじゃなかろうな、と疑ってしまうのは戦国の世の国主としては正しく、そして哀しい習性である。
「……道明寺? って、あれだろ、西の桜餅の」
政宗は考え込む。姐さん何考えてんの、という顔で。織田信長が昔に突飛な行動をしていたことは有名な話なのだが、これもその一面なのだろうか、とまで悩む。
小十郎は特に悩んだ顔はしていなかった。
「真意は分かりかねますが」
「ほんとに夫婦なの、お前んとこ」
「死ぬまでその予定です」
「……さらっと言うなよ」
滅多にない小十郎ののろけに不意打ちを喰らい、政宗はつい赤面する。
「まあ、口実でしょう」
「口実?」
「女亭主として取り仕切ることを承諾する口実だと思います。あれだけ拒否しておきながら、易々と承諾するのも悔しいというところです」
「小十郎と姐さんって」
「はい」
「やっぱ夫婦だな」
「俺はあれほど強情ではありません。やるなら最初からお引き受けします」
「いや、そういうことじゃねえんだけどねー」
分かっていない小十郎に肩を竦め、まあいいや、と政宗は思考の方向を変える。
「金とか」
「さすがにそれは公費で願いたいのですが」
「ん。ある程度なら姐さんの着物作る費用も出していいぞ」
「大変ありがたいお話ですが、それはおそらく、不要ではないかと……」
「そうねー」
「申し訳ございません」
恐縮する小十郎に「いいよいいよ」と手を振る。身一つの嫁入りにかこつけて、全国の武将からとんでもない価値のある着物や装飾品を貢がせたのは有名な話だった。今更奥州の金を遣って作ろうとも思わないだろう。
「ただ、近日中に政宗様にご用意願いたい備品の目録を御渡しする、と申しておりました」
「どうせ『仔竜に用意させるものがあるゆえ、おまえさま、目録をお渡したも』だろ」
「ほぼ一字一句その通りです」
「俺ってクレバー」
何で分かるんだろう、と小十郎は不思議でならない。政宗は思った以上に吉を理解している自分を自画自賛してもいいものかと迷ってしまった。
「あ、目録くれるなら、仮名だけじゃなくて漢字書いてって言ってくれよ。あの人、俺に何か文渡す時ってなぜか全部仮名なんだけどよ、さすがに読みにくいんだよね」
「伝えます。なぜ仮名なのか、俺にも分かりませんが」
吉は生半な男よりも漢字を使いこなす。政宗以外の男性には仮名だけの手紙を送るということはない。帰ったら理由を聞いてみるか、と小十郎は思った。吉の、毒のありすぎる遊び心かもしれない。何しろ元為政者としては、政宗をまだまだ子供扱いしているのだから。
「ってか、道明寺ってこのへんじゃ手に入んねえだろ。手配考えるとそこそこ面倒だから、こっちの体面も辛うじて着く」
大役を任せておきながら褒美なし、というわけにはいかない。しかし簡易な褒美にするわけにもいかない件だ。奥州では手に入りにくいもの、だが手配が可能なものを指定することで政宗の手間が軽減され、かつ面子が立つ。
「そういうの考えて指定したなら、やっぱ姐さんって姐さんだわ。まじクールスタイリッシュ」
「くーるすたいりっしゅの意味が分かりませんが、妻がお褒めに預かったと思っておきます」
「夫としてはどう思う、姐さんの意図」
「食い意地です」
即答した小十郎に、俺も結婚したらこうなるのかな、それとも相手によるのかなあ、と政宗は言おうとして、やめた。