no more words 02



雪は熄まない。
このまま冬になってしまうのだろう。
珍しいことだ。

囲炉裏を挟んで寝具を延べ、眠る。飯の支度も風呂も小十郎がする。女は手伝おうという素振りも見せない。それでいいさ、と小十郎は思う。
数日経ち、やがて、お前の従者が探しているだろう、という話もしなくなった。女は何も気にしていないようだった。
狭い小屋の中、二人で一日中顔を突き合わせていても、鬱陶しいと思う瞬間がない。それでも稀に小十郎は思考の淵に沈む。軍師としての癖のようなものだ。その時は女の問いかけにも生返事になる。
女は小十郎に僅かながら気を遣うことを覚えた。
男が黙り込めば、自分から話すことをやめる。
小十郎は女が気を遣っていると分かると、苦笑して「すまん」と謝り、また意識の中に彼女を入れる。
すると女は、安堵したような、美しい笑顔を小十郎に見せるようになった。

雪が熄んだ朝、女は眠っている小十郎を起こさずに小屋の外へ出た。小十郎が起きた時、雪を触って冷えた手を火鉢に当て、冷たいのじゃと眉をひそめ、小十郎は苦笑しながら朝から風呂を沸かすはめになる。
雪が熄んだのは朝方だけで、女が風呂を出る頃にはまた降り出していた。小屋に閉じこもりきりの女に、山の神が少しばかりの気晴らしを与えただけだったのか。
「道が埋まっておった」
「俺が分かるから問題ねえ」
「獣のよう」
「──そうかもな」
獣か。不思議なものだ。いくさ場に出れば確かに獣となる。それが今はどうだ。
得体の知れぬ女と二人で過ごし、男女の関係にすらならず、下人のごとく甲斐甲斐しく世話を焼き、それも悪くないと思っている。政宗が聞けば「伊達の軍師が何をしていやがる」と憤慨しそうな話だった。
「俺が分かっても、お前は歩けねえな。雪道じゃ背負ってやるわけにもいかねえんだ。滑っちまう」
雪が熄んだら。そしてもしも迎えが来たら。
──そうしたら、考えよう。軍師とて、たまには何も考えなくてもいいさ。

退屈した女は、小屋にあった懐紙を手慰みにしている。鶴の形に折り上げたいようだが、残念ながらそれほど手先が器用なわけではないようだった。
小十郎が取り上げ、綺麗に鶴を折って見せる。女は少し気分を害した顔をし、だがやがて嬉しそうに笑ったのだった。
毎朝、小十郎が外に保存食を取りに出る。戻ると女は「早う火に当たりや」と言うようになった。慣れているさと最初は言ったが、やがて、そうだな、と素直に女の隣に座るようになる。
酷く寒かった日、女が手を取って温めた。驚きはしたが、振り払おうとは思えなかった。

こんなのも。小十郎は思う。

──こんなのも、悪く、ねえ。

源次郎と太助がまた荷を運んで来た。太助が背負っていた籠から出したのは、草子や手習いの道具だった。
「粗末なモンで、却って失礼かと思いますが」
源次郎は言う。
「あって困るモンじゃァござんせんでしょう」
小十郎は礼を言って二人を帰したが、こんなものをどうしろと言うのだ、と不思議でならなかった。だが女が喜んだので、源次郎の慧眼に感服するはめになる。
小十郎は外に出ることができるが、女はそうもいかずに退屈しているだろうと老爺は見抜いていた。
手習いの筆で女が書いた文字を見、小十郎は唸った。素晴らしい達筆だ。女性は仮名さえ書ければ良いが、この女は漢字も見事に書いてみせる。
そして女はふと手を止める。自らが書いた文字をじっと見ていた。
雪。
「どうした」
「今は飽きるほど、傍にあるの」
「まあな。ここいらじゃ仕方ねえ」
「されど」
女は口の中でしばらく何かを呟いていたが、やがて静かに言った。
「嫌いでは、ない」
「──ん?」
「雪」
小十郎は暫し黙り、やがて女の手から筆を取り、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「お前の」
紙の上にある雪という字をじっと見た。
「お前の名前に、しようか」
それから小十郎は、女を「ゆき」と呼ぶようにした。
その夜、寒さはいっそう厳しくなった。ゆきのために石を温め、厚い布に包んでいた小十郎は、ふとその手を止める。ほんの数秒のことだった。
「どうしたえ」
小十郎の手元を物珍しげに見ていたゆきは気づき、首を傾げる。何でもねえ、と小十郎は答えた。
「温かいうちに寝ろ。首の後ろに当てるんだぞ」




囲炉裏を挟んで眠っているゆきの寝息を聞きながらも、小十郎は眠りはしなかった。
九つ半(午前一時)、ゆきが深い眠りに落ちているのを確認してから、物音を立てないように起き上がる。
土間に下り、汲み置きの冷たい水を飲み──手にしていた愛刀を抜き、降りしきる白い雪の中、小屋の外へ躍り出た。
外に出ると同時に一人を斬り付ける。不意を突かれた数人の男たちは驚愕し、それでも果敢に刀を抜いて小十郎に襲い掛かった。満月の光と雪に白刃の光が反射 する。
月のおかげで夜目が効いた。いずれもそこそこの使い手だと看破した。
感覚で数えたところ、襲撃者の数は十人──いかな小十郎とてやや厳しい数だ。だが雪が功を奏した。
男たちは雪に足を取られぬよう、気を配りながら動かねばならない。対して小十郎は雪に慣れ、意識するでもなく雪上での剣をふるうことができる。
交わされる剣戟の音が雪の中に飲み込まれて行く。吐く息の白さが視界を塞がぬよう、小十郎は吐息すらも操縦した。
斬り合いながらも違和感を感じる。
──これは──こいつらの剣は──
不利を悟った男たちは目で合図をし合い、一斉に撤退した。小十郎は追わなかった。
刀についた返り血を見、数人は斬っていることを確認する。覚えている 限りでは二人。見渡したが死体はなかった。軽い傷でもなかろうとは思うが、動ける程度であったか、もしくは仲間が引きずって行ったのかは分からない。
どちらでも良かった。

雪の上に紅い色が点々と滴っている。
朝になれば。小十郎は思った。

──朝になれば、雪が消してくれている。

小屋に入る。
ゆきは起きていた。怯えた様子はない。何が起きたのかも分かっていないのかもしれない。
そして小十郎は思い出した。
男たちは誰ひとり、声を挙げなかった。襲撃者ともなれば自分を鼓舞するため、大声を上げることも多いのに。撤退の合図すらも声無きものだった。
寝具の上に無言で座るゆきの前に自らも腰を下ろし、美しい顔を見る。
奥州では見たことのない、噂すら耳にしたことのない、だが、確かに上流の武家の美姫。

──朝になれば。雪が熄めば。

小十郎はゆきの頬を撫でた。
「どうしたえ」
「何でもねえさ」

朝になれば。
雪が熄めば。

「ゆき」

雪が熄めば。
熄まなくても。
熄んでも。

「抱くぞ」


ゆきは抵抗する素振りも見せなかった。
初めてという反応でもない。無論遊女のように過度の反応をするわけでもないが、確実に男を知っている身体ではあった。
──関係ねえ。どこの姫も。奥でも。
小十郎はまるで獣のようにゆきを貪る。女が悦ぶ場所を見つければ執拗に触れ、存分に尽くし、そして褒美のように貪り続ける。

薪を取りに麓に行くと言った。ゆきは拗ねた。あれは一人にするなと言いたかったのだ。
記憶もなく、雪山の中、不安の中、ただ一人にされるのは嫌だと言えない性格であろう彼女の精一杯の態度だった。

小十郎が楽しい話をすると笑う。
高飛車に何かを言いつけても、必ず礼を言う。

小十郎が見れば微笑む。
嬉しそうに。

──こんな。

呻きたくなる。

──こんな、ただの、女。

「小十郎」
ゆきが小十郎の首を抱く。小十郎はゆきを抱く。あたたかい、とゆきが囁いた。雪の降りしきる音と囲炉裏の火がはぜる音だけが響く中、その声は酷く甘く揺れる。
「小十郎」
「ゆき」
「おまえさま」
「──ああ」
「おまえさま」
「ああ。──ああ」
ゆきを強く抱く。
このまま、と思った。

このまま。

このまま、雪よ。
熄むな。
今は──

ゆき。
俺の、妻であれ。
ただの、女だ。




「ただの寄子では、なかろ」
腕の中で甘えながらゆきが言う。
寄子とは、普段は武人としては城に仕えず、農業や家のことをやり、いざ戦となった時に城主の下へ馳せ参じる者のことだ。
「分かるか」
「ん」
「知りたいか」
「ん」
ゆきは曖昧な声を出し、小十郎に身体を摺り寄せる。小十郎は黙って腕に力をこめる。
「無理なら仰らぬでよい」
小十郎は思わず笑う。口調が「夫」へのものだったからだ。だが、得も言えぬ感覚が胸の中に生まれ、小さく、山の神さえにも聞こえぬようにと小さく囁く。
「伊達家の近侍だ」
「……たばかりは、堪忍え」
「嘘なものか。お前の本来の暮らしには及ばねえだろうが、それなりに不自由はさせねえよ」
「今のままでも」
ゆきが笑う。
「わらわは充分、足りておるようだえ」
「俺としちゃ、お前は綺麗に飾ってるのがいいさ」
奥州一の、いいや、日の本一の美貌の奥だ。それがお前の役目になるんだ。──聞いたゆきは笑うばかりだった。
小十郎も笑うばかりだった。

今は、
雪よ──熄むな。




翌朝、御用聞きに来た源次郎と太助からも小十郎の身分を聞き、ゆきはようやく嘘ではないと納得したようだった。
「やっと信じたか」
「だっておまえさま、言が粗野なのだもの」
「余計な世話だ」
ついでとばかりに「浅井」ではなく、本名は「片倉」と教える。ゆきは「そ」と言っただけで、それほど興味がないようだった。
源次郎は野暮を一切言わなかったが、二人が夫婦になったことは察していた。太助は祖父ほど分からなくても、前よりも睦まじくなっている、程度のことは感じる。
ゆきは小十郎と夫婦になったからと言って、何か家事をすることもない。する気もないし、するべきという考えにも及ばないのだ。
相変わらず小十郎が全てやって いたが、雪が酷くない日であれば、源次郎に言われた妻が娘と共に現れるようになり、甲斐甲斐しく働いた。小十郎は源次郎一家への給金を上げることにした。
あれから、何者かの襲撃はなかった。だが小十郎は稀に気配を感じていた。
小屋の中を覗ける場所は小さな採光窓だけだ。夜中には防寒の為に閉じてしまう。中の様子ははっきりと窺えてはいないかもしれない。

──……分かっているのかも、知れねえ。

今日の雪は少し弱い。外へ出て空を見上げる。灰色の雲から真っ白な雪が落ちてくることが、子供の頃から不思議だった。

──分かっているんだろう。俺なら──俺でも、そうするかもしれねえ。

「おまえさま」
ゆきが珍しく小屋から出ていた。小十郎は慌てて中に入れと言う。
「そんな薄着で出るんじゃねえ。奥州の寒さを舐めるな」
「おまえさまがお戻りにならぬのだもの」
「雪を見ていただけだ」
「ご覧で何がお分かりぞ。教えたも」
「数日中に熄む」
「お分かりなのかえ」
「雪の種類が違うんだ。いいから入れ」
ゆきを小屋に押し込み、自分も入る。

──もう、熄むか。

「雪が熄んだら」
「ん」
「山を降りよう」

──分かって──いるのだろう。

「祝言を、しねえとな」

ゆきがこの上なく嬉しそうに笑う。
小十郎も笑う。

──俺の妻は、ただの、女だ。

「笛は好きか」
「すき。きっと」
「吹いてやるよ。大したもんじゃねえが、な」
また、妻は嬉しそうに笑った。


三日後、雪はやんだ。
前の晩から予測していた小十郎は、朝餉の前にゆきに言い置き、源次郎の家へ向かう。
土間に足を置いたまま上がり框に腰掛け、手短に用件を告げた。太助は快く引き受け、源次郎は孫よりも深い何かを察して「ようございます」と言った。
「小十郎様」
「ん?」
「よう、ご決断なされました。胸中、お察し申し上げまする」
普段のぞんざいな農夫ではなかった。
奥州武士の先達の心からの労わりに、小十郎は暫し言葉に詰まり、やがてかろうじて返すことができた。
「かたじけない」




「わらわも参るのかえ」
朝餉を取ったら山を降りる、お前も来いと告げた小十郎に、ゆきは首を傾げる。
「歩けぬと仰ったはおまえさまであろ」
「太助と、太助の弟が籠を担ぐ」
「籠? そのような?」
「あるのさ。俺の姉が昔、この小屋を使った時の名残だ」
「そ」
「太助たちは雪道で籠を担ぐのにも慣れている。心配はいらねえよ」
「おまえさまはお歩きなのかえ」
「横を歩く」
「そ」
ゆきの返事は素っ気なかったが、安堵したことが小十郎には分かった。──分かる程度には、この女のことを充分に理解していた。
「何だ、これは」
朝餉を片づけ、ゆきの防寒に使えるものを探していた小十郎は、折りかけの鶴を見つける。
「途中でやめたのか」
「朝餉まで折っていたの。帰って来たら続きを折るゆえ、そのままにしておいてたも」
「──そうか」
「何え」
「下手くそめ」
「ようも仰る!」
ゆきが憤慨した振りをし、小十郎は謝る振りをする。最後には二人で笑い出す。二人きりの時間に出来た、他愛ない遊びだった。
「今日は俺の家に行くぞ」
「おや、まァ。如何なあばら屋ぞ」
「抜かせ。──明日は政宗様に御目文字する。綺麗にすることだ」
「ふむ、政宗公には興味なけれど」
ゆきがクスンと鼻を鳴らすような笑い方をしてみせた。
「綺麗にするのが、わらわの役目なのであろ」
小十郎は何も言わず、ようやくの努力で微笑を返し、ゆきが訝しむ前に、その唇に自分のそれを重ねた。