遠出、出張と言ってもそれほど離れた場所ではなかった。G-5の駐屯地を構える場所から船で大した時間を要しない。朝に港を離れたが、昼には着くと教えられていた。そこから二泊三日ほど滞在する。
――俺が軍艦に乗っているのも不思議なもんだな。
ローは甲板で慣れ親しんだ海風を受けながらもそう思う。来いと言われて来たはいいが、よく考えてみれば公務のスモーカーに着いてくるという自分はどうかしているような気がした。自分の船には既に連絡をしたが、電伝虫の向こうのペンギンが「何かあったらすぐ行けるようにはしておきます」と言ったことが全てだろう。――そうだ、自分は海賊で、海軍とは本来「何かある」かもしれない立場なのだ。
ローを連れて来たスモーカーは、出航するなり電伝虫にかかりきりになっていた。結局船室に閉じこもり、ずっと誰かと話をしている。ローには聞き耳を立てる趣味もなく、また、部外者に知られたくなければスモーカーももっと用心深く話すはずだ。大した話ではないと判断したローは、甲板で時間を潰すことにした。
甲板のほとんどの海兵たちはローを遠巻きに見るばかりだった。それも当然のことだし、そもそも自分がここにいること自体がおかしということも理解しているローは意に介さない。むしろ自分を連れて来るスモーカーの考えが理解できなかった。
特に目的があるわけでもない。スモーカーもなぜ連れて行こうとするのか説明しようとしなかった。朝になって発着所に二人で行き、既に待っていたたしぎの跳ね上がった眉は見ない振りをしておいた。そもそもお前がいらねえことを言ったから――そう言ってやれれば多少はすっきりしたかもしれないが、言っても仕方のないことだとも分かっていた。だから言わなかった。
海風は穏やかだ。天候も荒れる気配がない。ローはこみ上げる溜息を押し殺した。穏やかな時間であればあるほど心の中に隙間ができて、昨日の自分の失態の数々を思い出してしまいそうだった。
「よう、外科医。暇なら本でも読んでろ」
海風の音に混ざり、ギィ、と金属が軋む音がした。振り返ったローは驚く。図書館司書のレイ少尉がいたのだ。古ぼけた車椅子は昨日のままだが、広いとは言えない小規模な艦に車椅子を乗せるとは予想外だった。そもそも、これだけの身体的なハンディキャップを持った者を連れて来るものなのか。
「いたのか」
「ん?」
「図書館司書が何でいるんだ、と思っただけだ」
「ま、本当はあの基地の施設は全部俺が管理しているから、司書ってわけでもねえんだが」
レイは海風に目を細めた。その表情に、ああ、この男も海に生きる男なのだ、とローは知る。たとえ両足を失い、普段は海に出ることがなくなったとしても、あの基地にいる限り、この男は海兵なのだろう。
「これから行く島の施設の点検も俺の仕事なんだよ」
「ふうん」
「神を信じるかい」
「――はあ?」
唐突な問いかけに、思わず出たのは間抜けな声だ。レイが笑った。
「海賊に愚問だったかな」
「信じる必要性がねえよ」
「いや、すまねえ。ま、それなら大丈夫だろ」
「何がだよ」
「これから行く島で、スモやんの用事の相手は従軍牧師なんだ」
「従軍牧師?」
「戦地に出る時は一緒に行くもんなんだ。ミサやら何やら、色々あるからな」
「ふうん」
聞いたことがあるような気もするが、自分にとってあまり重要なことではなかったから忘れていたようだ。だが考えてみれば、確かにそういった存在は生死の最終ラインになる戦場にはいた方が良いのかもしれない。神にすがるなど軟弱な、無意味だ、と言い捨てるほど、ローは人の心を知らないわけではなかった。
「で、白猟屋が会う相手のことをわざわざ俺に言う理由は?」
「まあ、何だ」
レイは肩を竦める。
「喧嘩を売られても買うなよ、って言いに来た」
「……牧師が喧嘩を売るのかよ」
「海賊が嫌いな奴でね」
その答えを聞いたローとしては肩を竦めるしかない。牧師は牧師でも、従軍牧師は軍人だ。海賊相手に必ずしも平等ではいられない気質であってもおかしくはない。
「白猟屋には何も言われてなかったが、そんな話があるなら聞かせてもらえたのは有り難い」
「騒ぎを起こされるのも困るからな」
「売られたって買わねえよ、ガキじゃねえ」
スモーカーには散々子供扱いされ、昨日は自分でも分からないほどに腹を立てたことは忘れておく。そもそも海軍内での行動は七武海としては気をつけなければならない。癖がありそうな従軍牧師のようだが、喧嘩を売られたくらいで騒ぎを起こすつもりはなかった。無視するのが一番だ。
「ま、お前さんが一緒に来るとは思わなかったけどな」
「俺だって何で誘われたのか分かんねえよ」
「ああ、スモやんは真面目って言えば真面目なんだが、特に上に報告しない公務だったらちょいちょい公私混同するからな。その辺は青雉仕込みなんだろうなあ」
「公私混同?」
「そうだろう?」
レイがローを見る。ローもレイを見た。
スモーカーと同期だという男はきょとんとした顔だった。何を言っているんだ、とでも言いたげだ。
「公私混同だろ。相手が七武海ってのは少しばっかり大変かもしれねえが、スモやんが決めたんなら俺たちが言えることでもねえし」
「相手? 何? 何だって?」
ローは眉をひそめる。レイの言っていることが本当に分からなかった。
その様子にレイも眉をひそめる。
しばらく同じような顔で見つめ合った後、レイはようやく核心を突いたことを言い放った。
「スモやんとお前さん、付き合ってるんだろう?」
ようやく電伝虫から解放された後は、難しい顔をしたローの相手をしなければならないという事実に気づき、スモーカーは溜息を押し殺した。なぜローがこんな顔をして自分がいる船室へ来たのかよく分からない。
「何だ、お前。そのツラ」
「……難しいことを聞いたもんでな」
「難しい?」
「いや、単純明快っちゃあ単純明快なんだろうが、俺には難しい」
「お前ほど脳が発達した奴でも難しいことがあるのか。そりゃ驚いた。誰に何を聞いたんだ?」
「施設管理人に、俺とお前が」
「レイ?」
「そう、あいつに」
「レイに何か言われたのか」
「あいつに――だから、俺とお前が」
どう言おうか、とローは今更ながら頭の中にある言語辞書を引っ張りだそうとする。だが中々その作業は捗らず、スモーカーが咥えた葉巻が新しいものになるまでたっぷり数分、船室は沈黙に包まれていた。
「……いや、やっぱりいい」
ようやくローが言ったのはそれだ。レイに言われた通りのことを言えば良いと分かっている。だがどうしても喉に引っかかり、唇から出すことが難しくてたまらないような気がした。
「いいならいいんだが」
後でレイに聞こう、とスモーカーは決めた。後であいつに聞くんだろう、とローは予想した。
「言いたいことがあったら言えよ」
「……ねえよ」
「思い出したら言え。何でも」
スモーカーの声音が柔らかく、ローは不思議に思いながらもどこかで居心地が悪くなる。レイが言ったことを意識しすぎているのかもしれない。ガキじゃあるまいし、と自分で自分が嫌になった。思春期の子供のように、誰かに恋愛ごとを指摘されて慌てているかのようだ。馬鹿馬鹿しい、子供じゃないんだ――自分にそう言い聞かせる必要が生じるなど予想外だった。
「ああ、あと、何だ――従軍牧師?」
「それもレイから?」
「ああ。喧嘩を売られても買うなって言われた」
「一応、後で説明する予定だったんだ。急ぎの連絡があって後回しになった、悪かったな」
電伝虫をつつき、スモーカーはローに謝る。ローも何となく電伝虫を指先でつつく。
「メアって奴なんだが。メア大尉」
「メア」
女の名前だ。女で従軍牧師という存在は果てしなく珍しいが、海軍はヒナやおつる、たしぎのような男勝りの女性もいる。女の従軍牧師、かつ喧嘩を売るような性格の者がいてもおかしくはないのだろう。尉官がつくのも従軍という特殊な立場ならではだ。
「そもそも、俺と話すだけだからお前と接触する予定はないんだが。万一接触するようなことがあったら――そうだな、相手にしないで適当にやり過ごしてくれ」
「お前がそんな態度を取れって言うくらいに面倒な相手がいる場所に、何で俺を連れて行くんだ」
船の中が急にせわしない動きを始める気配を感じながらローは問う。もう目的地が近く、船が係留準備を始めているのだ。特に大きなトラブルもなく到着できるのは僥倖というものだろう。スモーカーも同じ気配を感じながら答えた。
「景色がいいんだ。たまには何もしないで景色を楽しむのもいいんじゃねえのか」
あまりにも他意のない言い方で、そして心底そう思っているということがローにはなぜか伝わる口調だった。
本当に、とローは思った。
本当に、この男が何を考えているか分からない。何よりも海賊を嫌っている男が、七武海というだけでたまに寝るだけの自分に、なぜこんなにも優しいことを言うのか。
そうだ、この男は優しいのだ。
不意にそう気づいた。
なぜ今まで気づかなかったのか分からないくらいに、当たり前のようにこの男が優しいことに気づいてしまった。
目的の島は典型的な春島だった。気候が穏やかで波も少なく、港――海から少し離れた丘の斜面は花で埋め尽くされている。潮の香りに混ざって花々がその存在を主張していた。花を見て感銘を受けるたちではないが、ローはこの島が精神的に落ち着く場所であることを理解した。もう少し医学的知識に乏しく、まっとうな生き方をしている人間であれば、数日だけでもここに滞在することは精神に良い影響を与えるだろう。
港の近くも良い環境だった。医師としては感心し、船を下りる前からローはつい観察してしまう。いつの間にか隣にたたしぎが何かを言いかけたが、サングラスをかけたスモーカーが軽く声なく笑ってそれを止めた。それに気づかないほどローは真剣に港、そして港から垣間見える市街を観察した。
小さな島であることはすぐに分かる。軍事基地があるにはあるが、本当に小さなものだ。むしろ活気のある、だが穏やかな市街地の雰囲気の方が目に付いた。本来ならこういった小さな島では軍事基地の方が目立つものだが、その建物でさえ花と穏やかな空気の中に埋もれてしまっている。
「ここは?」
抽象的なローの質問に、スモーカーは暫し「何を答えにするか」と考えてから口を開いた。
「G-5には所属していないんだが、俺の直属の小隊が駐屯してる」
「直属? 中将で直属の小隊なんて持ってんのか」
小隊を直接管轄に置くのは尉官が精々だ。将という位になってまでも、直属という立場で小隊を持つ者はまずいないはずだった。
「スモーカーさん以外じゃ手に負えないんです。個性的な人ばっかりで」
困ったように、だがどこか誇らしげにたしぎが口を挟んだ。問題児だらけの小隊でも、わたしの上司なら扱えるのよ――そんな顔だ。ローは内心で肩を竦めた。自分の生き方でたしぎを理解することは無理だと分かった。
「まあ、普段は出番もねえしな。たまに顔を見に来て、給料泥棒をしねえように説教するんだ」
たしぎの言葉を肯定も否定もせず、不意にスモーカーは「ん?」と言ってサングラスを外した。海面を反射する陽光に色素の薄い瞳を焼かれ、痛みをこらえながら目をすがめて岸を見る。
「出迎えか。何だ、あいつら。機嫌がいいのか」
「あら、本当。珍しいですね、いつもは丘の方にいるのに」
「あいつらが出て来てるならレイの仕事を手伝わせるか」
「じゃあ、レイさんに伝えてきます」
たしぎは船室へ降りて行く。軍人二人のやりとりにつられるように、ローはスモーカーの視線を追う。へえ、と声を出しかけた。一目でスモーカーの直属の小隊だろうと分かるほど、見るからに癖のありそうな男たちだった。人数は目視で5人、海兵の正規の軍服は着ておらず、タンクトップに迷彩柄のカーゴパンツという訓練着だ。海辺ぎりぎりの消波ブロックにそれぞれが腰掛け、波を受けて濡れることも構わず、船を見て何事かを話している。その座り方だけでろくな存在ではない、とローは断定した。ローの「ろくでもない」は「食えない」ということだ。消波ブロックに思い思いの座り方で腰掛けている姿は、驚異的な身体能力を持っているという証明に他ならなかった。
「お前の小隊か」
「やっぱり分かるか」
「そりゃあな。能力者は?」
「機密に決まってる」
「だろうな」
能力者はいるのかという意味の問いに、苦笑したスモーカーはそう答えた。ローも答えを期待していたわけではなかった。部外者、しかも海賊にスモーカーが言うはずがないのだ。
「あいつらに説教だって?」
「報告書にはそう書く予定だ。――今日の晩飯はあいつらと一緒になるかもしれねえが、お前が同席するのが嫌なら断るぞ」
ローはすぐに返事ができなかった。こいつは何を言っているんだ、とすら思った。スモーカーの中では夕食を自分と一緒に食べることが確定していたのか。いや、確かに招いた側としては当然の態度かもしれないが、それにしても自分たちの微妙な立場を考えると――思考する癖のあるローの沈黙の時間を違う方向に解釈したのか、スモーカーはサングラスを再びかけながら言った。
「ああ、じゃあ断っておく」
「あ、いや、別に嫌なんて言ってねえ」
そんなつもりじゃなかったが、何で俺まで同席するんだ、と言えば良かったのだ。そう気づいたのは直後だったが、スモーカーが「それなら良かった」とどこか嬉しそうに言ったので、言えないままで良かったのかもしれないと思った。そう思った自分に苛ついたことが不思議だったし、なぜ苛ついたのかが分からないことに対してもまた苛ついた。
スモーカーといると感情が乱れる。答えが分からないことが多くなる。考えてみれば彼に出会った時から、あのパンクハザードの時間の数々、そして今に至るまで、そんな苛立ちが何度もあった。
意味が分からねえ、もう来ねえ――そう言ってやればいいのだと分かっている。だがそれを言う気になれない。苛立つ。
「白猟屋」
「ん」
そうだ、だからそんな時にはいつも言ってしまうのだ。
「やらせろ」
「……お前、いくら何でも昨日から酷くねえか」
スモーカーの口調は明らかに呆れていて、さすがにローは自分の言い草が短絡的だったと思い知り、冗談に決まってんだろ、と呟いて赤くなったのだった。
その視線の先でスモーカーの小隊の男たちが立ち上がり、船が着く場所に歩き出していた。
花の香りが強くなる。こんな場所に「スモーカー中将しか扱えない小隊」が常駐していることがローには意外だった。その存在を聞いたこともなかった。二年前のあの戦争の時にも彼らはいなかったはずだ。
大きな興味を持ったわけではない。だが、目の前に現れた未知の存在が気になることは否定できなかった。この病的とも言えるほどの好奇心が、今までの自分を助けて来たこともよく知っていた。
「あの小隊は」
「うん?」
「……何でもねえ」
後で訊けばいい。ある程度までならスモーカーは教えてくれるだろうし、きっとたしぎも知っている。
そうだ、後で訊こう。そう思った。後でいい。
どこかで、また訊いてはいけないことを訊いてしまうのではないか――そう思っている自分が及び腰になっていることには気づいていた。
スモーカーを傷つけてしまうのではないか。
ただそのことだけに及び腰になっている。
気づかない振りをしよう、と決めた。
小隊の男たちは特別に愛想が良いというわけではなかったが、それなりに礼儀をわきまえてはいた。ローの名前や顔を知っている者がいるのは当然で、ローも予想していたが、敵愾心を持たれた様子もなかった。
「まあ、来るのはスモやんから朝方に連絡もらって知ってたし。よろしく」
握手こそしないがローの存在を否定するわけでもないという顔で、小隊の隊員の中にいるリーダー格と思しい男がそう言った。鍛え抜いた身体や雰囲気がいかにも歴戦の強者という空気を醸し出しているが、無駄に暴力的な一面を覗かせる三下でもないようだ。これなら俺もやりやすい、とローは思った。争いのために来たわけではない。あくまでスモーカーに連れられて来ただけの客人だ。たとえ海賊であっても、海軍中将が客人として招いたという事実は厳然として変わらなかった。ローとしてはその立場である以上、あまり好戦的な相手と関わりたくはなかった。
年齢は20代後半から30代後半とばらばらのメンバーだ。共通しているのは鍛え抜かれた肉体と――スモーカーに話しかける時、誰もが嬉しそうにすることだった。
「G-5の連中も連れて来いよ、スモやん。しごいてやるからよ」
「お前らにしごかせたら死人が出る、始末書が面倒くせえ」
「へえ、昔はスモやんが青雉に書かせてたってのになあ」
「馬鹿言え、あの人は書くのが面倒くさいって言って俺に書かせてたんだ」
「意味がねえよ!」
男たちはどっと笑う。彼ら自身は気づいていないのかもしれないが、スモーカーが島を訪ね、船を降り、話ができることが嬉しくて仕方ないという顔だ。だがローが驚いたのは、スモーカーもまた嬉しそうな顔をしていたことだった。
直属の小隊ってのはそんなに大事なものなのか――ローがそう思っている時、レイがたしぎの介助の車椅子で慎重に船から降りて来た。やはり車椅子は船の移動には向いていない。義足の方が良いだろうに、とローは昨日思ったことをまた思った。気づいた小隊の数名が素早く手助けに行く。見るとはなしに見ていたローの視線の先で、レイが何か皮肉めいたことを言い、小隊の男たちはそれに笑い、拳をぶつけ合う仕草をした。図書館でスモーカーとレイが交わした独特の動作だ、とローは思い出した。海軍の挨拶のようなものなのだろう。ローが知らないところで他の海兵たちもやっているのかもしれない。だがたしぎがやっていないことにも気づき、海軍の中でも色々ありそうだということにも思い至った。
「トラファルガー」
そのたしぎがローを振り返る。
「ああ」
「良かったら、本当に良かったらですけれど」
「ああ?」
心底嫌そうな顔をするたしぎに、ローも負けじと嫌な顔になってしまう。
「島を案内してあげます。スモーカーさんはこれから少しお忙しいですし、邪魔されたらかないませんから」
「いらねえよ。お前こそ、俺になんざ構わずに仕事すりゃいいだろうが。俺を口実にさぼってんじゃねえ、税金泥棒」
「ですから、つまり! 今日の私の仕事はあなたを案内することなんです! トラファルガー・ローが客人としてこの島に来て、その案内を私がしたっていう記録が必要なんです!」
「最初からそう言え! ついでにお断りだ!」
「断られると困るんです! 仕事になりませんから!」
「お前なあ――」
たしぎにきつい言葉を向けそうになった時、たしぎからは見えない位置でスモーカーが自分に向かってワの国の人間が拝むように軽く片手を上げ、唇を「頼む」と動かした姿を見た。ローは我知らず息を吐き、たしぎに苦々しく言うはめになる。
「付き合ってやるよ、税金泥棒」
「あなたを案内すれば泥棒じゃありません! 海兵になんて侮辱!」
「いやいや、ちょっと」
エキサイトしたたしぎを宥めるつもりでもなかったのだろうが、一人の隊員が苦笑いしながら間に入る。
「大佐ちゃん、メアが来る前に連れてってくれよ」
「え、あ、そうですね」
「いくらスモやんの彼氏でも、あいつは容赦しねえだろうから」
誰が彼氏だ、とローは鈍器で頭を殴られたような衝撃を感じた。レイに船上で言われた「付き合ってるんだろう?」という言葉までリフレインする。確かにすることはしている。だが二人の立場を考えれば、どう足掻いても海軍将校と七武海、すなわち究極は敵同士だ。それに何より――あまりその方面には熱を入れた生き方をしていないローでさえ分かる。何よりそれは二人の合意があるべきだ。ラブストーリーほどではなくともそれなりに盛り上がる何かがあっても良いはずだ。こいつらは何を言っている、勝手な妄想を――そう思った時、たしぎがコートの腰部分を引っ張った。
「行きますよ、トラファルガー! メアさんに睨まれるあなたを想像するとザマアミロって思いますけど、でもスモーカーさんの彼……彼氏……だと……思うと……!」
「ザマアミロとか彼氏とか、どこからどう突っ込めばいいか分からなくなって来た、お前ちょっと黙れ! 俺に考える時間を寄越せ!」
「か、彼氏だと思うと! スモーカーさんが可哀想ですから! 助けてあげます!」
「俺の話聞いてんのか!」
「あなたの話なんて聞くもんですか!」
「何なんだよ!」
いつの間にかたしぎと大声で怒鳴り合いながらその場を離れることになっていた。昨日といい今日といい、こんな大声を出したのはいつ振りか、とローは自分で驚きながらも止められなかった。こんなにダイレクトに感情を出したのは本当に久し振りだ。しかも海軍の人間しかいない場所で。
「ああ、やっぱりなあ」
見送ったレイがにやにやと笑い、同じように見送ったスモーカーを見上げる。スモーカーは二人の怒鳴り合いにいささかならず驚いてはいたが、やはり少しにやりと笑ってレイを見返した。
「何だよ」
「いやあ、あの外科医――スモやん、ここ10年はああいうタイプが好きだもんなあ」
「そうか?」
「ああ、そうさ。ずっと見てきたんだ、間違いねえ。なあ?」
レイは芝居がかった口調で小隊の男たちに同意を求める。男たちは遠慮なく大声で笑い、ああ違いねえ、ありゃあストライクだ、と口々に言った。そしてスモーカーは苦笑いをしながらも、それでも彼らの言を否定することはなかった。
「と、まあ、彼氏については夜に詳しく教えてもらうとしてさ」
隊員の一人が現実に話を戻す。
「アルフレッド。調子は悪くねえよ」
「そうか。後で顔を見に行く」
スモーカーはここにはいない小隊の一人のことを思い出し、頷く。
「メアは?」
「ああ、――スモやんとトラファルガー・ローがデキたって話を、午前中にスモやんから聞いただろ?」
全てを聞く前にスモーカーは失態を悟る。船内でかかりきりになっていた電伝虫の通信の中の一件は確かにメアとの会話だった。なぜローを、海賊なんぞを連れて来るのかと詰問され、面倒になって関係を告げたのだ。
「クソみてえに機嫌が悪くなって、父と子と聖霊の御名において海で300秒素潜りしてこい、って暴れてた」
「確実に死ぬ」
スモーカーは苦笑するしかない。今日は午後いっぱい、従軍牧師と話し合うことになりそうだった。
しばらくするとたしぎは掴んでいたローのコートを離し、島のあれこれを説明しながら歩き始めた。ローは相槌すら打たず、だが話は聞いておく。どこに何があるかを把握しておくのは重要だ。たしぎが説明しない小さな路地も覚えることにする。スモーカーの客人である以上、ここで何かをすることになるとは思えないが、これもまた習性のようなものだった。
海軍の施設と、それを相手に商売する小さな商店街、そして昔ながらに住み着いている少数の集落しかない島だとたしぎは説明した。その通りだろうな、とローは看破する。発展から見放された独特の寂れた空気が、花の香りと共に蔓延する島だと思った。
「本当に何もない島だったんです。気候は良かったけど――食料は取れないし、潮流の都合で漁業も駄目で」
「食料が取れない? 花があるのに?」
想像以上に花に覆われた島だった。港を離れて驚いたほどだ。むしろ港と海軍施設以外には花しかないかのように色取り取りの花々が咲き誇り、海風がなければ花の香りで嗅覚が麻痺してしまいそうだった。
「特殊な花らしいです。海風に強くて、根が深くて。だから畑を作ろうにも根が取りきれなくて開墾できなかったそうですよ」
「ふうん」
「でも、7年くらい前に海軍がここを買い取って」
私は知らない時代ですけど、とたしぎは肩を竦める。
「それから少数部隊をいくつか、ローテーションで駐屯させています。スモーカーさんの小隊はローテーションから外れてずっとここですけど」
「俺にそこまで説明していいのか」
「私の独断ですけど」
たしぎはいかにも不本意だけど仕方ないわね、という様子で眼鏡の縁をくいと上げる。
「あなた、知りたいことがあったら何でも勝手に調べるじゃないですか」
「……否定しねえ」
「昨日だってどうせ、スモーカーさんから聞き出したんでしょう」
「関係あるかよ」
「スモーカーさん、いつもあんな格好だから。だから、その――」
「何だよ」
「その、――噛んだ後、とか。そういうの、大体見えちゃうんですよ。セクハラです」
たしぎの声は小さかったが顔が真っ赤になっている。ローは彼女が何を言っているかすぐに思い至り、ああそうか、うん、と曖昧な返事をせざるを得なかった。そんなに噛んでいるだろうか、とやや思ったが、確かにスモーカーによく「噛むな」と窘められることが多いと思い出した。
「スモーカーさんって恋人には甘いから」
「……ふうん?」
つまりたしぎはスモーカーの過去の「恋人」を知っている、ということだ。ローは何となく後頭部が痒くなったような気がして、珍しく人前で帽子を外してぼりぼりと掻いていた。
「だから、あなたに話したんじゃないかと思ったんです」
「いや、俺が聞いたのは司書だけどな」
「レイさん?」
「まあ、そうだな、知りたきゃ調べる」
「でしょう? だから調べれば分かる程度までは教えてあげることにしたんです!」
「……光栄だよ」
たしぎの根拠のない胸の張り具合に半ばうんざりしながら答え、そしてローは「スモーカーの小隊だけはローテーションに含まれずに常駐」という部分を無意識に頭に刻み込む。あの小隊の面々を見てから、いまだ理由は分からないながら、あらゆる情報を逃してはいけないような気がしていた。それはスモーカーが関係するからではなく、七武海としての勘だと自分で分析する。あの小隊は――簡単に表現してしまえば、「強い」。
強さにも様々な種類のものがある。能力者のような強さ、人間としての性質の強さ、単純な物理的強さ――そして特定の条件下でのみ発揮される集団の強さ。
彼らは最後の「集団の強さ」ではないかと思った。その強さは厄介だ。一人だけを倒せば良いのではない。それが軍人、軍の怖さだとローは考えていた。海賊同士では滅多にない「完全なる集団戦」を想定し、常に訓練しているのは実は軍人という存在だけなのだ。いくら二年前のような大規模戦を経験したとはいえ、ローに限らず、海賊というものは大規模集団戦の経験が豊富とは言えない。その経験がある軍、その中の「強い小隊」というものがいかなる脅威になるか、ローはおぼろげながらに感じていた。
――……でも二年前、あの頂上の時、あいつらはいたか? ここに常駐って言うならいなかった可能性は高い。でもそれなら、この小隊はいつ使われるんだ?
「あっ」
たしぎが急に足を止めた。ローは見るともなしにたしぎの視線を追う。
「もう――ちょっと待ってて下さい、勝手にどこかに行かないで下さいね!」
早口にローに言い、たしぎは小走りに走り出す。その先には酒に酔った海兵二人が睨み合う光景があった。彼らはこれから大佐に絞られることになる。
こんな小さな島じゃ、とローはすぐに理解した。こんな小さな島に配備されては酒でも飲まなければやっていられないという者もいるだろう。そう、この島は――ローは思う。決して海軍の中で名誉とされる場所ではない。むしろ隔絶された島なのではないか。理由は分からないが、海軍が他の場所のように重要視して作った駐屯地でないことは理解できる。何しろそれほど遠くない場所にG-5があるのだ。ここで改めて小さな島に駐屯地を作った意味、それは隔絶のためではないか。
では何を隔絶するのか。思考を一段階進めようとしたその時だった。
「――何の用だ」
威嚇するつもりはなかったし、むしろそういった声音は極力隠した。目の前に現れた男が病人だと一目で分かったからだ。何しろ病院で着せられるパジャマを着、足は裸足とあれば、健康な人間とはとても思えない。
歳は30程度だろう。身体的な病人ではなく、心に少し重めの病を抱えている、とローは看破した。
「誰だ、あんた」
「トラファルガー・ロー」
「ああ、トラファルガー、――トラファルガー、そうだ、思い出した」
「思い出したか。そいつは良かった」
もちろん初対面だ。だがおそらく長い時間精神のバランスを失っている男に、そんなことを指摘しても無駄だと知っていた。この方面の専門ではないとはいえ、医師として知識はある。
男は焦点の合わない目で、それでもしっかりローを見て目を潤ませる。
「無事だったのか」
「どうだったかな」
「良かった、みんな死んだんだ」
「そうだったっけな」
「そうだとも――みんな、あそこで」
「……そうだったかな」
「みんな死んだ」
男の目から涙がこぼれ落ち、喉からは嗚咽が漏れる。ローは否定も肯定もせず、彼の感情が穏やかになる時間をただ待つことにする。
「でも俺たちは無事だった、良かった」
「そうか」
「俺は前線にいたんだ」
「そうか」
「お前は何をしていた?」
「……ああ、ほら、ドクターだからな」
「そうだ、ドクター、ドク、ありがとう」
「そうか」
男はローの手を取る。ローは握り返す振りをして脈を測り、精神以外には問題がなさそうだと簡易な診断を下した。しかし普段入院しているのなら病院へ戻す方が得策だ。
たしぎが戻る時がいつになるかが分からない。面倒だが自分が病院へ連れて行くか、しかしそんな筋合いもない、どこかにこいつを押しつけられるような海兵がいないか――そう思った時だった。
全身が総毛立つ。一気に体温が上がり、間髪入れずに全ての感覚が研ぎ澄まされた。鬼哭を、と思う前に身体が、精神が動く。いつ手にしたのかすら分からぬほど、空気を切る音が響く速さで鬼哭を抜き、その一撃を受け止めた。止められたと分かった瞬間に潔く引いたのだろう、細身の剣と短刀が一本ずつ、視界の隅で踊る。
――二刀流か。ゾロ屋が見たら鼻で笑いそうな筋だな。
全力である必要はなかったが、だからと言って気を抜くつもりもない。
誰だ、と確認するよりも早く、ローは心を病んだ男を自分の背後にするように一瞬で位置取りをする。同時に空気がしなるような音が鼓膜を揺らした。この音は速さの証明だ、まずい――本能的に察知した瞬間、迷いなくローの中のスイッチが切り替わった。
「――Room」
鬼哭が二撃目を受け止めるのと、ルームの発動はほぼ同時だった。相手との距離は間近だ。効果範囲から逃げられるはずがなかった。相手が誰かなど分からないし、能力者であるかどうかも不明だ。だが自分に剣を向けたのなら能力の発動を躊躇う理由はなかった。
「てめえ」
再び素早く剣を引き、距離を取ろうとする相手を逃がさないため、鬼哭で襲撃者の「背後の」足下に一撃を入れる。後ろへ飛ぼうとしていた襲撃者は予想外の位置に生じた衝撃に転びそうになったが、舌打ちし、諦めたようにバランスを取り、その場に立った。
それから剣と短刀を同時に腰の鞘に収める。慣れ切ったその扱い方に、おそらく一般人の中ではかなり腕が立つ方だろう、とローは思った。
「誰だ、てめえ。病人が一緒なのが分かんねえのか」
「その病人を探しに来たんだよ」
襲撃者――黒髪の男が忌々しいと言わんばかりの声で吐き捨てた。歳の頃はローとほとんど変わらないだろう。
そこでようやくローは襲撃者が海軍の制服を着ていることに気づく。そして溜息をつき、ルームを解除した。
「非戦闘員にしちゃ、剣の使い方を知ってるんだな」
「かの有名なトラファルガー・ロー殿にお褒めに与りまして光栄至極のクソッタレ。――アール、病院から連絡が来たから探してたんだよ。勝手に抜け出したら駄目だよ」
衛生兵だ、とローは看破した。ローに対して口が悪いのは立場的に当然だろう。
制服は海軍のものであり、もちろん軍人であることには偽りがないが、その左腕に白地に赤十字の腕章をつけている。医師や衛生兵が付けるものだが、医師であれば腕章に加えて胸にバッジを付けているはずだ。彼にはそれが見当たらず、衛生兵だと分かった。
「ああ、いや、抜け出してなんかないさ」
アールと呼ばれた男ははっとしたように返事をした。短時間の戦闘は認識能力が追いつかなかったのか、全く動揺した様子はない。
「そう? そういえば天気がいいね、僕と病院まで散歩しよう」
この病人の扱い方は分かっている様子だ。ローはこの男に任せて良いと判断する。元々ローの患者ではないし、病院まで送り届ける義理もなかった。
「散歩――そうだな、散歩、病院、そうだ。ドクターが診てくれた、お前も傷を診てもらえ」
「ドクター――ああ」
男はローを見る。その瞬間、ローは知った。
「そうだね、後で診て頂くよ」
「お前は専門外だ」
知ったと言うより、医師として見抜いたと言った方が正しいだろう。男はしばらくじっとローを見ていた。ローもその目を見返した。
この目の色を、ローは知っていた。なぜこんな目をした男が衛生兵などやっているのか、と思った。彼は衛生兵を――軍人などやってはいけない人間だ。
この男は――ローは思う。
――この男は、きぐるいだ。
やがて男は低い声で、ローに「どきな」と言う。
「アールを連れて帰る」
「お大事に」
医師らしい一言をわざとらしく口にし、ローはアールの前から一歩どく。
「ドクター、ありがとう。後で報告しておくよ。あんたの功績になる」
「ああ、いいさ、気にするなよ」
「そんなこと言わないでくれ、俺はちゃんと報告する」
「そうか、ありがとう」
軍には色々と面倒なことがあるらしい。ローは溜息を堪え、男に早くアールを連れて行くように目で合図をする。男はローに刺々しい視線を向けた後、アールに穏やかな声で「行こう」と声をかけた。それでもアールはローに言った。
「ちゃんと報告するよ。スモやんはちゃんと覚えておいてくれるから、大丈夫だ」
「……白猟屋が?」
男が派手に溜息をついた。アールが少し落ち着くまで待たなければ、という溜息だった。
「10年前で止まってるんだ。被弾して、まだ頭に弾が入ってる」
「10年前――」
まさか。ローは思い出す。思い出すまでもなかった。昨日衝撃を受けたばかりのあの戦いの話としか考えられない。
「知ってるわけ? 部外者は知らないってのが前提なんだけど」
男の口調は険があるどころではなく、心の底からローが嫌いだと教えるものだった。
「知りたいことだったから調べた。まあ、いつか使わせてもらうかもしれねえな」
「ああ、最悪の世代。本当に最悪だ。こんなのが次のスモさんの彼氏だなんて究極まで最悪だ」
「……何だって?」
衛生兵にまで知られていることに流石に驚く。いや、誤解されていること、と言うべきか。
何からどう説明すべきか、そもそも説明する必要があるのかと悩みかけたその時、いつの間にか煙が周囲に充満していたことに気づく。情けないことだがローは安堵し、息を吐いて言った。
「この衛生兵、精神病棟にぶち込んだ方がいいぞ。珍しく心の底から忠告してやる」
「島全体が精神病棟みたいなもんだし、そいつは衛生兵じゃねえ」
漂っていた煙が見慣れた姿に変わって行く。確認するまでもなくスモーカーだ。呆れた顔を隠そうともせず、ローと男を交互に見た。
「誰に喧嘩売ったか分かってんのか、――メア」
思わずローは男を見る。
女の名前だった。そして従軍牧師だと聞いていた。そうだ、白地に赤十字の腕章をしている者は医師か衛生兵のはず。
だがローは知らなかったのだ。
従軍牧師もまた、非戦闘員の証明として同じ腕章をつけなければならないということを。