22時を過ぎ、スモーカーは息を吐く。海楼石の不自由さ、気分の悪さだけは、どれほど経験しても慣れることはできないようだ。今度腹立たしい能力者の海賊を捕まえたら特別サービス、身体中に海楼石を巻き付けてやろう。
椅子に座っている態勢が辛いと感じるほどに全身が怠い。日頃から鍛えている身体は滅多に不調を感じたことがなく、怠いという感覚を味わうことも少ない。それだけに慣れないものであり、今の怠さは耐え難かった。うう、と思わず口から呻きが漏れる。その呻きを聞きつけた見張り役が、目抜き帽からでもはっきり分かるほどに動揺した目を向けた。スモーカーは気付かない振りをし、それよりも今は、怠いという不快感に意識を奪われないように自分をコントロールすることに努める。だが不快感はどうにもならず、また呻きと共に溜息をついた。
「ぐ──具合が悪いのか」
若い声で男が言った。他の男たちはスモーカーの不調に気付かないのか、リーダーと執事のアーリーを中心に何ごとかを話し込んでいる。この若い男は完全に見張り役で、それほど組織で重んじられてはいないようだとスモーカーは思った。
「海楼石をつけられて、こうならねえ能力者がいるんなら教えてくれよ」
「だ、黙ってろ」
男は上ずった声で剣を突き付ける。質問しておきながら勝手なものだと内心で笑いながら、スモーカーはやはり怠さに耐え切れず、同じような息を吐いた。若い男は明らかに動揺し、スモーカーと話し込んでいるリーダーたちを交互に見やる。まだガキなんだ──スモーカーは見抜いた。年齢は若いと分かっていたが、精神的にもまだ幼いと言ってもいい若さだろう。怠さに負けて伏し目になりながら、若い男に気取られないよう、話しているリーダーたちの方へ目を向ける。アーリーが一瞬、横目を向けた。視線が合った。だがアーリーがそれを咎めることはなく、僅かに眉をひそめて咳払いをしてから、再びリーダーと何事かを話し出す。特に問題はないという判断だろう。
首元のタイが苦しい。元々好きなものではない上に、海楼石のせいで体調が悪いとなれば尚更不快感を覚えても仕方ない。緩めたかったが、指を動かすことも億劫だった。
「おい」
若い男に声をかける。男は明らかにびくりと身体を震わせてから、慌てたようにスモーカーに剣を突き付けた。スモーカーは彼の震えを見逃さなかったが、今は億劫でそれどころではなかった。
「黙ってろって──」
「タイを緩めてくれ」
「えっ」
「だから」
怠さに負けて声を荒げないように自分を制したつもりだが、僅かに失敗し、声が揺れた。
「海楼石で苦しいんだ。緩めてくれ」
「でも」
男はすっかり動揺していた。落ち着かなさを取り繕うこともできず、リーダーたちの方に視線をやり、アーリーを中心に話し込んでいる様子を見て、どうしようかと言うようにまたスモーカーを見る。見張りとしちゃ究極までに無能だな、と思いながら、スモーカーはまた息を吐く。
「た──タイでいいのか」
「……いいよ」
口を利くのも怠く、短い返答になった。だがその途端、また男の身体が震えたことに気付く。数秒考え、また溜息をつく。少し熱を籠らせたのは意図的だったと言わざるを得ない。
合図のように男の指がタイに伸びて来る。スモーカーの視界の端でリーダーが振り返る素振りを見せたが、アーリーが何か話しかけ、それはかなわなかった。その間にもたもたと男がタイを緩め、スモーカーの首元に涼しい空気が通った。
「外したぞ」
男の声が上ずっていた。スモーカーは笑いを堪え、相変わらず少し苦しい顔を保ちながら、ありがとう、と言った。目抜き帽でもはっきり分かるほど男は赤面し、いや、別に、と口の中で小さく呟く。
「し、死なれても困るしな」
「そうか」
海楼石の怠さは取れないものの、新鮮な空気を吸ったような気がして、今度は安堵の息を吐いた。ごくり、という、息を呑む音が聞こえたような気がした。
「豆大福ちゃん」
「……何だよ」
「すっごく怖い顔、してるわよ」
「老眼だ、ババア」
「股間が遠くて残念だわ」
「ぎっ」
簡易テーブルの下、ヒナのヒールで足の甲をぐりぐりと踏まれ、靴越しとはいえ激痛に襲われたローは我ながら奇妙な呻きを上げてしまった。これで股間を踏まれていたら本気で泡を吹いていたに違いない。
背後では相変わらずたしぎとG-5がわあわあと実のない意見を言い合い、レイが何度も軌道修正をしている。
そしてヒナのバッグの中の電伝虫は、スモーカーと周囲の声を淡々と二人に伝えていた。ローがとてもではないが冷静ではいられない、そんな状況が漏れ聞こえて来る。聞こえて来る男の声は明らかに上ずり、スモーカーに対して少々ならずの欲を持つか、その前段階である状態であることは明らかだ。対してスモーカーは海楼石で身動きが取れない。ローの顔が強張るのは、誰が聞いても仕方ないと言うだろう。
だがヒナは新しい煙草を咥えて溜息を誤魔化した。スモーカーくんったら、と思ったのだ。──スモーカーくんったら、結局は下準備してあげちゃってるんだから。
「仕事馬鹿なんて彼氏にするもんじゃないわね。ヒナ納得」
「ああ?」
激痛からは立ち直ったものの、不機嫌な顔と声のまま、ローの眉が跳ね上がる。ヒナは涼しい顔で「可愛くないわね」と言った。
「可愛いなんて言われて喜ぶ男がいるか」
「スモーカーくんに言われたら嬉しいくせに」
「嬉しかねえよ!」
思わず声を荒げたが、たちまち赤くなった顔がすべてを物語っている。ローの声にレイが驚いて振り返ったが、たしぎや他のG-5の面々は気付きもせず、まだ喧々囂々と大騒ぎだ。いつの間にかオルトンやダドリーも巻き込まれているらしく、G-5の迫力に飲まれているのか、たまに彼らの弱々しい相槌が聞こえて来た。ヒナは溜息を押し殺し、レイに向かって肩を竦めた。レイも苦笑いをして、またG-5たちの世界へ戻る。
「それより」
赤面を何とか収め、ローが口を開いた。
「あいつら、どうするつもりなんだ」
たしぎとG-5のことだ。ヒナは今度はローに向かって肩を竦めることになった。
「どうにかするでしょ」
「いざとなったら?」
「いざ、って?」
「だから」
分かっているくせに忌々しい、と言わんばかりに息を吐き、ローは粗末な椅子の背もたれに深く身体を預ける。ぎしりという物騒な音がした。
「白猟屋がのっぴきならない状態になったら、ってことだ」
「のっぴきならない」
「ああ」
「若いのに随分こなれた表現ね、ヒナ意外」
「いちいちうるせえよ」
ローはまた不機嫌になる。簡易テーブルの上に置いてあるヒナのクラッチバッグを覗き込み、たまにぼそぼそと喋る電伝虫を高速でつつき倒したのは八つ当たりだ。その電伝虫が不意に声を出した。
『何時だ?』
答えたのはおそらくスモーカーを監視している男だろう。やはり声は上ずっていた。
『もう、もうすぐ、22時半になる』
『そうか』
『それがどうした』
『日付が変わるまでに帰りたかったんだが、難しそうだ』
溜息混じりの声は、スモーカーにしては真剣に気落ちしているように聞こえた。ローはつい、うう、と自分まで気落ちしてしまいそうになる。自分の前ではいつも余裕で、大人の態度を見せるスモーカーが、まさかこんな声を出すとは。あまり聞きたいものでもなかった。そしてスモーカーが「今日」を意識していることも、ローにとっては気落ちするもう一つの理由になった。
──俺のことなんか気にしてんじゃねえよ。気にしてんなら最初から人質になるんじゃねえ、ばかやろう。
それでもそこで一人、人質として残ってしまうのがスモーカーだ。そんなことは理解している。でも、でも──ぐるぐるとした思考の渦に囚われ、少しばかり現実を離れる。これはもう、ローにっては癖のようなものだった。どんなことにでもこうなるわけではなく、スモーカーが関わった時だけはどうしてもこうなってしまう。
ヒナは溜息をついた。ローに気付かれてもおかしくない程度には深い溜息だったのだが、ローは気付かない。その様子に頭痛を覚えてしまう。何なの、と思った。──何なのよ、この子。ほんっとにただの恋愛馬鹿じゃないの。ほんっとにもう、本当に──
「……スモーカーくんが可愛がるわけだわ。ヒナ納得」
「──ああ、何?」
ローがはっとして現実に戻る。ヒナの言葉はよく聞こえていなかったのか、それに対する反応はなかった。こんな坊やに海軍が右往左往するなんて納得がいかない、とヒナは苦々しい。少し意地悪をしてやりたくなった。
「思い出していたのよ」
「何を──こういう事件?」
「海軍中将が進んで人質になるなんて事件、滅多にあるもんですか。──スモーカーくんの恋愛遍歴よ」
わざとらしいほどにさらりと言い、煙草を咥えて火を点ける。手持ち無沙汰な今、どうにも本数が増えてしまうような気がした。明日の肌の調子は最悪だろう。
「恋愛遍歴」
「彼が16歳の頃からの付き合いだから、ほぼ全部知ってるわ」
「あっそう」
「そうよ。聞きたい?」
「どうでもいい」
それきりローは黙る。あらら、とヒナはやや面くらった。てっきり「関係ねえよ」と顔を真っ赤にして食って掛かって来ると思っていたからだ。予想に反し、しかも悪い方に反し、ローは明らかに──これはヒナが年上だからそう見えたのかもしれない──拗ねた顔をしていた。
「暇潰しの戯言よ」
「あっそう」
「冗談よ」
「どうでもいい」
取り付く島もない。ヒナは肩を竦めてみせることによって自分の過ちを認め、ローの機嫌が直る時を待つことにした。それほど長い時間でもないだろう、と予測する。いくら子供のような拗ね方であっても、本来は卓抜した頭脳を胆力を持つ海賊だ。そのうちに現実への対処の必要性を思い出すだろう。
そしてその予想は当たっていて、しばらく経った後、ローはちらりとたしぎたちに視線をやった。相変わらず大騒ぎだが、オルトンとダドリーが会場、つまり自宅の間取りをたしぎに説明していることが分かる。ようやくその段階か、とローは呆れ、ヒナはつい眉間に皺を寄せて煙草の煙を吐き出した。その顔が小気味良く、ローは小さく笑う。腹は立つけど機嫌は直ったわね、とヒナは判断した。
「豆大福ちゃん」
「何だよ、ババア」
「理解してるとは思うんだけど、念のために言っておいていいかしら」
「嫌だって言ったら言わねえのか」
「念のために言っておくわ」
「ご勝手に」
椅子に深く腰掛け直し、ローは長い脚を組む。
「日付が変わったら」
「ああ」
「私が指揮を執る」
「俺が知るかよ」
ただ、とローは鼻で笑った。
「ただ、──あいつは大ショックだろうな」
「仕方ないのよ。こんな案件、日付が変わるまで引っ張るもんじゃないわ」
「海軍のエマージェンシーレベルなんざ知らねえから、感想は差し控えておく」
「そうしておいて。──それで、あなたに言っておきたいことは」
声を落とし、たしぎたちに視線だけを送りながら言った。
「いざという時はお願いするわ。合図をするから」
「何を?」
「スモーカーくんをシャンブルズで移動させて頂戴。海楼石にだけ気を付けて」
暫し沈黙が降りる。たしぎとG-5たちの騒ぎとオルトン父子が必死で説明する声、たまに取りまとめるレイの声が響く中、二人は静かに視線を交わし合った。
「海賊に依頼するのか」
「あなたはどうしてここにいるの?」
「──何だって?」
「レイ少尉」
ヒナが不意に、騒ぎの方向──この事件の本部だ──に声をかける。途端に理解したローは「やられた」と真剣に唸り、帽子を顔に当てて椅子に沈み込む。同時にレイが振り返った気配があった。
「御用で、お嬢」
この男の軽口はローもよく知っている。七武海である自分のことすら恐れず、堂々と舐めた口を利いてくる男だ。古参の兵士にはたまにいるタイプだった。
「ドクターが診て下さるっておっしゃってるから、ちょっとこちらへおいでなさい」
「イエス、レディ」
ちょっと抜けるよ、とたしぎに言い置き、レイは車椅子を器用に操ってローとヒナの方へやって来る。たしぎは少し不安そうにヒナを見たが、反応がないと分かってまたG-5とオルトン父子とのミーティングに意識を向ける。ローはヒナが一切たしぎに視線をやらなかったことに気付いた。
「よう、ドクター。調子なら悪くないんだが」
「見るからに快調だな。──俺がここにいる理由を思い出させてくれてありがとう、とでも言えばいいのか」
「あなたがお礼なんてとんでもないわ。日付を超えたら私たちに協力して頂く予定にありがとう、ドクター」
「クソッタレ」
つまり、ヒナは海賊としてのローに用事はないと言いたいのだ。ドクターとしてここにいるのだから、海軍が依頼をしたとしても何ら問題はない。
「別に本当に診察しろってわけじゃないわ。──レイ」
言いながらヒナはクラッチバッグの中の電伝虫をレイに見せる。ほどなくして事情を理解したレイは苦笑し、怖ェよなあ、とローに向かって笑ってみせた。
「これを大佐ちゃんに言わねえんだろ? ほんと、鬼みてえなマァム(女性将校)だよな」
「管轄が違うとか何とか。俺には分からねえよ」
「言えば一発解決だ」
「言いたいかしら、レイ?」
「お嬢が言わねえなら言えるはずがねえよ」
レイの声は小さい。たしぎたちに聞かせないようにしているのは明白で、本当に軍隊っていうものは面倒なんだな、とローは思った。
なぜレイに電伝虫がスモーカーと繋がっていることを教えたのか、ローはそちらの方が疑問だった。だが自分から問おうとは思わなかった。訊けばおそらくヒナは答えるだろう。だが、レイはたったこれだけのやり取りで、おそらくなぜ自分に教えられたのかを理解している。つまりは「軍の中である程度の経験があれば」分かることなのだ。
俺は軍人じゃねえ。そう思った。だから詳細に知ろうとは思わなかったし、知りたくなかった。
その時、電伝虫がぼそりと声を漏らした。若い男の声だ。
『苦しいなら、少し前を開けてやろうか』
私、伊達に中将まで出世したわけじゃないわね。ヒナは思った。
俺、伊達に戦傷兵になったわけじゃねえな。レイは思った。
並の人間なら腰を抜かしていたかもしれない。
それほどまでの殺気を、ローが一瞬で発し、一瞬で収めたからだった。
「いや、必要ねえ」
スモーカーはその申し出を断った。確かに具合が良いとはとても言えないが、この若い男と必要以上の接触を持つ必要なはない。──少なくとも、まだその必要はない。
「前を開けても同じだ。海楼石のせいだからな」
「それは外せない。我慢しろ」
「……分かってるよ」
返答の声は低かった。言いながら、スモーカーは怠い身体の感覚の中、思考能力を保つために努力する。とはいえ、それほど努力する必要もなかった。確かに酷い体調だが、意識を完全に遊離させるほどではない。触れている面積が少ないのだ、と、アーリーに海楼石をつけられた時から分かっていた。
だがそれでも怠さは酷いもので、また呻いてしまった。若い男が剣を床に置き、開けるぞ、と言ってからスモーカーのワイシャツのボタンを引きちぎるように外して行く。
「開ければ少しは違うだろう。どうだ?」
またすぐに剣を持ち、素早く周囲を見回す。どこか怯えている様子だった。仲間に咎められないかという心配だ。だが仲間たちはそれぞれの見張りの持ち場があり、たまにちらりとスモーカーと若い男に視線を寄越す程度だった。
「誰も見てねえよ」
スモーカーが言うと、若い男はぎょっとして身体を震わせ、剣を握る力を強くした。スモーカーは笑いそうになる自分を抑え、ありがとう、と囁くように言った。いや、と男は小さく答え、ふいとそっぽを向く。だが何かを我慢しているのか、そして我慢しきれないのか、ちらちらとたまにスモーカーに視線を寄越す。
スモーカーは不意に言った。
「同じだ」
「──何だ?」
男はもう、スモーカーが自発的に喋っても止めようとはしなかった。
「目の色」
「何だ?」
「お前の目」
「……だ、だから何なんだ」
アーリー以外のメンバーが身に付けているのは目抜き帽だ。瞳の色だけは分かる。見張り役の若い男の瞳の色は薄い茶色で、それほど珍しいものでもなかったが、スモーカーはもう一度、同じだ、と言った。
「同期と同じ色なんだ。会いたくなった」
「会ってないのか」
「随分長いこと会ってねえよ」
「解放された会いに行けばいい。──海軍が交渉に応じれば、あんたには何もしない」
その瞬間、ヒナとレイは視線を交わし合い、ローは軍人としての二人の顔を眺めていた。忌々しい顔だが悪い顔でもない、と思った。
そして自分でも思考する。電伝虫は忠実に現場を再現している。こんな電伝虫の使い方もあるのかと感心しつつ、様々な言葉を頭の中で反芻していた。
自発的にスモーカーの衣服を開けた(らしい)こと、スモーカーの雑談に応じるようになったこと、呼びかけが「あんた」という、「お前」よりも近しい、そしておそらく年齢差に相応の呼称に変わったこと。
結論──見張り役の男はスモーカーに対して態度が軟化している。
ヒナとレイは今度は違った意味で視線を交わし合う。死の外科医の機嫌の悪さと言ったら尋常ではない。理由は簡単だ。見張り役の男の態度が軟化した原因、それが余りにも見え透いているからだった。
そういえば。ヒナは表情を変えないように努力しながら思った。
──そういえばスモーカーくん、得意だったわ。自分に気がある年下の男の子を見抜くのが。
ちらりとローを見る。
おそらく本人は気付いていないだろうが、見るだけで人を殺せるような目付きになっていた。
「豆大福ちゃん」
「考え中だ、話しかけんな」
地を這うように低い、低い声だった。
「ごめんあそばせ」
「こちらこそ」
ローの声はどこまでも低い。
そのやり取りに、おお怖い、とレイが大袈裟に身を震わせた。
「まだ会わなくていい」
「どうしてだ」
若い男の問いは素直なもので、純粋にこの会話を続けたいという意思が見える。スモーカーは怠さを堪えながら答えた。
「死んだ」
「……そうか」
どう言えばいいのか分からないというように、男はくぐもった声でそれだけを言った。スモーカーは続ける。
「お前と同じくらいの歳だった。懐かしいよ」
「死んだ歳が?」
「そうだな。何歳だ?」
「……25、だ」
「同じだ。ひどいもんだ」
若い男は黙った。スモーカーに背を向け、周囲を窺う。誰も会話に気付いていないと判断し、またスモーカーを見た。
「何がひどいんだ」
「死んだ同期と同じ歳で、目の色が同じで──こんな時に思い出すのは辛い」
「辛い?」
「ひどい死に方だった」
それきりスモーカーは黙った。男も黙った。明らかに動揺し、周囲を落ち着きなく見まわす回数が増える。スモーカーは時計を見る。
22時45分。
ひどいもんだ、と声に出さずに呟いた。ひどいもんだ──たしぎ、遅い。
「海軍本部との連絡は」
「まだ取れねえ。通信兵が応答しねえ」
たしぎは溜息を押し殺す。協力してくれている民間人のオルトン父子の手前、大きな溜息をつくことは憚られた。時間は22時45分、歯軋りをしたくなった。分かっている。──時間がかかりすぎている。この間にもスモーカーがどうなっているか分からない。武装勢力の多くは海軍に恨みを持っているし、スモーカーは良くも悪くも上級将校だ。どんな目に遭わされるか分かったものではなかった。
「コールを続けて下さい」
「分かった」
「オルトンさん、ご協力ありがとうございます。家の間取りはこれで完全ですね? 他に隠れられそうな場所は?」
「ありません。これで全部説明しました」
簡易に描かれた屋敷内の間取り図を改めて見て、オルトンは頷く。たしぎも頷いた。これを元に武装勢力が配置されていそうな場所を把握し、方針を完全に決定しなければならない。それでもここまでに時間がかかりすぎている。たしぎは始めから正面からの突入の方針を考えていたが、レイが遠回しに「間取りを完全に把握しておくべきだ」と言い、それもそうだとようやく思い至った。どこに武装勢力が隠れているか分からない。G-5の面々がそのせいで無駄な負傷を負う可能性がある。
──スモーカーさんだったら、きっともう解決してる。そりゃああの能力があるからだけど、でもきっと能力が使えなくても──わたしよりずっと早く、もう色んな手配をしてる。
ふう、と息を吐いた。落ち込むな。今はそんな時間じゃない。そう考えるしかない。そしてどこかで、わたしはまだ失敗していない、と思えた。
ヒナが口を出さないからだ。
本当に危なくなった時、ヒナが何もしないはずがなかった。
──わたし、甘えてる。
分かっている。甘えている。誰かがいるから、いてくれるから、助けてもらえるから──それを無意識で期待している自分がいることが分かった。これがわたしの悪いところだ。だからスモーカーさんはいつまでも、わたしを一人前だと認めてくれない。
今度こそ、今日こそ、と思った。
──今日こそ、何とかしてみせる。よくやった、って褒めて欲しい。
「もう一度、お聞きします。絶対に、隠れられそうな場所はありませんね?」
オルトンが再度「ない」と言えば、次は突入についての計画を緊急で立てなければならない。海軍本部と連絡がつかない以上、全ての決定権はたしぎにある。武装勢力と交渉するより、海楼石をつけられたスモーカーの健康を考えることが第一だった。あまりにも長い時間海楼石をつけられていては、どんな悪影響が出るか分からない。
「ええ、他に──」
「あ!」
不意に叫んだのはダドリーだった。一同は一斉にダドリーを見る。ローたちも思わず視線をやった。全ての視線が集中したと知ったダドリーは身を震わせ、弱々しい声で、それでもはっきりと言った。
「あると、思います──」
そしてダドリーは見た。見てしまった。
はっきり言え。
今にもお前を殺してやるぞと言わんばかりの目でそう語る、死の外科医を。
「あ──ありますう!」
ダドリーが半泣きになった理由を知るのは、ローの視線に気付いていたヒナとレイだけで、そして二人は大いにダドリーに同情したのだった。