CHOCOLATE PHILOSOPHY 02



「つまりそういうことね」
「あっそ」
「冷たいわね」
「俺関係ねえし」
「そうね、ヒナ納得」
パーティから抜け出して来た姿のまま、ヒナは煙草に火を点ける。有害な煙を存分に吐きだしてから、苦々しい顔で正面に座っているローを見る。その後ろではたしぎがG-5の面々を集め、わあわあと議論をしていた。ローの顔が苦々しいのは、ここが現場から少し離れた場所にある簡易本部の幕営であり、なぜかたしぎに無理矢理連れて来られたからだ。
「スモーカーくんが心配なんでしょ?」
「アホ抜かせ」
「あら、違うの? じゃあ何でここにいるのよ、ヒナ疑問」
「無理に──」
「連れて来られたって言っても、本当に来たくないなら逃げられるじゃない、キミの能力で」
「G-5は卑怯だ」
「ええ?」
「俺に司書の診察をしろって。忙しいからこっちでやれって」
ローは怒るに怒れず、それでも憤懣やるかたないという顔で、背後のたしぎたちを示してみせる。そこに車椅子の男を見つけたヒナは、なるほどねえ、といささかローに同情した。車椅子の男はヒナの視線に気付き、器用に片目を瞑ってみせる。ヒナは軽く肩を竦めた。レイ少佐というその男はG-5駐屯地の施設管理人で、元はスモーカーとヒナの同期だった。
「そう言えば、キミ、ドクターだったわね」
「何で俺が、畜生」
「診なきゃいいじゃない。軍医だって、解放された人たちの診察が終われば手が空くわよ」
「前に一回診てんだよ!」
「ふうん」
普段明晰なローにしては足りない説明で、ヒナは十割理解したというわけではなかったが、これ以上つつけば本当に怒りだしそうだと看破し、やめておくことにした。ヒナが予想するに、以前一度診察をしているので自分の患者であり、その患者がまた診察をして欲しいのであれば、断ることができないということなのだろう。それでも断る理由などいくらでもあるのに──ヒナは自分の思考をそこで止めておく。七武海であり同期の恋人であるローをからかうのはとても楽しいが、ドクターであるローをからかってはいけないと分かっていた。
「今どういう状況かって言うと、ヒナ説明」
「俺に言うなよ」
「たしぎには言ったんだけど、暇なのよ。ちょっと付き合いなさいよ」
「うるせえババアだ」
言いながらヒナのクラッチバッグを奪い、中から勝手に引っ張り出した煙草を口に咥えて火を点ける。
「勝手に取らないで、行儀が悪い」
「もらった」
「ありがとうは?」
「賜りに感謝申し上げます」
「心のこもらないお礼だこと」
「で、何なんだよ」
背後は相変わらず大騒ぎだ。たしぎが何とか話をまとめようとしているが、G-5の面々がああだこうだと──半分以上はスモーカーを心配する声ばかりだった──口々に喚いている。たまにレイがこれはこうだな、こうなんだな、とたしぎに確認して、ようやく話が進む始末だ。司書はいい仕事をしている、とローは思った。たしぎは優しすぎる上にまだ若く、G-5の面々の言葉にいちいち耳を傾けてしまい、そして切り捨てるべき選択がまだできないのだ。だからレイのように、経験を積んだ人間が口を出さなければならなかった。
「突入の直前には気が付いてたのよ」
「誰が」
「スモーカーくんと私」
「ふうん」
「でもあの状況じゃ他の人たちもいるし、規模も分からなかったし、その状態で能力を使うのもちょっとね」
「ふうん」
「ちょっと」
煙草の灰を床に落とすという不作法に眉をひそめ、ヒナは手元の携帯灰皿を投げつける。ローは自分に非があると認め、受け取っておいた。
「しかも内通者がいたわけ。事前に潜り込ませていたみたいね」
「使用人か誰かか?」
「執事」

会場の灯りが戻り、人々が目にしたのは、武装した男たちだけではなかった。執事のアーリーにナイフを首元に恭しく当てられたオルトンだった。そして武装グループは反政府組織としての自分たちの主張を声高に吠え始め──それをあっさり遮ったのがスモーカーだったのだ。

面倒くせえから俺が人質になってやる、他は解放しろ。
中将が人質になってるってんなら流石に海軍本部も動くから。

「……マジかよ」
「彼らしいと言えば彼らしいわね。ヒナ納得」
「そんなん、あいつ一人で片付けられるじゃねえか」
「そうなんだけど、片付ける間に怪我人が出たらどうするの」
「仕方ねえだろ、気にしすぎたら動けねえ」
「そこが海賊の考え方なのよ。私たちはそうもいかないの、守るべきは一般市民だから。だから能力があっても動けないことがあるのよ」
ローはしばらく黙り、ヒナの言葉の意味を考えていたが、やがて煙草を深く吸って煙を吐き出し、携帯灰皿の中に押し込んだ。
「悪かったよ」
それはとても小さな声で、背後のたしぎたちの声にかき消されそうなほどだった。だからヒナは聞こえない振りをしてやることにした。
「ま、そういうわけで彼が残ったの」
「お前だって中将だろう。何で残らなかった」
「何で残らなきゃいけないのよ。スモーカーくんの管轄の島でそんなことしたら、私がスモーカーくんの顔に泥を塗ったことになるじゃないの」
「──面倒くせえなあ、公僕は!」
「まあ、実際は私も残れって脅されたんだけどね。でもスモーカーくんが」

そいつは駄目だ、妊娠してる。

「……は?」
ローは自分でも間抜けな声だと自覚しつつも、まじまじと、おそらくヒナという女を知ってから初めてここまでまじまじと見たのではないかと言うほどに、本気でまじまじと見つめてしまった。ヒナは涼しい顔をして手の中の煙草を弄んでいる。
妊娠している。それはめでたいことだ。女性ならではの幸福だと思う人も多いだろう。問題は、とローは思う。問題は相手だ。黒檻のヒナが結婚しているという話を聞いたことがないし、恋人がいるという話も聞いたことがないし、むしろ下品な噂では同期の男──この時ばかりはローが考えたくない名前の男──がそういう存在なのではないかと言われていて──
「この話はやめましょ、耐えられないわ」
ヒナが本気で溜息をついた。ローは「はあ」と更に間抜けな返事をしてしまう。そして苦々しくヒナは言った。
「嘘よ。スモーカーくんももうちょっと気の利いたこと言えばいいのにって思いそうだけど、それくらい言わないと、ああいう連中は軍人に対して引かないものなのよ」
「……はあ」
「だからね、マニュアルみたいなものなの。本当に妊娠してたら煙草なんか吸わないし、パーティでお酒も飲まないわよ」
「……あ、そう」
「そうよ」
酒に関しては何よりも、裏切り者の執事のアーリーが証明した。「ほとんど酒を飲んでない。嘘じゃなさそうだ」と仲間たちに言ったのだ。武装グループも手を引かざるを得なかった。女子供にも容赦しない残虐な組織であればどうなったかは分からないが、大抵の反政府組織は上辺だけでも人道を尊重するものだ。今回のグループもそうだったのだろう。
「ゴメンね」
「……別に、俺に謝らなくても」
「死にそうな顔してたから。スモーカーくんがお父さんになる予定はないから大丈夫よ、少なくとも私の知る限りではね」
「……だから、別に」
「着地点が必要なら右手をお上げなさい」
「……うん」
恐ろしく素直にローは小さく挙手をした。明らかに取り乱した姿を見られて悔しくて仕方ないが、今回ばかりはヒナの意地悪ではないと分かっていたので、この話を終わりにするために言うことに従った。ヒナはもう一度「ゴメンね」と、こちらも素直に謝罪の意を示したのだった。
「じゃあ、白猟屋は一人なのか」
「そうね。もちろん海楼石つき」
「用意がいい連中だ。正体は?」
「知らないわよ。管轄じゃないもの」
公僕は面倒くせえ、とローはまた思う。
「ふうん」
「調べたら?」
「俺には関係ねえよ」
「恋人でしょうに」
「お前はどうなんだよ。あいつより指揮には慣れてるだろ」
「たしぎ?」
「そう」
ヒナは新しい煙草を咥え、くい、と顎を上げる。ローが溜息をついて火を点けてやると、深く吸い、思いきりローに向かって煙を吐きだした。
「私の管轄じゃないし、私の部下じゃないわ。ヒナ無関係」
「げほっ──ふざけんな、ババア!」
吹きかけられた煙で軽く噎せて怒りながら、公僕は本当に面倒くせえな、とローはつくづくうんざりした。
幕営の入り口が騒がしくなる。軍医に健康に問題がないと判断されたオルトンとダドリーがやって来たのだ。たちまち気色ばむ部下たちを必死で抑えながら、たしぎが二人を幕営内に招き入れた。パーティの責任者とその息子に事情聴取をするのは当然だ。
「たしぎ大佐です。このたびはご協力に感謝します」
「オルトンです。ご協力できることは何でも──他に解放された人たちもそのつもりで、皆待っております」
ダドリーがふとローを見、そして「トラファルガー・ローだ!」と文字通り飛び上がり、海軍の中に七武海がいるという異常事態に慣れ切っていた周囲を驚かせた。
俺も慣れ過ぎてた、とローは自分を戒め、無意識に少しばかり気取った顔を作る。気付いたヒナに「若いわね」と思われたことは無論知らなかった。




何度経験しても心地よいものではない。手首につけられた海楼石の倦怠感を疎ましく思いつつ、スモーカーはゲストチェアに座り込んでいた。立食形式のパーティとはいえ、多少は椅子があったことが幸いと言えば幸いだった。床に寝転がるよりは余程いい。
つい先ほどまで慇懃無礼な執事を務めていたアーリーは、おそらくリーダーであろう男と話をしている。スモーカーは気怠い身体と意識の中、武装グループに占領されたホールを観察した。
目視で分かる人数はおよそ15人、全員素顔が分からないように目抜き帽を被り、剣や棍棒を手にしている。中には銃を持っている者もいた。スモーカー自身の前には一人、監視のために剣を携えて立っている。顔は分からないが、身体つきや所作からして、おそらく20代前半の青年だろうと予想した。気怠さから来る溜息をつき、「おい」と声をかける。男は緊張を隠そうとして失敗し、やや裏返った声で「何だ」と答えた。
「全員解放したのか」
「お前には関係ない」
「ある。俺の責任だ」
「黙ってろ」
男はスモーカーの鼻先に剣を突き付け、一方的な暴力で海軍中将を黙らせることに成功した。スモーカーはまた溜息をつき、深く背もたれに寄りかかる。立食パーティに休憩用の椅子ではとても快適とは言い難かった。今度海賊を捕らえることがあったら、この上なく不快な椅子に座らせてやろうと心に決めた。
「スモーカー中将、初めまして。一応このグループのリーダーだ」
「どうも」
アーリーと話し終えた男が目の前に立ち、白々しく握手を求める。無論スモーカーは反応できないし、するつもりもなかった。
「これから海軍本部と連絡を取る予定だ。我々の目的は同志の──の釈放と──」
リーダーが勝手に話を始める。どうでもいい、とスモーカーは思った。どんな目的があれど、世界が正道と定める道から外れた行いをしている外道に過ぎない。スモーカーの立場としては受け入れるべき存在ではなかったし、このような状況であれ、おもねる存在でもなかった。
「アーリーが実にいい働きをしたと思わないか? 海軍崩れも金には弱いんだな」
「いくら積んだ」
「企業秘密だよ」
「いくら積まれた」
今度はアーリーに視線を向けて言う。リーダーの男は不愉快そうな息を吐き、アーリーが少し笑ってみせた。
「海軍の給料よりは良かった」
「福利厚生考えろ、阿呆が」
「確かにな」
言いながらアーリーはスモーカーに近づき、上着の中に手を突っ込む。傍から見れば胸を掴んだような光景だったが、しばらくそこで蠢いてから引き出された手には、よく眠り込んだ電伝虫が掴まれていた。
「タキシードに内ポケットなんてね。よくやるもんだ。普通はやらないよ」
「よく分かったもんだ」
「一応執事が本業だから、それくらいの知識はある」
「よく気が付いてくれた、アーリー」
リーダーの男が電伝虫を奪い取る。スモーカーは不自由な中でも肩を僅かに竦めてみせた。
「これで、俺がヒナと通話する方法はなくなったってわけだ」
「ま、どちらにせよ、あんたは動けないわけだ。念のために他も調べさせてもらう」
アーリーが手早くスモーカーのボディチェックをした。リーダーも監視役の若い男も、そしてフロアにいる者たちが全員見守る中、軍隊経験者ならではの手際の良さでチェックが終わる。
「問題ない。後は尻の穴くらいだろ」
アーリーが宣言し、武装グループはほぼ全員がどっと笑った。笑われたはずのスモーカーは込み上げる嘲笑を隠した。彼らの笑いが緊張を隠すためのものだと、経験上からよく知っていた。
ホールの壁にかかっている豪奢な壁時計に目をやる。21時半を回っていた。そしてローを思いだした。日が変わるまでに帰ると言って待たせている恋人を。
海楼石の影響か、少し意識に霞がかかりそうになっている。早くしろよ、と思った。
──早くしろよ。やることは散々教えてあるんだ、きちんとやってみろ。


たしぎがオルトンから事情聴取を続けている。
「それで、スモーカーさんが──全員解放するまでは海楼石をつけるなと、一人でも怪我をさせたらご破算だと」
「では、あなたが会場を出るまでは、スモーカーさんはまだ自由だったんですね?」
「アーリーが武器を突き付けてはいましたが、海楼石はつけられていなかったと思います」
「何でそこでお前はスモやんを捨てて逃げて来たんだよ!」
「お前らは口を出すな」
状況を考えずにスモーカーへの思慕を爆発させるG-5の男たちを、レイが呆れ返りながらも止める。それでもわあわあと大騒ぎで、事情聴取は中々進まなった。静かにして下さいとたしぎがいくら言っても静まらない。
ローはすることもなく、ヒナの煙草をまた勝手に吸っていた。煙草を吸うことは滅多にないが、手持ち無沙汰を埋めるにはちょうどいいという気分だ。ヒナはもう咎める気もなく、G-5の男がでれでれとしながら淹れた茶に「ぬるいわ、苦いわ」と文句をつけることに励んでいた。要は暇なのだ。立場的にはヒナが指揮を執ってもおかしくはないものの、今のところはそうするつもりもない。ここはスモーカーの管轄の島であり、その直属の部下、しかも大佐という高位のたしぎがいるのだから当然だった。
視線を感じ、ローはそちらを見る。父親の隣に座っていたダドリーと目が合った。有名な海賊をこっそり見ていたつもりだったひ弱な少年はまた飛び上がり、慌てて目を逸らして、その先にあったヒナの見事なバストラインに釘付けになりそうな自分を制するかのように、今度はあたふたと座る向きを変える。
「何だ、あのガキ」
「オルトンの息子のダドリー。スモーカーくんに憧れてる数学が得意な男の子」
「ふうん」
もう一本煙草を吸いたくなったような気がして、ヒナのクラッチバッグに手を伸ばす。バッグを開け、ん、と僅かに眉をひそめた。ヒナがその様子に気付き、ちらりと視線を送って来る。
「どうしたの」
「こいつ」
煙草を咥えながらバッグの中身をヒナに示す。
「あら」
そこにいたのは電伝虫だ。最初からバッグの中にいたのだが、今の今まで反応を示してはいなかった。それが今は反応し、喋りはしないものの、目を開き、確かに繋がっていることを示している。
「……どうしようかしらねえ?」
「……あれだろ?」
ローは大騒ぎのたしぎたちを見る。ヒナも見る。そして同時に溜息をついた。
「あっちにいる電伝虫が、下手にこっちの騒ぎを再現しても困るわ」
「放っとくか」
「たしぎが気が付いたらでいいわよ」
「気が付くか、あの様子で」
「気が付かなかったらそれまででしょ」
ヒナの口調は決して冷たいものではなかったが、突き放す色があったのは確かだった。なるほど、とローは先ほどのヒナの言葉を思い出す。私の管轄じゃない。私の部下じゃない。──海軍とはそういうものなのだろう。
「それにしても、いつ繋がったんだ。さっきは寝てたはずだ」
「本当にね」
よく手入れされ、爪に美しいボルドーが載った白い指先が、バッグの中の電伝虫をつつく。電伝虫は嫌そうな顔をしたものの、何も喋らず、じっと我慢しているようだった。その顔は二人にとってとても見慣れたものだ。
ローは煙を長く吸い込む。懐中時計を見ると21時半だ。バッグに手を入れ、電伝虫を持ち上げると、ぶう、とわざと子供の悪戯じみた音を立てて煙を吹きかけてやった。
煙を嫌がり、スモーカーの顔をした電伝虫が身をよじった。