温泉旅行に愛を込めて 02

「美味い。沁みる」
「オッサンくさい」
「この美味さの前ならオッサンでいい」
 日本食が好きでよかった。食前酒として出された梅酒を手に、キリコはしみじみ思った。多文化を受け入れられる自分の味覚の有能さに自画自賛だ。ホテル内の個室料亭で提供される会席膳は味覚から疲労を癒してくれる。
「美味しい!」
 BJも先付の湯葉刺しや木の芽の味噌和えに可愛らしく上機嫌な顔を見せ、キリコを視覚で喜ばせる。今更ながら浴衣姿が可愛いとキリコに言われると、馬鹿じゃないの、と言いながらしっかり嬉しそうだった。
 品良くライトアップされた中庭から入り込む空気が夜の清冽さを増し、アルコールで火照る肌に心地良い。米酒は少し甘めで料理によく合った。次々と提供される料理は見た目も味も申し分なく、二人が食べる速度に合わせた提供で心行くまで楽しませてくれた。
 仕事の話は特にしない。取り敢えず直近のスケジュールを確認し合ってから別の話になる。他愛もない日常の話ばかりだ。酒が入ったBJはよく笑い、笑うBJを見てキリコは笑う。
「可愛い、美味しそう」
「俺はいい、おまえが食べろよ」
「ありがと」
 苺の水菓子はBJがキリコの分まで食べた。地元の苺を使っていると言うムースは可愛らしく、ピノコにも食べさせてあげたいな、苺もムースも大好きだから、とBJが呟くほど美味しかった。ユリも苺が好きだと思い出したキリコは、食後の茶を出しに来た仲居に苺を使った土産はないかと問う。仲居はすぐに物産スペースで取り扱ういくつかの名産品を教えてくれた。
「明日、帰る前に見に行こうよ。苺のパイなんてピノコもユリさんも絶対好きだから買わなきゃ」
「おまえが抜けてる」
「それは当然。あと、とちもちも買って帰る」
「随分気に入ったな」
 買い足して部屋で食べていた形跡を見た時には驚いたものだ。土産物は普通帰ってから食べるんじゃないかと言ったら、食べたい時が食べる時だと胸を張られた。
「うん。あの釈然としない食感にやられたかも」
「確かに釈然としなかった。あれはユリとお嬢ちゃんの感想が楽しみだ」
「うーん、ピノコは好きじゃないかもなあ」
 食事を終えて料亭を出、このまま部屋に帰るのもつまらないと言う意見が一致する。館内施設を見て歩くことにした。幅広い年齢層に向けたホテルならではの施設充実度は、一日館内にいても退屈せずに済みそうだった。
「大浴場は行かなくていいや」
「広いのに。一緒に入れないのは残念だが」
「うるさい、エロ死神。小さい子がわたしの傷のことを言った時、焦るおかあさんが可哀想なんだよ」
「なるほどね」
「キリコこそ入って来れば? 外国人も多いんだし」
「部屋の露天風呂で充分だよ。大浴場はあまり好きじゃない」
「そうなんだ?」
「軍の風呂のことで需品科とトラブルがあったんだ。大浴場のことでね。思い出すと気が滅入る。兵站って大事だぞ、本当に」
「……そうなんだ……」
 自分のみならず、現代の日本人では中々理解しようのない理由に取り敢えず頷いておく。あまり深くは問うまい。
「温水プールはファミリー向けかな」
「こういう場所ならそうだろうな」
 歩きながらキリコはふと気付いた。自分とBJをちらりと見て行く宿泊客が多い。たまに驚いたようにBJをまじまじと見る者がいないわけではないが、ほとんどはすぐにごく自然に視線の行き先を変え、むしろ外国人である自分を好奇の目で見る者の方が多いほどだった。
「わたしよりキリコの方が目立ってる」
 キリコの思考に気付いたBJは笑った。
「かっこいいから仕方ないけど」
「ガイジンだからだろ」
「かっこいいガイジンだから」
 まだ酒が残っているのか、BJは可愛く笑っていた。キリコも笑った。それからBJは僅かにひそめた声で言った。
「日本人って3つに分かれててね、わたしみたいのは見ちゃいけないって思うか、堂々と珍しがるか、見ても傷と肌のことなんて気付いてませんって顔するんだ。で、これくらいのホテルに来られる程度の家の人間なら大体3つ目」
「ふうん?」
「むしろ今の時代なら、そんな銀髪のかっこいいガイジンの方が目立つよ」
「片目だけどな。それはいいのか」
「ものもらいか何かだと思われてる。確実に」
「なるほど、大浴場に入らない理由ができたよ」
 BJが気にすることなく歩けるのであればそれで良かった。二人で歩いている時、こういうことはあまりなかったと気付く。特に海外では多様な価値観を認める分、不躾な視線や態度も珍しいことではなかった。だが日本独特の対人的な感性が閉鎖的な空間に集まった時、良いか悪いかの判断は付き難いが、誰にとってもそれなりに快適な場所になるのだと知ることができた。
「あと温水プールも──まあ、わたしたちはやめといた方がいいか」
「おまえが入りたくなければそれでいいんじゃないか」
「プールならまたアンティーヴがいい」
「じゃあ夏に」
 ピノコとユリも一緒に行ったフランスのハイクラスリゾートホテルのことだ。かなり早めの予約が必要だが、いざとなったら間久部に頼めばいい。あのホテルは間久部の支配下になっている。きみの幼馴染が行きたがっていてね、と言えば、その場で無料の宿泊が約束されるだろう。
 レジャー施設やサービスは揃っているが、二人が興味を引かれるものは特になかった。だがこんな散策そのものが楽しいのだから構わなかった。すれ違う賑やかな家族連れは見ているだけで和んだ気分になれるし、どことなくぎこちない若いカップルを見て頑張れよと心の中で呟き、楽しそうな女性の集団には10メートル前から道を譲る。
 宴会上がりの会社員の集団に絡まれた時には、キリコがわざとらしく早口の米語でまくしたてて酔いが醒めた彼らを驚かせ、その中で米語が話せる男が慌てて前に出て詫びる事態になり、彼らに「社員旅行先で羽目を外して外国人を怒らせたが、有能な同僚の機転で事なきを得た」という都合のいい思い出作りに協力してやることができた。
「慰謝料にとちもち買わせれば良かった」
「どれだけ気に入ったんだ、おまえ」
「かなり。──結構見るとこ多いね。想像以上だった」
「ひとつのホテルにこれだけの施設が揃ってるのは凄いもんだな。海外でも大規模なリゾートホテルクラスだろう」
「そうかもね。ユリさんと草津の時は?」
「ユリと草津」
「うん」
「──小さい旅館だったんだ。レジャー施設は何もなかったし、全部個室の内風呂で、大浴場すらなかった」
「ふうん、それも素敵」
「今度行くか」
「うん」
 近い未来の旅行を楽しみにする恋人同士の顔で微笑み合いながら、過去の誰かと行った旅館は避けよう、とキリコは決め、これ絶対昔の女の話だ、やっぱり後でユリさんに絶対確認しよう、とBJは改めて思う。
「おばさん!」
「お、また会ったね」
 突然かけられた子供の声に冷静に返事をし、BJはにやりと笑う。
「おねえさん。間違えたらショッカーに手術されるぞ?」
「おねえさん」
「よくできた、大丈夫だ。どうしたの」
「とちもち美味しかった、ありがとう!」
「食べたんだ? あれ美味しいよね」
 先ほどフロントに連れて行った迷子の子供だった。あの時の不安げな顔はどこにもなく、恩人に再会できた喜びで今にも飛び跳ねそうだ。キリコに簡単に事情を説明していると、後ろにいた両親が深々と頭を下げた。
「目を離した隙にいなくなってしまって。本当にありがとうございました」
「そんなこと。何もなくて良かったじゃないですか」
「いいえ、もう本当に──」
「いえいえ、そんな気にしないで」
「あと、うちの子がお土産の栃餅を頂いてしまったようで──お礼にもなりませんがこちらを」
「え、別にいいですよ、あげたんですから」
「そんなわけには!」
「いえいえ、そんな、困ります」
 日本人らしいやり取りだなあ、と半ば面白がって見ていたキリコは、自分を見上げる子供に気付く。日本人でこの年齢なら俺みたいなガイジンは珍しいだろうな、と思って軽く唇の端で笑ってやった。すると子供は目を丸くし、結局新しい栃餅を受け取ったBJの手を引っ張った。両親と話していたBJは驚いて子供を見る。
「おねえさん!」
「ん?」
「ゾル大佐だ!」
「え?」
「ゾル大佐だよ! どうして一緒にいるの!?」
「こ、こら、ちょ、やめなさい! すみません!」
 父親が必死の形相で子供を引き寄せ、今度はキリコに勢いよく頭を下げる。BJは訳が分からず、それは母親も同様で、つい顔を見合わせる。キリコは更に意味が分からないが、父親が土下座せんばかりの態で説明したことによってようやく理解した。
「その、仮面ライダーという特撮番組に出て来る中に眼帯のキャラクターがいまして……すみません、よく言って聞かせますので!」
「……ぶっ!」
 耐え兼ねたBJが噴き出し、それから遠慮なく笑い出した。
「ショッカーだ! すごいぞ、坊や、ゾル大佐って言うの? よく見付けたな!」
「おねえさん、仮面ライダーならやっつけてよ、ショッカーで一番悪いやつで──」
「もうやめなさい、来なさい! 申し訳ありません!」
「ああ、いや、俺は何も」
「申し訳ありません! すみません!」
 頭を下げながら子供を引きずって後退するという離れ業を見せる夫婦を前に、キリコはそれしか言えなかった。BJは子供に手を振り、まだ笑っている。仮面ライダーは分からないながらも、あの子供は後でかなり叱られるんだろうなあとキリコはやや同情していた。
「凄い、キリコ、仮面ライダーに出てたんだ?」
「よく分からんが俺が悪い奴で、おまえが正義の味方なのは分かった」
「わたしが倒すことになるだろうね」
 やっと笑いを収めつつも軽くキリコを叩き、苦笑させる。
「正義の味方ってのは免許がいらないのか」
「むかつく」
 今度は少しばかり強く叩き、キリコの羽織の袖を引っ張って歩き出した。ほら、とキリコが言って空いている方の手を出すと、嬉しそうに栃餅を渡す。キリコにとっては当然であるこんな小さなことでもBJは喜ぶ。こんなことで喜ぶのならいくらでも、それにしてもこいつは本当にろくな男を知らないんだな、とキリコに思わせる瞬間だった。
「あ、綺麗」
 小さな小物や土地の細工物が並べられた小さなショップで足を止める。BJの目を引いたのは柔らかな色合いの染物だった。独特の色彩と発色のハンカチや手拭い、小さなバッグが並んでいる。キリコは焼物に興味を持つ。店員が益子焼だと教えてくれた。観光客に慣れた店員は親しげに、だが良い塩梅の距離感でそつなく商品の説明をし、BJとキリコを楽しませた。
「こちらだと、どうしても数が少ないんですよね。明日お時間があれば、工芸館に行かれるのもいいかもしれません。もっと種類がありますし、竹細工なんかも置いてありますから見応えがありますよ」
「ああ、いいな、帰る前に回ってみるか?」
「うん。でもこれ欲しい、ピノコに絶対似合う」
 BJが一枚のハンカチを指した。桃色の染地に白抜きのウサギ柄だ。
「確かに。これはお嬢ちゃんしか持てないな」
 キリコも速やかに認め、店員に会計を頼んだ。会話から何かを察したのか、店員はおまけに小さなウサギの根付をつけてBJを喜ばせてくれた。
 食後の散歩にしては随分と長く歩いた。館内だけでこれだけ自由に過ごせる日本の温泉ホテルは凄い、とキリコはしみじみする。まるで小さな観光地だ。何よりもBJが始終上機嫌で、それがキリコには嬉しかった。
 そろそろ部屋に戻ろうかと思い始めた時、BJがキリコの袖を強く引いた。
「どうした」
「卓球!」
「は?」
「卓球しよう、温泉なんだから!」
「うん?」
 温泉だから卓球をする、の意味が分からないキリコは「テーブルテニスだっけ」と改めて考える。ネイティブ並に話せる日本語だが、日常で使わない単語を咄嗟に思い起こせないこともある。更に温泉と卓球の結び付きが分からない。
 BJが指す先には、ビリヤードと卓球がなぜか併設された広いエリアがあった。宴会で酒の入った会社員たちや家族連れ、若い夫婦や恋人同士がそれぞれの世界で楽しみに興じている。
「日本で温泉に来たら卓球をするんだ。やろうよ」
「そんなルールがあるのか?」
「草津にはなかったかもしれないけど」
「なかったな」
「そうなんだ?」
「うん」
 そもそも卓球なんぞするような女と行った覚えはない、とキリコは思い、ユリさんに確認する材料が増えたな、とBJは思った。
「ね、したい。しようよ」
「その言い方、やめなさい。エロいから」
「え?」
「何でもない。俺はあまり上手くないぞ。最後にやったのがいつなのかも思い出せないくらいだ」
「こんなの遊びなんだから、上手いも下手もないよ」
「確かにな」
 空いていた卓球台を借り、使い古されてはいるが清潔に保たれているラケットと玉を取って軽くバウンドさせる。互いにいかにも遊びでしかない仕草で、だがそれも楽しかった。持ち方分かんない、とBJが甘えるので手を取って教える。隣の台を占拠してお喋りに勤しんでいた初老の女性たちがあらあらまあまあいいわねえとその光景を楽しんでいた。
「自分のフィールドで2回バウンドしたらファウルだっけ?」
「確か」
「えい」
「お、上手いな」
 カコン、と小気味良い音を立ててBJのラケットが弾いた玉がキリコのフィールドに飛び込む。少し奥でバウンドしたが、長い腕を伸ばして事無きを得る。軽くスナップを利かせてBJの手元に玉を戻してやった。そのまましばらくラリーを楽しんだ。
「ああ、もう」
 玉がフィールドから飛び出してしまうたびに悔しそうなBJが可愛い。キリコも何度か打ち返せず、そのたびに二人で笑っていた。
 そのうち慣れたBJが負けず嫌いを刺激されたのか、遊びと言うにはやや本気で打ち返してくるようになる。医療と喧嘩以外でも負けず嫌いが出るんだな、と思いながら、キリコも少しばかり真面目に相手をせざるを得なかった。
 元々身体能力が高い──壮絶なリハビリと人並み外れた長年の努力の結果であることは間違いない──BJの身のこなしと一撃は流石で、フィールドの限界を攻めて来る。本気すぎだろ、と思いながらもキリコが辛うじて打ち返すことが多くなっていた。
 だが身体能力の高さはキリコも負けていない。空気を裂くような鋭さで打ち込まれた玉へ正確に反応して打ち返していた。加えて手足の長さも違うのだから勝負は見えたようなものだ。
「もう!」
「おまえ、やめろって」
「いいの!」
 劣勢を察したBJは更にむきになる。手を抜けば怒ることは明白で、キリコは溜息を押し隠しつつ、温泉での遊びと言うには激しすぎるラリーに付き合うしかなかった。卓球台から響く音は温泉レジャーのピンポン遊びのものとは程遠くなり、競技のごとき鋭い音に成り代わる。
 やがて卓球スペースにいた宿泊客たちの視線が集まり始める。これだけ本気のラリーをしていれば当然と言えば当然だが、ふとキリコは気付いた。
 浴衣。下着はつけている。あれは俺が買ってやったやつだな、10割俺の趣味だ、可愛い、似合ってる、後で脱がす。
 でもよく考えろ、俺。
 ちょっと待て、ストップ。
 よく考えろ。
 どうしてだ。
「待て!」
 どうして俺の視界に今、俺好みの下着が見えているんだ!
「もらった!」
「俺の負けでいい!」
 キリコの悲鳴のような宣言の直後、BJの渾身の一撃がキリコのフィールド限界に叩き付けられ、バウンドした玉が天井まで飛んで行った。
「わたしの勝ち!」
「それでいい、分かった、だからおまえ、早くそれ直せ」
「え」
「日本語で言うなら破廉恥だ。頼む、早く直せ」
 何を言われたか分からないBJは、いつの間にか噴き出していた額の汗をぐいと拭う。途端に胸元が更に露わになり、周囲の歓迎し難い──特に宴会上がりの男性連中の──視線を感じて、禁止、それ禁止、温泉で卓球禁止、とキリコは叫びたい気持ちを堪えながらやや厳しく言った。
「浴衣!」
「え、──あ!」
 やっと気付いたBJは一瞬で真っ赤になった。これでもかと言うほどに着乱れた浴衣は胸元がすっかり開き、裾は太腿が見えるか見えないか、むしろ半ばまで見えている。キリコは恋人として焦り、BJは社会人として、そして患者を励ます以外の理由で傷が露わになった劣等感で焦る。
 だがその瞬間、神の使いかとキリコに錯覚させる集団が現れた。
「あらあらまあまあ」
「だめよだめよ、気を付けないと」
「困ったわねぇ、可哀想に」
 わらわらと言う擬音がよく似合う動きで、隣の卓球台にいた初老の女性たちが一斉にBJを取り囲んだ。これが男性であればキリコもすぐに動けたのだが、余りにも見慣れない光景に脳が理解を拒否する。BJは焦って「え、あの、え?」と言うばかりだ。
「あなた卓球上手ねえ、ちょっと手を上に上げてね」
「山田さん、こっち抑えてくれる?」
「いいわよ、あなた何歳? どこから来たの?」
「こっち留めるわね、あの人は旦那さん? どこの国の人?」
「あら羨ましい、胸の位置が高いわね、わたしたち着付けの教室の友達でね、あなたのお仕事は?」
 茫然と見守るしかないキリコの前で、あっという間に浴衣が直され、そしてBJの生来の人見知りも物ともせずに個人情報が引き出されて行く。ジャパニーズおばさんすげえ、と思わずキリコは呟き、彼女たちは日本の情報戦の最終兵器に違いない、だから日本は情報部が存在しなくても国家が成り立つのだ、と本気で思った。
「お恥ずかしいところを助けて頂きまして、ありがとうございました」
 ホテルの浴衣にしてはしっかりと、そして美しく着付けされた浴衣姿のBJに見惚れる前に、キリコは彼女たちに礼を言った。心底からの礼だった。途端に彼女たちは「あらあらまあまあ」と笑い出す。
「いいんですよ、日本語が上手な旦那さんねえ」
「歳が離れてるのねえ、こんなに素直なお嫁さんなら可愛くて仕方ないでしょう」
 旦那じゃないです、嫁じゃないです、と言えばまた説明が面倒になることは経験則でよく分かっている。キリコは「ええ、まあ」と外国人独特の相槌を打ち、BJは日本人独特の曖昧な笑い方をしておいた。二人揃って改めて礼を言うと、彼女たちはまた「あらあらまあまあ」と笑っていた。
「紐が足りないのに凄く綺麗にしてくれた。やっぱり着付けの仕方を知ってると違うね」
「それは良かったが、おまえ、本当にもう勘弁してくれよ」
「見苦しいものを見せたのは謝る」
「俺は眼福だ、でも俺しか見ちゃいけないだろう。脱ぐなら部屋にしろ」
 劣等感を思い出して沈みかけた声に、素早く本音で救助の腕を差し出す。BJはすぐに嬉しそうに笑い、うん、と言って自分から手を繋いで来た。
「温泉で卓球禁止」
「ええ、次は気を付けるからまたやろうよ」
「次は卓球がない温泉に行く」
「草津の?」
「そうだな。いい宿が多いだろうし」
「ユリさんに」
「うん?」
「ううん、明日帰る時にピノコとユリさんに電話しなきゃ、って思っただけ」
「ああ、そうだな」
 手を繋いで歩きながら、部屋でもう少し飲みたい、とBJが言い出した。
「ルームサービスだと時間がかかりそうだし、売店で何か買って行かない?」
「冷蔵庫は──そういやビールくらいしかなかったな」
「ミニバーがついてないホテルって久し振り」
 二人や家族で行く旅行で普段使うホテルがいかに贅沢か納得し、BJは呟いた。このホテルも充分贅沢なんだけど、と心の中で付け加える。
「でもホテルの中で簡単に何か買えるのって楽でいいよね。フォーシーズンズじゃ無理じゃない?」
「ここがハイクラスなのは分かるが格が違うだろう」
「確かに。フォーシーズンズに売店があったら別の意味で嫌かも」
「売店を作る計画なんぞ上がったら、あのバトラーが笑顔で嫌がるだろうね」
「笑顔のままで銃乱射しそう」
「確かに」
 ロンドンの常宿になりつつある高級ホテルの高位ホテルマンを思い出し、二人は同時に苦笑した。
「ロンドンも微妙な思い出ばっかりだな。今度こそゆっくり行こうか」
「微妙って言うくせに、またあの部屋に泊まるんでしょ」
「おまえが嫌なら別のホテルでも」
「やだ、あの部屋がいい」
「だろ」
 どちらからともなく絡め合った少し力を入れ、またひとつ、時間を共有する約束をした。
「草津にアンティーヴにロンドン。稼がないとな」
「人殺し以外の報酬にしてね」
「人殺しじゃねえ」
 怒って噛み付く振りをして頬にキスをする。日本なのに、とBJは恥ずかしいが嬉しい。すれ違った若いカップルの女性が羨ましそうに見た後、恋人の浴衣の袖を引いて慌てさせた姿が目の端に映った。