03:猫と獲物

 よくもまあ飽きもせず。わたしは自分でも呆れる。好きな男に背を向けて座り込んだ絨毯の上から動けない。
 遊びに来ていたマダムの猫は呆れてるみたいに尻尾を振って、わたしの膝の上で丸くなる。うう、この温かさが優しくて自己嫌悪に一層の拍車。
 喧嘩の原因はものすごく小さなことで、はっきり言えばもう忘れた。わたしの方が悪い、ってことは覚えてる。忘れるならこっちを忘れたかった、悔しい。
 でもキリコにちょっと強く言われて、それが腹立たしくって、何だか嫌な気分になって──誰だって強く言われれば腹が立つものじゃない?
 でもこれって単なる逆ギレなのは分かってる。わたしの方が悪いのは覚えてるから。あと、本当は逆ギレしない人も多いのも知ってる。
 でもそんなに強く言わなくてもいいじゃない、って思っちゃって。
 言い方あるじゃない、って。いつももっと優しくしてくれるのに、って。
 はい逆ギレです。逆ギレですとも。分かってますとも。
 だから! つまりはだから!
 気まずくて謝るタイミングを逃してるってこと!
 うう、犬も食べません。膝の上であくびをしている猫は食べますか。食べちゃって欲しい。
 キリコは後ろのソファで本を読んでる。見てないけどページをめくる音がしたからたぶん合ってる。
 いつもこう。
 わたしがちょっと機嫌を悪くすればすぐ機嫌を取ってくれるのに、完全にわたしが悪い時は放置する。
 恫喝されたり殴られたりしないから有り難いんだけど。でもこれを間久部に言った時、「だから普通の男はしないんだってば!」ってなぜか泣かれたからよく分からない。だってキリコ以外にそんな男知らない。
 っていうのはともかく、とにかくこういう時は放置される。放置プレイとかそういうのじゃなくて、本当に放っておかれる。
 ちなみにベッドでの放置プレイはされたことがない。されたらたぶん寂しくて泣いちゃうから禁止にしとく。
 だから、そういうのはともかく。
 放っておかれてる。今、現在進行形で。
 無視されてるわけじゃないのは分かってる。本当に怒るとクールダウンのために他の部屋に行っちゃうタイプだから。
 つまり、キリコは待ってる。
 わたしが振り返って、ごめんって言うのを待ってる。
 わたしもそれが一番の解決策なのは分かってる。
 でも、……でも! それができれば! そんなのが素直にできれば! 苦労はないわけであって!
「うにゃあお」
 猫が嫌そうな声を出した。ごめん、自己嫌悪しすぎて可愛い耳をぴるぴる弾いてた。
 もう、猫、助けて。そう言えばおまえの名前知らない。あの素敵なマダムのことだからお洒落な名前がついてそう。マカロンとかモンブランとかズッキーニとか。
 ……わたしの中のお洒落の定義が酷すぎて、違う自己嫌悪が出たのはともかく。ともかくね。
 ともかく。
 どうしよう。どうやって謝ろう。分かってるのに。わたしが悪い事実は分かってるのに。
 振り返ってごめんって一言言えば、キリコはちょっと意地悪に笑って「もういいよ」って言ってキスしてくれるのが分かってるのに、意地を張って逆ギレしたせいで、それから頭の中と心がぐるぐるしちゃって、もうどうしたらいいのか分かんない。
 猫、助けて。
 ……無理か。
 って思ってたら、猫が急に尻尾をぴんと立てて顔を上げた。何かを見つけた顔だ。どうしたのって言おうとしたら、それが聞こえた。
 ちち、ちちち。
 猫がじいっとそっちを見てる。わたしの後ろ。
 キリコの方。
 また聞こえた。ちち、ちちち。
 舌を鳴らす音。
 ちち、ちちち。って、もう一回。
 その途端、猫がわたしの腿を蹴って飛んで行った。わたしは驚いて振り返った。
 獲物がいない、って顔できょろきょろする猫を抱いた、ものすごくかっこいい男が、わたしを見て唇を尖らせて、それからにやりと笑った。
 また聞こえた。
 ちち、ちちち。
 猫より早く飛びかかって、膝の上に乗っかって、もう、もうほんとに安心して、ごめんって言ったらちょっと涙が出た。
 聞こえた音に興奮する猫を脇に降ろしたキリコが、もういいよ、泣かないで、可愛いね、って言ってキスしてくれた。
「可愛いけど」
 額を合わせて、少し苦笑してキリコが言う。
「俺のシャツ一枚で庭に出るの、もうやめてくれよな」
 誰かに見られたらどうするんだ。
 せめてホットパンツを履きなはい。
 懇々と言われて赤面と納得、そりゃキリコに強く言われても仕方ない。
 もうしない、ごめん、ってわたしが言う前に、騙されたと知ったらしい猫がキリコの横っ面にねこぱんちを決めていた。