武田軍副大将ともいえば、気軽に城下街で団子を喰らう立場ではない。
と、佐助は常に思う。おそらくは誰もが思っている。
だが本人は意に介さず、ようやく柔らかくなった春の日差しの下、気に入りの茶屋で団子を頼み、少し渋みを抜いてもらった茶と共に味わっては嬉しそうな顔をしているのだから仕方ない。
「や、幸村様、お代わりはいかがですか」
「頂こう。こちらの団子は本当に美味しい」
愛想の良い店主の申し出に幸村は喜び、甘えてお代わりをする。よく食うよ、と、佐助は深く被った笠の下、見ているだけで口の中が甘くなっていた。
「旦那、食い過ぎんなよ。腹壊したら明日、洒落にならねえぞ」
「明日──明日か。うん、大丈夫だ、佐助」
言いながらまた団子を口に入れるのだから、佐助はもはや苦笑するしかない。付き合いでふたつみっつ口に入れ、幸村のために「美味い」と言う。
とはいえ鍛えた身体だ、そうそう不調に繋がることもないだろう。佐助は幸村を心配するのも仕事のうち、口を出したくなるのは性分のようなもの。
端正な顔立ちの幸村を遠巻きに見、娘たちが小さく噂しては嬌声を上げる。周囲の若者は面白くないが、相手が武田の副大将とあっては対抗する気にもなれなかった。
「お館様にもこちらの団子を召し上がって頂きたいな。少し包んでもらおうか」
「ま、もうお元気だろうしな。長い風邪だったなあ。──それもいいんじゃねえかい」
佐助が賛同する、すなわち幸村にとっては「正しいこと」だ。早速店主に頼もうと首を巡らせる。
そして、自分は団子を食べながら眠ってしまっていたのだろうか、と思った。
夢でも見ているようだ。
絵巻の中でしか見たことのないような、美しい女が目の前に現れたとあらば。
娘、ではない。女という年齢だろう。
被衣の合間から見える顔立ちは、幸村が今まで目にしたどんな女よりも整っていた。
肌は驚くほど滑らかで白く、纏わりつく黒髪の艶がその白さを引き立てる。
幸村の視線に気づいたのか、女は足を止め、ゆっくりと市女笠を脱ぎながら、その顔を向けた。
「そこな紅いの。何ぞ用かえ」
幸村は咄嗟の返事ができない。紅いの、というのが何を意味するのか分からなかったし、何より、斯様にお美しき天女様が口をきいた、という明後日の方向の驚愕に言葉が出なかったのだ。
女に気づいた周囲も口々に囁き合い、遠慮なく目をやり、女が放った言葉から、どこかの貴人じゃないのかという声も聞こえた。男たちの中には間抜けにも、口を開け放したままの者もある。
佐助は女を観察する。確かに驚くほどの美貌であることは認めるが──何かが、と思った。
──何かが、違う。この女。貴人でも──何かが──
何かはまだ分からない。だが佐助が長年培った、生存本能と直結している勘が動く。
「口がきけぬか。それは悪いことをした、許してたも」
「あ、──あ、いや、失礼仕りました」
「アレ、ま、喋った」
「その、天女様が団子屋においでとは、幸村、想像もしておりませんでしたゆえ」
「旦那!」
阿呆、という感情を多分に込めて、佐助は幸村の背中を軽く叩く。幸村はたまに突拍子もないことを言うのだが、今のこれはあまりにも酷い。
すると女が笑った。幸村や佐助が聞いたことのないような、くすくすと、いかにも品のある、そして機嫌の良い笑い方だった。
「美味き団子かえ」
「ええ、それはもう! それがし、代わりまで頂いてしまっております。天女様のお口にもきっと合いますれば!」
幸村様ってたまにおかしなことを仰るな、たまにかよ、結構あるよな──佐助の耳には周囲のそんな囁きが飛び込んで来る。割とバレてんだな、と佐助は半ば諦めていた。
「そ。わらわも頂こうかえ。──店主、団子をおくれたも。茶も宜しゅうな」
店主は呆けたように頷きつつも、何とか厨房へ向かう。夫の様子に厨房から渋い顔を出した店主の妻も、すぐに夫と同じような様子でまた厨房へ引っ込んだ。
「天にも団子はございますか、天女様」
女に日当たりの良い席を譲りつつ、幸村は邪気なく問う。
女はまじまじと幸村を見たが、やがてにこりと笑んでみせた。何とはなしに嬉しくなった幸村は笑い返す。女のそれは子供への笑い方だったが、気づいたのは幸村ではなく、今日何度目か分からない溜息をついた佐助だった。
「ん、まァ、無いという話も聞いたことなし、あってもおかしゅうない」
「天の方々は日頃、何をお召し上がりに?」
「何、と申してもなァ」
「──旦那、人間だ!」
「えっ」
堪らず言った佐助に本気で驚いた顔を向け、幸村は女を──そして、聞き耳を立てていた周囲すらをも大笑いさせたのだった。
幸村はわけが分からず、佐助はなぜか自分が恥ずかしい。
「それがし、真田幸村と申す。先ほどは失礼仕った」
佐助は笠の下から女の様子を窺う。真田幸村、と言う名にどんな反応を示すか見たかったのだ。だが女は顔色ひとつ変えず、「そ」と答えただけだった。いかにも貴人のそれに、佐助は警戒心を強める。
ここで幸村の名に過剰な反応を示せば、それなりに情勢に通じた者であるはず。
武田領の者ならば幸村を見ただけで分かるだろう。わざわざ幸村の名乗りを待つとは到底思えない。
女はどちらでもない。知っているのか、知らないのかすら佐助に掴ませなかった。
──この立ち居振る舞い。いっそ、きぐるいだったら話も分かる。だがそうでもねえな。近隣の女なら、これだけの上玉、噂にならねえはずもなし。
男と違って女は領地外への移動が容易い。移動先で家庭を持ち、住み付く者とて多いのだ。
だがこの女はその手とも違う、と佐助は看破する。旅装の割には市女笠以外の荷物がない。
──どこぞの姫? それとも奥か。お忍びで遊びにでも出たのかね。何かあっても知らねえぞ。それにしてもこんな美姫、この俺様が風の噂に聞いたこともねえ。
「吉」
「きつ殿?」
「そ」
素っ気ない返事にも思えるが、冷たいものでもない。上流独特だ、と佐助はまた思う。
「あれ、美味し」
吉が団子を褒めた。
「それは良かった」
幸村は我がことのように嬉しそうだ。
「お口に合うか、分かりませんが」
店主は気を良くし、味付けを変えた団子を吉の前に持って来る。
「ありがたいこと」
吉は素直に喜んでいた。口調の割には気取らぬ態度に、遠巻きにしていた他の客たちもほっとする。
「きつ殿はご旅行か? 武田の女性ではないようにお見受けするのだが」
「ん。知り合いを、ナ。訪ねて参ったのじゃ」
「お知り合いを。春になったことだし、甲斐でお会いするには楽しいだろう」
「甲斐で、の」
女は何が面白いのか、またくすくすと笑った。
「まァ、滅多に会わぬ。楽しもうぞ、楽しもうぞ」
「それが良い。滅多に会わぬなら尚のこと」
「──どこから来たんだい」
ずっと黙っていた佐助が口を開いた。
笠の下から女の表情を見る。
瞬時、女の目が細くなった。
「名乗りィ」
見えるはずがないのに、と、佐助は──認めたくないことながら、鳥肌を立てながら思ったのだ。
──俺様の目が、見えるはずがないのに。この女──俺様の目を──「見て」、今、言った。
今の物言いだけで、もはや女が只者でないとしても、生半な「貴人」の範疇ですらないことを知った。さすがに幸村も佐助をちらりと見る。
「佐助、無礼だ。名乗れ」
さすが旦那、分かってる──佐助は幸村に感謝した。おそらく幸村も、吉という女が相当な人物であることに気づいているに違いない。だが佐助が情報を得やすいよう、敢えて気づかない顔で叱咤したのだろう。
「失礼した。佐助、だ」
「そ。無粋な男ぞ」
「は?」
「旅のおなごがいずこより参ったかなぞ、訊かぬが粋というものであろ」
「……あ、そう……」
「──いや、きつ殿! 幸村、勉強になり申した!」
二の句が繋げない佐助を庇うつもりか、幸村が殊更に感極まった声を挙げた。
──旦那、芝居が巧いじゃねえか。
「それがしも佐助も、まだまだ、力不足と痛感いたした!」
「その齢で力が足りておっても、げに恐ろしきことよ」
吉が笑い、幸村も笑う。佐助だけが笑わなかった。
佐助はそれきり喋らず、笠の下から女を見続けるだけになる。
話し方、物の食べ方、器の触れ方、──何処の地方か、はっきりと分かる特徴がない。只々、洗練され、動作だけで自らの地位を覗わせる、そんな世界の女だ。
幸村は生来の人懐こさを存分に発揮し、吉に話を振り、素直に質問し、吉を笑わせては自分も笑う。通りすがる年頃の娘たちが幸村と吉を交互に見、羨ましそうな顔をするが、諦めた顔でまた歩き去る。
吉は終始笑い通しで、幸村も笑っていた。佐助は吉と同時に──幸村をも観察していたことに気づいた。
──旦那の周りは、あったかいんだ。
先の、吉の目を思い出す。目が合った時、佐助が鳥肌を立てたほどの、あの目。
あのような目をする吉が、幸村には終始笑っている。この僅かな時間で、幸村に対し、自分の領域に入ることを許可したのは明白だ。許可とはおかしなものだが、この女ならそういうもんだろうさ、と佐助は見抜いていた。
それは取りも直さず、幸村の人間的な、本人は自覚していない力だろう。長年傍にいて、幾度もこんな光景を見て来た。
──旦那は、太陽みてえ、だ。
「店主、馳走になった。金子はここへ」
女性にしては多くを食べた吉は満足げに立ち上がる。店主は金子の多さに驚いたが、女房が夫を押しのけて進み出、吉に恭しく礼を言った。
吉は鷹揚に頷き、市女笠を被り、被衣を垂らした。
「では、の」
「行かれるのか。お送りしよう」
幸村が立ち上がったが、吉はゆるりと首を横に振ってみせた。
「ここでよい。お役目もあろ、城に戻りや」
「治安良しと言え、女性(にょしょう)一人では何かと。お館様のお膝元で不祥事あらば、武田の恥となる」
「迎えが参るのじゃ。愉快な刻であった。礼を申すぞ」
いかな幸村とはいえ、はっきりと拒否されたことは分かった。それでは仕方ないな、と諦める。何もないことを願うばかりだ。
「では、お気をつけて」
「ん」
幸村に笑顔を投げ、佐助には一瞥もくれず、吉は優雅な足取りで歩き出した。
人込みに紛れる吉を見送り、幸村は再び座る。残っていた茶を干し、店主に声をかけた。
「ひとつつみ、頼む」
そして佐助を振り返る。
「お館様へお持ちしてくれ」
佐助が肩を竦め、溜息を吐いた。
「面白うないわ」
吉が呟く。
「うぬら、わらわが茶屋にいた時から見ておったのう。芸のないこと、つまらぬえ」
女の言葉を強がりと取ったのか、四人ほどの男たちはお決まりの下卑た笑いで女を包んだ。
茶屋のある市からそれほど離れた場所ではない。だが、既に人気はなく、そこには女と男四人しかいなかった。道から多少外れれば治安なぞこんなものだ。
男たちはどこかで誰かに決まった台詞を教わりでもしているのか、誰もが想像する、下賎で卑猥な言葉を投げかける。並の女であればそれだけで竦み、泣き出してしまうだろう。
だが吉は動じた様子もなかった。
焦れた男が一人、腕力にものを言わせて手を伸ばす。
「──ぎゃ!」
悲鳴を上げたのは吉ではなかった。吉に手を伸ばした男はその手を抑え、土の上に転がり、情けのない悲鳴を上げ続けている。仲間たちは我が目を疑った。男の腕があらぬ方向へ折れ曲がっているのだ。
「奪りたき物に手を伸ばすは、よし」
吉がいつの間にか取り出していた、閉じたままの扇子を口元に立てる。その唇は笑んでいた。見る者が見れば、美に呆然とするだけだったかもしれない笑みだ。
だが男たちには──恐怖を与えるものでしかなかった。
「されど、奪りたきものが」
扇子が空を切る。男の一人が目を抑え、獣のような絶叫を上げて地に転がった。
開いた扇子の切っ先が、目を抉っていた。
「うぬらの手に余るものであれば、そも、伸ばすのが愚かよ」
男たちは状況を把握できず、無傷の二人は視線を交わし合った。目の前の女が腕を動かしただけで、屈強な二人の男が地に転がるはめになっている。女が持っているのは扇子一本だ。
「うぬら」
吉が言う。
笑んだまま。
「死に至る病にでも、かかってみるかえ」
再び扇子が震えたその時、
「貴様ら、何をしておるか!」
吉の背後から、少年と青年の狭間にある声が響いた。男たちが我に返り、びくりと身体を震わせる。吉が悠然と扇子を閉じた。
「ここが武田信玄公のお膝元と知っての狼藉か!」
やべえ、逃げろ──男二人は転がる仲間を担ぎ、駆けて来る幸村から逃げるため、道の両側に群生する藪の中へ飛び込んで行く。追いついた幸村はそれを追うか瞬時迷ったが、ここに吉を一人にしてはいけないと決めた。
「きつ殿、御怪我は!」
「あァ、恐ろし」
言葉ほど怯えていないのは明白で、幸村は安堵して良いのか訝しむべきなのかと混乱する。だが何よりも吉に怪我がない、男たちに狼藉を働かれた形跡もないと見て取り、彼女の幸運──幸村は吉の扇子捌きを知らなかった──に胸を撫で下ろす。
「あのような者どもも、稀にいるのだ。だからお送りすると申したのに」
「あやつら、てっきり道案内でもし申すかと思うたわ」
何がおかしいのか吉は笑い、扇子を胸に入れ、また歩き出した。幸村は天を仰いで息を吐き、女の無用心さに呆れながらも半歩後ろを歩く。
「この先に、お迎えの御仁がおられるのか」
「この先──そう、ナ。迎え」
「先は川辺だ」
「そう、川辺じゃ。見晴らしもよかろ」
「何人がお迎えに上がるのだ」
「ハテ、──ひとり。ひとり、じゃ。うん」
「ひとり?」
「馬で参るのであろ。ひとりで充分」
吉の足取りは軽い。幸村は佐助のような溜息をつき、逆らう気もなくした。迎えの者が来るまで共にいよう、と思った。その者が男、もしや吉の「良い人」かもしれないが、説明すればさすがに誤解もされなかろう。
僅か後ろ、藪の中──全てを見ていた佐助は舌打ちをした。
──人が良いにもほどがあるぜ、旦那。
既に佐助は吉が「おかしい」と断定していた。
茶屋を出る時に吉が言った言葉。
【お役目もあろ、城に戻りや】
幸村は名こそ名乗ったが、役目ある身だと言ってはいない。
見た目から武士と分かったとしても──城、という言葉をさらりと言った吉は「おかしい」のだ。
平時、城に詰める武士は限られている。
幸村を、その武士だと見抜いたか。
それは「真田幸村」という名と、その地位を知っていたことに他ならない。
男たちが現れた時、流石に佐助は吉を助けようと思った。何より、恩を売り、話をさせることを考えたのだ。
だが佐助が動く前に、吉が動いた。
──たかだか扇子で、男二人を転がした。あれは武芸だ。しかも相当、高度な。護身って範疇、超えてやがる。
「怪しいなんてもんじゃねえ、あの天女様」
──こんな時に。明日は大変だってェのに。