幼き日々の情景の中、語った未来 02



政治が絡み、元就として目の前に現れた存在を見れば何としても潰そうと思う。殺してもいい、と判断したこともある。
だが今、こういった時、自分の目の前で背負う全てをひとときでも下ろす松寿を見れば、素直にいとしいと思う。ずっと昔、まだ幼い松寿が泣き顔で追い掛けて来たことまで思い出すのだ。
「にいさま」
そうだ、こう呼んだ。昔から甘やかされることを知っている声でこう呼ぶのだ。
「茶が飲みたい」
「簡単にやるぞ、文句は言うな」
「さーすがにいさま、お優しいねえ」
「長曾我部、お前は駄目だ」
「そう言うなって!」
「お前がにいさまって呼ぶなよ。気持ち悪ィから」
口ほど冷たくはなく、晴久は元親の分も淹れてやる。
──他人の前でも俺をそう呼ぶってことは、まあ、随分気を許してはいるんだろう。
元就が元親の前で初めて晴久のことを思わず「にいさま」と呼んだ時、元親はかなり驚いていた。毛利の家臣でも昔ながらの一部しか知らぬ呼び方である上、普段の元就の立ち居振る舞いや尼子と毛利の関係からすれば当然の驚きだっただろう。晴久も元就も特に説明しなかったが、二人の会話や態度を見、政治では割り切れぬ何かを感じた元親は、冗談以上にこの件を口にすることはなかった。
「あ、美味ぇ」
一口飲んだ茶に元親が感嘆する。立場上、好まぬとはいえ茶席に出ることもある元親はそれなりに茶を知っているつもりだったが、晴久が簡単に淹れただけの茶の味は相当なものだった。元就は何も言わずに飲んでいるが、満足していることは常にない柔らかい表情を見れば分かる。
「そういえば毛利、何でよりによって今回来たんだ。しかも前日の今日に」
「我の自由であろう。海賊如きに伝える責なぞないわ」
「あんたな、俺にそういう口聞いてると、もう安芸に行ってやんねえぞ」
「参れと申したことなど、いつあったか」
二人の会話に苦笑しながら、晴久は小さな落雁を元就の前だけに置く。元親が甘いものを好まぬことを知っているからだ。正式な茶席でもない限り無理に食べさせる必要もない。落雁を見た元就は滅多に動かさぬ表情を僅かに和らげ、嬉しそうだった。
三人で取り留めのない話をする。元親が話を振り、元就が言葉少なく答え、それでも二人の意志は通じているように見える。晴久は敢えて口を挟まず、二人の会話を聞いて時間を過ごした。元就が先ほどの席よりも目に見えて力を抜き、安堵している姿を見て、これなら今回は長曾我部に任せておけば大丈夫だろう、と思う。今日を入れれば二日間開かれる酒宴は、普段静かな生活をしている元就には辛いだろう。元親にそれとなく面倒を頼めば引き受けてくれるはずだ。晴久は招かれた立場とはいえ、魔王の弟的な立場として補佐──言うなればこき使われる。元就一人を見ている暇はなかった。
安芸からの長旅で疲れていた元就は、やがて無作法に──それこそ「毛利元就」とは思えぬほど──ごろりと畳の上に横になる。当然の風体で胡坐をかいた晴久の膝に頭を置いた。晴久も特に何も言わない。元親が呆れ半分、複雑な感情半分の顔になる。元義兄弟の関係は理解しているつもりだが、こういう時はすとんと納得できるものではなかった。この姿を見、銀山を挟んで本気で争っている二人などと誰が考えるだろう。
ひとときとはいえ緊張から解かれ、見知った顔の中で気が緩んだのか、元就はほどなくして眠ってしまった。
「こりゃ起きねえな」
うたた寝ではなく深い眠りの呼吸に、元親は本気で呆れた。まさか安土でこんな真似をしようとは。
呆れつつ驚き、どこかで嫉妬もしたかもしれない。
自分の前ではここまで無防備に眠りに落ちた姿など見たことがない。
「おひいが見たら怒るんじゃねえの」
「こいつなら平気」
「は?」
「きつのお気に入りだから。生意気な口と顔が可愛いんだと」
「……あいつの好み、間口が広すぎやしねえか」
「間口はともかく、男を見る目がねえのは確かだな」
「あんたも言うねえ」
起こさないように小声で話すという気遣いはなかった。ここまで深く眠れば揺すぶりでもしない限りは起きないと分かっているからだ。
「あいつ、来ねえのか」
元親は敢えて名を出さなかった。だが晴久には分かる。無言で頷き、それ以上言うな、と目で伝えた。いくら魔王の弟同然の立場とはいえ、どこに誰が潜んでいるか知れたものではない。理解した元親は話題を変えた。
「そういえば、あんたが持って来たあの紫陽花」
「ん」
「俺には考えつかなかった。おひい、喜んだだろ」
「お前んとこのからくり人形程度はな」
「いやー、負けた。あいつ、花が好きだもんな。冬だから選択肢になかったんだ」
「土佐だと土に塩が入るだろう。花は難しい気がするんだが」
「陸側ならそうでもねえ。もうちょいするとな、梅も桜も、あとこの辺で珍しいとこなら山桃が見事なもんだ。──ああ、その時期にうちに招いてやるのもいいかもしれねえな」
「そうだな」
優しい奴だ。晴久はそう思う。優しくて──見た目からは信じられないほどに繊細に出来ている男。
──優しくて繊細で、強い振りをする。振りをしてることにも気付いてない奴だ。最近じゃよくいる男だ。こういう奴が生き難い世の中を今の立場で生きて行くには、気付かない方が幸せなんだろう。
繊細であってならないわけではない。強い振りをするなとも言わない。そこまで元親や同じ立場の誰かを否定するつもりはなかった。
だが、強い振りをしていることに気付けない。その一点が何よりの懸念だった。
気付けないままに歩み、傷付き、血を流す。
本人だけの傷と痛みで済むなら好きにすればいい。俺の知ったことじゃない。晴久はそう思っていた。
元親が元就を視界に入れるまでは。
「お前は」
晴久はつい、言っていた。
「大事なものが、多いんだな」
「は?」
何を言われたのか分かっていない顔をして見返してくる元親に、晴久はいつもの通り皮肉に笑いながら、眠る元就の髪を撫でた。
あの大坂の月、安芸の日輪の御子、それとは違う場所にいある、あの太陽。もしかすると魔王も、その弟も。
──お前は、大事なものが多すぎるんだ。……大事だと思っているものが、多すぎるんだ。
大事に抱き締めたいものが多すぎる。晴久は元親をそう評価していた。
──だから取りこぼすことになる。こぼしそうなものを慌てて拾おうとするから、いつか。

いつか、
お前は全てを失うよ。

「大事なものが多いって──どういう意味だよ」
「……別に」
「あのなあ──」
元親が続けようとした時、襖の外で鈴の音が響いた。晴久は僅かに首を傾げる。安土の使用人が来客を告げたのだが、鈴の音を鳴らすのは「襖の奥の者より身分が低い者」が訪れた時と決められている。誰だろう、と晴久は考えた。そもそも安土で誰かに訪ねられることは滅多にない。吉は用事があれば呼びつけるし、晴久と同等の身分となれば国主級だ。だから元親や元就の時も鈴の音は鳴らなかった。
「どっかの豪族じゃねえの」
鈴の音の仕組みを知っている元親が囁く。晴久はまた考えた。
「安土で? 俺にか?」
「おひいに繋ぎをつけて欲しいとか」
「そういう輩はまず、明智の方に行くんだが──誰だ」
晴久が言うと共に襖が僅かに開く。平伏した侍女がいた。
「上げろ」
「御緩怠に」
侍女は晴久の指示でようやく顔を上げる。だが顔を見ようとはしなかった。安土の決まりか、と元親は感心するが、土佐では取り入れたくないなと思った。
「誰」
「安芸が毛利様の御随行様、入谷陣内様とのこと」
思わず晴久は眉をひそめた。見てしまった元親は「うわ」と声を上げそうになる。晴久が機嫌を害した証拠だからだ。その理由もよく分かった。
陣内は安芸の中ではともかく、国外では到底、他の国主の部屋を突然訪ねて良い身分にはない。元親はそれほど気にせず、晴久も出雲では気にしない方ではあるが、やはり元親よりは階級や作法に厳しい面がある。これは無礼に入る出来事だった。
返事をしない晴久を気にしないのか、それとも作法なのか、元親には判断しかねたが、侍女は話を続けた。
「毛利様をお迎えに上がられたとのこと。出雲守護代様のお許し賜れれば御挨拶申し上げたきとのこと」
「挨拶はいらねえ、毛利は起きたら帰す」
「かしこまりつかまつりて」
侍女は深く頭を下げ、襖を閉めて姿を消した。その動作が安土の高級侍女にしてはやや素早く、理由を察した元親は肩を竦めたくなる。安土は文化や礼儀を守るということに対して徹底した態度を取っているようだ。今の侍女もその精神が染み付いているのだろう。晴久の指示にせいせいし、さっさと陣内に伝えて追い返してやろうと思ったがゆえに、いつもより素早い動きになったのだ。
「入谷の評判、侍女の姉ちゃんの間じゃ落ちたみてえだな」
「俺の中でも大暴落だ」
「元々だろ。あんた、ああいう奴は好きじゃねえはずだ」
「知ったような口を利くんじゃねえよ。入谷のことなんか知らねえくせに」
「知ってるさ。毛利の最近のお気に入りだろ?」
「……へえ?」
「俺が安芸に寄ると必ず挨拶に来るからな。ま、尼子の兄ちゃんの嫌いな種類の人間だってのは分かる」
「そうか?」
「俺も好きじゃねえ。あいつ、腹に何か隠してやがる」
晴久が何か言おうとする前に、元親は晴久の膝で眠る元就を慣れた手付きで揺すぶった。
「あんたの手駒がお迎えに来たってよ。起きた方がいいんじゃねえの」
元就は反応しない。元親は溜息をつきたくなった。相当深く眠り込んでいる証拠だが、自分の前でここまで無防備に眠る元就を見たことがなかったのだ。
──……ほんと、分かんねえ。こいつと尼子の兄ちゃんの関係って。これで政治の席になると本気でやり合うから分かんねえんだ。
物思いに耽りかける元親の前で、晴久が軽く元就の頬を叩く。元就がううんと呻き、ゆっくりと身体を起こした。
「お前のとこの無粋者が迎えに来た。帰れ」
「迎え? 誰ぞが」
「入谷」
「え」
寝起きながらもすぐに頭が回った元就は、珍しいことだが、一瞬だけ「しまった」という顔をした。晴久が──かつての義兄が何に対して怒るかなどよく知っている。これは絶対にやってはいけないことだったと瞬時に分かったのだ。
「その、申し訳も──」
「安芸の文化だろ。俺は知らねえよ」
「違う」
「ああ、そう」
それきり、晴久は口を利かなくなった。相当気分を害しているのだ。元親は「何もそこまで怒らなくても」と思ったものの、自分と晴久の感覚が大いに違うということもよく分かっているため口を出せない。元親に出来るのは元就を促すことだけだった。
「俺も退散するわ。尼子の兄ちゃんがこうなったら、おひいか、末の妹の尊子じゃなけりゃ手に負えねえさ。毛利、戻ろうや」
そして晴久をちらりと見て付け加えた。
「俺が送ってやるからよ」
気難しい男は返事をしない。元親は立ち上がり、元就を促した。元就はしばらく──これも元親にとっては珍しい光景だった──躊躇っていたが、晴久が本当に手に負えないと理解し、唇をぎゅうと引き結んで立ち上がった。元親が動く前にさっさと歩き出し、静かに襖を開けて出て行ってしまう。元親にはその行動も意外だった。いくさ場でもない限り、普段はもっとゆっくりとした動きをする姿しか見たことがなかったのだ。
「尼子の兄ちゃん、毛利が珍しく困ってんじゃねえか。あいつの手駒ごとき、そこまで気にしなさんな」
「……毛利元就にとって、入谷陣内は手駒なんかじゃねえぞ。勘違いするなよ」
低く呟かれたその言葉に、元親は返事ができなかった。無礼を心底怒っているのか、それとも兄として入谷のような立場の者──元就に必要以上に近付こうとしている者を鬱陶しく思っているのかもしれない、と思ったが、判断がつきかねた。


元親が元就に追いついた時、そこには入谷陣内もいた。元親に背を向けて立っているため、顔は見えない。元就に何かを言われているようだ。おそらく迎えに来たことに対し、苦言を呈されているのだろう。元就の表情は不快感こそ出ていなかったが、明らかに咎める色は隠せなかった。
何とはなしに元親は立ち止まる。元就は小声だったが、静かな安土では充分に聞こえた。
「尼子に無礼は決してならぬと、出立前に申し付けたはず」
「申し訳もございません」
陣内の声も小さい。いかにも申し訳ないという声だが、元親は「嫌いな声だ」と直感した。似ているんだ──そう思った。
「しかし陣内、元就様の御身を案ずるあまり。何卒、お許し下さい」
「……貴様のせいで寝起きの美味なる茶にあずかり損ねたわ。愚物め」
「寝起き──元就様、寝起きとは──!」
陣内の声が思わずと言うように跳ね上がる。ああ、これも嫌いだ、と元親は思った。耐えられなかった。だから声をかけてしまった。
「ここでやるんじゃねえ、おひいの耳に入ったらどうする」
陣内ははっとして振り返る。元就は気付いていたのか、視線を動かしもしなかった。そのままふいと背を向け、歩き出してしまう。
──この入谷、やっぱり俺は好きじゃねえ。さっきの声、似ていやがった。
元親は慌てて頭を下げる陣内に「気をつけろ」とだけ言い、元就を追った。陣内がやや距離を置いて付いてくる気配が分かったが、思考に入れる必要はないと決めた。
「毛利」
返事はない。元就は歩き続ける。並ぼうと思えば並べる速度だったが、元親は敢えて後ろを歩いた。
「尼子の兄ちゃんの機嫌も悪くなってんだ。おひいの機嫌まで悪くするようなことをするんじゃねえ」
「──魔王の機嫌まで我が知るものか」
「知っとけって。兄ちゃんの機嫌は俺が取っておいてやるから、せめてお前は手駒の管理くらいしっかりやれ。分かったな」
「手駒」
元就が立ち止まり、振り返る。元親も足を止め、小柄な元就を見下ろした。後ろに従っていた陣内も足を止めた気配があった。
そして元就はゆっくりと言った。
「陣内は手駒なぞに非ず。我に対して愚を申すでないわ」
「──ほんっとにお前は閨を出るべきじゃねえ。可愛くねえ」
逆を言えば閨では可愛い。元就は表情を変えなかったが、それは自制心の賜物だった。しかし耳まで一気に赤くなることは避けられなかった。その反応に満足した元親は、「また後で」と言って振り返る。
そこに陣内がいた。陣内は素早く頭を下げ、元親に顔を見せなかった。元親はそのまま歩き去る。
しばらくして、陣内の声が聞こえた。──元就様、あのような言はお気になされますな、陣内は分かっております──ああ、と元親はまた思った。好きじゃねえ。俺はあいつが好きじゃねえ。似ているんだ。あの声。
「……俺が女を口説く時の声と、似てんだな」
──下心満載の、さ。


「……来客が多くて嫌んなってくる」
「わらわが安土の城で」
「どこに行こうと勝手だね、そうだね、俺が間違ってました、すみません、ごめんなさい」
「何え、おもなしさんかえ。なにゆえに」
何を拗ねているの、と問われ、晴久は溜息をつく。言えば吉も機嫌を悪くするのではないかと思い、説明はやめることにした。
「男の矜持の問題」
そう言えば吉が追究しないことはよく分かっている。政治が絡まない限り、どんな時でも男を立てる女だった。
「殿方の御胸内なぞ、むつかしゅうてたまらぬわ」
案の定、吉はそれで話を終わりにする。吉としては、本当に何かまずいことがあれば晴久自身が言うはずだと分かっていた。
晴久は暫く沈黙する。考え事だ。安土の主を目の前にしての態度とはとても思えない、魔王を畏怖する者が見れば怯えに怯えてもおかしくはない。だが吉は晴久を咎めるどころか、考え事が終わるまで待つという態度だった。昔からのことで、二人の間では常識になっている。
そこそこ長く沈黙した後、晴久は「よし」と言った。
「まとまった」
「ほうかえ」
「で、きつ」
「ん」
「何しにきたの。そろそろ宴会の準備しないとまずいんじゃない?」
「まァ、ほどほどに、ナ」
「女の支度は時間がかかるんだからさ、さっさと着替えなよ。ばたつかれて遅刻されると、場を取り持つ俺が大変だから」
「ほんに素直な」
「嫌なもんは嫌だ」
だから何しに来たの、と晴久はまた問う。吉は頬に手を当て、首を傾げた。
「姫若子が」
「長曾我部?」
「そ。姫若子が、先ほどにわらわの元へ参って」
「そういや会談予定があったんだっけ? どうだった?」
「ああ、それは」
吉は元親との半刻ほどの話し合いの内容を、あっさり晴久に説明した。軍事的に密接な関係がある安土と出雲としては当然のやり取りだ。元親としても情報が筒抜けになることは覚悟した上での会談であったため、問題はなかった。内容は長曾我部の支配海域における織田の行動についての約款確認と修正の申し入れで、しばらく長引きそうだ、と吉は言った。
「あといくたびかは、安土か土佐で、おもてを合わせねば」
「土佐だったら俺も同席するけど。口は出さないけどね」
「あァ、それのが助かるわえ」
晴久は政治の席に同席しても口を出さない。だが情報は全て把握できるため、吉としては説明の手間が省けてちょうど良かった。
「そう、それで。話を戻すけれども、ナ」
「うん?」
「姫若子が」
まだ何かあるのか、と晴久は思った。
吉が首を傾げながら、本当に不思議なんだけどね、という顔をする。
「晴久に、わらわの打掛を貸してやってくれと」
「──は?」
「は、とは?」
「は、って、は、だよ。何で俺がきつの打掛なんて必要なの」
「それは」
吉はまだ不思議そうに、だがはっきりと言った。
「晴久が、打掛を纏うからではないの」
「その前に、きつの打掛なんて小さくて着られないんだけど」
「そう、なァ。姫若子も何を申すことやら」
「あいつ馬鹿だから」
「またそう、酷なことを」
晴久の毒舌に吉が苦笑していると、元親の訪問が告げられた。
「何だ、あいつ。どこまで暇なんだ」
「晴久が恋しいのではないの」
「冗談でも気持ち悪い」
「入り」
晴久ではなく吉が許可を出す。ここが晴久の部屋でも、安土である以上は当然だった。晴久も異論はない。これが安土の決まりであり、晴久はそれを守ることが好きだった。
「あれ、おひい。まーだ支度してねえのか。尼子の兄ちゃんも」
「わらわはそろそろ。晴久も」
「ああ、だから打掛。尼子の兄ちゃんに貸してやれって」
意味が分かんねえ、と晴久が言う前に、元親は続けた。
誰をも魅了する、あの海神の化身のような眩しい笑顔で。
「誰が最初に尼子の兄ちゃんって気付くか、試してみるのも楽しいんじゃねえ?」
この後の宴席で女装しろ。元親はそう言っているのだ。
吉が呆然と元親を見、次に晴久を見、そしてまた元親を見る。元親は笑顔で吉を見返す。
そして晴久は立ち上がり、取急ぎと言わんばかりに、元親を思い切り、蹴った。