安土の魔王は普段、大袈裟な馬鹿騒ぎを楽しむたちではない。普段は身近な数人を集めての酒宴が精々だ。城人はよく躾られ、静かに、無駄なく仕事をし、仕事が終われば静かに下がる。稀に魔王が癇癪を起こせば近臣総出で宥めるほどの大騒ぎになるが、大抵はそこまでの癇癪を起こす前に光秀が笑顔で殴られて話が終わる。
城が盛り上がるのは魔王が来訪者の中庭での謁見を許す時がほとんどだ。月に一度、あるいは二月に一度、魔王は身分を問わずに謁見を許す。聞き入れられるか否かは魔王次第だが、何かを腹に持った者、藁にも縋る者、様々な人間が集まる時間となっていた。
それ以外でもごく稀に、騒々しく、城中が賑やかに沸き返ることがある。
同盟国の主たる面々を招待し、大々的な酒宴を開く時だ。織田の権勢を示し、同盟関係を確認するには必要な席だった。
この時ばかりはどれほど騒がしくても魔王とて文句は言わない。招待客さえ決めてしまえば金に糸目もつけない。城下の商人たちも稼ぎ時、ここぞとばかりに売り込みに来ては値段の交渉で忙しく、男や女は雑用がないかと仕事のくちを探しにやって来る。
「何度来ても」
魔王の部屋で勝手にくつろぎつつ、晴久は溜息をついた。
「うるせえよな、この時ばっかりは」
「いやなら諸将と時を同じゅうして参りやれ」
晴久からの土産を開きながら、吉は呆れ声で言う。自分に言われたくないだろうが晴久は気難しい──いつものことながらそう思ったのだ。
「馬鹿言うなよ、早く来いって手紙寄越したの、きつじゃねえか」
「ほうかえ」
「是、是。確たる是なり」
「出雲守護代様にはご懸命をこうむりまして」
ふふ、と悪びれずに笑う吉に晴久は苦笑する。勝てそうもない。
「準備の間はつまんねえし、暇だから相手しろって言ったんだろ」
「ほうかえ、ほうかえ──アレ、ま、うるわし」
丁寧に包まれていた土産を開き、吉はたちまち笑顔になった。晴久はにやりとする。喜ぶだろうと分かって持って来たものの、実際に喜んだ姿を見ると嬉しく、また、してやったりという気分になるものだ。
「紫陽花。斯様な時節に」
本来より少しばかりくすんだ色ではあるものの、それが深みを増したように見える蒼に白、桃の彩が現れ、吉は素直に喜ぶ。春が近いとはいえまだ底冷えがするこの時期、初夏の花である紫陽花を見ることができようとは思ってもいなかった。
「まだ交易物にするには試験的だけどね。乾かして、砂に埋めて季節を越させる。金もかかるし、あまり上手く行かなくてさ、それは綺麗に出来たから持って来た」
乾き切り、強く触れれば砕けてしまいそうな紫陽花だ。だがこの時代、季節の外の花を見ることなど不可能に近い。まだ梅も咲かぬ今、暖かい季節を思い出す花の存在そのものが吉には嬉しかった。
「悪くないだろ。梅が咲くまで飾っておくといいよ」
──冬が嫌いだもんな。あったかい季節を見せてあげたかったんだ。
それを吉に言うことはない。吉は感謝するだろうが、同時に哀しいことを思い出してしまうだろう。それは晴久の本意ではなかった。吉が喜べばいい、あの雪深い冬よりも暖かい季節を思い出せばいい。そう思った。
「ありがとう、ナ。嬉し、嬉し」
侍女を呼び付け、上機嫌で花瓶を用意させる吉を見て晴久も満足する。
「今回、誰が来るの」
「常と変わらず」
「ええっと──豊臣に徳川、浅井、前田、大和の弾正とかそのへん? あとは近辺の有力者や文化人ってところかな。いつも通りか」
「猿は常の通り、文の返事しあらなんだし、弾正は法要で、ナ」
伊達は来ないの──それは訊くまでもなかった。織田との関係からすれば来るだろう。だが政宗は決して小十郎を連れて来ようとしない。
──……右目が来たがらねえ、って透波が言ってたな。
奥州に潜り込んでいる忍の報告を思い出す。ここ最近、政宗が国を空ける時、小十郎は必ず奥州に残り、政宗の代理として政を切り回していると言う。
──対立勢力の……何だっけ。野元か。あいつらを抑えるっていう考えは分かるけどな。織田の招きくらいは出てもいいだろうに。
「浅井が来るなら妹も来るの? 近寄りたくねえんだけど」
──ああ、やだやだ。政と恋愛をすっぱり切り分ける奴って、相手にすると鬱陶しいから嫌いなんだよな。
「長政がおるのであれば不快な真似もせぬであろ」
「なるほど、そう言えばすっげえべったりだっけ。──豊臣は分かるけど、弾正はわざと法要にぶつけたな」
「時の悪戯よ、なんも、なんも」
涼しい顔で言う吉に、晴久は肩を竦める。二人の関係性を理解しているつもりではあるが、精神状態に問題がない時の吉はやたらと久秀を遠ざける節があった。
「あと、長曾我部と毛利、ナ」
「え、長曾我部はともかく、毛利が来るの?」
「これがまた、意の外にて」
招待状は送ったものの、応じるとは吉自身意外だった。安芸の主は滅多なことがなければ外に出ることはない。晴久は息を吐いた。
「長曾我部が来るからかな」
「まァ、それであろ」
「大坂のお月さんが来なけりゃ、長曾我部もトチ狂いやしねえだろ。──松寿も随分入れ込んだもんだけどな」
「不満かえ」
吉のからかいめいた、だがどこか真剣な問いに、晴久はすぐには答えなかった。立ち上がり、部屋の一角に置いてある茶道具を勝手に引っ張り出す。
こういう時、吉は女で自分は男なのだと感じる。目の前で元就が他の者を慕う姿を見ても良いのか、と吉は聞きたいのだ。
火鉢のひとつで沸かしていた湯を取り、手馴れた仕草で茶の準備をしてから、ようやく晴久は口を開いた。
「俺、そういうのあんまり気にしないって言うか──松寿のことはそういう風に思ってないって言えばいいのかな」
「お好きさんではないの」
「ガキの頃の思い出が多すぎて、好きとかそういうもんでもない」
「童の頃」
「まあ、俺んとこに何年かいたしね。家の都合で一時期義兄弟になったし。あの頃はほんのガキでさ、にいさま、にいさまって言ってくっついて来たもんだ」
「かわゆ」
想像した吉は素直に言った。元就の今の顔立ちから考えれば相当に可愛らしかったはずだ。
「確かに可愛かった。それが今じゃ口ばっかりの頭でっかち、日輪だの日の本だの銀山寄越せだの。もう全然可愛くねえや。男を見る目もねえし」
「姫若子も、そう悪しき男振りではなかろ」
「お月さんに執着してなきゃ、ね」
確かに、と言いたげに吉は溜息をついた。二人の話になるとどうしても溜息をつきたくなってしまうのだ。
晴久は茶を立て始める。公式の席よりも手順を簡略化した、気楽な茶だった。
「ま、あいつらが勝手に何かおっ始めても俺は知らないよ。招んだのはきつだからね」
「招かねばならぬ筋もあるわえ。そも、丁々発止になるならば、尼子と毛利ではないの」
「さすがに織田の席じゃやらねえよ。毛利元就は馬鹿だけど、俺は馬鹿じゃないから」
「どうだか、どうだか」
「あんまり変なこと言うと、茶、片付けるよ」
「あ、だめ、だめ、いや」
晴久が立てる茶が美味いと知っている吉は慌て、それ以上は口にしないことにした。
それからはいつも通り、茶を楽しみながら他愛もない話になる。話の流れで晴久にからかわれた吉が怒った振りをし、晴久は笑う。そのうち吉も笑う。
出雲守護代が来ると魔王の機嫌が良くて助かる、と、安土の城の中ではよく囁かれるものだった。
「松寿が来るとなると──あいつが随行で来るかな」
「ん?」
「あんまり知られちゃいないんだけどね。側近で入谷陣内って言うのがいて」
「側近」
「うん。こいつがまた、狡猾で。毛利が銀山にちょっかいかけて、俺んとこが撃退するだろ?」
「ん」
「で、もう何回もやられてるから、俺と元就が直接話し合うことじゃなくなっててね。部下同士で停戦の議をさせるわけ」
もはや恒例行事のようなものだ。尼子としては銀山への侵略行為への報復を理由に徹底的に毛利を叩き潰すことも考えているが、実際の所、織田からの圧力で思い切った手に出られない事実があった。織田としては出雲と安芸が大掛かりな戦を行えば、織田にいざやがあった時、西の後方を守らせている出雲の動きが鈍くなるという懸念がある。出雲が勝利したとして、安芸を併合となれば当分混乱が続くはずだ。これも織田が難色を示す理由だった。
私人としては姉弟同然であっても、政治が絡めばまた別の一面がある。
晴久は陣内を思い出す。背はそこそこ、目鼻立ちも涼しく、いわば男振りの良い部類に入るだろう。頭の回転も速い。
「停戦の議に来るのがこいつでね。のらくらしやがって、賠償金を値切りやがる」
「下げねばよい」
「大規模開戦になるよ。俺は歓迎だけど、いいの?」
「だめ」
「だからムカつくけど下げてんだよ。褒めてよ」
「まァ、よいこ、よいこ」
ぞんざいな手付きで吉は晴久の頭を撫でた。子供扱いされた晴久は憮然とするが、吉は涼しい顔だ。そして言った。
「入谷陣内なる者」
「うん?」
「松寿によからぬことをも、吹き込んでおるようで。あにさまとしては心も騒ごう、ナ」
「……白旗、洗濯しとけばよかった」
侮ったわけではないが、そこまで調べているとは──晴久は即時、魔王に降参した。晴久が掴んでいる情報を当然のように吉が知っていたというわけだ。
「まあ、入谷ってのはそこまで大きな家じゃねえ。陣内が出来る奴だから元就が引き立てた」
「そこは当主の明」
「認める。あいつはそういうの上手い。けど、駒が自分を駒にしようってことに気付いてねえから馬鹿」
「常の当主なれば取り込まれはせぬであろうけれども。姫若子を出汁にしては、ナ」
吉は眉を顰める。本当に何でも知ってるんだなあ、と晴久がしみじみと思ってしまう顔だった。陣内は狡猾にも、元就と浅からぬ関係にある長曾我部元親を自らの謀略に利用しようとしている。
「鬼を出汁にするなんざ、恐ろしくて食えたもんじゃねえけどな。腹が下っちまうよ」
「食さずとも匂えばよし、というほどであろ」
「そういうことだね。そっち方面だと、本当に松寿は経験がねえから」
「ほんに、まァ」
吉は不意に苦笑する。
「あにさまも心痛絶えず、難儀なこと」
「そう思うんだったら開戦させてよ」
「だめ」
くすくすと笑う吉にはもう何も言い返せず、晴久は残っていた茶をぐいと飲み干した。
一週間後、客人の半分以上が安土に到着した。近隣の有力者以外で名の知れた将は長曾我部元親、毛利元就しかまだ到着していないが、明日には揃う目算だ。
大々的な宴に招かれた礼として、昼下がりに挨拶を兼ね、それぞれ国元で一番の土産を城主の元へ持参する。彼らは広間の豪奢な調度品に感嘆する。元親は見た目に似合わず、飾られた紫陽花を目敏く見つけ、晴久の土産だと聞き、流石は出雲守護代だよなあ、と素直に称賛した。
吉は全ての土産を素直に喜び、当然のように首座近くに同席する晴久に一々見せては我が手柄のように自慢した。一方の晴久は明らかに余所行きの顔で微笑み、賛辞を口にする。付き合いの長い将は見慣れているが、そうではない者はやはり魔王と弟の関係を勘ぐりたくなる光景だ。
「安芸が日輪の御子も、お珍しゅう、ようようお越しに、光栄に」
上機嫌の吉に声をかけられ、元就は一同の視線を集めながらも軽く頭を下げた。軽くとはいえ優雅な動きは、集めた視線の鑑賞に堪え得るには充分だ。滅多に人前に現れない美貌の日輪に人々の意識が集中する。
「安土が天女にご機嫌よう。招き賜り恐悦至極に」
「魔王とはよう称せられど、天女とはまた光栄に。頂戴の菓子もまァ、いといとしゅう」
元就の土産は一同の首を傾げさせたものだったが、吉は可愛らしいと喜び、晴久は元就の真意を見抜いて苦笑を押し隠した。
他の客人がこぞって高価な何某を差し出す中、安芸の土産は饅頭だったのだ。紅葉を象った珍しい形ではあるが、日の本を掌中に収めたと言っても過言ではない魔王に渡すには垢抜けない、と思う者がいてもおかしくはない。
「ああ、なるほどなあ。俺も鰹にでもすりゃあよかったかな」
元親が豪快に笑う。潮焼けした喉から出る笑い声は掠れてはいるが、座の注目を集めるいかにも男らしい、力強いものだった。
「魔王は何でも手に入るもんな。だったら地元の奴しか知らねえ、秘密の美味いもんの方が嬉しいか」
「皆みな嬉し。なれど此方は初におめもじゆえ、ナ」
「紅葉の饅頭なんてなあ。初めて見たぜ」
ああなるほど、という空気が座に流れる。元就はまるで他人事のように無関心な顔をしていた。晴久は垢抜けないようでいて、その実、誰よりも気遣いをしていた元就に松寿丸の影を見る。
──優しいんだよな。誰よりも。
次に吉は元親からの土産を手に取り、晴久に見せる。
「出雲守護代、御覧やれ、土佐守のからくり。此処を回すと歩みやる」
「土佐守の御器用なれば御見事なりて」
流石だよな、と晴久は元親の器用さに舌を巻いた。
吉の両手に乗るほどに小さな茶運びの人形だった。無骨に見える元親の手が作り上げたとは思えないほど小ぶりで繊細なそれは、螺子のような棒を回されると歩き出す。小ぶりとはいえ真珠があちこちに散りばめられており、権力者に渡すと考えれば高価で珍しい細工、女に渡すと考えれば純粋に可愛らしい細工だろう。吉はこういった席では珍しく後者の顔をして手放しで喜び、晴久が苦笑して場を取り繕うほどだった。
元親としては悪い気分ではない。昔馴染みのこの女が、魔王ではなく女の顔で笑う姿は元親にとって気分のよい光景だった。女を喜ばせることが好きなのだ。
「人形の盆の上に、鰹を載せておきゃ良かったな」
元親の言葉に笑いが起きる。酒のない気詰まりしがちな席の中、それで一同の緊張が解れた。茶と菓子を前にちょっとした会話が弾む。政治的な話は一切なく、あくまで世間話に終始するのはお約束のようなものだ。政治の話をしたい者は夜にでも密会するだろう。無論、魔王に全て筒抜けであることが前提になる。安土で本当の人払いができる者は魔王しかいなかった。
晴久はそれとなく座の会話を誘導し、空気を安定させながら──魔王主催のこの種類の席では仕事のようなものだと諦めていた──元就をちらりと見る。
人形のように綺麗な顔は表情ひとつ変えず、楽しんでいるようにも、否とも見えない。たまに手を動かしたと思えば茶碗を唇に当て、飲む振りをするだけだ。
──……帰りたくて仕方ねえんだろうな。長曾我部と会いたきゃ安芸でいいだろうに、何してんだか。
座に知られぬよう、ちらりと吉を見る。視線に気付いた吉は頷きもせず、くいと茶碗を空けて晴久の意を汲んだ。同じこと考えてたな、と晴久は知り、遠慮なく言うことができる。
「さて各々方、恐れ入る。今日文字は御機嫌さん、いとありがとうと信長公下さりて。夕の小宴にまた賑々に」
夜の小さな宴会まで解散──その宣言の瞬間、明らかに元就がほうっと息を吐いた姿を吉と晴久は見逃さなかった。
今度は吉が晴久を見、僅かに肩を竦める。晴久も同じ仕草をする。元就が本当にこういった席が苦手であることを、二人同時に思い知ったのだった。
夜には明日の本番ほどではないが、今日集まった面々を労う小さな宴がある。酒が入れば元就に話しかける者も出るだろう。
──長曾我部がどう出ることやら。
「きつ」
「ん」
座を離れ、吉の私室へ歩きながら、晴久は小声で言った。
「長曾我部には、入谷陣内のことは言わない方がいいよね?」
「ふうん」
吉は手にしていた一輪の紫陽花を弄び、気のない返事をした。
「まァ、好きにし」
「何それ」
「ふふ」
紫陽花を手に吉は笑う。
「出雲守護代様の御手並み、とっくり拝見いたしましょ」
簡単と言えば簡単な話だ。吉も晴久も、とうに情報を掴んでいた。
入谷陣内は恵まれた容姿と能力で政治的に賢く立ち回り、安芸では有力者とは言えぬほどの家の出でありながら、徐々に出世の階段を上っていた。最近では才を見込んだ元就に引き立てられ、外交の筋にも顔を出し始めている。直接ではなく御簾越しであったが、晴久も一度会ったことがある。陣内が元就の随行で出雲へ来た時のことだ。
控え目な態度を装いながら、その実は野心に燃え、安芸でいかに権勢を握るかに日々知恵を絞っているかが一目で分かった。
「よう、尼子の兄ちゃん。よく舌噛まねえよなあ」
部屋で一息ついていた晴久の元へ、先触れもなく元親が顔を出した。晴久は拒みこそしないが歓迎もしない。稀に閨遊びをするとはいえ、特段仲が良いというわけでもないのだ。対して元親は──不安定な時でさえなければ──晴久の前では常に笑い、楽しい話を提供する。俺に対してだけじゃない、と晴久は思っていた。
──俺にだけじゃない。こいつは誰にでもそうなんだろう。
「土佐守に御機嫌よう」
「普通に喋れや」
「何の用だ」
「いや、単に暇だから顔でも見とこうかと」
勧めてもいないのに勝手に畳に座る。晴久の世話役の侍女が座布団を持って来たが、畳の感触が気に入った元親は使わなかった。
「何だよ、俺らよりいい部屋じゃねえか」
「俺専用」
「お姉ちゃまに可愛がられてると違うねえ」
言葉ほど嘲る声音ではない。元親は吉と晴久の関係をよく知った男であり、正しく評価する政治家でもあった。
「うるせえんだよ。毛利と遊んでろ。遊んでもらえねえなら夜まで寝てろ」
「俺が遊んでやってねえだけだ。あいつとはいつでも遊べるからな」
「ああ、そう」
図々しい言い草は予想済みだった。心の揺れがない時の元親の図々しさはいっそ心地良いかもしれない、とまで思う。
「毛利と言えば、長曾我部、お前が連れて来たのか」
「ああ?」
「今回の宴。あいつ、こういう招待は今までほとんど断ってたじゃねえか」
「まあなあ、出雲と同席させると面白ェかと思って。俺んとこの海の祭りで喧嘩になりかけたくらいだからな」
「安土じゃ俺が我慢する。きつの立場もあるし」
「何だよ、安土だから面白ェのによ」
「お前なあ──」
「って、嘘だけどな」
晴久の眉が跳ね上がった途端、元親はやや慌てて白状した。気難しい晴久を怒らせると厄介だということは過去に充分学んでいる。
「俺は最初から出るつもりだったけどよ」
「いつ俺がお前のことを訊いた」
「聞けや。どうせ毛利は出ねえと思って、安土の土産は何がいいって手紙出したら」
「恋仲みてえなことしてんじゃねえ、気色の悪い」
「俺と毛利は恋仲よ?」
「よし、蹴ろうか。希望の箇所を言え」
「暴力反対、ゴメンナサイ」
晴久の脚力を思い知っている身としては即時降参するしかない。いとしくてならぬと思っている存在の代わりとして、元就を都合良く扱っていたことは重々自覚していた。このことで晴久に強烈な蹴りを喰らったのはそれほど過去ではない。
重々自覚、そして反省している。二度と傷付けることはしない。──元親はそんな態度を晴久に見せることがある。だが晴久は知っている。
──そう、思ってるだけだ。松寿だって本当は分かってる。
「で、まあ、手紙の返事がな。自分も行くから必要ねえ、って。そんだけ」
「ふうん?」
「だから俺が引っ張り出したわけじゃなくて、あいつが自発的に来たってことだ。お互い今日着いたのは偶然だがな」
「偶然?」
「俺は元々、今日着くつもりだった。ちいっとばっかし、おひいと政の話があってな。晩飯の前に半刻の予定」
「ああ、そう」
── じゃあ、本当に松寿は偶然か。
元親が無理に連れて来たわけではないと知り、晴久は内心で首を傾げるはめになる。政治的に安芸が織田とこれ以上近付く方針を採らない、ということは情報分析で分かっていた。つまり政治面から見ても、元就がわざわざこんな席に来る必要性はないのだ。間に出雲を挟んでいる以上、織田としても当面は毛利と直接的に接触する予定がない。
「そうそう、偶然」
「ああ、そう」
「こういう席、好きじゃねえだろうからな。当日に来ると思ってたから意外だ」
「ああ、そう」
「……それ、やめてくれえねえ?」
「え?」
「ああ、そう、って。それ」
無意識に口にしていた言葉を指摘され、晴久は「え」と驚く。元親は憮然とした顔だった。
「あんたがそれ言う時、半分くらい別のこと考えてるからな。──俺がいるんだから」
俺を見やがれ。
そう言った元親を晴久はしばらくきょとんと見つめていたが、やがて、悪かった、と苦笑した。
どうしようもない、と思った。
──どうしようもない。こいつはどうしようもない、……ガキなんだよな。
自分では決して気付かないだろう。誰も気付かないかもしれない。だがこの男のいとしい存在、そして元就への心の向け方を知った晴久は気付いてしまっていた。
向けた心を振り返られない、返されないことに慣れていない、耐えられない。
長い間それが続いた。今も続いている。よりにもよって最もいとしいと思っている者に。
俺には分からない。晴久は思う。俺には決して分からない。分かろうとも思わない。分かったところで、こいつの心の病は治らない。
──松寿が受け入れている間は。
「あいつがいいなら、いいだろうさ」
──こいつの最もいとしい存在ではないということを、松寿が受け入れている間は。
「ま、そういうことだな」
「そうだな」
「それより、あの紫陽花──」
元親が話題を変えかけた時、晴久を訪ねて来た者がいる、と侍女から告げられた。吉かと思った晴久はろくに聞かず、「通していいよ」と返答する。元親も吉かと思い、ここで政治の話を片付けてしまおうかと考えた。出雲に聞かれたところで痛くも痒くもない。どうせ安土と出雲は情報をほぼ共有しているのだから。
予想に反し、現れたのは元就だった。元親を見て僅かに訝しむ顔をする。ああ、と晴久は理解した。元就ではない、松寿だ、と。だから殊更に冷たく言った。
「毛利か。何だ、銀山の話ならお断りだぞ」
その声音の意味を理解し、元就は毛利の顔をする。
「……要あらば奪い取るわ。斯様な場で無粋も良きところぞ」
「ああ、座れよ」
元親が自分が使わなかった座布団を示す。元就は返事もせず、ゆっくりとそこに座った。
「おひいかと思った。まさかあんたが、安土で尼子の兄ちゃんの部屋に来るとはなあ」
「我の言だ。貴様が尼子の部屋におろうとは」
「夜まで暇だからよ、茶でも立ててもらおうかと思ってな」
「初耳なんだが」
きつならともかく何でこいつが、と呆れ、晴久は溜息をついた。その道ではそこそこ名の知れた自分に気軽に言うとは、いくら元親とはいえど図々しいにも程がある。冗談じゃねえ、と言い掛けた時、元就が先んじて言った。
「茶か。良いな」
「おい、毛利」
「──疲れたのだ。喉が渇いて」
降参、と言うように、元就の声からいつもの険が消えた。晴久と元親は同時に苦笑する。苦笑に腹を立てることもなく、元就は息を吐いた。安土で政治の話はしたくない、とその吐息で晴久に告げる。晴久は無言で承諾の意を示した。
「疲れてならぬ。安芸の外は煩わしき事象が多すぎるわ」
「滅多に出ねえくせに、よりによってこんな場所に来るからだ」
あの智将振りは何処へやらと言うような情けない声を出されては、元々身内には面倒見の良い晴久としてはこれ以上突っぱねられなくなる。元就は元就、松寿は松寿だ──誰が理解できなくても晴久はそう思っていた。
──……不思議なもんだ。
不思議なものだ。いつもそう思うのだ。
政治と私事は別、頭では分かっているし、実践している方だと思う。自分でも首を傾げたくなるほどに酷薄な判断を下す時もある。幼い頃から複雑な家督相続に巻き込まれ、様々なお家騒動と戦った中、無意識に学んでいたのかもしれない。