新人さん、こんにちは 01



今日は新兵の入軍式だ。スモーカーが入軍してからあっという間に一年が過ぎていた。
気がつけばもう一年だな、とスモーカーは制服のタイを適当に結びながら心の中で呟く。最近は訓練着ばかりで、制服に袖を通したのは久し振りだった。
目の前の鏡が役に立っていない証明のような形になったタイは放っておき、一年でだいぶ伸びた――入軍前の長さに戻った――髪を撫でつける。こちらは鏡が役に立った。規律をきっかり守らせる性格の上官が眉をひそめそうな、入軍二年目の海兵にしてはけしからんと言える長さだが、スモーカーがクザンのお気に入りだと知られている今となっては、髪が多少長い程度では誰も注意するはずがなかった。
自分なりに身支度を調えたスモーカーはいつもの棒付きキャンディを咥え、寮の自室を出る。同じ二年目の同期たちに合流し、何だかんだと話しながら寮を出る。たまたま途中で女子寮から出てきた女性陣と合流した。当たり前のようにヒナがスモーカーの隣を歩く。スモーカーも特に疑問は抱かない。
「今年の新人に――何それ、タイ」
「新人が何だって?」
「ちょっと目立つ子がいるんだって。入軍試験の時に目立ったらしいよ。――回れ後ろ」
言われた通りにスモーカーは後ろを向き、そのまま器用に歩く。ヒナはこれもまた器用に歩きながらスモーカーのタイを素早く直した。見ている同期たちは「これで付き合ってないっていうのが理解できない」と視線を交わし合う。
「おしまい、直れ。新人が目立つって言ったら去年のスモーカーくん」
「俺の場合は」
くるりとまた前を向いて歩き、ヒナが上着のポケットから勝手にキャンディを引っ張り出すことを咎めずに言う。
「先輩どもに喧嘩売られまくったから買っただけだ」
「喧嘩売られてたわけじゃないと思うんだけど……!」
入軍した当時、スモーカーは北海独特の白い肌や整った顔立ちが人目を引き、そしてよからぬ欲望を抱いた先輩海兵によく手を出されそうになっていた。それを片端から叩きのめして更に目立ち、クザンに可愛がられる理由にもなったのだが、ヒナとしては「喧嘩を売られた」とスモーカーが思っていることに驚きを隠せない。
「テーソーの危機だったとか思ってないわけ?」
「はあ? 無理にやろうってんなら自分より弱い奴を狙うだろ、誰も相手にならなかったじゃねえか。だから違うだろ」
「へえ、……うん、まあ、うん、そうかも」
スモーカーくんってこういう時すごい天然、と、やや引きつった顔になるヒナを見て、変なことを言うもんだな、歪んだ性癖の女向けのゲイ小説でも読んだのかな、とスモーカーは首を傾げる。そんな二人を見て周囲の同期は苦笑する。
「で、新人が何だって? 目立つ奴なんて毎年一人はいるもんじゃねえの」
「何かさ、うちのおいさまに聞いたんだけど」
「黄猿のおっさんが新人知ってんのか」
「そうそう。おいさまがね」
スモーカーがクザンに気に入られたように、ヒナはボルサリーノに気に入られている。物怖じしない態度と、未熟ながらも確実に成長していく姿が彼の琴線に触れたらしい。最初はやっかみも入った下卑た噂も立ったものだが、ヒナ自身の努力と実力がそれを吹き飛ばすまで時間はかからなかった。
「サカズキが気に入りそうな子だなあって言ってて、それでちょっと噂になったみたい」
「俺、そんな噂聞いてねえ」
「んー、スモーカーくん、誰がどうでナニっていう噂なんて興味ないでしょ」
「まあな。その新人、赤犬のおっさんが気に入りそうな理由は?」
「見た目」
「女?」
「男の子」
「ふうん」
スモーカーは肩を竦め、小さくなったキャンディを噛み砕く。棒だけを咥えたままもごもごと話を続けた。
「サカズキのおっさんってゲイだっけ」
「どっちもいけるんじゃない?」
「クザンも男でもいけるって言ってたし、海軍じゃ珍しくねえのか」
「スモーカーくんはどうなの?」
「今は女だけだが将来的に可能性がないとは言わねえ」
「ふうん。ヒナ思うんだけど、クザンの本命って男だよ」
「まじで? 嘘だろ、あれだけ毎日おっぱいおっぱいって言ってんのに」
「知らぬがほっとけってやつ。ヒナ理解」
「はあ?」
「あ、もう結構集まってる」
海軍の自慢の軍艦がずらりと並ぶ港で、新兵たちがまだ板に付かない制服を着込み、式典の始まりを待っていた。いかにも腕っ節の強そうな者もいれば、食べるために海軍に入るしかなかったのか、明らかに軍隊に向いていないような体格の者もいる。とはいえ彼らは――スモーカーたちもだが――まだ若く、これからの訓練次第ではどう成長するか未知数だった。
「その新人ってどこ」
「ヒナも顔知らないんだってば――きゃっ!」
ヒナが悲鳴を上げてよろけ、スモーカーが受け止めながらヒナの前に出る。周囲の同期たちが青ざめた。スモーカーがヒナに危害を加える相手に容赦がないということは、一部で有名な話だった。
たった今、ヒナに強くぶつかった少年とスモーカーが向き合う。少年は制服を着ていたが、その制服の真新しさが明らかに新人だと語っていた。
「新人か」
「そうだ」
「派手にぶつかってくれたもんだな」
「遅れそうで急いでいた。前方不注意は認める」
「何か言うことは?」
「あなたの恋人か?」
「それが言うことか。違うし、お前が言うことも違うんじゃねえか」
「ちょっと、スモーカーくん」
「スモーカー、やめろ。式典前にやばいことするな」
「ヒナ、こっちに」
同期の一人のアルビオンが二人の間に割って入る。アルビオンの恋人で、やはり同期のカレンがヒナを引っ張る。その様子を見た新人の男がふんと鼻で笑い、スモーカーを挑発するように見た。
「取り巻きが止めてくれるから粋がれるわけか。女に格好をつけるのも大変だな」
「取り巻きなんざいねえよ」
「そうか? 彼は――彼らはあなたの取り巻きだと思ったよ。群れて歩いて、そこいらの女子供じゃあるまいし」
「面倒くせえ奴だな」
「何だって?」
「名前は?」
「あなたの名前を知らない」
「ほんと面倒くせえ奴だな。スモーカーだ」
「ドレーク」
「あっそ」
スモーカーは新しい棒付きキャンディを出し、口の中に突っ込む。
「お前、男いける?」
「……何だって?」
新人の跳ね上がった眉を見て、スモーカーはキャンディをもごもごとやりながら「ふむ」と独りごちた。
「まあいいや、ヒナに謝る気がねえならもう行けよ」
「待て、どういう意味――」
意味だ、とまで言えず、新人は息を呑む。至近距離で見ていたアルビオンが「さすが」と小さく呟いた。
「新人サービスだ。今日はこれで勘弁してやる」
新人の鼻の1ミリ手前で拳を止めたスモーカーはゆっくりと言った。新人は自分が全く反応できなかったことを認めたくないように歯ぎしりをしたが、それ以上スモーカーに食ってかかる様子を見せなかった。状況判断は冷静にできる子なんだ――ヒナは思う。血の気の多い少年であれば、スモーカーに更に食ってかかって初日から叩きのめされていただろう。今の寸止めの一撃だけでそれが分かる程度には、二人の間に実力差があった。
新人がヒナを見る。スモーカーが「おい」と言ったが、意外にも彼はヒナに軽く頭を下げた。
「失礼した」
「……うん」
負けたからだ、とヒナは思った。この彼が自分に謝ったのは、スモーカーに負けたと認めたからだ。単純だがはっきりとした善悪の基準があるようだ。
新人が歩き去ってから、スモーカー以外の一同は胸をなで下ろす。血の気の多い新人が先輩に食ってかかることは日常茶飯事だが、ヒナが関わった時のスモーカーの手厳しさを知っている身としては、これ以上の騒ぎにならなくて良かったと心底思った。
「あいつ」
スモーカーが呟く。
「男、大丈夫ならいいんだけどな」
「は?」
首を傾げるヒナをちらりと見て、スモーカーは肩を竦めた。
「サカズキのおっさんのお気に入りだ」
「え? ええ? 何で分かるの? ヒナ疑問」
「いや、何て言うか――直感だけど、あいつだよ」
「えええ、確かに結構美少年だったけど――」
「あいつだよ」
がり、とまだ小さくなっていないキャンディに歯を立て、殴らなかった拳を見た。
「あいつ、強くなる」
「え」
「だからサカズキのおっさんが気に入ったんだろ」
整列、と誰かが叫ぶ。入軍式が始まるのだ。
スモーカーがその声に反応して駆け出し、ヒナたちも慌ててそれを追った。