てあそびの庭



鉄と鉄のぶつかり合う音が庭に響く。途端に女中たちが悲鳴を上げ、身を竦ませた。そんなことも知らず、幸村は槍を振るう。細身の身体からは想像できぬ膂力で操られる二槍が空気を鋭く引き裂き、狙い違わず獲物へ襲い掛かる。
その槍の筋を改めて見た小十郎は感嘆の息を吐きかけたが、着流し姿の晴久が逆袈裟に斬り上げた刀で弾き流した技量に目を見張るはめになった。狙って行うには相当の技量がいる。
槍を流され、よろめきかけた幸村は即座に体勢を立て直し、逆袈裟を振り抜いた時に生じる止むを得ない隙を逃さない。晴久が再び青眼の構えを取る前に新たな手を仕掛けた。
「鋭!」
一槍を突き出すと同時に一槍を半回転させ、風を切って晴久の剣を狙う。よほどの手練れでなければ回避が間に合わず、二槍を同時に受けるはめになる。だが槍の攻撃範囲を考えれば、どちらかの槍が必ず身体に当たる。幸村は直前で槍を引くつもりだった。はっきり言えば一槍をわざと地に落とすつもりだった。晴久の身分上、怪我をさせるわけにはいかないし、甲斐武田の副将に直前で槍を収められたということを周知させるわけにもいかない。
だがそれが思い上がりにも似た杞憂だと知ったのは、先に自分が上げた声に対する言が晴久の唇から漏れた瞬間だった。
「応!」
腕に伝わる衝撃に幸村は目を見張る。晴久を侮っていた自分を恥じた。
晴久は身体を半分捻り、先に突き出された一槍を冷静にかわし、半回転の後に襲い来た一槍を横薙ぎに払ったのだ。本能的に最速で再び体勢を立て直した。槍を取り落とすほどの衝撃ではない。だが幸村は知った。晴久の目が言っている。

──お前、手加減してんだろ。

ぞくりと背筋に震えが走った。恐怖ではなかった。高揚だ。いくさ場で強敵に出会った時の、あの感覚に近い。政宗と初めて刃を合わせた時ほどではないが、確かに同じ種類の高揚だった。
ひゅう、と息を吸う。ここが片倉家の庭であることを忘れた。小十郎の横に座る吉が溜息をついたことなど分かるはずもない。
幸村の猛攻が始まる。小十郎は内心で頭を抱えた。あの猪武者が状況を忘れ、いくさ場さながらの高揚のまま、出雲の国主に襲い掛かれば当然のことだ。俺の家でやるな、と言う気分だった。
「ハテ、コウ」
吉が呟く。胸元から扇子を出して開き、口元を覆っている。目の端でそれを知った小十郎は、妻が笑いを堪えているのだと見抜く。
「止めるか」
「おまえさまのご裁量であろ」
「炊きつけたのはお前だろう」
「なァんも。ゆきの槍も晴久の剣も、見事なものであろ、と申しただけだえ」
「ったく、お前は」
小十郎は庭先の若武者二人を見る。なるほどな、と思った。吉が積極的に止めようとしない理由が瞬時に分かったのだ。吉は小十郎が思っている以上に幸村と晴久を理解しているらしい。
「鋭ッ!」
「応!」
猛攻を受け、晴久はじりじりと後退していくように見える。押されていることは確かだろう。剣で受けるには困難なほどに突出した技量の槍術使いである幸村相手に、戦う準備をろくにしていない着流し姿では不利もいいところだ。小十郎でさえ、幸村の槍を着流しで受けたいとは到底思えない。
だがその後退の仕方に、小十郎は舌を巻いた。
「きつ」
「はい」
「そういやお前の『上の弟』は、風流人の肌だったか」
「是。あの着流しもなァ、嗜む茶道の流派の儀なのだえ」
「──庭は、大丈夫そうだな」
「ふふ」
吉は鳴り響く鉄の音に目を細め、扇子を閉じる。
「ほんに、良い男になったこと」
本当に嬉しそうに言う妻に苦笑し、小十郎は再び若武者二人のぶつかり合いを観察することにした。あの年頃の己を思い出しながら。


傍から見れば優勢極まりないのは幸村だ。自身でもそれは分かる。
だが数々のいくさ場で磨き抜かれた本能が違和感を感じ取り、注意を喚起するかのごとく喚き始めた。
確かに晴久は後退している。背後には片倉家自慢の池が迫っていた。手合わせを開始した小十郎と吉がいる部屋の縁側の前から相当離れたことになる。いつの間にここまで追い詰めていたのか。
だが違う。違う、と幸村は感じる。
美しく整った庭に不似合いな鉄の音が思考力を奪い去る前に考える。何に対して違和感を感じているのか。
「鋭!」
「──応ッ!」
窺うために繰り出した一撃を、晴久は見事に払う。これだ、と幸村は思った。先ほどから繰り返される払い方に違和感を感じている。
そして気づいた。
──避ける方向を、操縦しておられる。
真の意味で押されているのであれば、ただただ後退を繰り返すだけのはずだった。
だが晴久は幸村の槍を受け、後退する瞬時、細くすら見えるその足腰からは想像できぬほどの強さの力で、身体の向きを僅かに僅かに変えているのだ。幸村は次槍を正面から突き出す攻撃を繰り返していたが、いつの間にか晴久に導かれるように進行方向を変えるはめになっていた。
──何を狙っておられる。
本能が突きを控えさせた。一槍を横に薙ぎ、一槍を上から振り下ろす。晴久が僅かに舌打ちをした音が聞こえた。
「お前」
晴久が言う。
「俺よりずっと強ェけど、無粋」
「え」
幸村ははっきりと見た。振り下ろした槍の前に、晴久が「わざと」自分の刀の鞘を当てたのだ。
刀が地に落ちる。一見すれば幸村の勝ちだ。勢いで晴久の身体が傾ぐ。
だが次の瞬間だった。
「風呂、借りねえとな」
「え、──あ、あ、──あー!」


片倉夫妻は同時に噴き出した。
「なるほど」
小十郎は呆れ半分、感嘆半分で妻に言った。
「試合は真田、勝負は晴久殿、だな」
「ふふ」
吉が笑う。それはもう、嬉しそうに。
「どちらも、勝ち」
若武者の慌てた声が響く。 少し遅れ、派手な水飛沫が上がった。


「晴久殿、大事ないでござるか!」
「ねえよ」
「国主たる御身に万が一ございますれば、幸村、申し訳が立ちませぬ!」
「お前、声でけえよ」
「も、申し訳ございませぬ!」
「だから……」
二人揃って池の中、髪の毛から足の指先までずぶ濡れだった。膝までの浅い池とはいえ、転がり落ちたのだから仕方のないことだ。
晴久が転ぶ時、狙い済ましたかのように自らの足で幸村の膝を払ったのだ。それは砂上を駆け回る幼少時から培われた、足腰の強さがあるからこそできることだ。足ではなく膝を払われては、卓越した体術を誇る幸村とて転ぶ。転んだ先に池があり、晴久と共に転がり落ちたのだった。
幸村が手を付き、水面に顔を突っ込むかという勢いで頭を下げる。
「晴久殿がそれがしに勝ちをお譲り下さろうと鞘を当てられました時、槍を止められませなんだ。未熟に恥じ入るばかりにござりまする!」
「譲ってねえよ。あのままやったら俺が怪我するから投げただけだ」
それは嘘ではなかった。晴久は剣の腕に自信があるが、過信してもいない。さすがに怪我をしていい身分ではないし、何より吉が責任を感じるのが嫌だった。それならば戯れ試合の勝ちくらい、いくらでも譲る。
「この失態、いかな非公式とはいえ、幸村、何とお詫び申し上げれば──う、わっ!」
不意に背後から後ろ襟をひょいと掴まれ、猫の子のように引き上げられる。誰だと考えるまでもなく、竜の右目にしかこんなことをされたことはなかった。慌てふためく幸村を見、池の中に胡坐をかいた晴久が「猫みてえ」と静かに笑う。
「み、右目殿、離されよ!」
「風呂だ、風呂。二人とも」
まったく、と小十郎は溜息をつく。
「きつを喜ばせてくれて、有難うよ」
晴久は肩を竦めて立ち上がり、幸村は「きつ様がお喜びあそばされたのか!」と戦功を挙げたかのような喜色を湛える。
「きつ様、お喜びいただけましたならば、幸村、光栄にござりまする!」
「おいこら」
小十郎の手をすり抜けて駆け出そうとした幸村の後ろ襟を、今度は晴久が素早く掴む。ぐえ、と喉を圧迫された幸村は妙な声を漏らした。
「何をなさる、晴久殿!」
「その格好できつの傍に行くな、阿呆。お前んとこの透波に着替え持ってこさせろ」
「佐助は透波ではなく佐助でござる!」
「意味分かんねえよ」
「とにかく風呂だ、二人とも。いいな」
言い合う二人を置き、小十郎は妻のいる縁側へ戻る。どこかで佐助の「やれやれ」という声が聞こえたような気がした。
「どうしようもねえな、お前の『下の弟』は。猿飛が目を離せねえのも仕方ねえさ」
「ほうかえ」
「真田もいずれ、気づくだろうがな。晴久殿がなぜあんな後退を続けていたのか」
早々に武ではかなわぬと見抜いた晴久は、庭の景観を損なわぬよう、何も傷つけぬよう、後退路を決め、幸村を誘導していたのだ。それは国主として国の様子全てを、総大将としていくさ場全てを見渡す経験があるからこそ生じた考えだった。
「ゆきがいずれ、気づくとお思いかえ」
「俺はそう思うぞ」
「おまえさまが仰るなら、そうであろ」
「俺より目利きが遠慮深いもんだな」
「なし、なし。もう時勢も分からぬえ」
吉が口元を綻ばせる。小十郎も無意識に微笑んでいた。
戦火の日々、妻がこんな笑い方をしなかったであろうことを思うと、自然に胸の奥があたたかくなる。
「いいから、一緒に入れって言ってんだよ。湯がもったいねえだろうが」
「さすが晴久殿、節約心もまた風流でござりますな!」
「お前の言うことって半分以上意味分かんねえよ! 声でけえし!」
「晴久殿も大きゅうござりまするが!」
物静かな晴久が、元気な幸村に釣られていつもよりもやや大きな声を上げている。幸村も気づいているのか、どことなく楽しそうだった。
吉は嬉しそうに二人を見ていた。
その妻を見て、小十郎は嬉しいと思った。