01. 傷跡を自覚した朝
城の侍女たちがくすくすと笑いながら手元を動かし、話をしている。
仕事をさぼるな、と言うほど野暮ではない。空いた時間に話をすること、それは諍いがない証だ。
彼女たちが小十郎に気づき、おはようございます、と声を揃えて慌てて挨拶をした。
その途端、侍女のひとりが持っていたものがひらりと小十郎の足元に落ちる。
小十郎は何の気なく拾い上げ、御無礼を、と焦る侍女に手渡した。
「綺麗に折れている。器用だな」
なぜか眉をひそめて微笑む竜の右目に何も言えず、侍女はただ、渡された折鶴を手に恐縮するばかりだった。
02. あるはずのない温もり
「信長公、お珍しい」
光秀が本気で驚いた声を出す。吉は平常通り返事をしない。この男にはこれでいいと分かっている。
「ああ、いや、しかし──」
常に無礼なことを平然と言う男は今日も無礼だった。
「鶴、でございますか。正確には鶴のつもりでございますか」
やはり答えず、折りかけの鶴を投げ捨てる。
あの鶴も折りかけのまま置いて来てしまった。
下手くそめ。あのあたたかい声が聞こえるような気がした。
聞こえるはずもないのに。
03. ただ偶然を待つ
それ以外に、どうやって出会えばいいのか。
分かってはいる。
だが、分かってはならない。
今立つ場所を捨てて良い立場ではない。
欲する者を愛するのは、己が欲しても届かぬものがあるからだ。
04. 君が残した忘れ物
目をかけている騎馬隊の青年に遠回しに言われ、苦笑するしかなかった。
休暇が終わってから少し冷たくなってませんか、と言われれば、そうするしかできないだろう。
今までのように誰にでも優しくすることが難しくなった。
最も優しくしてやりたい女を失ってから、己の優しさに何の意味があるのかと思うから。
05. 似た後ろ姿を目で追って
妻かもしれない。
夫かもしれない。
だから振り向くな。
だから振り向かないで。
違うのだと思い知りたくない。
06. あなたが好きなもの
笛は好きか。
すき。きっと。
他愛のない会話だった。
他愛のない日々だった。
藤の花が香る夜風の中、月に吸い込まれるかのような音色が響く。
「素晴らしいね、竜の右目。信長公も聞き惚れておられたようだ」
何も知らぬはずの男が口を出す。笛をおさめ、小十郎は軽く目礼した。
「信長公の御前にて、手前の程度では恐縮するばかりで」
「なあに、この方はそのようなこと瑣末と仰るよ」
知ったような口を利くんじゃねえ──その感情を飲み込み、上座の女を見る。
そして言った。
「笛は」
他愛のない、
「お好きであらせられるか」
他愛のない──
「すき」
小さな声であったのは、声の震えを隠すためだと分かっていた。
分かる程度には、他愛のない日々を共に過ごしたのだから。
政宗が無表情を貫いていたのは自分のためであることを感じ、ただただ、感謝するしかなかった。
07. 笑いあう夢を見た
だから朝から癇癪を起こし、光秀を扇子で引っ叩くはめになった。
08. ふと真似てみた君の癖
誰もいなくてよかった。
女の仕種の真似など見られたら、竜の右目の威厳が地に落ちるというものだ。
09. さよならの場所で
雪の日はあの部屋へ行かない。
俺は軍師として正しいことをしたのだ。
男としては誤ったことであっても。
そう思い続けるために、雪の日はあの部屋へ行かない。
行けない。
10. いつか思い出に変わるまで
「いや、俺が言うのもお節介だけど」
思い出に変わるまではいくらでも付き合うからさ、気が向いたら愚痴れ。
精一杯難しい顔を作って言う主君に、小十郎はつい微笑んでしまった。人生を捧げた主君が自分のことをこれほどまでに気に掛けてくれている。
「変わらないから、困るのですよ」
だからつい、正直に言った。
「死ぬまで夫婦なのですから」
政宗はそれきり、二度とこの話を口にすることはなかった。