01. 迷迭香
夫婦仲が良い、とよく言われる。
伊達を地で行く政宗でさえ、ちょーっと進歩的すぎんじゃねえの、と照れる程度には仲が良い。
それでも大喧嘩も少なくはない。
今日も大喧嘩だ。原因はいつも些細なことばかり。小十郎は口が立つが、喧嘩の途中に癇癪を起こした吉はそれすら封じ込める。
「ったく、お前が来てからしょっちゅうこれだ!」
小十郎とて遂に激昂する一歩手前、つい、普段は決して言わないことを感情に任せて言ってしまった。
「のんびり落ち込む暇もねえ!」
「なればわらわに感謝なされましや!」
勝ち誇った顔で言う妻に、やられた、と瞬時に観念する小十郎だった。
寂しい感情を忘れたほどだ、と言いかけたことに気付いたから。
ローズマリー (迷迭香 マンネンロウ) / あなたの訪れで私の悩みが消え去った
02. 金蓮花
吉にとっては面倒なことに、政宗にとっては不運なことに、旧臣数人と歩く国主と、侍女と城下に買い物に出た右目の妻が茶屋でかち合った。
ここはひとつ、扇子で口元を隠しながらも僅かに見せつつ、彼らに分かるようににこりと微笑む。
「こんにちは、まこと宜しきお天気に。政宗様にご機嫌ようならっしゃいまして。皆々様もご機嫌ようならっしゃいまして」
噂の深窓出の姫の、京を香らせる口上に、旧臣たちは嘆息を吐く。
「いやいや、何ともお美しく、清楚なる片倉の奥方で」
前半は好みの問題もあるが認める、だが後半は認めない──政宗の顔にそんな感情を見、元魔王は扇子を僅かに動かし、口元は笑んだまま、政宗にしか見えない位置でぎろりと睨んだ。
オンシジウム (金蓮花 キンレンカ) / 清楚、上品
03.加密列
政宗が政治的に辛い状況にある。それは城下でも噂になっている。もしかすると奥州は──そんな話にまでなっている。
小十郎は家で何も言わないが、妻の耳にはいつの間にか届いている。
主君が逆境にある時、浮いた心にはなれない。家のことも疎かになる。あれだけ大事にしている妻のことも忘れがちだ。
久々に夕餉を共にした時、腹を決めて小十郎は言った。
「政宗様が奥州を手放されたら、俺も同じだ」
「ほうかえ」
妻の返事は素っ気ない。小十郎は溜息をつく。
「お前、それでもいいか」
やはり、妻の返事は素っ気なかった。
「有り得ぬことに心を馳せるほど、わらわは暇ではないの」
まじまじと見て来る夫に、吉は眉を跳ね上げてみせた。
「あの仔竜が遊び場を手放すものかえ。石を食もうと離れやせぬわ」
「遊び場だの石だのって、お前なあ」
それでも小十郎は笑ってしまう。
久し振りに笑ったような気がした。
カモミール (加密列 カミツレ) / 逆境に耐える強さ
04.花菖蒲
家に帰ると妻の機嫌が良かった。
「機嫌がいいな」
「そ? 別に、なんもなんも」
「そうか。──ああ、ところでな」
機嫌のいい妻を更に喜ばせるような話題を選んで話をする。他愛のない夜だ。
使用人から聞いていた。何だかんだで妻が慕っている甲斐の虎からの手紙が、午後に届いたことを知っている。
それが嬉しいならいいさ、と小十郎は素直に思った。
思うことにした。
嫉妬よ、いとしい女の笑顔の前では消え失せよ。それぞ伊達の心意気。
花菖蒲 (花菖蒲 ハナショウブ) / うれしい知らせ・心意気
05.待雪草
口にしたことはない。だが夫は分かっている。
妻は奥州の雪がとても嫌いだ。雪が酷い時には一日中、夫婦の部屋から出ようとしない。
大雪のとある朝、やはり吉は部屋から出なかった。
出仕の仕度を終えた小十郎は、ふとある部屋へ足を向ける。
あの日に、二人が別れた部屋だ。
あの日と同じ場所に座り、庭を見る。
庭師の源爺が夏のうちに美しく整えてくれていた。雪化粧の中、その美しさは何かの記憶に怯える夫婦を慰めてくれる。
あの日の絶望を、いつか二人で乗り越えなければならない。
分かっている。
この庭を二人で見れば乗り越えられるような気がしている。
それでもまだ、一緒にあの庭を見よう、と妻に言うことができない。
儚い希望を絶望の中から取り出せぬまま、小十郎は城へ向かう。
スノードロップ (待雪草 マツユキソウ) / 希望・慰め
06.松林檎
旦那さんのどこがいいんだよ、と晴久がにやにやと笑いながら問う。
その横で、晴久殿は開放的だ、と幸村は照れに照れる。
天井裏の佐助は幸村の様子に溜息をつく。
どこと申しても、と吉があっけらかんと答える。
「旦那様であらっしゃるもの。ぜんぶぜんぶに決まっているであろ」
晴久は「やっぱりなあ」と大笑い、幸村は「きつ様も開放的でいらっしゃいます」と耳まで真っ赤、佐助は「やれやれ」と深い深い溜息。
パイナップル (松林檎 マツリンゴ) / あなたは完璧・完全無欠
07. 牛蒡
夫が畑で作る野菜はこの上なく美味。
それをどう料理しようか、否、させようかと考えるのも吉の楽しみのひとつだ。
とはいえ一度畑に出てしまうと、休みの日でも日が暮れるまで帰って来ない。
普段の日、仕事に出かける朝に見送るのと、休みの日に見送るのは全く気分が違う。
まるで一人にされているような気分だ。
夫にそのつもりはないと分かっていても。
行かないでと言えない自分が甘え下手なのだと、本人だけが気付かない。
孤高と言えば聞こえのいい、孤独と言うに相応しい過去を捨てた身としては、こんな時にどう言えばいいのかまだ分からない。
牛蒡 (ごぼう) / いじめないで
08. 彼岸花
今日は諸将からの手紙が多い。そういえば、女に手紙を書くには良い口実ができる季節の変わり目。
ひとつひとつ読みながら、返事の優先順位をつけて行く。
信玄は一番、晴久も一番、幸村も一番、それから奥州(夫)と関わりのある武将を先に、家康は最後の最後、それからこちらは──きりがない。
まあ、と吉は思う。
「──まあ良い、どなたもこなたも。機があれば再び見えるであろ」
一人一人の顔を思い出しながらより分けていく女主人の部屋に、侍女のおこうが顔を出した。
「もうすぐ、旦那様がお帰りのお時間ですよ」
たちまち手紙を放り投げ、いそいそと身支度を始める女主人の姿に、おこうはつい微笑んでしまう。
彼岸花 (ヒガンバナ) / また会う日を楽しみに・想うはあなた一人
09. 山葵
寝ている間に誰ぞに山葵を口に突っ込まれたか、と吉は思う。
鼻の奥がつんとするこれは、その感覚だ。
山葵のようなものを食べ過ぎると涙が出る。
本当の意味で奥州に来て初めての朝、隣で眠る夫を見て、まさか山葵を思い出すとは。
泣き方を忘れた女はそう思い、唇を噛み締め、その感覚をやり過ごした。
山葵 (ワサビ)/ 目覚め・嬉しなみだ
10. 空木
「最近暑いけどさあ、姐さん、元気?」
夫の留守中、その夫の主君がふらりと寄った。夕餉までには帰れと顔に書いて出迎え、世間話に付き合ってやる。正確には政宗が一方的に喋る。
「こっちの夏ってどう、安土や尾張に比べたらマシ?」
「比にもならぬ」
「ああそう?」
初夏のために整えられた庭を見ながら、政宗は取り止めもないことばかりを喋る。吉は返事をしたりしなかったり。
「あーでもさあ、姐さんが奥州来てくれてよかったわ」
「ほうかえ」
「小十郎が優しくなった」
「ほうかえ」
吉の返事は素っ気ない。他に言いたいことがあるのだろう、と言うように。
だから政宗はまた、取り止めもないことばかりを喋る。
城下街の噂話から、いつしか恋の話。ああいう子がいい、こういう子が理想、と勝手に喋り、やはり吉は適当に聞いている。
「──小十郎と姐さんみてえに、すげえ恋、俺もしてえな。あっつい、ろまんちっくってやつな」
「ほうかえ」
やはり素っ気ない返事。
と思いきや、珍しく吉が言葉を続けた。
「かなわねば、浪漫的な熱き恋ではないと申すかえ」
政宗は吉を見る。
そして苦笑いを漏らした。
「姐さんには、かなわねえよ」
吉は何も言わなかった。同じ場所にいながら政宗を一人にした。
だから政宗は思う存分、ここではかの紅い彼を思い出すことができる。
空木 (ウツギ) / 夏の訪れ・秘めた恋
お題拝借:恋したくなるお題 配布