翼を斬り愛を繋ぎ止めるきみの不器用



そんな気はしていた。むしろそれしかないだろう、とも分かっていた。護りの国とはいえ強国である以上、戦は過去から未来へ続いて行かざるを得ないものだ。天下泰平は暫し先だろうさ、と晴久は思っていた。
「思ったより乾燥してねえんだなあ」
「こっちは海沿いだからな」
「そりゃ、そこを通って来たんだから知ってるさ」
「入港許可なんか出してねえ」
「出雲守護代様直々にお出迎えに来てくれたじゃァねえか」
元親は楽しそうだ。気分が高揚していることは一目で分かる。いや、他の者が見ればいつもと同じく陽気な海賊だ。だが晴久には──戦の只中に身を置いたことのある者ならば分かる、血と泥濘のにおいを纏う興奮と高揚だった。
「いかにも戦帰りだっていう船が乗り入れて来て、しかもお前の船だってんなら俺が出ねえと血を見るだろう。戦帰りの男どもなんて、ろくなのがいねえ」
今 日はたまたま港近くの屋敷にいたからいいものの、と晴久は眉を跳ね上げた。何を言っても今の元親には無駄だと分かっているが、黙っているのも気が済まな い。案の定、元親はいつもよりも大きな声で笑った。普段あまり大きな音がしない生活を送っている晴久としては酒でも入っていない限りは不愉快な笑い方だっ た。
「ああ、だからか。港に女も子供もいやしなかった」
「当たり前だろう」
港付近に見慣れぬ船影、近づいてくる──それを聞いた瞬間、晴久は港付近から女子供を全て避難させるよう命令を出した。犠牲になるのは常に弱者であり、そして女子供は国の財産でもある。
船が長曾我部軍の船だと聞き、大体の事情を理解した。元親が戦場での昂ぶりを持て余し、こちらへ船首を向けたのだろう。
「俺んとこは、女子供に手を出さねえぜ。野郎どもは紳士ってやつだ」
「御陣女郎(慰安婦)を乗せてるだけだろう」
「賢いだろ? 女は金が手に入る、野郎どもは罪を犯すことなく気持ちよくヌける」
晴久は肩を竦めた。お前は正しいよ、という意味で。今はどんなことでも肯定されるのが嬉しいのか、元親は喋り続けた。決して無口ではないが多弁な部類に入るわけでもない元親であっても、今日はやはり気分の高揚が鎮まらない。晴久は諦め、元親に「ちょっと待て」と言い、元親ではない誰かに向かって命じた。
「人の払い」
数瞬の間の後、元親は思わず背筋を伸ばすところだった。それまでこの空間には自分と晴久しかいないと思っていた。だがそうではなかった。複数の人間がどこかに潜んでいたのだ。今、元親にそれを教えるため、わざと彼らは一度気配を露骨に覗わせ、次の瞬間には再び消えた。晴久が「人の払い」と言ったからには人払 いなのだろうが、もしかするとそうではないのかもしれない。再び気配を消しただけで、また潜んでいるのかもしれない。
「──面白ェな、本当に」
元 親は笑った。面白くて仕方なかった。戦での昂揚感がそのまま悪い薬のように身体から出て行かない。晴久は溜息をつく。元親の昂揚が完全に収まるまで外に出 さない方がいい。似たような状態にあるであろう、いわゆる「野郎ども」は港近くの色街の区画に押し込んでいる。陸の男と違い、多少ならず荒々しいのは仕方 ない。こんな時だもの、外に出て悪さをされるよりゃマシさ、と色街の女たちは不平を言わずに治安維持に協力してくれていた。
後でそれなりに褒美を 届けなければいけない。ああいった場の女たちは何よりも年季の短縮のために金を欲しがるだろう。とんだ出費だ、と元親を殴りたい気持ちを堪え、晴久は溜息 を押し殺すばかりだった。毒舌で黙らせることは容易だが、今の元親に対してそれは得策とは言えない。
──ある程度落ち着くまでは喋らせておくさ。
元親が何を求めているかよく分かっている。色街に押し込めた男たちと何も変わらない。
だが、ひとつだけ決定的に違うことがある。
あの男たちが求めるそれと、元親が求めるそれの違いだ。
「さて、此度はどんな。土佐守、なァ」
元親が嫌わない程度の優雅さで言葉を紡いでおく。公式の席でもないと言うのに土佐守と呼んだのもわざとだ。これで元親は暴走しそうな本能に理性を被せたままでいようと辛うじて自分に言い聞かせるはず。国主とはそれほどまでに体面を重んじるものだ。
元親も多少は考えたのか、今にも誰かを食い殺しそうな興奮を多少自ら宥めようとした。
「今回、な。ああ、そう、やっぱり最近は陸ばっかりで──今回も──」
元親は戦のことを語る。興奮冷めやらぬ今、戦が分かる相手に話せることがまた楽しくて仕方ない。
からくりに野郎どもの活躍、敵軍が思ったよりも出来る軍勢で手こずったことは否め得ない、だが野郎どもはよくやった、本当によくやった──自分の手柄話より も部下を褒めちぎり、宝物を自慢する子供のような眼の輝きで語られる彼らの活躍は、聞いている晴久にとっても面白かった。最初は元親を少しでも落ち着かせるために聞いていたのだが、やがてあれは、これは、と質問をするようになる。
「ああ、そうだ、それでな──」
話が進み、元親がふと思い出したように言った。
「終盤でな。大坂が加勢しやがったのさ。俺んとこにな」
「──大坂」
「ああ」
「その話なら敢えて来ずとも。コウ、なァ」
最後、敢えて階級を意識させるような言葉使いをしたのはわざとだ。
大坂。
この単語を口にしただけで、元親が一瞬、意識をまた戦場へと飛ばしかけたから。それは晴久にとって歓迎できることではない。
「コウ。土佐守、飽いた、飽いた。いくさの話はもうよしに」
「──ああ、──ああ、そう、大坂がな」
元親が笑う。晴久が本当に、大坂の話をしたくないのだと顔で語っているからだ。政治の席では鉄面皮の男の表情が崩れるさまが面白くてたまらない。
「大坂がな」
「もうよしに。飽いた」
「──ああ、あァそうかい、そいつは悪かった」
悪かったと言いながらくすくすと笑う。何がおかしいのか晴久には分からない。
こりゃここまでか、と晴久が思うのと同時に、元親の手が動いた。晴久の手をぐいと引いたのだ。ふざけやがって、と心の中で毒づきながら、晴久は元親のあぐら上に倒れるはめになる。
「女じゃねえ」
半ば諦め、素の言葉に戻す。こうなっては元親が「取り繕いをしても自分が勝手にやる」と言いたいも同然だと分かったからだ。それにしても晴久自身の興が乗った「遊び」の時以外で、いかにも強い男が好みがちな、膝に侍らす女のように扱われることは許し難い。
「分かってるさ」
分かっていると言いながらも元親は丸っきり、女の髪を愛撫するように晴久の髪を撫でる。手の届く場所にあった障子を開け、冷えた空気を吸い込んだ。
「見てみろよ。綺麗なお月さんだ」
「ん」
髪を、頬を撫でられ、晴久は完全に諦める。ごそごそと身体を動かし、だらしなく──そう、それこそ興が乗った女のようなだらしなさで膝枕の態勢になると、元親は僅かに満足そうな顔をした。業腹でいけない、と晴久は苦々しい。
「綺麗だったんだ」
「……戦の頃は、どんな月が出ていた」
問いながら分かっていた。元親は違う月を見ている。大坂勢が現れたその時から、鬼はもう、空の月なぞ目に入らなくなるのだ。
「月、か」
「出てなかったか」
「出てた」
大きなてのひらで晴久の頬と顎を撫でる。いとおしい宝を撫でる手つきに、晴久は小さく息を吐いた。まるきりの女の扱いに腹が立つのは相変わらずだが、感触が心地がよかった。
「出てたよ。綺麗な月だった」
「よかったな」
元親の手は変わらずに優しく、心地よい。月の光が眩しく、晴久は目を閉じた。
「冷え切った夜の空気の中で、本当に綺麗に、そこだけ」
蒼い光を放っていた。元親はそう呟いた。そこだけ、あの彼だけしか、その時にはもう見えなかったのだろう、と晴久は思った。
男の無骨な指が晴久の唇をなぞる。晴久は僅かに唇を開き、その指先を軽く舐めた。びくり、と男が震える。いつもの元親ならこの程度は笑って流すはずなのに、その震えは明らかに、昂ぶった熱を持て余している証拠だ。
──月を抱きたかったんだろう。お前は。
晴久は知っていた。元親が求めたのはあの月だ。──求めても求めても、抱くことができない、あの月だ。
「……なあ」
元親の声はどこか、怯えるような色があった。
抱くことができない月を思い出したかのような、寂しい声だ。
唇をなぞる指が頬を撫で、首筋へ落ちて行く。欲を感じさせるその触れ方に、晴久は溜息を押し隠しながら囁いた。
「眩しい。障子を閉めろ」
障 子を閉めれば月は見えない。言われた通りに障子を閉める元親の膝から晴久は身を起こし、慌てたように手を掴んで来た元親に冷たく──まるであの月のように ──、灯りを消すだけだ、と言いながら、仕方なく軽く唇を合わせてやる。元親が深い口付けを求める前に身体を離し、灯りを消すと、その途端にを強く手首を 掴まれ、あっという間に男の腕の中に引き寄せられていた。


たまさかの遊びの時のような抱き方ではなかった。
唇と指でゆるやかに長く、優しい愛撫を繰り返す男に、晴久は何度も気をやるはめになる。
熱を持て余しているはずの男は自らを抑え、ただただ、目の前の存在に心地良い快楽を与えようとしていた。
晴久が何かをしようとしても、闇の中で男は優しくその指を止め、あんたは何もしなくていいんだ、と、まるでいとしい恋人に与えるような甘い声で囁く。
「あんたが気持ちいいなら、それでいいよ」
囁きに晴久は敢えて言葉を紡がず、喘ぎで応じる。元親がそれを望んでいるのだとよく知っていた。
月の光を届かなくさせたのも、灯りを消したのもこのためだ。大坂の月を思い出した元親が混乱していることなどすぐに分かった。
あの彼がどんな喘ぎ方をするかなど知らない。どんな反応をするかなどと知るはずもない。だが晴久はおよそ元親が好みそうな声を出し、喜ばせ、暗く歪み切った欲望を満たしてやることに終始する。
気持ちいいか、大丈夫か、と、ことの間に元親は何度も囁く。そのたびに手を伸ばし、頬を撫で、言葉ではなく感触で大丈夫だと伝えた。それで元親は安心するのだ。
もう晴久を抱いているなどと分かってはいないだろう。元親はただ、甘い言葉を囁き、身体を繋ぎ、相手を気遣い、とにかくお前がいとしいのだと荒い息の中から言葉を紡ぐ。
──これでおとなしくなるなら、構わねえ。
晴久は男の汗ばんだ背を抱き、喘ぎ、確かに与えられる快楽を享受しながら、自らにとっては無意味な睦言を聞き続けたのだった。


元親にとっては甘やかな快楽、晴久にとっては理性と肉欲が乖離した快楽を味わう夜が終わったのは、月が姿を隠そうとする頃だった。障子の向こうは白み、やがて海から太陽が顔を出す時間が近付いていることを教える。
戦の疲れが襲って来たのか、欲を満たした男は腕の中に晴久を抱いたまま、深く眠り込んでいた。晴久はそっと腕を外し、身体を離す。
「……ったく」
滅多に吸わない煙管を出し、煙草盆で火を起こす。
「厄介な野郎だ」
燻り始めた煙草盆に煙管をかざし、火を点ける。一口吸い、眠っている男にふうっと吐き出してやった。深い眠りの中にいる元親は反応しない。煙管で殴ってやろうか、と晴久は苦々しかった。
起きれば元親はいつも通りだろう。そんな気がした。ただ晴久と「遊んだ」と思っているかもしれない。闇の中で聞かせた甘い囁きなどきっと忘れている。
不安定な男だ。晴久はそう感じていた。
──心も病む奴がいるって、聞いたことがあるけどな。
元親がそうであるかは知らない。知ったことでもなかった。出雲に脅威さえなければ、出雲守護代としては元親個人のことなど考慮に入れるつもりもない。脅威となるならばまた別だが、今のところは友好であると言い切れる。
障子を開け、冷えた空気を呼び込む。海風の香りが漂い、辺りが明るくなり始めた。太陽が昇る時間だ。
やがて元親が呻き、ゆっくりと目を開けた。
白んだ光を背に煙管を吸う晴久を見上げる。晴久も煙管を手にしたまま、元親を見下ろす。
元親が何かを言う前に、ふうっと、また煙を吹きかけてやった。
「おはようさんのご機嫌さん」
「何すんだよ」
眠いながらも言ったその声はいつもの男のもので、馬鹿じゃねえの、と晴久はいつも通りの冷たい声を返しながらも、眉を顰めて微笑んでみせたのだった。
面倒な野郎だ。
そう思ったから、そんな微笑み方をした。