明日は休みだと誰もが浮かれる中、スモーカーとしては浮かれる気分にもならず、どうにも納得のいかない一日だった。
しかも朝から立て続けだ。出勤の道すがらに買いたかったデリのコーヒーは今日に限って売り切れで、山積みになっていた書類は些細なことばかり、それでも目を通さなければたしぎに怒られるので無視もできず、他にも細々としたつまらないことを並行していたら午前中がすっかり潰れた。
せめて午後からはもっと建設的なあれやこれやを――脳裏でそう思い描きながらランチに向かおうとすれば電伝虫が政府の事務高官の顔になり、溜息をつきながら、ああどうもスモーカー中将だ、申し訳ないが予定が詰まっているもので手短にお願いしたい、と、かなえられるはずもない希望を口にしながら長い会話を開始するはめになった。
結局ランチは食べそびれ、午後の予定もからっきし、狂いっぱなしだ。空腹を紛らわせるためにコーヒーに大量のミルクをぶち込みながら、面白くも何ともない、給料のうちでなければ触りたくもない書類仕事に没頭した。
事務高官の件は片が付く気配も見えずに午後のほとんどを食い潰す。定時に仕事が終わるはずもなく、スモーカーは数時間の残業を覚悟する。散々前線で暴れ回っているとはいえ実は軍の上から数えた方が早い高官、海軍の制度上、モチベーションをかろうじて保ってくれるはずの残業代は出ない。出世の弊害のひとつだ、と何度思ったか知れない。
たしぎも付き合いで残業をしたい様子だったが、手伝ってもらうことがねえからとっとと帰れと言って帰してしまった。
男尊女卑と言われればそれまで、しかし未婚の若い女が週末に残業などするべきではないとスモーカーは常々思うのだ。週末の夜にどれほど重要な出会いのチャンスがあるのか、それなりに若い時代を謳歌したスモーカーはよく知っていた。
片付けても片付けても書類は減らず、事務高官の顔をした電伝虫が何度も喚く。最後には電伝虫を叩き潰してやりたくもなったが、考えてみれば事務高官も週末のこんな時間まで働いているわけで、それならお互い様だし今だけは同士のようなものだと思ったら苛立ちもなくなり、話しながら電伝虫の鼻っ面を指でつつく程度にしておいた。
全てが一段落したのは時計を見るのも馬鹿馬鹿しくなるほどに夜が更けた頃だった。日付が変わるまであと一時間もない。深く溜息をつき、もう何本目になるか分からない葉巻に火を点ける。
煙を燻らせながら、我ながらクソッタレな気分で疲れてる、せめて休日は好きなことをして過ごそう、と思った時だった。
電伝虫が顔を変えていく。珍しい、と思った。
珍しい、と思いながら、嬉しい、と思う自分もいた。
電伝虫の鼻っ面をひとつ指で弾いてから応答する。ハロー、とお決まりの言葉を言う。電伝虫の向こうにいる彼も同じ挨拶をし、それから照れ隠しと分かる声音で、暇だったからちょっとお前を思い出したんだ、と付け加えた。
「そうか」
スモーカーがそう言うと、そうだ、と彼は言った。子供が虚勢を張る声だった。それでもスモーカーにとっては何よりいとしい声だった。
だから言った。
「嬉しいよ」
そうか、と彼は言った。
そうさ、とスモーカーは返した。
「ろくでもない、クソッタレな一日の終わりにお前の声を聞けるのは」
いとしいお前の声を聞けるのは。
「嬉しいもんだ。本当にな」
これだけで良い一日だった、って言えそうだ。スモーカーは自分でも上機嫌だと分かる声で言った。
電伝虫の向こうで、ああ、だの、うう、だのと彼が呻いている。年下の彼はスモーカーが少しばかり甘いことを意識せずに言うだけですぐに照れて言葉を失う。傍から見れば年齢よりもずっと酸いも甘いも経験しているような大人びた顔をするのに、こと恋愛となると不器用で、年齢よりも幼い感情に振り回されるのだ。
良い一日か。彼はそう言った。
ああそうさ、とスモーカーは返事をした。
デスクの上の、火を点けていない葉巻が一本消える。
スモーカーは笑い、電伝虫に囁いた。
「ああ、良い一日だ。お前に会えた」
「ああそう」
葉巻と年下の恋人のシャンブルズは無事に成功したようだ。
「ああそう、良かったな」
顔を赤くしたローはデスクに胡座をかいたまま口の中でそう呟き、スモーカーと自分の電伝虫をまとめて放り投げると、上半身を屈め、噛み付くようにスモーカーにキスをした。