うちのマリモがさ、とサンジが笑いながら言った。この男はよく笑う、とローは思う。
「あのケムリンとデキてるって知った時、すっげえ混乱してたぜ」
「……俺が、だろうな」
「そうそう。お前とあの中将」
おおっぴらに宣言したことはないが、知っている者には知られているだろうという予想はしていた。特に麦わらの一団に知られていたことには何となく納得する。この一団の勘の鋭さや情報分析能力は群を抜いている。
「あ、レディたちには言ってねえよ。間違ってたら男として名誉毀損モンだろ」
「その気遣いに感謝するほど、俺はここの女に興味ねえ」
「あんなに美しいレディたちになんて言い草」
「で、それがどうしたって?」
「マリモが本当に混乱しててさ。見てて面白ぇの何の」
思い出しておかしかったのか、サンジは喉の奥でくくっと笑いながら小さなカボチャに細工を始める。オレンジ色のカボチャは年間を通して珍しいわけではないが、既にいくつか出来上がっている細工を見たローは「ああ」と言った。
「もうこんな時期か」
「そ。これはナミさんの部屋に飾る細工ランプ。俺の愛とテクニックを全て込めて何よりも麗しいランプを――」
「ご馳走さん」
水を飲み終えたマグを置き、ローは立ち上がろうとする。遠い世界に行きかけていたサンジがはっとして振り返った。
「あ、いや、だからマリモがな、ほんっと混乱しちゃって」
「だから、って言葉に繋がる話がいつ成立していた」
「固いこと言いなさんな。それでな」
このいい加減な話の展開が麦わら連中の特徴だ、とローは内心で溜息をついていた。貴重な水をもらった手前、諦めてもう少し話に付き合うことにして、テーブルの上のカボチャの細工を指でつついてサンジの話を待つ。
サンジは器用に細工を続けながら言った。
「ほら、デキてるってことはさ?」
「ああ」
「やるわけだし?」
「お前とナミ屋みてえに?」
「――んんんんナミさんと俺がそんなん! 無理! ないから! あって欲しいけど! ないし!」
「分かった、うるせえから話を戻して続けろ」
「でも俺だっていつまでもジェントルメェーンでいられるもんかって……ああナミさん、俺がどれだけの想いを二年もの間……!」
「お前のそういう話、興味ねえから。やるがどうした、そりゃやるよ」
「あらやだ、少しは恥じらいってもんを。――だからマリモがね」
数瞬前の興奮はどこへやら、けろりとサンジは笑顔に戻して話を戻す。ローはこの男のこういった切り替えの速さが嫌いではなかった。
「混乱しちゃっててね」
「それは分かったが、だからお前は何を言いたいんだよ」
「マリモが知りたがってて」
「何を」
「ダーリンとかハニーとか言っちゃってんの? って」
「……」
「マイスイィ〜トとか、あ、お前ならマイハァ〜ト? ああいうのってほら、恋人同士の――」
不意にサンジの笑顔が凍る。
既に出来上がっていた自信のカボチャ細工のひとつに、死の外科医の指が食い込んでいたからだ。
「……俺じゃなくてね? マリモの質問なんだってばね?」
「ああ、そうか。いや、それはいいんだが、俺もやったことがなくてな」
「何を」
ローはにこりともせずに言い放った。
「カボチャと人間のシャンブルズって、どうなるんだろうな?」
「やめてくれ、カボチャっていうのにも納得いかねえがそもそもナミさん以外は嫌だ! ……あ、でも」
不意にサンジは真面目な顔になる。何だ、と問いかけたローを制するかのごとく、料理人は得体の知れない光を目に湛えた。
「ロビンちゃんもいいかな」
「お前にはカボチャももったいねえ」
「いってぇ!」
取り敢えずサンジに蹴りをひとつ入れ、ローは哀れなカボチャから指を引き抜いたのだった。
無論、G-5を訪れた時にそんな話をするはずもない。
スモーカーは執務室で相変わらず仕事をし、たしぎはふらりと現れたローに嫌な顔をしながらも茶を用意する。
「良いお医者さんはそこから動かないって噂ですよ」
「そんな噂を聞いたことがねえな、何てったって海賊だ」
「ああ、悪いお医者さんでしたね! これだから海賊は! 邪魔だからおとなしくしてて下さいって言ってるんです!」
たしぎが日当たりの良い窓際の床に陣取るローにソファのクッションを投げ付け、ローが「この暴力女が」と言って受け取るのは既に様式美だ。いつもの光景にスモーカーは葉巻の煙の中で声を出さずに笑った。
「たしぎ」
「あ、はい」
「食わせてやれ」
「この人にですか!? 私の力作を!? 毎年の修行の成果を!?」
たしぎはまるで親の仇を見つけたかのような眼光でローを振り返る。クッションを具合の良い位置に収めようとごそごそ動いていたローは、その尋常ならざる眼光を唐突に向けられてぎょっとする。二人の様子を見たスモーカーがまた声を出さずに笑ってから言った。
「俺の分でいい」
「そりゃ、スモーカーさんは毎年食べてくれないから余りますけど」
「一度食ったら死にかけた。安全策だ」
「あ、あれは、たまたま砂糖と塩を間違えた時で……」
二人の会話からして、たしぎお手製の何かを食べさせられる可能性が高いことに気付く。思わず少し大きな声を出してしまった。
「何か食おうとは思ってたが、女海兵の手作りなんざいらねえぞ! 何が入ってるか分かったもんじゃねえ!」
「手作りはお察しの通りだけど失礼な! めっちゃくちゃ美味しいパンプキンパイの試作品です!」
「ってかどうやって砂糖と塩を間違えるんだよ! 馬鹿か! 絶対食わねえ!」
「昔の話ってことも察して下さいよ!」
「お前ら、仲良く喧嘩するのは良いが声を落とせ」
二人の言い合いにうんざりしたスモーカーが口を挟んだ。よく通るその声に、二人は揃って口を噤む。
「たしぎが毎年焼いてくるんだ。練習用と本番用で二回。今日は練習用か。月末にパーティがあるんだが、そっちが本番だな」
「へえ。客に練習用を出すなよ、鬼のような女だな」
「誰が客で誰が鬼のような女なんですか」
「俺が客でお前が鬼のような女で」
「ああ、それでな」
また言い合いに発展しそうだと見抜いたスモーカーがすかさず続ける。戦場は口火を切る前に収拾してしまうのがもっとも賢いやり方だ。
「お前が食えばいいんじゃねえかと思ってな。たしぎ、用意してやれ」
「でも」
「ASAP(可能な限り急げ)、駆け足」
「――施設内の駆け足は軍規違反です!」
捨て台詞を残し、たしぎは駆け足ならぬ急ぎ足で執務室を出た。哀しいかな海軍兵士、口では何と言っていても、たとえ大佐まで出世しようとも、自分の上官が急げと言えば急ぐしかないのだ。
スモーカーは立ち上がり、窓際で床に座り込むローに近づく。
「砂糖と塩を間違えたのは一度だけだ。初めて作って来た年」
「食った奴はトラウマだな、気の毒に」
「まさに俺だ。――以来俺は遠慮しているが、他の連中に言わせれば毎年徐々に美味くなってはいるらしい」
「へえ」
「というわけで」
「食えって? 御免だよ」
ローは鼻で笑い、クッションを抱えてごろりと床に転がった。この部屋での傍若無人のほとんどを許しているスモーカーはだらしない態度を咎めることもなく、その前に腰を下ろして胡座をかく。染みついた葉巻の香りが近くなり、ローは何とはなしに気分が良くなった。この香りは好きな部類に入る、と思っていた。
「珍しいから良いだろう」
「まあ、うちは女っ気がない船だし、嗜好品としての甘いもんは確かに珍しいな」
「だったら食っておけ。俺も助かる」
「何でお前が助かるんだ」
「甘いものが苦手なんだよ」
言いながらスモーカーはローの顎の下、喉の辺りを指先でゆっくりと撫でる。この部屋で二人になる時、スモーカーはたまにこんなことをする。俺は猫じゃねえ――そう思いながらも、ローはそれを口にしたことはなかった。日当たりの良いこの場所で喉をくすぐられることはいやに気持ちが良かったし、近くなる葉巻の香りが好きだった。陶然となりかける自分を制するように喉から小さく声を出す。
「食ったら」
「ん?」
「食ったらやらせろ」
「いつもそれだな」
スモーカーは苦笑に観察眼を隠した。ローはここに来ると必ず何かを食べ、そしてスモーカーと身体を重ねたがる。ローにとってここはそういう場所になっているのだろう、とスモーカーは理解していた。
「疲れてんのか」
「腹減っただけだ」
「そうか」
喉を撫でていた指を顔に這わせ、右頬をてのひらで覆う。ローは振り払うことなく目を細め、感触を楽しんでいることをスモーカーに教えた。
初めて出会った頃からは考えられないほど穏やかな時間の中、気を抜けば眠くなってしまいそうだ、とローは思う。だが眠くなっても良い場所なのだということも、いつの頃からか分かるようになっていた。
――そういえば。
不意に、サンジとの話を思い出す。
恋人を呼ぶ時に、名前以外の愛称を使うことがあるのかという話。
――色々あるよな。ダーリンってのもよく聞くし、スイーティだのディアだの。
そんなものを使ってスモーカーを呼んだことはないし、呼ばれたこともなかった。スモーカーがそういった「恋人同士の甘い真似」を好むようには見えなかったし、そもそも自分たちの関係が恋人同士などと思ったこともなかった。
「白猟屋」
「ん」
それでも、今していることは端から見ればそういうものなのかもしれない。
自分やスモーカーがそんな甘い呼び方をすることはまずないだろうし、想像もできないが、もしスモーカーがそんな呼び方をして来たらどうからかってやろう、と考える程度には楽しい冗談だと思った。
「キスさせてやる」
「そいつは光栄だが」
親指でローの唇をなぞり、手を離す。
「食う前はやめておけ、味が分からなくなる」
葉巻の香りにローの味覚が一時的に狂う、ということだ。紙煙草であればそこまでではないが、より味蕾への影響が強い葉巻を中毒的に愛用するスモーカーが言えば、ローは諦めるしかなかった。だが一言言いたくなるのが性分というものだ。
「別に、あいつのパイなんかたかが知れてるのに」
「そう言うな。女にとっては一大事なんだ」
「女心に詳しいな、中将閣下?」
「長く生き過ぎた」
「たかだか俺より10年」
「あと10年もすりゃ、そのたかだかが大変な差だってことが分かるようになる」
スモーカーはまたローの頬をてのひらで包み、親指で唇をなぞる。ローがその指を甘噛みしたのは気まぐれのようなものだ。猫のような仕草にスモーカーは苦笑した。
「腹が減ってるならパイを食え。俺の指はやめろ」
「パイを食ったらセックスだ、どっちも食う」
「俺がお前くらいの時、そこまで盛ってたかな」
頬を撫でた後、軽く叩いて手を離す。スモーカーの耳はローよりも早くたしぎの足音を拾っていた。ローも遅れて足音を聴く。大時化の中で船員の声を聴くよりも余程容易いことだった。
「本当に駆け足で来やがった。馬鹿かよ」
「命令をよく聞く良い部下だ、馬鹿じゃねえ」
ノックの後、たしぎが礼儀正しくドアを開けた。
「大したもんだ」
ローは笑い半分、感嘆半分でその姿を見る。
彼女は確かに駆け足で現れたはずなのに、その手にあるトレイのパイやカトラリーは美しく整えられ、あまつさえ湯の入ったティーポットまでもが完璧な位置に鎮座していたのだ。
「駆け足、お見事」
スモーカーも感嘆の声を上げ、軽く手を叩いてみせた。その時のたしぎの顔が重大な任務を終えたかのように誇らしげであったことは言うまでもない。
てっきり執務室の真ん中にある来客用のテーブルに用意をされるかと思ったが、たしぎは片手で持てる程度の小さな折り畳みのローテーブルを魔法のように取り出し、上官と自称客を唖然とさせた。
「前から思ってたんですけど、そこから動かれたら基本的にスモーカーさんの邪魔しかしないじゃないですか。書類やミーティングが滞って私も迷惑で迷惑で」
「お前、俺に恨みでもあるのかってくらいに毎度毒を吐くのは何でなんだ?」
「嫌いですから」
言いながらたしぎはてきぱきとテーブルの脚を開き、ローの前にセッティングする。テーブルが手作りであることに気付き、ローは首を傾げた。
「で、ほんっと邪魔されてうんざり、って図書館の司書さんについ愚痴っちゃったんですよ。そうしたらこれを作ってくれたんです」
「あいつか。器用だったんだな」
昔の戦火で両足を失い、前線を外れ、施設管理に回った男だ。スモーカーはテーブルを一撫でし、丁寧な仕事が分かる手触りの良さに感心した。
「ここにお菓子を置いておけば外科医もおとなしくなるんじゃないかって、作ってくれたんです。――さあ、トラファルガー・ロー。美味しいカボチャのお菓子をあげるから、中将閣下にいたずらなんてしては駄目よ?」
最後のその口調がまるで子供を窘める母親そのもので、ローは思わず言葉に詰まり、スモーカーはたまらず声を上げて笑ってしまったのだった。
小さなテーブルに二人分の紅茶と一切れのパンプキンパイを置くと、たしぎは「感想は後から聞きますから」と言って席を外した。
「……ムカつくが、手際がいいのは認める」
「ここじゃ一番優秀だ」
事実をローに告げ、スモーカーはたしぎが淹れていった紅茶を一口含む。カップを置いてから不意に鼻をくんとひくつかせた。
「ああ、そうか」
「何だよ」
「いや」
もう一度ローが「何だ」と問おうとした時、スモーカーは何の前触れもなくローの耳元に顔を寄せた。突然のことにローは思わず硬直する。
「香水か」
「……ああ、うん」
何かと思った、と内心で息を吐いた。慣れない距離だと思った途端、なぜか居心地が良いような、悪いような、落ち着かない気分になる。
陸に上がる時は耳の後ろに香水をつける。長く海にいると陸の雑多な匂いが自分に染み付くようで、気休め程度に嗜んでいた。
「いつもつけてる」
「知ってる。寝る時には香ってる」
「……ああ、うん」
「ここまで近づくことが寝る以外になかったからな、気付かなかった」
そう言われればそうか、とローは気付く。ベッドに入る以外に今までこんなに近づくことはまずないと言っても良かった。たしぎが手配したテーブルが、不意打ちのように二人の距離を縮めていた。
それはスモーカーも感じたのか、どこか照れ隠しのような苦笑いを浮かべて身体を離す。
「食えよ」
「ああ、うん」
促され、なぜかローは焦りながらフォークを手に取る。焦ったと言うよりも動揺したと言う方が正しいのかもしれない。
「見た目はまともだな」
「砂糖と塩とを間違えた時も、見た目はまともだった」
「……恐ろしいことを言うなよ、食う気が失せる」
ローが顔をしかめると、スモーカーが静かに笑う。戦闘の時からは想像ができないほど、普段は穏やかな笑い方をする。始めの頃、ローはそれを意外に思ったものだった。
その静かな笑みに促されるように、ローはフォークをパンプキンパイに刺す。堅すぎず柔らかすぎない絶妙な感触に少しばかり感動した。長く船に乗っていると、パイやパンは保存を重視し、とかく堅い食感ばかりになるものなのだ。
指先に伝わる感触に魅惑されたのは確かだ。そのまま減らず口も叩かず、フォークを口に運んでいた。
「美味い」
思わず素直に言っていた。スモーカーの笑みが深くなったことには気付かない。それほどにたしぎのパイは美味く、いとも簡単にローの味覚を魅了した。
「そうか」
「ああ」
部下の成果を誉められて満足そうな声に返事をしながらも、ローはもう一口味わう。甘さが控えめに抑えられていて、カボチャの本来の自然な甘みが舌に柔らかく、優しかった。
「これならお前も」
「ん?」
「甘いものが苦手でも食える」
「どうだろうな」
「いや、これなら――」
大丈夫だろ、と言いながら顔を上げる。
驚く間も、構える間もなかった。
数秒、動くことも忘れる。
「ふうん」
たった今、涼しい顔でぺろりとローの唇を舐めたスモーカーは、口元を笑みの形に歪め、自分の唇に移ったパイの粉を指で拭った。
「今年のは美味いな。これなら俺ももらえば良かった」
「……そう、だな」
完全な不意打ちだ。もしかしなくても、とローは混乱した。――もしかしなくても、こんな真似をされたのは初めてだ。
にやりとスモーカーが笑う。
「ちゃんとキスさせてもらっていいか、パンプキン?」
信じられねえ。そう思った。信じられねえ、まさかこんな。
笑ってやろう、からかってやろうと思っていたのに。
言われた途端に耳まで真っ赤になるしかできなかった自分が、信じられなかった。
(パンプキン / pumpkin:私の恋人、可愛いあなた)