ヤムヤム・オニオン



いくら北の出身とはいえ、真冬の航海が好きになれるはずもない。浪漫的な人間であれば、冬独特の冷たく刺すような空気に哀しみを覚え、荒れた波にも沈まない艦をまさに母艦と褒めたたえては涙するかもしれないが、あいにくとスモーカーはそんな感性を持ち合わせてはいない。
寒いものは寒い。断固としてそう思う。しかし着衣を増やそうという気にもなれない。いざという時に動きが鈍くなるような気がするからだ。それはまったくの思い込みでしかないと分かっているものの、長年貫いて来た(度を越した)軽装の感覚が変わるのが嫌だった。
しかしさすがに甲板に出ることは躊躇われる。気温が低いだけならまだしも、熱という熱を奪い取ろうとする海風と、それに便乗する水しぶきを考えるだけで寒気がする。それでも将校として甲板に一度は出なければいけない。無駄な軋轢が生じがちな航海中は、下っ端に睨みを利かせる必要もあるからだ。
「スモーカーさん」
さてどうするか、と悩んでいた時、きっちりと厚着をしたたしぎが声をかけて来た。
「何だ」
「甲板には私が出ますから、スモーカーさんはお部屋で休んで下さい」
「はあ?」
「どうせ厚着をする気はないんですよね?」
質問を装った決めつけに、スモーカーは「まあな」と低く答える。たしぎは勢いよく眉を跳ね上げ、これ見よがしに溜息をついてみせた。その溜息のつき方がヒナに似ていることに気づき、こいつもいつかはああなっちまうのか、とどうにも寂しい気持ちになった。
「その格好で出られると、困ってしまう人もいますから。だからお部屋で休んでて下さい」
「別に俺と同じ格好をしろなんて言うつもりもねえ、誰が困る」
「──そうですね、それに関してはヒナさん──」
そこで言葉を切り、たしぎは指先でくいと眼鏡を上げた。
「どこかの豆大福さんにお聞きすればいいと思います」
「たしぎ」
「とにかくお部屋に──」
「ヒナがあいつを豆大福って呼ぶのは、それなりに実力があるからだ」
たしぎはしばらく黙り、スモーカーを見る。スモーカーはたしぎを見返す。これで怒られたら良かったのに、とたしぎは思った。
「思い上がっておりました。申し訳ありません、サー」
滅多にない堅苦しい口調で返すと、中将はしばらく部下を見つめた後、ふっと葉巻の煙を吐く。
「ご苦労さん」
怒られたら良かったのに、とたしぎは思った。それならあの海賊をもっと嫌えるだろうし、スモーカーという男に少しでも失望できる瞬間を味わえたかもしれないのに。
怒りもしない、叱責ですらない、ただ単に事実を口にしただけで、お前は間違っているよと伝える上司に、一度でいいから失望してみたかった。
「で、俺が部屋に戻った方がいいのか?」
「そうです。でも、お嫌なら──私も出過ぎたことを言いましたし、だから──」
「分かった、お前が代わりに風邪ひいとけ」
たしぎの言を遮り、黒髪をぽんと軽く叩くと、スモーカーは言われた通りに自分の船室へ向かう。たしぎは思いきり唇を尖らせ、口の中で空気を回して頬をぶくぶくと動かしながら、誰が泣くもんですか、と上司の優しさに必死で抵抗したのだった。


船室に戻る途中、厨房担当の男とすれ違う。ちょうどいい、と声をかけた。
「すまねえが、あったかい飲み物でも持ってきてくれねえか」
「船室に? ああ、いいよ」
「ありがとう」
「ちょうどあのスープがある」
「──そいつは嬉しいね」
スモーカーは思わず唇を綻ばせ、男はまるで自分の手柄のように嬉しそうに笑った。
自分の船室に入り、ソファに腰掛け、テーブルの上の電伝虫を指でつつく。たしぎの言を真に受けたわけではないが、何となく思い出してしまったのも確かだ。
どうするかな、と思っていた時、ノックと共に温かいスープが現れた。厨房担当の男が、深い皿いっぱいにスープを満たして運んで来たのだ。
玉葱と生姜をコンソメで煮込んだだけの、実にシンプルなスープだった。だが何よりも身体が温まり、冬の航海中には必ず何度もお目にかかる。海軍の伝統とも言えるそれは、海兵であれば誰でも愛しているし、スモーカーももちろん例外ではなかった。
黒胡椒をこれでもかとかけながらスープを口に運び、急速に指先まで温まる感覚を楽しむ。頬も耳までも熱くなり、熱に満たされて充足の息を吐いた。
電伝虫が不意にもじもじと動いたのはその時だ。目をやってつい、ふっと笑う。
「豆大福か。よく言ったもんだ」
あの特徴的な模様の帽子を被った電伝虫が、なぜか僅かに顔を赤らめながら、ぶっきらぼうにりんりんりんと呟いている。たっぷり1分ほどその様子を楽しんでから、スモーカーはやっと応答した。
「ハロー? 今どこだ」
『俺の台詞だ』
挨拶くらいしろよ、とスモーカーはおかしくなる。いつもこうだ。第一声はいつも不機嫌そうな声で、それなのに電伝虫は顔を赤くしているのだから。
「海上だよ」
『座標は?』
「海賊に言えるか」
『……知り合いには?』
「言えねえな」
『……ふうん』
それきり、電伝虫は沈黙する。接続が途切れたわけではないことは、明らかに拗ねたような顔をする電伝虫を見れば分かる。まったく──スモーカーは笑いたくなる。向こうの電伝虫は俺の顔で笑いを堪えているのかもしれない、と思いながら。
「知り合いには言えねえ」
『二回も言わなくていい』
「でも」
『何だよ』
「任務は終わった。帰る途中なんだ」
『そうかよ』
「だから、まあ、そうだな、俺の立場を悪用するってのもあるが──」
そこで一度、言葉を切ったのはわざとだ。こうすればもっと可愛くなる。それが分かっているからついやってしまう。
充分な間を取った後、静かに言った。
「恋人になら、言ってもいい」
それからの沈黙は相手の選択だ。スモーカーは急かしはしない。どうせ答えは分かっている。先回りするつもりもなく、さりとて急かすつもりもなく、ただ待つだけだ。にやつきそうになる口元を抑えることが難しく、向こうの電伝虫の顔つきを本気で心配する必要がありそうだった。
『……じゃあ』
電伝虫がようやく声を絞り出す。顔は真っ赤で、不機嫌そうな顔で、それがスモーカーにはいとしくてたまらない。
『じゃあ』
「ああ」
『言っても──いいじゃねえかよ』
「何が?」
『──だから!』
声が怒気を帯びた。スモーカーはまた笑いを堪える。可愛くて仕方ない。
『俺になら! 言ってもいいじゃねえかって!』
「悪かったよ」
『もういい、切るぞ』
「寂しいこと言うんじゃねえよ」
『切るっつってんだろ!』
怒っているのか、それとも自分の発言にパニックになっているのか、電伝虫は真っ赤になったり頭から湯気を出したりと忙しい。切ると言っているのにそれでも切らない自分に気づいてもいないのだろう。
スモーカーは指先でそれをつつき、嫌な顔をさせてから、小さな声で船の座標を告げた。その半瞬後、空間が歪む気配、僅かに聞こえる空気の流動音の発生を全身の感覚が拾う。同時に咥えていた葉巻が消えた。
だからスモーカーは笑い、言った。
「近かったのか」
「すげえ近くだった。びっくりした」
「俺の台詞だ」
まだ電伝虫での会話を引きずっているのか、難しい、いわば拗ねた顔をしたままのローのこめかみにキスし、嬉しいよ、とスモーカーは囁いた。ローは何も言わなかったが、息を吐いてやや機嫌を直したことをスモーカーに教える。軽くスモーカーの胸を叩いた。
「寒くねえのかよ。いつも薄着で」
「寒い時は寒い。今日は特に寒い」
「へえ、珍しい。お前が寒いなんて。──だからこんなに暑くしてんのか?」
言いながら、ローはいつも着ているコートを脱ぐ。上半身裸ではスモーカーのことを揶揄できないが、船室は暖かい。所構わず露出の多いスモーカーとは話が違うだろう。上級将校の部屋らしく、下っ端の部屋にはない蒸気暖房で温められている。
「コート着てりゃ暑いのは当たり前だ、そのうちちょうどよくなる」
「そりゃそうだけど」
不意にローは目を逸らした。スモーカーはそれに気づいたが、特に妙な様子でもないので放っておく。精神的に落ち込んでいる時であればそれなりに甘やかすが、特にそういうわけでもなさそうだ。ソファに腰を下ろしてローを観察するにとどめた。ローは脱いだコートをスモーカーに投げつけ、スモーカーが閉口しながらソファの背に掛けるのを見るでもなく、何かを探すように室内を見回した。
「──ああ、これか。玉葱くせえと思った」
なぜか何かに得心した声でローが呟いた。視線の先にはスモーカーが手をつけた食べ掛けのスープがある。
「これ?」
「身体があったまるだろ。しかもこれだけ黒胡椒を突っ込んでりゃ、どんなに冷えてても熱くなる」
「さすがドクター、食餌療法にもお詳しくていらっしゃる」
親愛をこめた揶揄に、抜かせ、と相変わらず目を逸らせたままローは言った。心なしか焦っているようで、何なんだ、とスモーカーは疑問を抱きつつ、思ったよりもスープの効果が出て、じんわりと汗をかきはじめていることに閉口しそうになった。あたたかいを通り越し、熱いくらいだ。
「確かに熱い。黒胡椒を入れ過ぎた」
「胡椒は薬にもなるんだ、取り過ぎるな」
「イエスイエス、ドクター。──次から気を付けるしかねえな」
「しばらく続くぞ、案外効果が長いから。──黒胡椒から取った精油もあるくらいなんだ。それくらい薬効が高くて──」
ローが妙にしかめっ面で、そして相変わらず目を逸らせたままで、専門分野の話を始める。いつもよりも少し早口だし、いつものようにスモーカーの質問を受け付けるわけでもなさそうな語り口だ。スモーカーはいつも通り話を聞く振りをしながら、上がった体温を持て余して溜息をついた。すると少し遅れてローも溜息をつく。さすがに様子が変だと思ったスモーカーは、珍しくローの話を遮るように声をかけた。普段はできる限り遮らないようにしているが、どうにも妙な気がする。
「ロー」
「……何だよ」
「どうした」
「何がだよ、何でもねえよ」
今度こそおかしいとスモーカーは断じた。急に怒った口調になり、頑なにスモーカーを見ようとせず、不思議と頬が赤いからだ。頬が赤いのは部屋が暑いからかもしれないが、それにしても様子がおかしい。
「ロー」
「ああ」
「おかしいと思うんだが」
「何が」
「お前が」
ローは暫し沈黙する。スモーカーが更に何かを言う前に、諦めたように息を吐いた。
「昔の俺を思い出して感心してるとこなんだよ」
「昔のお前?」
「何で俺は、ああも簡単にお前に向かってやらせろって言えたんだろうなって」
二人しかいないのに話の流れが分からないことを、いっそ新鮮だとスモーカーは思う。ふうん、と呟いてソファに深くもたれ、ローの話の続きを待った。──確かに今は言わないな、と思いながら。理由は簡単だ。
「今はろくに言えねえ」
「理由は?」
理由は簡単だ。知っているのに問う。少しばかり、ローに対して意地の悪い質問だということは分かっているが、やめようとは思わなかった。その理由も大いに簡単だ。
「……だから」
「ああ」
ローは言いにくそうに、スモーカーの前でしか見せないような拗ねた顔で、そして子供のような口調で言った。
「……あんまり言うと、嫌われるかもしれねえな、って、思うようになっちゃって」
いち、にい、さん。スモーカーは数を数える。その間に、ローはまた真っ赤になっている。だからスモーカーは満足した。質問した甲斐があった。──これだけ可愛い恋人の姿を見られたのだから、満足する以外に何ができると言うだろう。
「別に」
笑いそうになる口元を隠すように葉巻をくゆらせる。
「別に、そんなことねえぞ」
「前は嫌がってた」
「ねえよ。時と場所を考えろってだけだ」
「でも、何回も拒否された」
「お前、G-5の基地でいきなり言い出したり何だりしてたからだろう。さすがに基地で、人がいる時間はまずいってだけだ」
「でも──」
どうしようもない。スモーカーは思う。傍から見れば鬱陶しいやり取りかもしれないし、これが七武海のトラファルガー・ローであるとは信じられない者もいるだろう。それでもスモーカーには鬱陶しいことではないし、どうしようもないということも分かっていた。これもまたローだ。何でもできる、誰よりも強いはずの男は、スモーカーの前ではそうではなかった。好きな相手に好かれることよりも、嫌われないようにすることを考えてしまう、不器用で未熟な子供だった。だから恋人同士となった途端、昔のようにすぐにやらせろと言えなくなったのだ。スモーカーからすれば不要な、だがローにすれば重大な心境の変化だった。
「分かった。じゃあ質問だ」
「……またかよ」
「何でそんなことを思ったんだ?」
本当は分かっているし、問うまでもない。ローは会うなり欲情して、いわばやりたいと思っただけだ。若い男が恋人に会うなり欲情するのは何ら珍しいことではない。
ローもスモーカーに気づかれていることは理解していて、悔しさ半分、諦め半分、恨めしそうに睨みつけてきた。それがまた可愛くて、スモーカーは今度こそ笑い、もう口元を隠す努力を放棄した。どうせローは答えないだろうし、これ以上は本気で拗ねられる。まだ自分の未熟さを楽しめないローにしては頑張った方だ、と内心で褒め、ソファの上から言った。
「ロー」
「何だよ」
「やらせろ」
睨みつけていたローの顔が何とも情けないほどに崩れ、それが泣きそうなのか笑いそうなのか、スモーカーには咄嗟に判断がつかない。それでもスモーカーには、ただ可愛いとしか思えなかったし、それでいいのだと思ったし、満足だった。




「出世して良かったと思うのはこういう時だな」
ベッドの上に座り、ローに正面から跨がれながらスモーカーは呟く。スモーカーのベルトをくつろげようとしていたローは手を止め、首を傾げた。
「こういう時?」
「船の上でも一人だけのベッドがある、しかもそれなりにでかい」
「それなら俺も良かった」
ローは笑い、スモーカーに乗り上げるようにしてキスをする。脱がせるよりも先にキスをしたくなった。ベッドに入れば遠慮はなくなる。ローの二面性ではなく、スモーカーが嫌いな人間をベッドに入れるはずがないと分かっているからだ。
だからスモーカーとセックスする時はいつも嬉しかったし、何も心配せず、安心することができた。
唇に触れるだけのキスを何度もしたがるローに付き合いながら、スモーカーは徐々にその触れ方を深くしていく。ローの唇に僅かに舌で触れ、次は軽く舐める。意図を察したローが唇を開き、はぁ、と短く湿った息を吐いてから、スモーカーの頭を抱き込んで深いキスを始めた。潜り込むローの舌が口腔の粘膜をなぞり、自分の熱を残そうと躍起になる。噛み付くようなキスだと言ってもいい。
スモーカーは僅かに笑ってから、ローの顎を軽く、だがしっかりと掴み、覆うように唇を重ね直した。それだけで主導権を奪われたと理解したローは身動くが、スモーカーの舌が上顎の粘膜をゆっくりと舐め上げた途端、びくりと身体を竦ませる。その反応に気を良くし、スモーカーは一度唇を離した。途端にローが、今度は噛み付くのではなく喰い付くようなキスを仕掛けた。スモーカーの口を自分の口で覆い、歯がぶつかるのも構わずに、傍若無人に、我儘放題に舌を徘徊させる。湿った熱がキスの合間のこもった息を漏らし、はじめはローが自分の欲だけをぶつけていたキスも、いつの間にか深く舌を絡め、唇を離すことなく何度も顔の角度を変えながら、ゆっくりとねぶるように、濡れた音をいやらしく飲み込むものになる。
とうに濡れた唇を離さずに舌を深く絡め合わせたまま、出世して良かったとスモーカーに言わしめたベッドに倒れ込んだ。ベッドは大の男二人の体重に抗議の声を上げたが、二人してもちろん無視だ。ローはスモーカーを組み敷いたことで更に熱を持ち、ようやく唇を離し、顎に、喉に歯を立て始めた。
「痛ェよ」
甘噛みと言うには強く、軽い痛みを感じたスモーカーは呻く。ローはお構いなしに噛み付き、同じ場所をねぶっては吸い上げ、噛まれる痛みと舐められる感触を嫌がるスモーカーをむしろ面白がっているかのように痕を残していった。面白がっているのだと知ったスモーカーは、「こら」と言ってローの尻を軽く叩く。ローがくぐもった声で笑って顔を上げた。
「何だよ」
「毎度言ってるだろう」
「”痕をつけるな”?」
「そうだ。毎度言っても分からねえか?」
「分かるけど聞かねえ」
「おい」
「うん」
ふふ、と笑ってまた首筋に顔を埋めるローに分からないよう、スモーカーは溜息をつきながら、それでも口元を綻ばせる。少しつつけばすぐに真っ赤になる姿も可愛いが、いざ肌を合わせると、途端に全力で甘える姿もまたたとえようもなく可愛いのだ。
「好きにしろよ」
呆れ半分の声を出すことに失敗して、快く許可するように笑いながら言ってしまったのは、あまりにもローが可愛いからだろう。
「する」
好きにしろと言われて喜び、早速首筋に齧り付く姿もまた可愛くて、好きにしろよ、と今度は心の中で呟いた。
スモーカーが与えた許可は、ローにとっては何をしても嫌われない、どんな我儘も許されるということを意味している。ローにとってこれほど嬉しいものはなかった。過去に何度も探索した肌を、飽きることなくまた今日も指と唇でなぞり始める。
二人して上半身は何も着ていない。蒸気暖房とキスで上がった体温が触れ合い、じわりと汗ばんで来る。ローが唇で触れた場所はすぐに熱を帯び、少し強く噛めば白い肌が紅くなる。そのたびにスモーカーが一瞬息を詰め、それから湿った吐息を漏らした。
「う」
触れるまでもなく既に充血していた乳首にわざと唇を掠らせると、堪り兼ねたようにスモーカーが声を漏らした。ローはこの声が好きだった。派手に喘ぐ男ではないが、だからこそ、吐息のように漏れる声を聞き逃したくない。子供が大好きな菓子に齧り付くように、紅く尖った乳首を口に含む。吸いながら舌で転がし、空いている手でもう片方の乳首を指の腹で捏ねるように押し潰した。スモーカーは熱を帯びた息を隠すこともなく、時に呻くような快楽の声を漏らし、ローが与えて来る悦楽を享受する。不規則に強く噛むたびにスモーカーの身体がびくりと跳ねた。
女のようにあからさまな痴態ではない。それなのに、跳ねるたびにローの中の熱が酷く刺激される。自分でも息が熱くなっていることが分かる。何も着ていない上半身はろくに動いていないのにうっすらと汗が浮かび、タイトなボトムは既にフロントがきつくて、下着が当たることすら刺激になりそうだ。
「ん」
「ん?」
散々味わって真っ赤にした胸元からようやく唇を離し、そのまま舌と共に引き締まった腹へ下ろしていく。そこに性感帯がほとんどないことを知っているローは、それほど熱心な執着を見せなかった。代わりにベルトに手をかけ、その下にあるスモーカーの熱が力を帯びていることを知り、布地の上から甘噛みする。喘ぐと言うよりは笑いを含んだ息を漏らし、スモーカーがローの髪を軽く撫でた。ローは布越しの堅い熱を口に含んだまま上目遣いでスモーカーに向かってにやりと笑うと、また甘噛みを繰り返す。最初はくすぐったくて、そしてもどかしい甘噛みの感触と共に纏わりつくローの湿った息に笑っていただけのスモーカーも、繰り返されるうちに苦笑いに変わっていった。
「おい」
「んぐ」
半ば頭を押されるようにどかされ、ローは不満げに呻いた。
「何だよ」
「まだるっこしい」
「好きにしろって言ったくせに、むかつく」
身を起こし、ローはやっとスモーカーのベルトに改めて手をかけた。物騒なタトゥーが入った指は外科医らしく器用に動き、海軍の刻印が入ったバックルをスムーズに外してしまう。そして悪戯げに、わざと作った高慢な顔でスモーカーを見下ろした。
「記念品にさせてもらおうか」
「何の」
「海軍将校、討ち取った」
「──馬鹿野郎」
思わずスモーカーが噴き出した。ローは気をよくして、今度は勢いよく飛びつくかのようにスモーカーの上に覆い被さり、今までよりも更に熱心に我儘に、惚れ抜いた男を貪り始めたのだった。
互いに健康な男だ。服を脱いでベッドに入り、一度熱が上がればそうそう簡単に下がることはない。特に知り抜いた身体であるのなら尚更だ。ローはスモーカーに抱かれたことはなかったし、男に抱かれる性癖もないが、スモーカーはどちらでもいいと言っていた。お前がやりたい方をやれ、と言われただけだった。そう言えるだけあって、いざことに及ぶと躊躇いなく熱の共有を楽しむ。最初は奪うだけで精一杯だったローも、いつの間にかスモーカーが好む触れ方を覚え、稀に漏れる喘ぎを聞くことに何よりも興奮するようになった。
じゃれ合うように──明らかにスモーカーはローに付き合って──服を脱ぎ、改めて唇と指でスモーカーのそこかしこに触れ、口づけて、先ほどよりももっと熱心に自分の痕跡を残していくことに熱中する。触れれば触れるほどローの腹や腰、身体のどこかに掠るスモーカーの中心が熱と湿り気を帯び、ひどく濡れてくることが嬉しくてたまらない。
「う、ん」
くぐもった声と漏れる息は快楽を得ている証だ。ローの手は止まることなく、乳首を捏ね、時に爪を立て、舐めては濡らし、空いている手を下に下ろして熱の中心を弄んだ。既に濡れていたそれは堅さを持ち、ローの手指が滑るたびに震え、ぐじゅ、じゅ、と濡れたいやらしい音を響かせる。ロー自身も無論、痛いくらいに堅く、先走りを零すほどになっている。
身体を起こし、スモーカーを見下ろしながら、その腰をまたいで熱同士をぴたりと合わせた。熱と悦に目元を潤ませ、白い肌を紅く上気させた顔で、意図を察したスモーカーが薄く笑う。ローも笑い返した。それからゆっくりと、手に伝わる先走りを互いの熱に塗りたくりながら腰を上下に動かす。すぐにぬるりとした感触に包まれ、触れ合うだけで数倍もの刺激になった。ローは思わず息を吐き、スモーカーは軽く喉を逸らせて敏感に刺激を受け取っている。しばらく続けるうちにローは腹の底から湧き上がる熱を持て余すほどになった。このまま爆発してしまいそうだ。伝わる刺激ももちろんのこと、好きな男が自分の下で白い肌を紅く染めながら、時に眉をひそめ、時に気持ちよさそうに、熱くて濡れた息と声を漏らすことが何よりもたまらない。
「……っ、く」
「スモーカー」
いつもとは違う呼び方をする。自分でも馬鹿かと思うほど切羽詰った声だ。快楽を追っていたスモーカーがローを見た。ローは言葉を探すが、どうせ見つからないことは分かっていた。こんな時、いつもそうだ。いつもの通りに言うしかなかった。
「ちゃんとするから、入れていい?」
自分がどんな顔をしていたかなど分からない。ただ、スモーカーが優しく笑って「いいよ」と言ったので、きっとスモーカー以外には情けない、だがスモーカーにとっては──この好きな男にとっては、愛しいと思ってくれる顔なのだろうということは分かった。だから嬉しいと思った。
「あれ」
「ああ」
「どこだよ」
「ポケット」
「出しとけよ」
言いながらローは一度スモーカーの上から降り、ベッドの下に脱ぎ捨てたスモーカーの軍用パンツを拾い上げた。熱の流れが中断される間抜けな瞬間だ。だがローは何となく、こういった瞬間が嫌いではなかった。スモーカーも同様で、どんなに弛んだ時間になってしまっても、機嫌を害することもなければ再開の雰囲気に持ち込むことも巧かった。
ローがパンツのポケットから引っ張り出したのは小さなワセリンの容器だ。軍人なら誰もが持っている。本来なら血止めのために支給されているものだが、まさかこんな時にそんな使い方はしない。
「あった」
「そいつはよかった」
「やり直し」
「どうぞ」
指にたっぷりとワセリンをすくってからスモーカーに再びのしかかり、ローは医師ならではの指の動きでスモーカーの奥を解しにかかる。
しょっちゅう会ってセックスをするわけではない。ローが知る限り他の男と寝ている気配がないスモーカーのそこは堅く、毎回それなりの準備が必要だった。面倒と言えば面倒でも、ローはそれが好きなのだ。口に出せば年上の余裕で笑われそうで言えなかったが、手間がかかるということは、自分だけだということに等しいからだった。
潜り込んだ指を滑らせ、丁寧にそこを解していく。ローの熱の中心は限界の一歩手前で、今すぐにでもスモーカーの中に入りたくてたまらない。それでも熱を理性で何とか抑え、少しずつ広げてはスモーカーの奥を開いていくことに集中した。潤滑油になったワセリンが濡れた音を立て、疑似的にいやらしい音を響かせて二人を聴覚から刺激する。
「……う、ん」
やがてスモーカーの息が上がり、今までよりもはっきりとした声が漏れ始める。
「っ、あ」
「ここ?」
「……っ」
「中、すげえ」
漏れる声にはっきりと煽られ、ローはスモーカーにキスを繰り返す。腹に当たるスモーカーの熱と、指に纏わりつく奥の熱いうねりがもうたまらない。なあ、と囁いた。我ながら熱すぎる、そして甘えたような声で、きっと俺は後でこの声を思い出してひどく恥ずかしくなるんだ、と思った。それでも構わなかった。なあ、ともう一度言った。なあ、もう入れたい。たまんねえ。入れさせて。
切羽詰った、それなのに甘え切った声に否が言われるはずがない。分かっていて言った。いいよ、と案の定、スモーカーが答えた。ああ、いいよ、いいから。
「いいから、早くしろよ」
その声は熱くて濡れていて、ああ、俺は馬鹿だ、とローは思った。嬉しかった。俺は馬鹿だ。スモーカーだってしたくてたまんなかったんだ。俺ばっかりだと思ってた。
「う──、あっ!」
ローが脚を担ぎ上げ、中に押し入った瞬間、スモーカーは仰け反って高い声を上げた。ローは我知らずぞくりと背筋を震わせ、ああ、と呻くような声を出していた。スモーカーの声も姿もたまらなかったし、濡れて熱い中の感触もたまらなかった。きつく締めつけてくる感覚も、それなのに熱く柔らかく包み込まれるような粘膜の湿りも、何をどうやったって気持ちよくなることしかできないものだ。
中、と言いたかった。中、すげえきもちいい。そう言いたかったが、もう目の前の快楽を追いたくて追いたくてそれどころではなかった。我慢しようとも思わなかった。スモーカーの許可も得ずに無茶苦茶に腰を動かし始める。
「待て、お前、おい……っ──あ!」
さすがに制止しようとしたスモーカーの声が敢え無く崩れ、結局ローは好き勝手に突き上げる。相手を焦らそうだの快楽を与えようだの、そんなことは何も考えられなかった。ただ気持ちいい、スモーカーの、好きな人の中がきもちよくてたまらない。たまんねえ、と呟いたのか呟かなかったのか。それすらも分からないほどに身体中に熱が回り、冷静に考えられない。熱い。きもちいい。きもちいい──大好き。あいしてる。
「う、──ン、あ──ァ!」
揺らされるたび、突き上げられるたびにスモーカーの声が濡れ、ローの脳を殴り付けるように煽り続ける。ローは熱い息を吐き、煽られた欲をただスモーカーにぶつけ、いやらしい音をたてるつながった場所から溶けてしまうのではないかという錯覚にすら襲われた。溶けてひとつになってしまうのではないかといつも思うのだ。
「っ、やべ、いきそ」
先に音を上げたのはローだった。まだ嫌だ、もっと、と思っても、スモーカーを貪ることを止められないのだから仕方ない。もっと熱の中にいたかった。熱を吐きだせば溶けてしまうような錯覚も終わってしまう。
「すも、か、ごめん」
「うん」
「ごめ、俺、いく」
「ったく」
言うなり、スモーカーが動いた。ローは思わず息を詰める。不意に両腕を伸ばしたスモーカーがローの頭をぐいと引き寄せ、深く深く唇を合わせながら、繋がった熱を思い切り締め付けたからだ。
「すも、か、──ン、ぐ……っ!」
達する寸前を堪えていたローにはどうしようもない最後の刺激に等しくて、くぐもった声を喉の奥で上げることを止められないまま、全ての熱と欲をスモーカーの中に吐き出してしまう。
達した瞬間、重ねたままのスモーカーの唇が笑いの形に歪んだような気がして、それはもう悔しくてたまらなかった。




「腹減った」
「相手が俺で良かったな」
ベッドに沈み込み、拗ねたように空腹を訴えたローに苦笑しながら溜息をつく。ローの髪を撫でてから葉巻に火を点け、ベッドに端に座ったスモーカーは、厨房に軽食でも頼もうかと考えた。
「何で」
「普通の奴なら終わった後に”腹減った”は、デリカシーがないって怒るもんだ」
「お前がそんなタマかよ」
「だから俺で良かったって言ったんだ」
「はいそうです、良かったです、ありがとうございます、俺だけいってすみませんでした」
ローは完全に拗ねた態度で、今度は毛布を頭から被ってしまった。拗ねる理由が分かっているスモーカーは、流石に少しやりすぎたことを認めざるを得ない。最後の最後で主導権を奪ったこと、その上、いったのはローだけだった。男としての性的な自尊心が打ち砕かれ、自分がまるで子供扱いされたと思って拗ねているのだ。
「拗ねるな」
「拗ねてねえ」
「俺はいいんだよ」
「うるせえよ」
毛布ごしのくぐもった声はどうしようもなく拗ねていて、スモーカーがまたぞろ可愛いと思ってしまうには充分すぎる。ローの頭がある辺りをぽんぽんと叩き、スモーカーは機嫌が直る時を待つことにした。どうせ長くは続かない。──そうだ、どうせ長くは続かない。あまり長く拗ねていると、二人で楽しめる時間がどんどん短くなっていく。二人はそれを知っている。
「いいんだ」
「いいわけねえだろ」
「いいんだって言ってんだろ」
「何で。俺ばっかり。俺しかいってねえ」
「ああ、うん」
そろそろ毛布の下から出るきっかけを作ってやろう。言葉を探す振りをして心の中で数を数える。いち、にい、さん。この間があるだけで、年下の恋人はもっと可愛くなる。
「お前が気持ちいいのが好きなんだ」
もう一度心の中で数を数える。いち、にい、さん。数え終えると同時に、耳まで真っ赤になった年下の恋人が毛布の下から顔を覗かせた。案の定、スモーカーはその姿がおそろしく可愛く見えた。満足だ。
「俺だって」
「うん?」
「お前が気持ちいいのがいい、けど」
でも、だって、と口の中で自分を制しきれなかったことをもごもごと悔やむ姿が、またスモーカーには可愛くてならなかった。俺でよかったし、お前でいいんだ。──お前がいいんだ。そう思った。
「腹が減ったなら厨房に何か頼むぞ。あのスープならまだあるだろうし、パン──いや、パスタならあるんじゃねえかな」
「ああ、あれ。あのスープ」
ローが起き上がり、テーブルの上にある器を見た。すっかり冷めてはいるが、スモーカーの食べ差しが入っている器だ。
「玉葱か。……なるほどな、うん」
「嫌いだったか?」
「いや、そうじゃねえけど」
スモーカーを見て、次にまた器を見る。そしてまたスモーカーを見て、ううん、と唸った。一連の動作の意味が分からないスモーカーは首を傾げるしかない。やがてローは溜息をついた。
「前から言いたかったんだが」
「ああ」
「お前、やっぱりちょっと厚着しねえ?」
「は?」
「だから」
ローはまた溜息をつき、だから、その、と口の中で繰り返す。また面倒な思考に陥って自分と戦っているらしいと見抜いたスモーカーは、葉巻の煙をくゆらせながらローが話し出す時を待った。
「……だから」
「ああ」
たっぷり数十秒経過した後、ようやくローは言う。
「あのスープで体温が一気に上がっただろ」
「ああ」
「お前、色が白いだろ」
「そうだな」
「……だから、つまり。俺が急にやりたくなったのって、そのせいで」
今度はスモーカーが黙る番だった。意味が分かるようで分かりにくい。普段は明瞭、理路整然と話す理性的なローがこんな話し方をするということは、感情と理性が剥離した部分での、かなり感覚的な話だということだ。様々な観点から考える。ローの性格、年齢、自分に対する感情、その他色々。状況分析は軍人の必須スキルだ。
ほどなくして回答に思い至り、ああなるほど、と納得した。つまるところ、ローはスモーカーに欲情したということだ。その原因が──要は体温が一気に上がれば肌は赤みを帯び、目は潤み、いわばベッドの中での姿を連想させることもあるだろう。
「仕方ねえだろ」
スモーカーが呆れて沈黙したのだと勘違いしたローは、たちまち真っ赤になって言い訳を始める。いや、そうじゃなくて、とスモーカーは言いかけたが、その姿も可愛いのでしばらく堪能することにした。
「お前、ただでさえああいう格好で出歩くから、俺いつも──」
「関係あるのかよ」
「あるよ!」
「そうか、悪かった」
「何だよ!」
「悪かった、気を付ける」
「馬鹿にしてんのか!」
「いや、そうじゃなくて、うん」
子供扱いされたことに癇癪を起こしそうなローを抱き込み、嫌がって暴れる背中を軽く叩きつつも、たしぎの言葉を思い出していた。
──その格好で出られると、困ってしまう人もいますから。
なるほど、なるほど──スモーカーは苦笑したくなった。まさか自分をそういう目で見る連中がいるということか。たしぎはああ見えて人の視線の意味には敏感だし、間違ってはいないのだろう。それにしても10代や20代の頃ならいざ知らず、と呆れ半分、苦笑い半分だ。
「ロー」
「何だよ」
「じゃあ、お前もあのスープはアウトだし、人前でコートを脱ぐなよ」
「何だよ」
「何だろうな」
「……何だよ」
もごもごと口の中で言葉を飲み込む。自分と違ってストレートに愛情を伝えられるスモーカーを羨ましいとまで感じる一瞬だった。とても勝てる気がしないし、勝ちたいとも思えなかった。思えない程度にはスモーカーの愛情が心地よくてたまらない。それを伝えたかったが上手い言葉が見つからず、胸に額を押し付けて、とにかくお前が好きだ、と何とか表すことができた。
スモーカーはローのその仕草も可愛くて、ああ可愛い、としみじみしながら髪を撫でてやる。そしてローが言うならできるだけ意に添ってやりたいところだ。軽い嫉妬は可愛いものの、強い嫉妬は可哀想だと思う。
人はそれを愛と言う──までもなく、ああそうさ、俺はこいつを愛しているよと涼しい顔で言いそうな男は、他の誰にも見せられないほど甘え倒す年下の恋人の可愛さを存分に堪能し、さて、ローとベッドで遊んでいる間にドアの前に来て、しかしそっと引き返していたたしぎにどう説明しようかな、と考え始めたのだった。