liar liar(ロマンティックワルツ)



素晴らしい美女なのだ。それはよく知っている。背は高すぎず低すぎず、どんな服も着こなせるプロポーションは最高級で、髪も肌も美しく、なおかつ自分の魅せ方をよく知っている、社会的地位も非常に高く、いわゆる出来る女。とてもよく知っている。立場が違えばもう少し好感を持てたかもしれないし、違わないとしても、敬意くらいは持てたかもしれない。だが基本的に、ローはこの女が嫌いだった。ローの恋人が恋人である以上、顔を合わせる機会が通常よりも多いことが悔やまれるほどに嫌いだった。
だが今日は自分を嫌いになろう、と思った。普段立ち寄りもしない島に気紛れで上陸した自分が悪い。自分が馬鹿だ。自分を嫌いになっておけば全てが丸く収まるだろう。
煌びやかな灯りが消えることのない、華やかで賑やかな、それなりの金持ちが遊ぶための夏島。ここにしかない薬があるから船を寄せただけだった。まさかこんな所でヒナに会うとは──しかも明らかに、この夏島で思う存分遊ぶためにドレスアップした姿で会うとは思わなかった。本当にいい女なんだ、とローは思う。波止場にある、この島ならではの上品なバーのウエイティングスペースで立ちながら煙草を吸っていたこの女は、そう、本当にいい女なのだ。
「口を開かなきゃ、な」
「何を言いたいかはよーく分かったわ。私のこと美人だって思ったんでしょう? ヒナ正解」
「こんばんは」
「ご機嫌よう」
答えたくもなく、だが黙っているのも癪で、ローは白々しく挨拶した。やはり挨拶を返すヒナは、周囲の人々の視線を集めるには充分すぎるほど美しかった。完全なフォーマル姿ではないが、それなりのグレードのワンショルダーのワンピース、普段よりも些か派手で華やかなメイクが彼女の美貌を引き立てる。その彼女が七武海のトラファルガー・ローと向かい合っているのだから、更に視線は集中するというものだ。
「さようなら」
「ちょっと」
正しい挨拶をして立ち去ろうとしたローを、ヒナは冷静に呼び止める。立ち止まる義理もなく、ローはそのまま歩こうとした。だがヒナの次の言葉と、生まれながらに持っている階級の素養が邪魔をした。
「恥をかかせるつもり?」
セミフォーマル、大人が遊ぶための夏島、夜。そんな姿、そんな場所で、女性が一人ということはあまりにも──別の意味で人目を引く島だ。俺が知るかよ、と言えばいいだけだった。だが言えなかった。この女のことは大嫌いだ。恥をかくならかけばいい。
だが、この女を無意識下で、当然のように大切にしている男のことは好きで好きでたまらない。
だから振り返って、思いきり嫌な顔を作ってやった。
「貸しだぞ」
「借りたと思うようなエスコートをしてくれるんでしょうね」
「犯してやろうか」
並の女なら怯えるか、嫌悪感を見せただろうその台詞に、ヒナはうふふと笑ってみせた。
「キミはそんなことしない」
「そうだな、お前じゃ勃たねえよ」
言いながら溜息をつき、軽く腕を曲げる。心得たヒナは今度はにこりと笑い──明らかに年下のカワイイボウヤを褒める笑い方──その腕を取った。成り行きで見守っていた周囲が、思わず感嘆の息や軽い口笛を吹いて面白がったが、二人は気付かない振りをした。
「野暮だが訊くぞ」
「どうぞ」
好奇の目に晒されるのも面倒だったので店を出て、ヒナの歩幅と速度に合わせて歩きながらローは言う。
「約束があったのか」
「野暮でも訊く理由は?」
「振られたんなら笑ってやろうと思って」
「笑うチャンスを奪ってしまって申し訳ないわ。急な任務で来られなくなっただけ」
「ふうん」
嘘ではない、と判断した。嘘であっても構わなかったが、とりあえず嘘ではない声だ。任務ということは海軍の男だろう。ヒナがどんな男と付き合っているか興味などないものの、つい考えてしまうのは、それなりに顔を合わせる機会の多いローとしては仕方のないことだった。
「飯は?」
「殿方にお任せするのが淑女の努めよ」
難易度の高いことを言ってくれるものだ、とローはややうんざりする。全く野暮な人間ではないと自分でも思うが、さりとて男女の仲に洗練されているわけでもないという自覚もあった。
「先に言っておく」
「なあに」
「俺はお前より若い。ずーっと若い」
「嫌な強調はいらないけど、それがどうしたの?」
「三十路のババアが満足するようなエスコートなんかできるわけねえぞ、ってことだ。文句があるならよそを当たれ」
「キミにしちゃ、自信のないこと言うのね。ヒナ新鮮」
「俺も新鮮だよ」
はっきりと目的を持った足取りで歩き出す。腕を組んでいるヒナは少し笑い、見目の良い年下の男を傍らに従える快感を楽しんだ。
「どこに連れて行ってくれるの?」
「最初は俺の用事だ」
「あら、野暮」
「うるせえな」
ローは苦々しく答える。
「この格好で行くのは、いくらお前が相手でも気の毒だろう」
足を止めた先にはスーツの店があった。ヒナは思わずローの横顔を見上げ、それから、そうね、と呟いた。


ワインは、と、この島に相応しい、上級の品を持つソムリエが恭しく問う。こんな時に判断を求められるのはいつも男性だ。それが同伴の女性より年下であっても、最初は必ず男性に華を持たせようとするのがマナーのようなものだった。
だがワインリストを差し出されたセミフォーマル姿のローは、受け取りもせずにあっさりとヒナに言う。
「好きなの選べよ」
「キミが選ぶんじゃないの?」
ちょっとマナー違反──そんな顔をするヒナに、ローは肩を竦めてみせた。もちろんわざとだ。いかにも「分からない年下の坊や」の姿だった。
「詳しくねえんだ。見栄張っても仕方ねえよ」
「──あなたのお勧めは?」
騙されはしないが楽しんでおこう、とヒナは薄く笑いながらローのあざとさを受け入れる。かと言って自分が選べばローの恥になる。周囲の視線が集まっていることを知り、それは得策ではないと思った上で、ソムリエに丸投げすることにした。ソムリエは有名な海賊と海軍将校という取り合わせに内心で興味津々ながらも、淡々と役目をこなしていく。
勧められたワインは申し分なく、酒癖に難のあるヒナも、これは丁寧に飲みたいから悪酔いはしないようにしよう、と思うほどだった。ローも充分に楽しむ。金持ち向けの島のレストランに相応しく、料理も文句のつけようがなかった。
「その時にさ、うちの──シャチって奴が──」
「ちょっと、もう」
ローが選ぶ話は航海中の他愛もない、だが海を知る者ならつい笑ってしまうようなものばかりで、ヒナも例に漏れずに笑ってしまう。傍から見れば意外過ぎる組み合わせの二人だが、海に生きる者としての共通点は確かにあった。共通点があることと理解し合うことはまた違う。それが海賊と海兵と言うものだが、今は忘れるべきことだった。高級なワインをそこそこ、ヒナが悪酔いをしない程度に楽しみ、料理も惜しげもなく美味しいもの──店が勧めるままにハイクラスなものを味わう。七武海と上級将校、金があるのは確実で、勧めるソムリエもアテンダントも心の底からの接客だった。
ヒナから見たローは、まずはほぼ完璧に「年下の男」だった。意識してやっているかどうかは分からないが、あざといという言葉がとても似合うと思った。端整な顔立ちと恵まれた体躯でセミフォーマルを纏う姿は素晴らしい「男」の姿なのに、年上の女の前で素直になってみせると途端に子供じみた一面は露わになる。それが年上の女の心をくすぐるのだと分かっているのだろうか。それとも──ヒナは思う。
──それとも、彼にそうすれば愛されるって、無意識で分かって身に付けたのかしらね。
「この島をあまり知らない。彼女と楽しめる場所は?」
上客のデザートに合わせ、挨拶に来たマネージャーに素直に問う姿も好感度が高かった。海賊を廃業しても年上のマダムを捕まえて生きて行けるわね、とヒナは思った。
手っ取り早く楽しめる場所として、マネージャーは「ありきたりな場所ですが」と言いながら、島の中央にあるカジノを紹介した。どうせ彼にマージンが入るのだろうと二人は思ったものの、特に異論はない。違法な場所でなければ公僕であるヒナも楽しめる。店を出る頃にはカジノから迎えが来ていた。手回しがいい、と二人で顔を見合わせて苦笑いをした。
金があればいくらでも楽しめる。それがこの島のコンセプトで、二人はそれが嫌いではないと思った。派手な飾りつけで少しばかり成金的な、だが素直に受け入れれば、日常を忘れてこの上なくはしゃげる趣味のブルに乗り、賑やかな水路を通ってカジノへ向かう。水路そのものも観光名所で、夜なのに煌びやかな景色と行き交う人々が二人の目を楽しませる。他のブルから七武海だ、黒檻のヒナだ、という声も聞こえるが、応じてやる義理もない。わざとらしいほどに他愛もない話をしながら水路を進む。女に水飛沫がかからない場所に座るローに、ヒナは心から微笑んだ。
カジノは二人の登場にざわつき、連絡を受けていた支配人が慇懃に出迎える。チップだ何だと説明を受け、まあ適当にやればいいだろ、とローが呟き、ヒナが笑った。
「どこに置く」
「キミは?」
「お前が決めろよ」
「じゃあ、黒の20」
カジノの定番のルーレットはそこそこ楽しめた。心得たディーラーは勝ち負けを器用に操り、二人はそれを理解しながらも結果に一喜一憂して存分にはしゃぐ。周囲は二人の関係性を邪推しながらも、土産話には悪くないと言わんばかりに二人を囲み、はやし立て、便乗して楽しんでいた。
そしてポーカーでローが大勝ちをし、ディーラーが青ざめて完全にローの勝利であることを認め、ヒナがマナーの一環としてローの頬にキスをした瞬間、カジノ中がどっと沸き、支配人が天を仰いだ。決まり手がロイヤルストレートフラッシュ、しかもハートとあれば、それは当然の騒ぎとしか言いようがない。


帰りのブルの手配は固辞し、二人は潮の香りがする風に当たりながら歩く。もう日付は変わり、観光客の数は少し減っていたが、相変わらず道は明るく、まるで不夜城のように煌めく道を気ままにふらついた。
「悪くなかったわ」
「もっとましな言い方をしろ」
「まあまあ楽しかった」
「物凄く楽しかったんだな」
「それはキミでしょ」
減らず口の応酬は決まり事のようなものだ。不思議な関係だ、と二人は図らずも同時に思っていた。道が交わるはずのない相手なのに話をし、今こうやって信じられない姿で二人きりで歩いている。腕を組んでいても心が寄りそうはずもない。当然だ。間にあの彼がいるからこその関係に過ぎないからだ。
「まあ、お礼を言ってあげてもいいわ」
「ああ?」
あまりの言いようにまた減らず口の応酬かと眉を跳ね上げたローに、ヒナは笑顔を向ける。
「誕生日だったから」
「……ふうん?」
「もう日付が変わっちゃったから、どうでもいいんだけど」
ローの腕から手を離し、ううん、と声を上げながら不作法にも伸びをする。夜遊びに心地良い疲労感を覚えている女の姿だった。
「誕生日なんて、いつもだったらゴハン食べて、ちょっと舞台でも見て、高いもの買わせてセックスして寝るだけなのよ」
「最後のはわざわざ言うことじゃねえ」
恥を知れ、とローは苦々しい。年齢や世間のイメージよりも堅い反応をした年下の海賊に、ヒナはまた笑顔を見せた。それは満足した女の笑顔で、ローの男としてのプライドをそこそこ満足させるものだった。
「悪くなかったわよ。借りておいてあげる」
いつも通りの減らず口だ。だが感謝していることはローにしっかりと分かる。その程度には分かりあえるようになってしまっていた。あの彼を挟んで、交わるはずのなかった人間と、人生の一瞬を共有していることを認めざるを得ない。互いの立場を考えれば、それは決して望ましいことではなかった。だが間に彼がいると思うだけで、何かに許されるのではないかと思うのもまた確かだった。
「あら」
ヒナがバッグの中の電伝虫を覗き込む。りんりんりん、という声が、バッグの中からローにも聞こえた。ヒナはバッグから電伝虫を出さず、受け手の部分だけを伸ばして耳に充てる。
「ハロー?」
向こうの電伝虫に首を傾げて話しかけるヒナを見て、本当に、とローは思った。本当に美人なんだ。口を開かなきゃ。──いいや、開いたって、本当は美人だって、俺は知ってる。
認めたくないだけだ。認めたら何だか悔しいだけだ。
ある意味では俺以上にあいつに大切にされている女が美しいだなんて、認めたら、俺は何だか悔しくってたまらない。
「あら、そう──ありがとう、でも大丈夫。もうホテルで寝るわ。──そうよ。とっても素敵な坊やがいたの」
ちらりとローに視線をやり、素敵という言葉に思わずきょとんとしてしまったローの顔を見て、ヒナは声なく笑う。
「あなたと一緒に過ごすより、ずうっとよかった。たまには年下の子も悪くないわね。ヒナ納得」
一緒に過ごすはずだった恋人への当てつけか、とローは苦笑する。急な任務を終えた恋人が、おそらくわざわざ電伝虫を鳴らしたのだろう。当てつけを言ってもこじれない程度には分かり合えている恋人同士なのだろうか。よくあいつは振られるんだ、と彼が言っていたことを思い出した。昔から振られてばっかりで、そのたんびに酔い潰れて、俺が毎度面倒を見なきゃいけねえんだ。
じゃあ、とローは思う。今の男と長く続けばいい。振られて飲んで、酔い潰れては可哀想だ。そうだ、可哀想だ。──呼び出されては面倒を見る彼が可哀想だ。本当は可哀想ではなく、他の男にその役目を任せないであろうことも、ローは本当は分かっている。分かってしまっている。
「そうなの? あらそう、お疲れさま。もう結構よ」
二人の間の絆を、本当の意味で理解できる日は来ないと分かっている。分かるのは表層的なことだけで、その関係に嫉妬する日々がこれからも続くことも分かっている。
だからこの女が嫌いでたまらないと思った。
それでも今日、一人にしておくことはできないと、あの時に思ったのだ。
派手に遊ぶためのこの島で、美しく着飾った女が、約束を反故にされてたった一人で過ごすということは、どうしても放っておけなかった。
この女のためではなかった。
──そんなの、あいつが嫌がるから。
ヒナのためではなかった。
彼のためだった。
彼は嫌がるだろう。彼女がそんな過ごし方をするなんて、本当に、とても嫌がるだろう。
だから放っておけなかった。彼のためだった。
彼は知るかもしれない。ヒナが言うかもしれないから。知られなくてもいい。それでも、その時、きっと彼は喜ぶだろうと思った。知られるのなら喜んで欲しかった。
彼が喜べば、きっと自分も嬉しいと思えるだろうから。
「ええ、お休みなさい。あなたもゆっくり休んで頂戴」
心から愛しい者をねぎらう声を聞き、この女もこんな声を出すのか、とローは不思議な気分になった。とても優しく、甘く、この女に愛された者しか聞けない声だと思った。
「そういえば豆大福ちゃん」
バッグを閉じ、ヒナはローを見る。
「早速だけど、借りを返してあげるわ。長く借りているのは嫌いなの」
「ちょっとやそっとで返せる借りだと思ってんのかよ?」
「──北緯17度00分、東経59度06分」
不意に口にしたそれは座標だった。ローはヒナの意図を測りかねて眉をひそめ、ヒナはにこりと笑いかける。
「機密だけど、特別よ。ここにいるわ」
「……あのな」
「減らず口はなしよ、今だけはね」
唇に人差し指を押し当てられ、ローは黙らざるを得なかった。
「お行きなさい」
「だから──」
「プレゼントをもらってないわ。バースデープレゼント」
散々金を使わせておいてこの上で何を言う──流石に呆れかけたローに、ヒナは指を引きながら言った。
「あなたがこの座標を有効活用するなら、それがプレゼントでよくってよ。彼に恩を売れそうで気分がいいから」
「──せめてホテルまで送らせろ」
完全降伏だ、という意を込めて申し出る。その顔を見たヒナが、こんなに楽しいことはないというように、華やかに笑い転げたのだった。


りんりんりん、と電伝虫が呼ぶ。その顔を見て、さっき何か言い忘れたのだろうか、と首を傾げながら応答した。
「ハロー?」
さっき言い忘れたの、と彼女は言った。
「何だよ」
彼女は言った。
もうすぐ、さっきの可愛い坊やがあなたに会いに行くわ。
「……ふうん?」
北緯17度00分、東経59度06分。
空間が歪む気配を感じる。
彼女は言った。
可愛いでしょう。今日はとびきり可愛いわよ。
「いつでも可愛いだろう」
そう言うと、電伝虫の向こうにいる彼女はごちそうさまと苦笑いを漏らす。
「ヒナ」
なあに、と彼女が答える。
「Happy Birthday──Stay beautiful」
誕生日おめでとう。美しくあれ。スモーカーがそう言うと、ふふ、と含み笑ってヒナは通話を切った。
スモーカーも電伝虫を置く。
「似合うじゃねえか。キスしろよ」
手元の葉巻の一本と引き換えに目の前に現れた、普段とは違う格好のいとしい彼に心から笑いかけた。
嬉しいと思った。
照れたように、それでも嬉しそうにキスをしてくる、いとしくてたまらない彼が、今日と言う日に彼女に優しくしてくれたことを、どう言い表せばいいのか分からないほど、本当に心の底から嬉しいと思った。