女だから、年下だから。きっとそんなことも関係がある。たしぎは思い知っている、と自分では思っていた。部下が男性、そして年上もいる。そんな中、どうにかこうにか命令を下さなければいけないこともある。
彼らも決して愚かではない。だがやはり、年下の女に命令されることを割り切れない瞬間もあって──でも、だって、とたしぎは思う。スモーカーには決して言えないからこそ思い悩む。こんなことを言ってもスモーカーは困るだけだろう。困らせたい相手ではないし、それよりも、そんなこともできねえのか、と無言で呆れられかねなかった。──いや、呆れられればまだ良い方だ、と、これもたしぎは分かっている。彼は相手が無能だと分かった瞬間、冷たくするわけではないにしろ、自分の世界の中では「弱者」として位置付ける。そして期待しなくなる。彼はそういう男だし、たしぎはそんな彼の間近で生きていて、そんな瞬間を何回か目にしていた。弱者と位置付けられた相手がそれに気付いた瞬間の絶望の顔も。
自分がその対象になることだけは御免だった。
だが、うまくいかないこともある。
今日もうまくいかない、と思った。G-5ではそれなりに経験のある男たちに、ちょっとしたことについて注意を促す必要があった。それは大佐という立場なら当然のことで、代表として話を聞くことになった男も、充分に互いの立場を理解している。だが明らかに、それは納得しようとする努力をする男を目の当たりにする瞬間だった。この瞬間がとても苦手だ、とたしぎは思う。本当に苦手だった。いっそ相手が反発してくれれば良いのにとすら考えることも珍しくない。
ちょうど彼ら以外に誰もいなかった食堂で、たまたま顔を合わせたから思い出したようなものだ。ここで言うべきじゃなかった、もっと正式に、お互いに形式だからと自分を誤魔化せる場所で話すべきだった──たしぎは心底後悔した。
「いや、大佐ちゃん、分かったよ。俺が悪かった。俺がまとめてるようなもんなんだから、もっと全員に目を配るべきだった」
「悪かったとか、そういうことではなくて──」
「いやいや、本当、いいから、悪かった」
そういうことじゃないの、とたしぎは唇を噛みたくなる。たしぎが彼に注意したことは、前線に出る時の安全に関する確認事項だった。長くG-5にいる彼らなら当然分かっているはずのことだが、それゆえに気が緩んでいる部分を見付けてしまったのだ。
たしぎの立場上、指摘して改めさせる必要があった。彼もそれを理解して、この話は終わりになるはずだったし、終わりになるべきだった。
だが、たしぎがその言葉を言った瞬間、彼は露骨に眉を跳ね上げて不快感を露わにし、周囲も似たような顔をして、たしぎは自分が大変なミスをしたのだと気付いた。
「分かったよ」
明らかに彼は声のトーンを落として、それでも何とか年下の上官に逆らわないよう、元々は荒い気性を抑え付けている。これが彼にとってどれほど不愉快か、たしぎも分からないわけではなかった。だから余計に、なぜここまで彼が気分を害したのか分からなかった。
あなたたちのために。
この言葉を言った途端、彼の態度が豹変したのだ。もしかすると少し押しつけがましく聞こえたかもしれない。年下の女に言われるのは面白くない言葉かもしれない。だが、それでも、こうまで気分を害するものなのだろうか──たしぎが少々ならず焦り始めた時、騒々しい足音や大声と共に、他の男たちが食堂に入って来た。
「ご指導、どうもな」
注意を促された男はそう言い、彼らは食堂を出て行った。たしぎの溜息に気付いた者は誰もいなかった。
それから数日、特にG-5が出動することもなく、訓練で時間が過ぎた。だが今までは保たれていた見えない何かの均衡が、明らかに崩れたことは傍目にもよく分かった。男たちはたしぎの言を誰かに言い触らすという真似をしなかったのだろう、事情を知る者は他になく、むしろ崩れた均衡を気にし、男たちに「大佐ちゃんを困らせるなよ」と言う者もいるほどだった。
「大人げねえのは分かってるよ」
すれ違った時、彼はたしぎにそう言った。たしぎは何か言おうとしたが、彼は目でそれを拒否した。
「G-5じゃ、女が上司になったことがねえんだ。ちょっと時間をくれ。じき慣れるよ」
たしぎはいたたまれなくなる。彼は、彼らは受け入れようとして葛藤している。じゃあわたしは? わたしは彼らに何をするの? 何をしてしまったの?
女だから、年下だから、だから、彼らのプライドを傷つけた? ──違う。言っちゃいけないことを彼に言ってしまった。彼らの代表の彼に言ったということは、彼ら全員のプライドを傷つけたということ。それくらいは分かる。でも、どうして──あれはどうして、言っちゃいけない言葉だったの?
考えても考えても分からない。どうすれば分かるのだろう。誰にも訊くことはできない。
もしかするとヒナさんに訊けばすぐに分かるかも──そう思ったが、彼女が電伝虫の向こうでうふふと笑い、いとも簡単に正解を口にする姿を想像すると、きっととっても綺麗でしょうね、でもきっととっても嫌な気分になるわ、とあっさりと結論が出て、諦めざるを得なかった。女は面倒でいけないわ、と、分かっていてもどうにもならない感情を疎ましく思う瞬間だった。
だが、確実に悩みはたしぎの表情を蝕み、周囲を、特にスモーカーを心配──いや、うんざりさせていたのは事実だった。
「おい」
執務室での事務処理中、不意にスモーカーが言った。
「誰が何をした」
「……わたしが誰かに何かをしたっていう可能性は?」
「二番目に訊く予定だった」
ああ、とたしぎは思った。ああ、だからわたしは、この人にずうっと付いて行きたいって思ったんだ。
最初から、わたしが悪いって決めつけないでいてくれた。ポーズだけかもしれないけど、わたしが悪くない可能性を先に信じてくれた。
たしぎはそれで充分だと思った。話して呆れられても、きっとスモーカーの世界で、弱者だと思われることはないと分かった。
だから素直に話すことができた。
ふうん、と最後まで聞いてから、スモーカーは相槌を打った。そしてあっさり言った。
「俺でもムカついたと思う」
落ち込むどころの話ではない。頭を鈍器で殴られたのではないかというほどの衝撃だった。スモーカーは典型的な叩き上げの中将で、すなわち、G-5の男たちの立場も味わったことがある。彼らの気持ちが分かる男が、たしぎに同様のことをされたら不愉快だと断言したのだ。わたしが本当に間違っていたんだ、と改めて思い知るのは辛かった。
「どうしてですか。わたしが注意するの、やっぱり駄目ですか」
「お前が注意するのは正しい」
「何にムカついたんですか」
「”あなたたちのために”」
たしぎはスモーカーを見る。スモーカーは書類を見たままで、たしぎを見ることはなかった。いつもこうだ、とたしぎは思い出す。いつもこうだ。──いつもこうなの。わたしに大事なことを教えてくれる時、スモーカーさんはわたしを見ない。
「馬鹿言うもんじゃねえよ」
「馬鹿ですか?」
「お前のためだろう」
その言葉を理解するまで数秒が必要だった。理解した瞬間、全身が震えるほどの、それこそ大げさではなく、雷に打たれたような衝撃を感じた。ああ、ああ、と、声が出ればそれしか言えなかったかもしれない。声も出ないほどの衝撃だったから、他に何かが言えるかどうかは分からなかった。
スモーカーは言った。
「女だの年下だの、そんなもん、男なら誰だって面白くねえ。相手が気にしてんなら尚更だ」
それでも──スモーカーは続けた。どこか、彼らに同調するような、もしくはどこか称賛するような声だった。叩き上げのスモーカーと、将校としてのスモーカーがそこにいた。
「それでもあいつらは受け入れようとしてたんだ」
確かにそうだ。たしぎは思った。あの食堂で、彼らは納得しようと努力してくれていた。
「それなのに、”あなたたちのために”なんて逃げ口上、ムカつくしかねえよ」
「そうですね」
たしぎのその返答に、スモーカーはそれ以上説明する必要がないと理解し、書類を置いて新しい葉巻を手に取った。
「目が疲れた。休憩だ」
「はい。ちょっと出てきます」
返事もそこそこに、たしぎは執務室を速足で出る。その背中を見送り、スモーカーはつい苦笑した。
過去の自分を思い出して、苦笑した。
たしぎに大事な何かを言う時、決して彼女を見ない。
過去の自分を思い出して、何とも居心地が悪くなって、そしてあの頃の日々の喜怒哀楽を思い出して、懐かしさで胸が痛くなるかもしれないから。
彼らがいつもいる場所は分かっている。武器庫の裏、それなりに日差しが当たる場所だ。訓練のない時間はそこで煙草を吸ったりコーヒーを飲んだり、それぞれがリラックスして過ごしている。G-5の面々は自分たちがくつろぐ場所を決めていて、同じ部隊であっても、それぞれの縄張りのようにそれを守っていた。たしぎは最初、それも理解できなかった。理解できないことがたくさんあった。スモーカーには当然のように分かることでも、たしぎには分からないこと、そしてその理由が、自分は本当の底辺からの叩き上げとはまた違う立場であること、女性という立場であることだとおぼろげに理解した時、今回の問題の芽が心の中に生まれたのだと分かった。
そうよ、わたしだって、それくらいの想像力はあるもの。年下だから、女だから──だから、彼らのプライドを大事にしなきゃって、ずっと思ってた。
でも間違ってた。
間違ってたから、逆にプライドを傷つけたんだ。
そんなの、あの人たちのためじゃなかった。
わたしのためだった。
わたしが一番、「年下の女」にこだわっていたんだ。
年下の女が歴戦の男たちに命令する立場だなんて、きっと嫌な目で見られる。
そんなことを勝手に思ってた。
「あの!」
そこにいた彼らはたしぎの登場に驚き、それぞれに顔を見合わせた。例の彼が代表して口を開く。
「整列でもするかい?」
それは厭味なのか、自棄なのか、たしぎには分からなかった。どちらでも良かった。どちらであってもこれからたしぎが言うことは変わらないし、結果も変わらない。だから、どちらでも良かった。
たしぎは言った。
「この間の件ですけど、改めて、しっかり安全確認するようにお願いします。いいですね」
「”あなたたちのために”?」
年下の女が。
そんなことを勝手に思っていた。
きっと嫌な目で見られる。
勝手に思って、だから勝手に、先回りで自分に言い訳をしていた。
あなたたちのためだと言えば、それは一見正論に見えるから、そうだ、年下の女が言ったって、誰もが納得するだろう。
誰もが納得するのだ。それは当然だ。正しいことなのだから。
その対象が本当に「あなたたち」であれば、正しいのだから。
「違います」
本当は自分のためだった。わたしは正しいことを言ったんだもの、嫌な目で見られたって平気。そう言い訳するためだった。
間違っていた。
だからスモーカーさんが教えてくれた。
「わたしのために、もっと気を付けて下さい。あなたたちに何かあったら、わたしがスモーカーさんに怒られるんですから!」
暫し、誰も喋らなかった。やがて誰かがくすりと笑った。例の彼だった。それをきっかけに、他の彼らも笑い出し、最後はたしぎも一緒になって大笑いをしていた。ああ、と彼が言った。
「分かったよ」
彼は立ち上がり、穏やかな目をたしぎに向けた。彼の世界に女の上官が確固たる姿で映った瞬間なのだと、たしぎはなぜか理解した。
「これから気を付ける。──お前らもな」
男たちが笑いながら頷き、それでもやはり彼と同じように、彼らの世界に女の上官の姿を穏やかな目に映した。
たしぎは彼に手を差し出す。彼は暫くそれを見つめた後、僅かに苦笑し、わざと手を上に挙げた。
悟ったたしぎは素早く手を挙げて、思い切り彼の手と打ち合わせ、乾いた音を響かせる。他の彼らも次々と手を打ち合わせてくれる。
たしぎは笑っていた。自分が満面の笑顔であることを知って、後でスモーカーさんにどう説明しよう、と楽しくて仕方なかった。