知ってるか、とローが不意に俺に言った。ほろ酔いと言うには酔い過ぎたガキは、宿に入っても酒が抜けず、着替えもせずにベッドに横たわって妙に上機嫌だ。珍しい姿だし、これはこれで可愛いので、無理に酔いを醒ませと言うつもりもなかった。
「知らねえよ」
「まだ言ってねえ」
普段ならむっとした顔をして拗ねるだろうに、酒の力はかくも偉大、ローは楽しそうに含み笑う。俺は溜息をつく振りをして、ローの珍しい様子を存分に観察するため、安っぽい椅子をベッドの横に置いて腰を下ろした。
「何の話だ」
「脳の話だ」
「面白い話なら聞いてやる」
「面白ェよ」
「どうしようかな」
「聞けって。聞いて」
酔った時しか聞けない甘え声で言い、ベッドの上から俺の服の裾を引く。俺は笑いそうになるのを堪えて──あんまり可愛いものを見ると、人間ってやつは笑いたくなるものだ──指を絡めながらその手を握ってやった。途端にローは嬉しそうな顔になる。俺は今度こそ笑う。他愛ない恋人同士の仕草が何よりも好きなくせに、自分からは何もできないローを甘やかすのは嫌いじゃない。
「聞いてやるよ」
「やった」
何がそんなに嬉しいのか、喜色を見せながら俺の手を握り返し、ローは話し出した。
「いろんなものが見えるだろ」
「例えば?」
「何でもだ。何でも。窓のカーテンでも、ドアでも、今履いてる靴でも、何でも」
「そうだな」
「色がついてる」
「そうだな」
脳が色を認識する組織体系は──とでも言いたいんだろうか。俺にはさっぱりだし遠慮したい部類だが、たまにローは専門的な話を滔々とし続けることがある。俺は高確率で聞いている振りをしている。
だが、今日はもう少し分かりやすい話だった。
「好きな色とか、嫌いな色とか、あるだろ」
「ああ」
「それって知識なんだ」
「知識?」
「そう。これは好きな色、これは嫌いな色、っていう知識」
「ふうん?」
好き嫌いは感性の範疇だと思っていた俺には、多少ならず新鮮な話だった。
「何で知識かって言うと」
「うん」
「脳は、色そのものを数秒しか覚えていられねえんだ」
「──へえ。面白ェ話だな」
俺の人生で役に立つ瞬間が来るとは思えない話だが、面白いことは確かだ。俺の反応に気を良くしたらしいローは、また嬉しそうな顔になる。
「だから、知識としてメモしておくわけだ。この好きな色の名前は赤、この嫌いな色の名前は青、って具合に」
「なるほど」
話すだけ話して満足したのか、俺の手を握ったまま息を吐いて目を閉じる。急激に眠くなったんだろう。酔っ払いにはよくあることだ。
滅多に会えないってのに、寝られてしまってはそれこそ面白くない。とはいえ無理に起こすのも可哀想だ。結局のところ、俺はこいつに甘い。
だがローは眠気と戦い、多少の勝利を収めたのか、目を閉じたまま、恐ろしく眠そうな声で言った。
「白」
「うん?」
「俺が好きな色の名前」
「白?」
「うん。好き」
「ふうん」
なぜだ、なんて言うほどとぼける気にはならないし、こいつがこんなにダイレクトに愛情を示そうとするのは珍しい。俺はそれが嬉しい。
「お前は?」
「──そうだな」
今にも眠ってしまいそうなローの手を、また握り直す。
「今は見えねえな」
「見えねえの?」
「ああ」
「何色?」
目を閉じたままのローの指が僅かに動く。俺の手を握り返したつもりなんだろう。眠りかけた酔っ払いの指に力が入るはずもない。
「金色」
「金色?」
「俺が好きな色の名前は金色、この部屋にはふたつしかない、って、脳にメモしてあった」
数秒後、ローが身動きをした。必死で眠気を振り払おうとしているのがよく分かる動き方で、ともすれば寝ぼけた子供が身をよじっているようにも見える。俺は笑うしかなかった。
「どうした」
「待て。待って」
「どうしたんだよ」
「起きる」
「無理するな」
笑うしかない。これが七武海か。これが死の外科医なのか。笑うしかないだろう。可愛くて可愛くて仕方ないんだから。
「起きる、起きたい。──何で眠いんだ、ああ、ちくしょう」
「飲み過ぎだろ」
「見せてやれるのに」
「何を」
「お前が好きな色、見せてやれるのに。目が開かねえ」
本当に眠そうで、それなのに悔しそうで、そして情けないほど呂律が怪しい声で、俺はもうとにかく、年下の恋人が可愛くて可愛くて仕方ない、と思うしかなかった。
「明日でいい」
「起きてえんだよ」
「無理するな」
「するよ。──すっげえ、やりたくなった」
呂律が回らないのにそんなことを言われると、またぞろ可愛いとしか思えない。
「やりてえんだってば」
「分かったよ。半分空けろ」
「やりてえし」
「分かった分かった」
「キスしてえ」
「俺もだよ」
靴だけを脱ぎ、ローを転がすようにしてベッドを半分開けさせる。俺が上がるのとほぼ同時に、ローが抱き付いて来た。正確には、抱き付きたいように動いたから俺が抱きしめてやった。
そのまま数秒、あっという間にローは眠り込む。子供を寝かしつけたような気分になったが、ローが相手なら仕方ないと言えば仕方ない。俺もこのまま眠ることにした。
「明日になったら」
腕の中のローにはもう聞こえないだろうが、言いたかった。だから囁いた。
「見せてくれよ。ふたつ」
そうだ、起きたら見せてくれ。
俺の方が先に起きるだろうから、お前が起きる前にキスをして待っているよ。
だから、起きたら一番に見せてくれ。
ふたつの金色を。
お前が俺を見る、ふたつの瞳を。
俺のことを愛していると分からせてくれる瞳の色が、一番好きな色なんだ。