I catch a cold



持ちつ持たれつという関係ではない。利害が一致した時に一致した行動を取る、と、言葉にして確認したことはないが、もう長い間そんな付き合い方をしている。
今日も暗黙の了解を同時に思い出して、その理由もすぐに分かった。もしかすると二人を昔から知る旧知の人間にも理解されているのかもしれない。
それでも二人の間に入ってくる者はなかったし、二人もまた、他の誰かを求めようとは思わなかった。
利害が一致した時にだけ、まるで互いの傷を互いの手で塞ぐように、唇を、肌を合わせる。その時に互いに、あるいは片方にだけ恋人がいてもそうする。不実と言われても反論する気はなかったし、する資格もないと分かっていても、やめようとは思わなかった。二人にとってそれは儀式のようなものだった。
特に何かを話すわけでもない。肌を合わせている間、触れ合う間はまるで恋人同士のような振る舞いだ。彼は恋人の振りをする女を腕の中で甘やかすことに慣れていて、彼女は恋人の振りをする男の腕の中で甘える真似に慣れている。
あくまでも真似るだけだ。演じているわけでもない。なりきるつもりもなく、ただ出来の悪い道化のように真似る。
仮初めの恋人を演じる意志など互いにない。その方が時として楽であることも分からない歳ではなかったが、演じているうちに勘違いをして、取り返しのつかない関係になってしまう可能性があるということ、自分たちの性質ではあり得なくはないということもなぜか昔から分かっていた。その程度には互いのことを知り抜いているということなのだろう。
男の腕の中で眠っていたはずが、ひやりとした自分の肌の感触に気づいて目が覚めた。はっきりと覚醒する前に葉巻の香りを知る。自分を抱いて眠っていたはずの男は真夜中に目を覚まし、ベッドを抜け出して窓際でいつもの葉巻を咥えていた。自分自身は寝ている間に身動きし、リネンから出てしまった肌が冷えたようだ。
例えば、これが恋愛小説なら――ヒナは思う。きっと私は彼に見とれてからいい女ぶって、ねえダーリン、どうしたの、ってわざとらしく気だるい声で言うんでしょうね。
「ねえ」
恋愛小説なら――眠気に負けそうな意識の中、スモーカーが振り返った気配を感じながらぼんやりと思う。これが恋愛小説なら。
――でもこれは恋愛小説なんかじゃないわ。彼はダーリンなんかじゃない。
「戻って頂戴。ヒナ寒い」
恋愛小説ならこんな呻くような声なんて出さないわ、ああ、みっともない声――窓際のスモーカーが苦笑したことが分かる。恋人同士なら恥ずかしくなるところだろう。だがそんなことは全く思わない。恋なんてしていない。互いにそれを知っている。恋なんてしていないし、きっとこれからもこの相手にだけはしない、できない。
利害が一致した時に――互いに確実に傷を負い、無言で救いを求め合う時だけ。そんな決まり事がいつ出来たのか。ずっと昔だったことは覚えている。正確には思い出せないほど昔で、そして子供同士だった時だろう。それから何度こんなことがあっただろうか。
ベッドに男が戻って来る。スプリングの効いた大きなベッドは鍛え抜いた男の身体を受け止めてもびくともしない。子供の頃には手が届かなかったハイクラスな部屋が、家具が、いつの間にか自然と似合うような大人になっていた。
「嫌だわ」
「何だよ」
「冷えてる、冷たい、あっちへ行って頂戴。ヒナ冷たい」
「お前も大概だ」
ヒナの予想以上に長い時間ベッドを離れていたスモーカーの身体は冷たく、そして思った以上にリネンから肌を出していた時間が長かったヒナの肌も冷えていた。嫌がるヒナを宥めるように両腕におさめ、スモーカーは息を吐き、再びベッドに沈む。落ち着く体勢を取るとヒナもおとなしくなった。
「冷たいわ」
「そうか」
「クザンみたいよ」
「あの人と寝たことなんざ、ねえだろう」
「あるわけないわ」
「だろうな、お前はあの人の好みじゃねえ」
「悔しくないけどむかつくわね」
「冷てえ、馬鹿」
冷たい指先で乳首をぎゅうと抓られたスモーカーは本気で嫌がり、ヒナの凶悪な手を掴んだ。今でこそ軍人とは思えないような白く細く美しい指が、幼い頃は訓練に明け暮れ、ぼろぼろになっていたことを知っている男は、蛮行を咎める振りをしてその指に口づける。
「手」
「何よ」
「冷てえな」
「そう」
「クザンみてえだ」
「クザンの手なんて、握ったことあるの?」
「さあ」
スモーカーは目を閉じる。ヒナはそれを見てからスモーカーの胸板に頭を預け、自分も目を閉じる。
終わりの時間を招く時のお決まりの眠り方だった。
次に目覚めたらこの時間は終わりだ。
それでいいのだと知っている。それで終わりにするのがいい。いつもそうだ。
たまに風邪をひいたような気分になったらあたため合う。それで良いのだと知っている。
風邪をひいた程度だと思っていられるうちに、あたため合うのが一番良い。
「あったか、なかったか。覚えてねえな」
「ふうん」
冷えていた肌が、触れ合った場所から熱を帯びていく。あたたまった身体は急激に眠気を呼び寄せた。
「でも」
目が覚めれば終わる、今だけの時間だ。
傷を塞ぎ合った振りをして、また今までのように自分の役目を、正義を果たすために生きて行かなければならない。
だから眠る前に、最後に言っておきたかった。
「行っちゃったわね」
「ああ」
「クザン、元気でいてくれるといいわね。ヒナ心配」
二人がまだほんの子供だった頃から、役目を、正義を導いてくれた、何もかもを教えてくれた男の名前を、誰にも憚らず、最後に口にしておきたかった。
スモーカーはそれ以上、何も言わなかった。
その代わり、胸に頭を預けるヒナの髪をこの上なく優しく撫でる。
やがてスモーカーは眠り、その寝息を聞きながら、ヒナも再び眠りにつくために目を閉じる。
できれば寝坊をしたいと思った。
少しでも長く眠っていたかった。
少しでも長く、このあたたかさに触れていたかった。
目が覚めるまではこのあたたかさで、傷を塞ぎ合っていたかった。
彼がいなくなったって辛くない。目が覚めたらそんな顔をしていられるように。
それが組織というものだ。
それが組織の歯車というものだ。
まだ歯車でいる間は、こんな夜もやって来る。
たまに風邪をひいた程度。
そう思えるうちにあたため合う夜も、歯車でいる間は必要だと、いつの頃からか二人は知っていた。
これだけはあの男に教わったことではないということも、二人だけで学んだということも、知っていた。