overslept
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※少しホア関連の表現があります。苦手な方は読まない方がいいです。
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ひどく蒸し暑かった。夢の中と分かっていても、肌に濡れたポリ袋がまとわりついたような不快感には辟易する。
夢の中の俺はいつものようにかつて確かに愛した女と話をしていて、女はいつものように笑い、その会話では、蒸し暑いな、そうね、などという、まるきり現実めいたな言葉を交わすこともある。
やがて俺たちはいつものように青い光の中で別れの時間を知る。
ひどい汗と過呼吸のような息苦しさをお供に俺を迎えに来た現実は、いやに密度の薄い、だがどこか重苦しいオレンジカラーに覆われていた。
蒸し暑い。ああ、夕方まで寝入っちまったか、と思いながら窓を開ける。途端に冴えた海風が吹き抜け、ひどい寝汗と息苦しさを冷やしてくれた。夕陽を反射するオレンジの水面は穏やかに揺れ、静かな音を響かせる。
その静けさもオレンジカラーもやがて来る夜を待ち構えているようで──俺は寝起きの煙草をあきらめ、息を吐いて部屋を出た。
いつの間にか俺の部屋になった客間の外は廊下だ。出窓から差し込む夕陽が空間をオレンジカラーに染める。そのところどころに青い光が見えるような気がして、俺は少しばかり大きな息を吐く。
普段は狭いと感じる家のはずなのに──いやに広く感じる。オレンジカラーに染まった空間と長く延びる家具の影のせいかもしれない。俺自身の影も長い。俺自身と──そこにあるはずのない女の影を、またたきで消せた。青い光も多少は消えた。世界はオレンジだ。また息を吐いた。
「マフィン」
普段と変わらない声が出せただろうか。すぐそこに迫る夜と向かい合う前に呼びたかった。──蒸し暑い夜は嫌いだ。青い光を連れてくる。
「マフィン?」
返事はない。狭い家とはいえ、日本の一般的な家屋よりはずっと広い。家にいないのかもしれない。買い物や突然の往診でいなくなることも多い。俺が昼寝をしている時には間違いなくひとり、あるいは見た目は幼女のあの女を連れて行く。
今もそうなのかもしれない。ああ、それはそれで──俺が夜を迎えるだけだ。ひとりではなく──ほら、世界が少しまた青い光に覆われてきて──長く延びた俺の影の隣にまた──確かに愛した──ああ、今でも──
今でも──
「あ、やっと起きた」
我ながらびくりと身体が震えた。同時に影がひとつ消えた。世界がオレンジカラーに染まった。
オレンジカラーの中にあるドアの影から、女がひょいと顔を覗かせていた。顔しか見えず、ちょっとしたホラーだ、と思ったら身体も出てきた。だから俺は言った。
「マフィン」
いつも通りの声で言えただろうか。言えなかったことはすぐに気付いた。BJが少し眉をひそめてから微笑して、ドアを後ろ手に閉めてから──その背後のキッチンにいるあの女に俺を見せないために──手を伸ばして俺の頬を撫でたからだ。
いつもこんなことをされる。
蒸し暑くて青い夢の中から汗だくでまろびでた時には、いつも。
だから俺は息を吐いてBJを抱き締める。BJも俺を抱き返す。
「喉、かわいた?」
「──うん。多分」
「ピノコが夕飯を作ってる間に、少しテラスでお茶にしようか?」
「うん」
俺をテラスに連れて行き、煙草置いてきちゃったんだ? と笑いながらBJが茶の用意をしに行く。
ティーテーブルの灰皿には煙草の吸い殻が普段よりも多く、そして同じ長さできれいに並べられていた。妙なところで几帳面な女なんだよな、とオレンジカラーの海を眺めて思った。青い光はどこにもなかった。
ああ、──夜が来る。
蒸し暑い夜は嫌いだ。
「アイスティ。ピノコが淹れてくれたから、おいしいよ」
「──なるほど、そりゃあお墨付きだ」
アイスティと俺の煙草を持って来たBJが笑う。
俺も笑い返した。俺が起きるまで心配しながら待っていた──煙草の吸い殻がそれを物語っていた──女がひどく可愛かった。
消えないこの女がいとおしくてならなかった。
「最近もう、昼は蒸し暑くって。いやだね」
アイスティをひとくち飲み、BJは言う。
ああ、だからあの夢を見たのか。俺が寝入った時はまだ涼しい時間帯だった。
「マフィン」
「ん?」
「マフィン」
「──うん」
「──クロオ」
「なに、もう」
BJが笑う。俺も笑い、肩を抱き寄せてキスをした。BJもキスを返してくれた。
またたきをしても、絶望とともに青い夢からまろびでても、
この女は消えやしないのだ。
なんていとおしいのだろう。
オレンジカラーが薄れていく。蒸し暑さも忘れかける。
青い光はどこにもない。
もう夜が来てもいい。