奥さんと恋敵と家族関係

SSとか

流し書きをしていたら案外楽しくなったのでそこそこ書きました。奥たん視点だと思います。

 自分は先生の奥さんだと信じて疑わない。大人の身体を手に入れたら二人で結婚式を挙げるのだ。大丈夫、女の子同士でも結婚できる時代になるから。二人揃ってウェディングドレス、なんてすてき!
 そう言うたびに大好きな先生は笑い、そうだね、素敵だね、と言ってくれる。
 大好きな先生には恋人がいる。昔は殺し屋だの死神だのと毛嫌いしていたはずの銀髪の男。左のアイパッチの下には引き攣れた傷がある。ベトナムの戦傷らしい。
 奥さんがいるのに恋人だなんてフケツ、なんて思うほど子供ではない。いや、子供だから思わないのかもしれない。本来は18歳、それでもいまいち経験が足りていない、そして独特の精神を持つ身としては、これはこれで正しいことだ、だって大好きな先生が選択した結果なんだから、と思いつつ、でも奥さんは自分だという自負を持つ。
 先生の恋人は先生の奥さんをレディのように扱ってくれる。恋敵相手に紳士的な男だ。いい男だな、と思う。はっきり言ってそこいらで見かける男性よりずっと上質だ。それを先生に言ったら目を丸くされた。おまえさん、分かるのか。そんなふうに。
 あんないい男を独り占めしている先生はやっぱり最高のひと、とちょっと得意になれる。聞いた先生は複雑な顔をした後に、うふふ、とあまり見たことのない笑い方をした。
 先生の恋人はよく家に来る。仕事がない時には数日泊まることも少なくない。最初はおもてなしの食事を用意していたが、ある日突然、もうそういうのはいいよ、いつもの食事を俺にも食べさせてくれないか、と言った。先生がそうしようかと嬉しそうに言ったから、その夜からそうなった。
 奥さんとして家の中のあれこれを一手に引き受けるのは当然だ。先生も忙しくない時には家事を──料理以外を! ──しっかりやるけれど、先生の恋人が家に来るようになってからはあちこちの修繕や力仕事をしてくれるようになり、しかも料理も案外できるものだから、奥さんとしては少しばかりのライバル心を持たざるを得なかった。すると先生の恋人は何かと先生の奥さんに許可を求めるようになった。あれはやってもいいかい、これは? 指示した通りにやってくれる男手がこんなにも便利だったとは。
 花を持たせてくれているのだろうとすぐに気付いたが、それで互いのバランスが取れるのなら嫌がる理由はなかった。大好きな先生は、きっと大好きな二人の仲が良い方が嬉しいだろうから。
 先生の恋人には妹がいる。妹はとても美しい。自分も大人の身体になったらきっとこんな美人に、と憧れるほどに綺麗だ。それなのにお高くとまらず、優しくて、しかも自分のことをとても好きだと言ってくれる。二人で一緒にお洒落な場所に出掛ける時もある。妹は自分を子供扱いしない。女友達として扱ってくれることが嬉しい。
 妹は先生とも仲良しだ。たまに見ている方がひやりとするような軽い口論をすることもあるけれど、大抵は先生が引いて妹が気分を害し、先生の恋人が仲裁してまた仲直りする。仲直りした二人は前よりももっと仲良く見える。その二人を見るのが好きだ。三人でガールズトークをするのも好きだ。
 先生が恋人と喧嘩をすると、妹と顔を見合わせて、どうせすぐ仲直りするだろうね、とひそひそ話すことも増えた。恋人は凄く先生の機嫌を取る。先生はやがて機嫌を直して仲直りをする。二人はそれが自分にばれていないと思っているらしい。いや残念、しっかりばれている。でもきっと秘密にしておきたいのだろうから口にしたことはない。余りにも先生の機嫌が悪い時には、恋人に早く先生の機嫌を取ってよと要求することはあるけれど。
 いつの間にか家族のようになった、と思ったけれど、本当はもっと前からその片鱗を感じていたことは事実だ。先生がシンポジウムに出席するために行ったロンドン、後から呼ばれてわくわくしながら渡英したら、なんと恋人が一緒だった。あの時はまだ恋人ではなかったようだけど、でもきっとそうなるんだろう、と直感したのは誰にも言ったことがない。だから邪魔をしてもいいのかという意味のことを訊いたら、二人は慌てて邪魔なものかといった反応をした。
 それで少しほっとしたのも事実だった。自分がいてもいいのだと思えた。むしろ恋人(当時は違っても便宜上そう表現しよう)は自分がホテルを移るからと言った。はいそうですかとは言えなかった。予感があった。きっと先生は一緒にいたいんじゃないか、と。
 先生は男の人があまり得意じゃない。訊いたことも言われたこともないけれど、ずっとそんな気がしている。仕事以外では商店街の人、それから大学時代の友達の辰巳という人くらいとしか話さない。その先生が一緒にいたいと思う男の人がいて、よりによって商売敵で、自分にとっては恋敵。それが全てで、それだけのことなんだ、と思っている。
 それだけのこと。自分は先生の奥さんなんだという揺るぎない自負があるから、それだけのこと、なのかもしれない。そう思っていても構わない、思わせてくれる先生がいるからなのかもしれない。何はともあれ先生のことが大好きだからそれでいい。
 ロンドンで大きなベッドで三人で寝た。先生の恋人は最初遠慮していたようだけど、起きたら一緒に寝ていた。別に嫌でも何でもなかった。ベッドで執事に朝食を用意してもらえて楽しかった。先生が論文を書いている間、恋人はロンドンを案内してくれた。先生の靴のサイズを教えてあげた。シンポジウムでどうしてもお洒落な靴を履いて欲しくて、きっとこの恋人なら買ってくれると思ったから。
 でも恋人は靴を買わないと言った。いつもの格好が一番素敵だからと言って。それが正しいと思ったのは先生がシンポジウムで大喝采を浴びた時だった。
 それから色々あった。正確には、色々あったのだと思う。自分は何も知らなかった。先生が自分に言う必要がないと思ったのだろう。知りたければ訊く。それはいつでもそうだ。でもきっとこの話は先生が辛い顔をするような気がしたから訊かなかった。
 いつの間にか恋人は恋人の顔をして家に来るようになった。先生も嬉しそうに──自分の前では隠そうとしていつも失敗していた──恋人を迎えて、自分がいないところでこっそりキスをしていた。気付かない振りをしておいたし、今もしている。本妻は心を広く持つべし。
 そう、家族のようだと思ったのはロンドンが最初だった。先生には言ったことがない。でも妹には言ったことがある。妹は綺麗な目をぱちくりとして、勘がいいのね、その通りになったわ、と驚いていた。妹も4人で旅行した時に家族だと思うようになったと言った。
 つまりあの恋人も家族ということになる。なるほど、確かにそんな気分になることが多い。でもたまに恋敵だと思い出す。それでも会話をすれば楽しいし、先生の付属品としてではなく、家族として、女性として丁寧に扱ってくれていることがよく分かる。いつの間にか先生の扱いのプロフェッショナルになっていて、先生が落ち込んだり機嫌を悪くした時、早く恋人が来てくれないかなと思うことも増えた。奥さんでは包み込み切れない時がある。慰めようとすると先生は抱き締めて、ごめんね、と言う。ごめんね、心配ありがとう、と言う。それが嫌で、恋人に何とかしろと押しつけてしまう。恋人は見事に先生を元気にしたり、機嫌を直させたりする。
 でもたまに、恋人では対応しきれないこともある。そんな時には奥さんの出番だ。大抵は恋人と何かあった時、または恋人が本業に出てしまった時。先生は隠そうとするけれど、寂しそうな背中を見てしまえばもう無理だ。後ろから抱き付いて、元気を出して、と言うしかない。すると先生は無理にでも笑ってくれる。
 自分が落ち込んだ時にはずっと先生が抱いていてくれる。妹が甘い飲み物をくれたり、恋人がどこかへ連れ出してくれたりもする。妹が落ち込めば自分は甘い飲み物を用意して、先生が話を聞いて一緒に怒ったり哀しんだりして、恋人が最後に全員でどこかへ行くべきだと提案する。そしてその通りになって大騒ぎをして妹は元気になる。
 恋人が落ち込む姿を見たことはない。過去の記憶で悪い夢を見てしまってうなされた姿を見たことはあるけれど。ああ見えて落ち込むこともあるんだよと先生は言っていたけれど想像がつかない。きっとこの家に来る時には落ち込まないのだろう。先生が少し長く恋人の家に行く時、そんなことがあるのかもしれない。
 先生の恋人について知らないことはまだまだある。でも全てを知る必要はないのだと思う。一緒にいると楽しいし、家の中で適当に過ごしていても気にならないし、嫌なことは嫌だと遠慮なく伝えられるし、何だ、これって家族だ、と思える瞬間を意識しなくなるほどに家族になっているのだから、何の不自由もない。
 何より先生が好きな男だ。一緒にいると嬉しそうだ。喧嘩をしても嬉しそうだ。それから、自分には見せなかった、あの、うふふ、という笑顔を男にはよく見せているような気がする。あの顔はとても綺麗だし、少しなまめかしい。知らない先生の顔を見られて嬉しい。でも少し悔しい気もする。
 ああそうか、自分は先生に幸せになって欲しいのだ。恋人が家に出入りするようになってから、家族が増えてからそう思うようになった。だからもしかすると、と思わないわけではない。
 だからもしかすると、本当は、家族だと思っているのではなくて、家族だと思おうとしているのかもしれない。その方がきっと先生が喜ぶから。
 だがそれには気付かない振りをしておこう。気付いてしまったから振りしかできないけれど。家族でいるのも楽しい。家族ごっこだと言われても構わない。それで先生が楽しければ自分も楽しいし、先生が幸せなら自分も幸せだ。
 結局自分の世界は先生が中心なのだ。だが不満はない。その世界の中に恋人が入り込んで来ただけだ。先生が好きな男だから許してやる。どんな時でも奥さんが家の中で一番強いのだから。
 そしていい男が家の中にいて、家族だと思えるのも悪くないような気がする。自分が大人の身体を手に入れて、大好きな先生と結婚式を挙げるまで、少し先生を任せておいてやってもいいと思った。

SSとか

Posted by ringorira