【腐】ふたりとも

書きかけとか

急に腐を書きたくなったので書きました。女体化ではできないネタ。一応監禁物の部類に入りますが全年齢向けです。犯罪行為を全年齢向けにしていいかと言う疑問はあるものの。

まんまと一服盛られた。裏稼業の医者を気取るにしては初歩的なミスだ。だがこれは仕方ない。自己弁護ではなく仕方ない。仮にも何度か食事とベッドを共にした男がいつものように酒を勧めてくれば、いつものようにグラスを傾けるのは当然だ。
「必要なものがあれば何でも」
 心なしかいつもより魅惑的な笑みを浮かべる彼を無視し、立ち上がって──長いことフローリングで眠り込んでいた身体が軋んだ──バルコニーの窓を開ける。開ける前からそれなりの絶望感はあった。立ち上がった途端に見えた景色から、明らかに高層階にある部屋だと分かっていたから。そして思ったより絶望しなかった。煙とナントカは高い場所が好きなものだから、と妙な方向に納得したからかもしれない。
 目の前の男はナントカだ。以前から薄々感じてはいたが断定した。お互い様だと言われるだろうから言わなかった。だが確かに目の前の男はナントカで、ややもすれば頭がおかしい。
 おかしいとしか言えないだろう。薬を盛って眠らせて、その間に鎖のついた足枷を嵌め、起きた姿を見て、起きるまでずっと待っていた、と嬉しそうに言うなんて。
 右足首に嵌められた鎖は充分な長さがあった。ワンルームのこの家を歩き回るには不自由しないほどだ。
「この部屋から出ること以外は不自由しないようにしておいたから」
 素晴らしいだろうと言わんばかりの笑顔で宣言する男に溜息をついてみせたが、彼は意に介す様子がなかった。とにかく嬉しそうだった。
「足枷の鍵は?」
「渡されるとでも?」
「訊いただけだ」
 何かを話さなければ彼の嬉しそうな笑顔に滲む狂気に蝕まれそうだ。黙りたくなくていくつか質問をした。どうしてこんなことをしているのかと質問すれば、これならどこにも行かないでいてくれるから、と至極シンプルな答えを、やはり嬉しそうに口にした。
「ずっとここにいればいい。不自由はさせない。退屈もさせないよ」
「外に出たい」
「それは駄目だ」
 何がおかしいのか男はくすくす笑った。何もかもが楽しい、嬉しい、そんな感情を隠しもしない。
「ずっと一緒だ。これでずっと」
 彼が手を延ばす。何を望んでいるのかなどすぐに分かる。溜息をついた。抵抗する気になるべきなのだろうが、こんな馬鹿な真似を本気で仕出かした相手がどこかで恐ろしく、今は様子を見るべきだと自分に言い訳をした。
「抵抗すればいいのに」
 耳元に唇を寄せ、触れてくるのはいつも通りだ。面倒だ、と答えると、そうか、と言ってまた彼は笑った。

 互いに医者であることが幸いしたのか、それとも不幸だったのか、数日が過ぎても身体に不調は出なかった。シンプルだが栄養管理が成された食事のお陰か、まだ健康に問題が出ていない。
 閉じ込められたストレスはバルコニーに出ての一服で多少は解消される。長期間続けば分からないが、今はそれでバランスが取れる。
 このフロア全部の部屋を借り上げているから、いくらバルコニーで煙草を吸っても煙の苦情は心配ないよ、と笑う顔も嬉しそうだった。
「そうだ、あれは覚えてるか? あの時──」
 ひっきりなしに話しかけてくる。その間も嬉しそうで、楽しそうで、そして幸せそうだと不意に気付いた。この部屋に閉じ込められてからの日が経てば経つほど、その幸福感がましているように見える。
「どうしてそんなに楽しそうなんだ?」
「? 楽しいからさ、決まってる」
「嬉しそうだ」
「嬉しいからだよ」
「幸せそうにも見える」
「幸せだからに決まってるじゃないか!」
 何が面白かったのか、狭いワンルームに大笑いが響く。だが次の瞬間には真顔になって──こんなことを仕出かしてから初めて真顔になって──静かに言った。
「放っておいたらどこかに行ってしまう。ずっとこうしたかった」
「きぐるいか」
「それでいい。でも本当はみんな、大なり小なり持っているはずの願望だと思わないか?」
「真っ当な人間だから願望を現実にしないんだ。とんでもない真似をして」
「真っ当? 何を基準に」
 また何かが面白かったのだろうか、くすくすと笑う。理解できない。完全に気が狂ったわけではないということは分かったが、明らかに異様に見えた。閉じ込められてから何度目かも分からない溜息をまたついた。
「嬉しいよ」
 心からの声に、何も答えたくなかった。だから答えなかった。どうせ勝手に喋ると思った。そしてその通りになった。
「これでもう、心配しなくていい。嬉しくてたまらない」
 そうか、とだけ答えておいた。何を言っても無意味だとしか思えなかった。
 また触れられる。監禁生活が始まってから、以前よりも熱心に触れてくるようになった。積極的に応えてやる義理はなかったが、どこかしらで何かの感情を捨て切れないうちは応じる自分がいた。一度拒んだら次の食事に薬を盛られた。寝てる間に好き勝手にするんだろうと思いながら眠り込んだ。案の定だった。起きたら終わっていた。やっぱり起きてくれてないとつまらないな、と言われて、ああそう、としか返事ができなかった。
 それきり拒むことはやめた。立て続けに睡眠薬を盛られれば体力の低下に繋がる。勝手にさせればいい。衰弱するよりはましだ。
 もうどこにも行くな。行かないで。何度も言われた。答える義理はなかった。イエスでもノーでも、きっと男の狂気が侵食を始めるような気がしていたから。
 本当は少しずつ侵食されているのかもしれない。そもそも監禁された時点からこの部屋には狂気しかなかった。

 徐々に眠れなくなった。随分と心配されたが、原因が己であることは認めようとしなかった。
 こんなに大事にしてるのに、こんなに、何が悪いんだろう、そう言って考え込む姿は真摯な医者で、何が正常なのか、何が狂気なのか、判断がつかなくなりそうな自分に気付いた。
 それから数日もすると互いに疲労が隠しきれなくなった。自分の状態をざっと検分してみると、体力、気力も限界に近かった。むしろこれまで正気を保った精神力を自画自賛したかった。
 監禁されていることに対してのストレスと、それから──仮にも、そう、何度も情を交わした相手の狂った姿を見続けて、ここまで飲み込まれなかった自分を褒めるべきではないだろうか。
 だがこのままではいられない。ここから出なければならない。限界が近い。
 枷を嵌められていた右足首の皮膚が擦れ始めている。今までは傷まないよう丁寧に処置をされていたのに、いつの間にか、そう、二人して、特にきぐるいは認められないはずの疲労が必要なルーチンを怠らせた。──不思議かもしれない。こんな生活の中でもルーチンが出来上がっていたなんて。
 バルコニーの窓から外を見る。紅く染まりかけた空が不気味だった。薄暗い部屋の中に差し込む紅い光が狂った男を照らし、まるで出来の悪い舞台を見せられているようだと思った。
 そんな舞台をいつまでも見てはいられない。こんな狂った男の姿など見るに値するものか。見ていたくなかった。限界だ。
「脚が痛い」
「──え」
「脚が痛いんだ。擦れて。外して欲しい」
 明らかに怯んだ顔をされた。少し意外だった。そんなことできないさと笑って言われるかと思っていたのに。
「そんなことをしたら」
 揺れる声はどんな感情なのか、もう察する気にもなれなかった。限界だ。もう限界なんだ。だから言った。
「左に付け替えればいい。とにかく痛いんだ。頼むよ」
 迷いに迷っている、そんな顔だ。これ以上は要求しなかった。要求が通ると分かっていたから。大事にしていると自負している男が、医者が、その対象に痛いと言われたのだ。受け入れられないはずがなかった。その程度にはこの男が真摯な医者だと知っている。
「分かったよ。ソファに座ってるといい」
 散々悩んだ後、何かを信じたいかのように──何を信じたいのかなんて考えたくもなかった──言って、一度部屋から出て行った。すぐに戻って来た手には小さな鍵があった。
「逃げないから」
 先に言ってやった。男は僅かに戸惑った顔をし、それからふっと笑った。ああ、と思った。ああ、限界を感じていたのは彼もなのだ。狂気の下に眠っていたいつもの優しい顔が見えたような気がした。思い出したような気がしたと言えばいいのかもしれない。でもすぐに忘れなければいけなかった。ここから出るために。
「足を出して」
 言われた通りに右足首を見せる。かがみ込んだ男が、ああ、これは酷いねと擦れた部分を見て呟いた。医者の声だった。
 その瞬間、自由な左足で渾身の力を込めて肩を蹴り飛ばす。間髪入れず勢いよく床に転がった男にのしかかった。手加減はしなかった。襟首を締め上げ、怒鳴る。この部屋で初めて怒鳴った。
「鍵を寄越せ!」
「……っ」
 締め上げた力が強かったのか、苦しい呻きの喉の震えが指先から伝わってくる。だからもっと力を込めた。狂っているのはお互い様なのかもしれない。むしろ彼の方がもう正気を取り戻しているのだと知った。──微笑まれたのだから。
 ゆっくりと力を抜いた。酷い咳き込みを聞きながら呆然としていたら、はい、と鍵を渡された。
「靴はない。連れてきた時に捨てた」
 咳き込みながら言う男をまじまじと見てしまう。だがすぐに視線を逸らし、足枷を外す。鍵を投げつけてから立ち上がって部屋を出た。右足首が痛かった。背後で咳き込みがまた聞こえた。それから何かを呟いた。聞こえない振りをした。
 本当に靴はなかった。裸足でいい。とにかくこの部屋から出て行きたい。ドアを開けた瞬間、紅い日差しが目を焼いた。眩しい。目を眇めながら後ろ手にドアを閉めた。
 肌寒い。考えてみればもう冬が近い。あの部屋の空調が完璧にコントロールされていたのだとようやく知った。疲労は確かにあるが不調は感じなかった。衣食住、足枷以外は空調と同様に完璧だった。こんなに大事にしてるのに。その言葉は嘘じゃなかった。
 廊下の突き当りにエレベーターが見える。乗り込めば終わりだ。全て終わりだ。そういえば金も何も持っていない。

 こんなに大事にしてるのに。

 どこかで電話を借りよう。それとも警察か。いや、警察に行ったところで互いに脛に傷持つ立場だ。一度家に戻った方がいい。

 こんなに大事にしてるのに。こんなに。

 うるさい。消えろ。二度と思い出したくない。ふざけた真似をして。こんな。監禁なんて。

 楽しいからさ、決まってる。嬉しいからだよ。幸せそうにも見える。幸せだからに決まってるじゃないか!

 消えろ。──消えろ。聞こえなかった。あんな声は。聞こえなかった。
 最後に咳き込みながら言ったあの──

『一緒にいたかった』

 足首が痛い。冷えた空気が裸足の足裏から全身を冷やしていく。エレベーターの呼び出しボタンを押した。
 痛い。寒い。──ああ、──ああ、ああ──何て馬鹿なんだろう。
 ふたりとも、何て馬鹿なんだろう。

 振り返った。同時に到着したエレベーターの扉が開いた。乗らなかった。愚かにも、そうだ、愚かにも駆け戻っていた。
 何て馬鹿なんだろう。何て。
 狂った部屋のドアノブを回す。鍵がかかっていた。一瞬でひどく腹が立った。出て来たはずなのに、なぜか閉め出されたような気がして腹が立った。
「開けろ!」
 ドアを叩きながら叫んだ。何度も叩き、何度も叫んだ。
「開けろって言ってるんだ、いるんだろう!」
 叩いても叩いても返事はなかった。だが分かっていた。ドアの向こうにいる。立ち竦んでいる。逃げたはずなのにと唖然としているだろう。そうだ、きっと、きっとじゃない、間違いなく。
 そんなことが分かる程度には、こんなことになるずっと前から、本当は侵食されていた。
「開けろ!」
 叫んだ。

「開けろ! ──開けろ、ブラック・ジャック!」

 次の瞬間、鍵が回る音がした。開けられる前に開けた。飛びかかった。──飛びかかって、抱き締めていた。

「ごめん」

 俺を監禁していた男は泣いていた。ごめん、と何度も言いながら俺の背中に腕を回し、必死と分かる力でしがみついた。俺は呆れて、いや、もう分からない。呆れるなんて次元は超えていた。
 俺たちは何て馬鹿なんだろう。

「ごめん、ごめん、キリコ。ごめん」
「馬鹿野郎。──もういいよ」

 もういい。本当にそう思った。それでも何度も謝り続けるBJを、俺はただ抱き締めるしかできなかった。

 ごめん。もういいよ。何度も、それしか言えなかった。
 言うべきことは他のことだと、きっと互いに分かっているのに。
 
 ああ、俺たちは何て馬鹿なんだろう。