リペア
フォロワーさんのヘッダー(過去作品)を眺めていたら金の縫い目が美しい→金継ぎいいなあ…という短絡的すぎる流れで書きました。
まったくもって便乗です。Mさん、ありがとうございました。
「お支払いは必ず、一生をかけてでも」
聞き慣れたと言えば聞き慣れた言葉に「よろしく」とだけ短く返し、出された茶で唇を湿らせる。今日の手術はそれほどの難易度ではなかったが、あくまでそれはBJにとっての話だ。どの病院でもどんな名医でも無理だった、と患者の両親は涙ながらに語った。BJは頷き、お役に立てて何より、と言った。
「娘さんはまだ小さいから──まあ、これからしばらくすれば普通の子と同じように生活できますよ。私も年に1度は診に来ます」
「ありがとうございます。本当に、何てお礼を言ったらいいか。何か不足があればおっしゃってください」
予後を診るために1週間ほど滞在するBJに父親が頭を下げて言い、妻もそれに倣った。寝るところがありゃあいい、とは言わず、それはどうも、とBJは答える。娘を救った恩人をもてなしたいと思う親の心を踏みにじろうとは思わなかった。
「工房ですか」
滞在する部屋へ案内されながら、途中でBJはつい廊下の途中で足を止める。明らかに何らかの作業をする部屋の襖が開いていた。
使い古した工具のにおいの中、割れた器がいくつか並べられていた。皿の絵付けでもしているのだろうか──そう思ったBJに、父親は少し照れくさそうに言った。
「金継ぎをしています」
「そりゃあすごい。伝統技術じゃないですか」
「一昨年、脱サラをしまして──まだ駆け出しでお恥ずかしいですよ」
「ご謙遜を」
勤めるかたわら技術を磨いたのだろう。工房を持つほどの腕になるためにどれほど努力したのかBJにははかりかねたが、作業机の上にある濃紺の皿にほどこされた金の継ぎ目が美しい出来であることは理解できた。
「私も思い入れのある皿を持つようになったらお願いしたいものですね」
「ええ、ぜひ」
「洋風の皿でも?」
「そうですね、案外似合うものですよ。たとえば──」
熱を込めて説明し始めた父親に頷きながら、キリコの家にある皿が割れたら依頼してみるのもいいかもしれない、と思った。
22時過ぎ、公衆電話を探しに外へ出る。家の電話を使って構わないと言われたが、国内の自宅はともかく、さすがにワシントンへの国際電話を他人の家からかけることは気が引けた。
「そう──うん、終わった。大丈夫」
『ああ、そう──ふぁ』
「起きてよ」
『起きてるよ』
ワシントンとの時差は14時間、キリコはまだ起きてそれほど経っていないのか、眠気を振り払えない声だった。そんなときの彼の顔を思い出し、ふふ、と笑い、BJはコインをまとめて入れる。その音に気づいたキリコがため息をついた。
『患者の家の電話を借りろ』
「金がかかる」
『コレクトコールでいい。何時だと思ってる』
「7時くらい」
『誰がワシントンの話をしろって言った?』
「キリコが時間を訊いたくせに?」
『そうだな、おまえの時間が22時なら俺の時間はそんなもんだ』
要は夜に出歩くなと言われている。治安の悪い場所ではないが、田舎独特の道の暗さがあることは確かだった。
「そろそろ仕事に行く時間?」
『うん。来週まではこっちだ』
「真っ直ぐ帰って来て。顔が見たい」
『嬉しいね』
「殺人に行かれたらたまらないから」
『俺の仕事をいつまで誤解し続けるんだ? ──そろそろ支度しないと。明日からは患者の家の──』
「電話を借りてコレクトコール、はいはい」
『返事は一回だ』
「はい、イエス、ダー」
『言ってろ。──Love You、Love You、bye』
「……う、ぁ、……うん」
恋人との電話を切るときの決まり文句だと分かっていても、やはり言葉に詰まる程度には照れてしまう。受話器の向こうでキリコが笑い、日本語で「おやすみ」と言ってくれたので、かろうじて「おやすみ」と返してから切ることができた。
「もう、腹立つ」
受話器を置いて電話ボックスを出る。都会とは違う澄んだ空気が火照った頬を撫でた。依頼人の家へ帰るまでに赤くなった顔を隠せそうだ。
人気のない道を歩き、なるほど、と思った。電話ボックスを探しているときにはそれほど気にならなかったが、用事を済ませて改めて歩くと実感する。キリコや依頼人夫婦が心配する程度には暗く、まったく人気がなかった。
野犬避けに歩き煙草でもしようか──そう思ったときだった。
思わずコートの中のメスを探ったことは責められるべきではないはずだ。
「こんな時間に女性の一人歩きは感心しませんね」
「あら、ええと──あなたも女性に見えますけれど……」
平静を装ったBJの声に、突然現れたようにしか思えない、和装姿の若い女は困ったような顔をした。確かにな、と思いつつBJは女を観察する。月明かりと粗末な街灯の下、濃紺の布地に光沢がある稲穂色の帯が映え、和装がよく似合う顔立ちをしていることは分かった。
「あら」
女がBJの顔をしげしげと眺めて言う。
「きれいな継ぎですこと」
咄嗟に返事ができず、ぐ、と言葉に詰まらざるを得なかった。悪意があるならともかく、女の声が心底感心していたからだ。
「腕のよいお人の技なのでしょうねえ」
「……まあ、そうですね」
「すてき、すてき。よいものを拝見いたしました、ありがとう」
女は笑顔で会釈をし、BJを残して歩いて行く。しばらくその背を見送っていたが、深くため息をつき、物好きめ、と呟いてから滞在先へ戻ることにした。久し振りに言われたな、と思った。
不快ではないことに、自分でやや驚いた。
翌朝、患者の状態は良好だった。明日からはご飯を食べてもいいよと言うと喜び、ハンバーグ、オムライス、と子供らしいリクエストを次々と口にする。留守番をしている娘を思い出しながらBJは微笑み、それはもう少し先ね、と優しく言い含めた。
「──やっぱりないなあ。そっちにないか?」
「ないわ。そっちも探した?」
「探したよ」
客間へ戻る途中、工房から困り切った夫婦の声が聞こえた。探し物だと看破し、すぐにBJから話しかける。
「失せ物ですか?」
声をかけたのは親切心からではない。部外者のBJが盗んだと邪推されかねないからだ。人間の心は平気で恩義を裏切るものだと分かっている。
「ああ、お騒がせしまして──いえ、俺がゆうべ直したばっかりの皿が見当たらなくて」
「皿? どんな?」
「これくらいで、色は青の──」
「ううん──見かけたらお伝えしますよ。それと、私の荷物を見るならいつでも」
「いや、先生、そんなこと!」
「お互いのために、ということですよ。断りなく見て構いません」
「先生──」
困り切った顔をした夫婦に肩を竦め、もう一回探してみましょう、と言ったのだった。
『で、結局見つからなかったのか』
「そう。仕事の品じゃなくて練習用の1枚だから構わない、とは言っていたけど──何だか不気味じゃない?」
『いたずらで隠すようなペットもいない?』
「いない。野良犬やら何やらが入ったなら別だけど、戸締まりはしっかりしてるし」
『おまえ、家の中でコートは着るなよ』
「分かってる。コートもジレも脱いでる」
疑われないための用心だ。ドレスシャツに透けにくい色の下着でよかった、と内心で呟いた。キリコが選ぶ下着はたまに透けてしまい、ジレがなくては困るのだが、今回持って来たものはたまたま困らない色合いだった。それを言ったら受話器の向こうで「朝から何てこと言いやがる」と苦笑された。
「こっちは夜だし」
『依頼人の家じゃ盛り上がってもテレフォンセックスってわけにいかないだろ』
「──どうしてそういう、こう、あの、……な、こと言うわけ!?」
さすがに怒ったが肝心の言葉を口にできず、不発に終わる。キリコが笑った。
『悪かったよ。帰ったらやろう。──もう行くよ』
「やりません! ばか!」
『行ってらっしゃいって言ってくれよ、Love You、Love You、bye!』
「ばーかばーか、行ってらっしゃい!」
天才医師の片鱗などどこにもないような言葉を吐き、受話器を叩き付けたい衝動を抑えながらできるだけ丁寧に置く。何しろ他人の家だ、壊しては一大事になる。
電話を切ってしばらくしてから、昨夜の女の話をしなかったと気づいた。
「電話をどうも」
23時も近いというのに、まだ工房に明かりがついていた。客間へ戻るついでに顔を出し、作業中だった父親に挨拶をする。ちょうど作業が終わったところだったのか、ああ、どうも、と父親は作業机の前から立ち上がった。
「電話はもういいんですか」
「おかげさまで。──あ、コレクトコールです」
「そんなことしなくても──」
「ワシントン」
「──お気遣いをどうも」
父親は苦笑する。その手元の皿を見て、きれい、とBJは世辞抜きで呟いた。白地の素っ気ない皿だが、割れた部分を繫ぐ金継ぎの線が、まるで黄金の小川のように見えた。
「これも練習用です。なくなった皿とセットだったんですが、どこへ行ったものやら」
「セットで割れたんですか?」
「ええ、もともと割れたのを地主さんから譲ってもらったんです。由緒のある皿ではないし、家にあっても捨てるだけだからとおっしゃっていたので」
「へえ、きれいなものですね。金継ぎが入るとまったく違う印象になるみたい」
「それが金継ぎのいいところですから。もう1枚あるんですが、それも練習用に」
話しながらBJはなんとなく工房内を見回す。やはり外部から侵入できるような扉や窓はない。
出てくるといいけどな、ジレを着ないと落ち着かないし、と思いながら客間へ引き上げた。
夜半、ふと目が覚めた。喉の渇きを覚えて台所へ向かう。寝間着代わりに借りている浴衣の裾が多少乱れていたが、着付け直しが面倒な程度には眠かった。
窓から入る月明かりを頼りに廊下を歩く。今日は満月かな、と視線を空に向け、また暗い廊下へと戻し──息を呑んだ。白い着物を着た少女がこちらを見て、同じように息を呑んだ顔をしている。
だが彼女はやがてBJに近づき始めた。BJは思わず後ずさりそうになったが、少女の動きのほうが早かった。気づけば目の前にいて──しげしげと顔の傷を眺めている。
「ちょっ」
不意に太ももを触られ、思わず焦った声を出す。少女の指が浴衣の合間からのぞく太ももをなぞっている。
正確には、傷をなぞっている。
「あなた、何──」
「腕がいいわねえ! わたしなんてちょっと曲がっちゃってて!」
「──ええ?」
「悪かないけど、ことさらよくもないわ、嫌いじゃあないけど。そう思わない?」
少女はBJの目の前でくるりと回り、背中を見せる。稲穂色の帯が少し曲がっていた。
あなたは誰、どうして家の中に──BJが問う前に、少女は音もなく走り出す。足音ひとつない、それでも走る姿を見送るしかなく、完全に彼女の気配が消えてから、BJは深く息を吐き、壁にもたれかかった。
それから6つほど数を数えて自らを落ち着かせ、父親とその妻を起こしに行くことにした。
「家の人たちも、そんな女の子は知らないって。玄関の鍵も内側からかかっていたし、はっきりは言われなかったけど、まあ、──わたしが寝ぼけたんじゃないか、って雰囲気になっちゃって」
『逆の立場でもそう言うさ』
キリコが煙草に火を点ける音を聴きながら、うーん、とBJはうなる。
「言いたくなるのもわかる。でもかなりはっきりした感覚だったから」
『夢でもはっきりした感覚を得ることは珍しくない』
「出た、心療内科っぽい発言」
『人類共通の知識だ、医学ってほどじゃ──まだ出る時間じゃないだろうが。黙ってろ。──医学ってほどじゃない』
「言い訳なら一応訊いてあげるわ、ダーリン」
『赤毛。急かされた』
「だろうね」
『俺が恋しくてたまらないから迎えに来たらしい』
『冗談でもやめて。先生に呪い殺されたらたまんないよ! 日本人女性ならそれくらいできるでしょ!』
同じ部屋にいたのであろうグラディスがキリコに言い、受話器ごしに聞いたBJは赤毛の少佐に聞こえないと分かっていても「童貞のくせにうるさいんだよ」と悪態をつく。キリコが苦笑した。
『それはやめてやれ、あいつにもプライドがある』
「やだやだ、男同士で分かったようなこと言っちゃって。大体なに、呪い殺すなんて失礼な」」
『ジャパニーズ・オカルトはあいつみたいな男にとっちゃ不気味なんだろうさ』
「チキン野郎め」
肩を竦めて時計を見る。そろそろキリコが家を出る時間だ。
「あまり詳細は聞きたくないけど、フォート・デトリックで何かあったんでしょ」
『あまり詳細は言えないけど、そんなもんだよ』
「ご安全に。赤毛とのデートなんてろくなことじゃない」
『貞操を守れるように祈ってくれ』
「心から祈ってるし、万一があったら赤毛を呪うから大丈夫」
『頼もしいね。じゃあ、もう行くよ。──I miss you』
最後の一言が嬉しくて、少し照れながらも、ふふ、と笑いながら「わたしも」と言えた。
「ねえ、やっぱり先生に──」
「馬鹿言え、そんなことあるもんか!」
夫婦が言い争う声に気づいたのはその時だ。甘い感情が霧散したことを感じつつ、声がする工房へ急いだ。夫婦が工房で向かい合い、明らかに剣呑な空気をかもし出している。
「どうしたんです?」
「ああ、いえ、先生、何でも」
「先生、すみません、お荷物を──」
「馬鹿、おまえ!」
「あの、落ち着いてもらえます?」
今にも言い争いを再開しようとした夫婦に割って入りつつ、「お荷物」という言葉で、おそらくまた何かがなくなったのではないかと予想した。そしてそれは正しかった。BJは父親ではなく、その妻に向かって言った。
「私の荷物なら、いつでも見て構わないと言ったじゃないですか。今すぐにでもどうぞ」
「あの、先生を疑いたいわけじゃないんです。でも、あの──」
「分かってます。私への疑いを晴らしたいと思ってくれているんでしょう?」
「そう、そうなんです!」
妻は泣きそうな顔で何度も頷いた。夫は深く息を吐き、すみません、と呻く。
「失せ物ですね?」
「ええ。ゆうべ、先生も見た白い皿がなくなって──」
思わずBJは眉をひそめた。
「地主から譲り受けた?」
「そうです。ただ、先生が持って行ったなんて思っちゃいません、本当です」
「持って行っていませんし、あなたたちが私を疑いたくないと思っているのも分かります。だから荷物を改めてもらって構いません。ただ、──まあ、こんななりでも女なのでね、奥さんにお願いしたいんですが」
夫婦はひたすら頭を下げつつ、BJの荷物を改めた。コートの中を見た妻は目を丸くしつつ、鞄にもコートにも探し物がないと確認する。それからはまた謝罪の連続で、BJはややうんざりしてしまった。
「もういいったらいいんです。お嬢さんが起きてしまうからお静かに」
「ええ、いや、本当にもう──恩人になんてことを」
「もらうものはもらうのでギブ・アンド・テイク。一昨日も言ったけど」
それにしても、と考える。二日続けて地主から譲り受けた皿だけがなくなっているという事実は確かなのだ。しかもこれといった価値がない皿であり、仮に盗まれるとしても理由が分からない。夫婦も同様だった。
「地主さんに何て言えばいいか」
「もらったものなんですから、別に言うこたぁないんじゃないですか」
BJは本音を言った。一度手放したものがどうなろうが、元の持ち主とはいえ文句を言うのは野暮というものだろう。しかももともと割れていた皿だ。だが父親は首を横に振った。
「うまく金継ぎしたら引き取りたいとおっしゃっていたんですよ。私も脱サラの時にお世話になったから、それくらいはと思っていたんですが──」
「ああ、なるほどねえ」
だったら譲るんじゃなくて金を払って依頼するのが筋ってもんだろう、価値がないとはいえ職人をタダで働かせようなんて、あんた、地主に舐められてるんだよ──喉まで出たその言葉は飲み込んでおいた。自分はもうすぐいなくなる場所の人間関係に嘴を突っ込むようなことを言うべきではない。
「昨夜の私の夢が夢じゃないとして──彼女が持って行った、という可能性もあるんじゃないですかね」
「白い着物の、ですか」
「そう。この辺りで着物の──……あ」
ふと一昨日の夜を思い出す。電話ボックスからの帰り、和装の女と会ったではないか。
しかもあの女も顔の傷に興味を示した。
「着物の、と言っても、この辺りじゃ年配の人が礼服にするくらいで……」
「日常的に着るわけではなく?」
「ええ。いくら田舎でも、もう時代がね」
「ううーん……」
「それにしても、白い着物なんて。まるで怪談じゃないですか」
「怪談?」
「ええ、怪談」
「──オカルト」
「そうですね」
BJは沈黙し、思い出そうとする。つい先刻、そんな単語を聞いたような気がする。そうだ、思い出すだけでうんざりする男──あの赤毛の少佐の話で──キリコは何を言った?
「──Japanese occult」
不意に流暢な発音で呟いたBJをまじまじと見た夫婦は、次に顔を見合わせる。BJは二人に構わず考え続けた。
数分後、BJは父親に言った。
「あの皿、本当に価値がないんですか?」
夜中、玄関の鍵はしっかりと閉められていたが、彼女たちには意味のないものだった。するりと扉を抜け、音もなく上がり込む。こっちかしら、こっちよね、遅いわ、まだかしら、と言いながら廊下を歩いた。
途中、一人が言った。昨日、きれいに継いだ女の子がいたのよ。あら、わたしも一昨日見たわ、きれいな子だったわ。わたしなんて、ほら、見て、ちょっと曲がっちゃって! ううーん、あの彼、まだ経験が足りないみたいね。あの女の子の継ぎは誰がやったのかしら、うらやましい!
工房へ入る。昨日、一昨日と彼女たちがそれぞれ世話になった場所だ。ここよね──二人が呟いた瞬間、工房の電気がついた。
「おいでなすった」
ふてぶてしいとも言える態度で、黒いコートを着たBJが言った。その手には割れた桃色の皿がある。ああっ、と白い着物の少女が叫んだ。
「ちょっと、まだ継いでないの!?」
「わたしの仕事じゃあないからね」
「何よう、遅いと思って迎えに来たのに!」
「迎えに?」
「わたしたち、姉妹だもの! みんな割れちゃったけどさ!」
「……ううーん……」
BJは目を細める。いっそ狂人の集団であってくれ、とまで思った。藍色の着物の女が言った。姉妹というからには長女かな、とBJは考える。
「先週、家の者が掃除中にわたしどもを割ってしまったんです」
「あらまあ」
「ただ、持ち主がドケチで」
「ドケチとはまた、俗な言いようで」
「ドケチなんですもの」
「ドケチなんですか」
これは本当に狂人の集団なのだろう、と思いたい。だが長女は真剣そのものの顔で続ける。
「ここの主人に恩を売ってあるから、タダで継げると言ってわたしたちを預けたんです」
「継げる──金継ぎ?」
「そうとも言うらしいですね。わたしどもはただ、継ぐ、治す、など言いますけれど」
「……ううーん……ちょっとわたしの専門外すぎて……」
いっそキリコのほうが得意かもしれない。もしも狂人の集団なら彼が得意な心療内科、精神科の領域だ。その分野はBJよりもキリコのほうが秀でている。
「この桃色の皿が、あなたたちの姉なり妹なり?」
「妹です」
「継いだらあなたたちのように話すんですか?」
「継がなくても、まあ、ある程度は」
「何ですって?」
「ほら」
長女が示したのはBJの背後だ。振り返り、悲鳴をあげるところだった。
いつの間にか、桃色の着物を着た5歳ほどの幼女が立っていた。だが──顔に無残なヒビのような傷が入っている。悲鳴を飲み込みつつ、ああ、だからか、とBJは得心した。長女と次女が自分の顔をしげしげと覗き込んだ理由だ。末の妹の傷と重ね合わせていたのだろう。
次女が言った。
「あなたの顔、誰が継いだの。ここの人じゃないでしょ」
「わたしは──あなたたちとは違う。金なんてものは使ってない」
「でも生まれ変わってる」
知らず、BJは息を呑んだ。次女はもう一度言った。──生まれ変わってる。
「わたしたちみたいに、継いで、生まれ変わってる」
「何を──」
「あなた、きれいね」
不意に次女の目が変わる。
人間のそれとは違う色になる。
「あなたの継ぎ──まるで、人間じゃない誰かがしたみたい。なんてきれいなの」
BJは息を呑み、そして唇を強く噛む。飲み込まれる、と思った。このままでは──何かに飲み込まれる。
何かに──その正体には見当が付いていた。だが気を抜いてはならないと、今思い知った。
そうだ、気を抜いてよいはずがない。
どうにか声を出した。叫んだと言ってもいい。
「──やっぱり本間先生はすごいんだ!」
相手は人間ではない。
美しい女性の姿でも、愛らしい少女の姿でも、哀れな幼女の姿でも。
「付喪神にそこまで言わせるなんて!」
その言葉を口にした途端、長女が目を見開き、ああ、と呻いた。次女は悲鳴を上げた。背後の幼女も何かを言ったのかもしれない。だがBJがそれを確認する前に──
金で継がれた皿が2枚、目の前に転がった。
背後を振り返る。
割れた、桃色の皿があった。
生まれ変わってる。
あなた、きれいね。
次女の声が脳裏によみがえり、鼻の奥が痛くなって、慌てて唇を噛み締め、腕で不格好に鼻をこすった。
「先生」
父親が恐る恐る工房へ顔を出す。
「大丈夫ですか。誰かと話していたんですか?」
彼には姉妹たちの声が聞こえていなかったのだ。なぜわたしだけ──そう思った。だが、もしかすると、と思った。
自分が継がれた、生まれ変わった、というのは、彼女たちからすれば本当のことだったのかもしれないと。
「価値がないなんて嘘だった。地主を締め上げたら150年も前の皿だったって」
『俺に価値は分からないが、年代物ではあるな』
「そう。でも、一流の職人に修理を頼むと高額になるから、まだ独立したばかりの依頼人に恩に着せてタダで継がせようとしたみたい」
BJは溜息をついた。
「物でも100年過ぎれば神様が宿る。日本はそういうのがあるから」
『ふうん?』
「付喪神って言うの。神様としては下級で、どちらかといえば物の怪に近いし、土地によっては物の怪扱いになるんじゃなかったかな」
『俺は民俗学に明るくないから何とも──ただ、おまえが無事ならそれでいいよ』
「頭がおかしい扱いしないの?」
『宇宙人をオペしたなんて言ってる女に今更何を言えって?』
「何か言え!」
『愛してるよ』
ぐ、と言葉に詰まって天を仰ぐ。この男のこのタイミングには絶対に勝てそうもない。
「とにかく──もう少ししたら帰る。桃色の皿もすぐに継ぐって言ってたし」
出来はともかくね、とは心の中で呟くにとどめた。次女が父親の腕に満足していないことは明白だったが、彼に伝える必要はないだろう。
「継いだら、3枚そろえて地主に返すんだって。タダ働きなのに」
『まあ、付き合いもあるだろうからな。そこはおまえが口出しすることじゃないよ』
「分かってる。──わたしが口出しすることじゃない、で思い出したんだけど」
『うん?』
「昨日の仕事、どうだったの。無事らしいけど」
『ああ、まあ──赤毛が珍しく怪我をしなかった、程度』
一瞬黙り、BJは我ながら低い声で質問する。
「作戦行動があったってこと?」
『詳しくは言えない。機密』
「赤毛に訊くよ?」
『あいつが答えると思うか?』
「答えなければ何かあったってことだから」
『なるほど、そういう手もあるか。──まあ、答えてもらえなくてイラ立つだけだ。やめておけよ』
「いいえ、やめません」
『俺と会ったら何をしたいか考えるほうが有意義だと思わないか』
「──もう! そういうの! 本当に、もう!」
『何だよ?』
うう、と呻き、BJは受話器を唇ぎりぎりに寄せる。どうせ何を言うかなど分かり切って、意地の悪い笑みを浮かべているだろう男に言った。
「……早く会いたい」
『俺もだよ。愛してる」
電話越しに囁かれる声が心地よい。しばらく小声で甘い会話を交わし、愛しているよと何度も言わせて満足した。通りがかった妻が「あらあら」と赤くなって引き返したことには気づかなかった。
その数日後、桃色の皿も金継ぎが終わり、地主に返される。娘の容態も安定していたため、翌日にBJは帰宅することになった。
出立前、夫妻に今後の治療計画や往診について説明していたところに来客があった。皿を返されたはずの地主だった。
「金継ぎの料金を払わせてもらいたい」
平身低頭と言ってもいいほどの態度で父親に申し出る。玄関から上がろうともしなかった。
「夢に神様が──三人の、女の付喪神様が出て、払うものは払えと。本当にその通りで、いや、この通り、申し訳なかった」
単なる夢かもしれないが、と繰り返しながらも、その実は信じているのだろうと窺わせる落ち着きのなさで地主は封筒を差し出す。戸惑った夫妻に、BJは笑いを堪えながら──あの三姉妹、ドケチから金を引き出すなんて大したもんだ! ──言う。
「もらっておやりなさい。神様のお告げだ、遠慮するこたあない」
それから涼しい顔で付け加えた。
「神様が満足できる腕になるよう、先行投資と思うのもいいんじゃないですかね」
生まれ変わってる。
あなた、きれいね。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれないし──
それでも、と思う。
神様のような人の手で継がれたわたしは生きている。
あの時に生まれ変わったかどうかなんて分からない。
それでも、
それでも、生まれ変わっていても、いなくても、
あの男はわたしに愛しているよって何回も言ってくれるだろう。


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