いつもの喧嘩と猫の話
今書いている中編が中々進まないので息抜きの手癖。はいいつものー! ってパターンです。短いです。
今日も今日とて喧嘩の原因は些細なことだった。第三者が聞けば苦笑いをするのも面倒、犬なら後ろ脚で餌皿を蹴る程度。そんな話だ。それでも二人にとっては──ことにBJにとっては──1日の中で重大事であり、着地点を見出すまでは口を利かない時間になる。
機嫌を直す、すなわちメンタルコントロールはキリコの方が上手い。年の功、そして性格、さらには人生における訓練の賜だ。
その点、BJはプライベートにおいてはあまりにもコントロール技術が不足している。お嬢ちゃんも苦労してるってぼやいてたな、と思いながらキリコは煙草に火を点け、しばらく放っておくことにした。足元に近所の母猫がやって来て丸まった。友達の機嫌の悪さに辟易したらしい。
その友達は母猫の娘を抱き込み、テラス窓の前のヨガマットに転がっている。以前はヨガマットを置いていなかったが、日当たりの良い場所にBJがよく寝転がるようになってから変更した。たまに柔軟体操をしていることもあり、それはそれでキリコにとって良い光景だった。
自分のメンタルコントロールが完了し、あとはBJの機嫌回復待ちとなったキリコはソファからBJの様子を眺める。我が儘で怒らせた男に背を向けて寝転がり、迷惑そうな顔をした子猫を抱き込んで背を丸めている。非常に可愛い、よろしい、と思いつつ、声はかけなかった。
徹底して甘やかす自覚はあるが、今はそのタイミングではない。BJに喧嘩の原因がある時はしばらく放っておく方針だ。その方が自分で機嫌を直す努力をする。BJのような性質には必要な訓練であり、敢えての方針だった。これで仕事になると完全に自分をコントロールするんだから大したものだ、と感心することも少なくない。
喧嘩の原因など本当に些細なことだ。キリコが買った本を一緒に読みたかったのに先に一人で読んでしまった。たったそれだけでひどく機嫌を害し、強い口調で文句を言われ、俺が買った本を俺が買って何が悪いんだ、と至極もっともな返事をしたら喧嘩になった。他人にはとても聞かせられない。これでも闇で一目置かれる死神と天才外科医だと言うのに。
テラス窓から差し込む陽光が好きな女と子猫に降り注ぎ、可愛いな、綺麗だな、とぼんやりと思う。これはこれで幸せな時間なのだろう、とも。この女と一緒にならなければ経験し得なかった光景と感情だ。必死で自分の機嫌と戦っているBJに言えば怒るかもしれないと分かっている。だから言わないが、彼女がここにいるからこそ生まれる愛おしい時間であることは間違いなかった。
やがて背を向けて丸まっているBJの足の指先が動く。擬音をつけるなら、ぴこ、ぴこ、だ。ぴこ、ぴこ、と足の指先が上下し、そろそろ「怒るんじゃなかった」と後悔している感情が漏れ出している。
キリコは笑って煙草を揉み消し、立ち上がった。足元の母猫が睡眠を邪魔されて不満そうにひと声鳴き、娘を腕の中に監禁している友達の方へキリコよりも先に近付く。
「マフィン」
返事はない。想定済みだ。笑わないようにしながら──笑えば恥ずかしがって拗ねるだろう──歩み寄り、丸まった背中の後ろに腰を下ろした。するとのろのろとBJが身体を起こす。隣に座るかな、と思ったら、起き上がる時の緩慢さはどこへやら、素早くキリコの膝の間に子猫ごと飛び込んで寄りかかってくる。今度こそキリコは笑った。可愛かった。
もういいだろう、あの本を一緒に読もう、それとも新しい本を買いに出かけようか──そう言おうとしたキリコよりも早く、BJが拗ね切った声で恥ずかしさを隠しながら言った。
「しばらくそうしてれば?」
「いいけど、いつまで?」
「わたしの機嫌が直るまで」
キリコは笑い、背中ごしに腕を回して子猫ごと抱き込んだ。顔は見えないが、キリコにとっては何よりも可愛い顔を赤くしているのだろうと思った。
「にゃあ」
いい加減にしなさいよ、あんたたち。母猫の鳴き声はまるでそう言っているかのようで、BJとキリコの腕からするりと抜け出した子猫はうんざりしているようだった。
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