おやすみ、好きな男、死神
寝る前に何か書きたくて書いた手癖書き。起承転結とか一切ないです。「クロオちゃんのおっぱい」はタイピングしながらしみじみと よき。 ってなった。なんとなく響きがいい。クロオちゃんのおっぱい。
そんなに疲れるならやめちゃえばいいのに。好きな女が拗ねたように呟く時は、自分が心底疲れた顔を隠し切れなかったのだと知る。
今回の本業は少しばかり──誰かが聞けば少しどころではないと言うのだろう──死神の精神を抉り過ぎた。後悔などするはずがなく、違う次元へと案内した魂の安寧を願うことには変わりないが、二度と誰かがこんな理由で俺の患者になりませんようにと願うほどだった。
「キリコ」
「うん?」
「話していいよ」
「今回はやめておくよ」
「そんなにだったんだ?」
「そうだね」
「ふうん」
患者に全ての愛を与えて空っぽになった恋人がようやく自分への愛を思い出し、ごめんねと謝って抱き締めてくれるまで、BJはひたすら待つしかできない。今回は少し長く時間がかかった。数日間ろくに口を利いてくれなかった。
キリコがわざとそうしているのではなく、恋人への愛を思い出すまでは仕方がないのだ。以前はその期間中は離れていたが、今はあの仕事をしたのだと勘付けばキリコの家へ行き、帰りを待ち、愛を思い出すまでそばにいることにしていた。互いの愛を自覚するまでは口を極めて罵っていたのに、今はただ早く戻るようにと願って、ふたりでいるのにひとりでいるような感覚を耐え続ける自分が不思議だった。
思い出したキリコは優しい。忘れていた間を詫びるようにいつもより甘やかしてくれる。食事に連れて行ってくれたり、洒落た楽しみ方ができる場所へ連れて行ってくれたり、何もせずにふたりで家から一歩も出ずに時間を過ごしたり──そのどれもがBJにとっては嬉しかった。
それでも今回は少し、キリコが疲れ過ぎている。普段の本業で耐え難いことがあればたまに口にする患者の話を一切したがらない。それほどまでの患者だったのだとBJは溜息を押し殺し、代わりにソファで隣に座ったキリコの頭を胸に抱き込んでぎゅうぎゅうと押し付けた。苦しいよ、とキリコが笑い、だが珍しく甘えるように顔を埋めたのでしばらくそのままでいた。
キリコを抱いたままテラス窓の外を見る。死神の家の庭は秋の花が主役の時期になっていた。数種類のコスモスに竜胆、金木犀、コキア──この庭は一年中、花が途切れることがない。生命の行方を探しに訪れる患者が花を見て喜ぶのだと言う。
中には花に心を動かされ、次の季節の花を見るまで、来年の花を見るまで、と言って帰路に着く患者もいると聞いた時、きっとそう言われたこの死神は優しい微笑を浮かべて彼らを見送るのだろうと思った。
気が付くとキリコが眠っていた。この体勢で寝られるのは初めてだった。そうかそうか、と自分を励ますように笑った。──そうかそうか、クロオちゃんのおっぱいはそんなに気持ちよかったか!
少しばかりおどけて自分に言うと、キリコの不調に引きずられていたことにようやく気付くことができた。これはいけない、と気を引き締める。これはいけない。気分転換が必要だ。
キリコを起こさないように静かにソファに深く座り直す。胸には銀色の頭を抱いたままだ。深く眠り込むならそれでいい。睡眠も気分転換に有効だ。だがすぐに起きるようなら──色々と考える。自分が疲れている時、キリコはどうしてくれていただろう。
しばらく考えたが、自分がキリコと同じことをしても仕方ないと気付いた。自分ができることを、してあげられることを、とも考えたが、それすらもすぐに頭の中から追いやった。
キリコを起こさないように慎重に、少しずつ体勢を変える。胸に抱いたキリコの頭をできるだけ動かさないようにするのが難しい。
慎重に少しずつ。
自分がしてあげられることより、もっと他に──きっとこの男が喜んでくれることがある。
胸に銀の髪をのせたまま、ソファに少しばかり窮屈な体勢で寝転がる。傍から見ればキリコがのしかかっているようにも見えるかもしれない。だが今は他に誰も見る者などいないのだ。BJは口元が緩む感覚を味わいながら、自分がしてあげられることよりも、自分がしたかったことを優先した自分を褒めた。それが男に教わったこと──したいようにすればいいんだ、といつも言葉だけではなく、態度で教えてくれていたことだとは敢えて思い出さなかった。
衣服越しに感じる男の寝息はあたたかい。それも嬉しくてまた口元が緩む。起きたらきっと少しばかり元気になってくれているかもしれない。それなら嬉しい。自分がしたいことをしたら好きな男が少し元気になった、そんな未来があれば嬉しい。
ほんの少しでいいから、好きな男が疲労を癒やせたのなら。それが男のためではなく、自分がしたいことをして、単なるその結果だと言えるのであれば、きっとキリコは負担に思わない。だから敢えて言うだろう。わたしはわたしのしたいことをしたんだから、少し元気になったよ、ありがとう、なんて言わないで。
優しすぎる死神の頭を抱く腕に少し力を入れる。キリコは相変わらず寝息をたてている。疲れが取れるまで少し長く眠っていて欲しい、そう思った。それでも同時に、早く起きてくれれば早くキスができるし、肌でふれあうことができるのに、と、そう思った。
わたしはここにいるし、あなたがここにいるってことがわかるのに──男の優しさが哀れで、そして男を待ち続けた時間が寂しかったことを思い出して、少しばかり鼻の奥が痛くなった。目尻に涙が浮かんだことが分かったが、指で拭うにも銀の髪を抱いていて手を動かせなかった。動かしたくなかった。
キリコに早く起きて欲しい。だが涙が乾くまでは眠っていて欲しい。
せめて涙が乾くより、キリコの疲れが癒えるまでの時間が長ければいいと願った。

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