赤毛がゆっくり療養するだけの話の前半
フォロワーさんがタイトル的なことを呟いてくれていたので…そして私も流石にこいつを負傷させすぎている自覚はあるので…。オリキャラしか出ない。キリコについては名前だけちょっと出る。一応今後の長編に軽く関わる部分なんだけど、改めて別の話で入れ込んで行くので気にしないで平気なやつです。今回のその部分は私が脳の整理に書いただけです。
流石にいつまでもニューヨークにいるわけにはいかず、正確にはいたいとも思わず、かの有能なる元軍医の指示を無視し、二日後にはフォートライリー基地を出ることにした。元々任官地ではない基地に傷病兵扱いで長くいると事務手続きが面倒になる。
かと言ってワシントンの陸軍病院へ戻る気にもなれない。入院生活は退屈だし、何より夜の病棟の静けさが嫌いだった。
「少佐、お電話です」
自宅のあるノースカロライナ州へ戻る手配を始めて1時間後、あてがわれた病室で鎮痛剤を飲み込んだタイミングで看護兵に呼ばれる。看護兵が難しい顔をしていたのでどうせろくな電話ではないだろうと予想した。
「誰から」
「陸軍中将の──」
なるほど、確かに難しい顔にもなるはずだ、ろくな電話じゃない、と確信した。陸軍中将が少佐程度に──対外的には一目置かれる官位だが、軍の中では高官と言うほどでもない──わざわざ取り次ぎが必要な電話を掛けてくれば、事情を知らない周囲は妙な勘繰りをしたくなるものだ。
医局で保留されていた電話を取り、一度息を吐いてから口を開いた。
「お待たせ致しました、サー。そろそろこちらを出る時間なんです、恐れ入りますが手短に」
どうせ誰かが気を遣ったが、それとも点数稼ぎかのどちらかで不要な報告をしたのだろう。グラディスとしては苦々しい。
『どこへ向かうつもりだ?』
「プライベートです、ご寛恕を」
どうして僕がワシントンの陸軍病院に戻らないって予想した口ぶりなんだろう──グラディスはやや慎重に言葉を選ぶ。もしかすると陸軍病院から連絡が行ったのかもしれない。誰であるかが分かったら文句のひとつも言ってやろう、と決めた時、陸軍中将はあっさりと暴露した。
『ドクター・キリコから連絡をもらっている』
「あのクソオヤジ」
『何だって?』
「いいえ、何も。ドクター・キリコ? 昨日からバハマに行っています、今頃エルーセラですよ。彼が何ですって?」
今回ばかりはキリコに直接迷惑をかけられたわけではないが、八つ当たりで恨みたくなっているのは確かだ。とにかく傷が痛い。一昨日の捕り物のせいで明らかに体調が悪化し、傷病休暇を延ばすべきだとこの基地の軍医に意見書を書かれる始末だ。
『彼が言うには、少佐はワシントンの陸軍病院であと三週間の入院が必要だということだ』
「Daddy’s joke」
『それは私が得意とするところだな。貴官も知っているだろう』
受話器の向こうに見えないと分かっていてもつい頷く。Daddy’s joke、要はオヤジギャグだ。日本語を勉強し始めた時、どこの国でも似たような単語で似たような表現をするんだな、と感心したものだった。
「中将閣下のユーモアセンスについては同意します。ただ、ドクター・キリコのご意見には従えませんね。サウスカロライナの原隊に戻ります。傷病休暇期間は自宅療養しますのでご心配なく」
『あと三週間か』
「二週間です」
『本来の期間は、だな。私としてはドクターの意見を支持したい。三週間だ』
「──閣下、そこまで長く隊を空けるわけには参りません」
これは本音だ。隊長の立場で一ヶ月以上も小隊を放置しておきたくない。既に二週間空けているだけでも気になっているほどだった。
彼らのことだ、訓練は手を抜かずに真面目にやるだろうが、士気が落ちるのは目に見えている。隊長となる前のグラディス自身も、当時の隊長が長く顔を出さない時にはどことなく緊張感を忘れがちになっていた。
『元々の入院期間は一ヶ月だったはずだ。ブラック・ジャック先生が強く指示していたな?』
「あの人は大袈裟なんですよ。それにあの時、彼女は冷静じゃなかった」
『引き継いだ軍医も──グレイヴ大佐か。同じ見解だと私に報告してくれたわけだが』
「ああ、そうですか。彼は神経質ですからね」
あいつ嫌いなんだよな──グラディスは軍医のグレイヴ大佐を思い出す。デルタフォースに入隊した時からの付き合いだが、何かと口うるさく神経質で、怪我をするたびに小言を言われていた。
『まあ、とにかくだ。ドクター・キリコが言うには、先に私に連絡をしておかないと、貴官が無理を押してサウスカロライナに戻ってしまうだろうということでね。なるほど、その通りじゃないか』
「結果としてはそうですね」
あの人、僕のこと嫌いなくせに理解してるから面倒くさい。グラディスは押し殺した溜息の中でそう思う。──僕のことって言うか、兵士か。有能な軍医だったってのは嘘じゃないみたいだ。
「サウスカロライナに戻っても無理はしません。私自身、とてもじゃありませんが何かをしようって気にはなれない程度にはまだ復調していませんから。おとなしく自宅で寝ていますよ」
『なるほど。ここまで言っておいて何なのだが、少佐』
「イエス、サー」
『実家で二週間、サウスカロライナで一週間だ。手配は済ませてある』
「──ちょっとあんまりじゃない? 僕の都合なんて誰も考えてくれてない!」
観念して息子の声になったグラディスを、聞くとはなしに聞いていた周囲の軍医たちが驚いて振り返る。相手が陸軍中将だと知っているからだ。その陸軍中将は受話器の向こうで溜息をついていた。
『こうでもしなければおまえは本気で今からサウスカロライナに行ってしまうだろう』
「いや、本気も何も、もうそのつもりなんだってば」
『とにかくワシントンへ戻れ。家でかあさんが待っているから』
「何、かあさんにもう言っちゃったの?」
『当たり前だ。ひどく心配していた。後で電話をしておけ』
世話焼きの母は今頃、傷病兵として実家に戻る息子のためにあれこれと飛び回っているだろう。グラディスにとっては二人目の母だが、おおむねグラディスの譲歩と、それに気付かない振りしながら一歩引く彼女の機転で良好な関係を保てている。姉のグレイスとは女友達のような関係だ。
「正直、今はかあさんに会いたくないんだよ」
『何があった』
「報告上がってんだろ。一昨日、レイタとがっつり会ってんの」
離婚した前妻を殺したテロリストの名を聞き、父は僅かに沈黙した。グラディスは溜息をつき、少しばかり自分の言をフォローする。
「とうさんにどうこう思えって言ってるわけじゃない。僕の気持ちの問題だから」
『私の気持ちは控えておくよ。分かった、じゃあこうしよう。取り敢えずワシントンの陸軍病院へ戻るんだ。そこで一週間過ごして、気分が切り替わったら家へ戻っておいて』
「切り替わればね」
グラディスは諦めた。これ以上突っぱねたところで無駄だ。父が決して譲らない性格であることはよく分かっていた。
『そうしてくれ。あと1時間もすればこちらからブラックホークが出る手配をしてある』
「……どうしてわざわざそんなの出すの……民間機乗って帰るよ……」
いくら何でも、とうんざりした。任務で何度も乗っている汎用ヘリコプター、時には戦闘ヘリコプターにもなる頼もしい存在だが、たかが一士官を移動させるには大がかりすぎる。
父はここまで職権濫用をするタイプではなかったはずだ。だが陸軍中将は真面目な声で言った。
『ドクター・キリコの指示だ。一昨日はリトルバードで高速移動して体力を消耗したって言うじゃないか。西ドイツの件も含めて、医療用ヘリコプターを出すべきだと言われてね』
「とうさん、何でそんなにドクターの言うこと聞くの」
『息子の病状を知る医者の指示を受け入れるのは当然だ、馬鹿者。分かったらさっさと帰って来い。もう切るぞ、そちらの司令官に電話をしておかないと。士官学校時代の同期なんだ。おまえも小さい頃から会っている、あの──』
「……ヘンリーおじさん」
『そう、ヘンリーだ。おまえのことで迷惑をかけるからな、挨拶をしておくよ』
「やめて、ほんとそういうのやめて。僕、隊のローテーションでまたこの基地に来ることがあるからほんとやめて!」
息子の嘆きも空しく、父はあっさりと電話を切ってしまった。陸軍中将の息子であることを知った周囲の目が刺さる。
電話が置いてあったデスクに突っ伏し、今後仕事でこの基地に来るたびに、ヘンリーおじさん──この基地では陸軍中将として司令官の任に着いているようだ──に呼び出され、酒の相手をしろと言われるのだと確信した。
そのヘンリーおじさんは、厳格な司令官の態度でわざわざ一士官の出発を見送ってくれた。迎えに来たブラックホークの前で車椅子に乗った──正確には『ブラックホークを出動させるほどの重傷である』という記録を残すために乗せられた──負傷兵を見て敬礼する。グラディスが心の中で苦虫を噛み潰しながら答礼するとにやりと笑い、「どうして声をかけなかったんだ」と言って、周囲に既知だと知らしめた。グラディスはもう諦めて肩を竦める。
「ヘンリーおじさん、酒に付き合えって絶対言うから」
「当たり前だ。何だ、ギィは結構飲めたと思ったんだが」
「そういうわけじゃなくて、仕事で来てるんだからさ。少佐程度がどうしていちいち中将閣下にお目通りするんだよ」
「寂しいことを言わないでくれ。おじさんが幼稚園にお迎えに行ってやったことを忘れたか? ギィ坊やは薄情だな。ちゃんとママからお迎えの許可証をもらって行ったのに、ママじゃないって泣いて逃げ回った可愛いギィ坊やはどこに行ったんだ?」
「ちょっと部下の目があるからそういう話はやめて……」
車椅子の後ろで姿勢良く立っているジョイは、きっと理想的な兵士の態度と表情だろう。だが彼が後で隊員たちに何を言い触らすか、考えるだけで目眩がしそうだった。
無論ヘンリーがわざと言ったのだと分かっている。それが親切心だということも。隊長のちょっとした可愛らしいエピソードを部下に流すと妙に喜ばれるものなのだ。そしてしばらく留守が続く隊長のことを思い出し、日常の訓練が怠けにくくなる。
──そういや、とうさんもヘンリーおじさんもベトナム上がりだしな。こういうのは得意なんだろうな。
「傷の具合はドクター・キリコの書き付けと軍医のカルテを見せてもらったよ。随分だな」
「佐官のカルテなんて、ヘンリーおじさんが見る系統のものじゃないと思うんだけど。ここの基地ってどうなってんの」
「ギィがここにいる、すぐブラックホークで出るって聞いて慌てて軍医に見せてもらったんだ。ブラックホークが来るとなるとそれなりの傷だろうし、心配して当然だろう」
「寝てりゃ治るよ。心配してくれてありがとう。ここの基地の人たちも親切にしてくれたよ」
「おとなしくするんだぞ。ドクター・キリコが随分細かく書いてくれていたらしいな、軍医が感心していたよ」
「あの人、元軍医だしね。ベトナム行ってる」
「ふむ。──おとうさんによろしく。機嫌がいいはずだ」
「いいのかなあ」
「いいだろう。可愛い末っ子のギィ坊やが帰って来るし、明日にはロンドンからグレイスたちが帰って来るって言ってたぞ。子どもたちと孫がいっぺんに揃うなんて滅多にないだろう。それから何だったかな、そうだ、グレイスの結婚式の日取りを決めるだとか何だとか」
ねえヘンリーおじさん今なんつった? ──グラディスが聞き返す前に、ブラックホークの最終点検をしていた整備兵が飛行可能の宣言をし、プロペラが回り出したのだった。
結果から言ってしまえば、ワシントンの陸軍病院へ再度入院したのは僅か二日間だった。姉のグレイスとその娘、つまり可愛い姪のクロエがロンドンから帰省してすぐに見舞いに訪れたのだ。そして幼いクロエの猛攻を躱すことなぞ到底できず、実家で療養すると言い置いて退院することになったのだった。
荷物を運んでくれたのは義兄になる予定がほぼ確定のSAS隊員のアンディだ。見舞いに顔を出すことは遠慮し、どうせ退院することになるだろうから──グラディスがクロエの要求をはねつけられないことをよく知っていた──車の前で呼ばれるまで待っていたのだった。グレイスとクロエを先に車に乗せ、トランクにグラディスの荷物を放り込みながら少し話をする。
「あんた、怪我しすぎじゃないすか。BJ先生にちょっと聞いたけど、前も怪我して先生に診てもらったでしょ?」
「あのクソビッチ、口が軽いな。流石無免許だ」
「つうか、あんたが怪我して陸軍病院に入院するってことはそっちも色々あるってことだし?」
「きみのとこの隊長に調べて来いとでも言われたわけ?」
「違うって。あんたに何かあったらグレイスとクロエが哀しむだろ。健康でいてくれよって話をしてんですってば」
「きみだってホワイトハウスで喰らってるし、ロンドンの時も重傷だったくせに」
「ロンドン──ああ、あんたが髪染めてた時?」
思い出したアンディは笑う。グラディスもつい釣られて笑った。それから言った。
「足、もう平気なの」
「とっくに平気。もういくつか出張してる」
SASの任務に復帰している、という遠回しな説明をしてアンディはにやりと笑う。グラディスは「馬鹿じゃないの」と言っておいた。
「あ、そうだ、アンディ」
「何すか」
「結婚式の日取りが決まったらすぐ教えてよ」
「あれ、もうそこまで知ってんすか」
「ヘンリーおじさんに──まあいいや。とにかく教えて」
「もちろんすよ!」
「うん、ほんとすぐ教えろ」
グラディスは姉と姪が待つ車に乗る前の最後の一服に火を点け、嬉しそうな顔をした未来の義兄に冷たく宣言した。
「絶対行かねえから」
その瞬間に凍ったアンディの笑顔を数秒眺めた後、一口しか吸っていない煙草を踏み消して、先に車に乗り込んだのだった。


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