書きかけ

書きかけとか

「立食パーティでめっちゃ食う先生」を書きたかっただけなのによく分からない話になりかけている。続きは書くか書かないか微妙。オチは決まってるんだけどここまで文字数必要ないオチなので何とか別の方向にしたい気もする。

 自分の女が目の前で他の男に求愛される、という姿は、結果が分かり切っていてもあまり面白いことではない。そこは慇懃、かつ紳士が売りの死神、顔に出すことはないが、今BJに纏わり付いている学者とやらの二日酔いを願う程度には気分が悪い。
 当のBJは慣れたもので、ビュッフェから取った料理をもぐもぐと頬張りながら、はあ、そうですか、そうなんですか、へえ、と機械的な生返事をしている。日本の中では超がつく大手製薬会社の立食パーティ、BJにとっては「タダでご馳走が食べられる場所」程度の認識でしかない。
 営業をかける時はかけるが、BJは日本の製薬会社にあまり本格的な営業をかけることがなかった。むしろ患者経由で様々な裏の事情を知るようになったBJを会社側がもてなしたがる。派手な場所が苦手ということもあって今日も正式な招待を断り、キリコのパートナーとして足を運んだだけだった。
 最初は断った時点で忘れるはずだったのだが、キリコが出掛ける、しかもパーティと聞き、キリコからすれば完全なる理不尽さで機嫌を悪くした。
 夜なのに! わたしを置いて行くんだ! そう言われたキリコは溜息をつき、改めて行くって担当に伝えるか、それとも俺のパートナーとして出るかどっちかだ、ちなみに俺が欠席する理由はない、と伝えた。外国籍の医者が日本国内で薬を融通するのは案外手間がかかるものだ。繋いでおくべきパイプは繋いでおきたい。結局BJはぶうぶうと唇を鳴らしながら、パートナーとして出席することを承諾した。
 そこからはまた一悶着あった。キリコとしては自分のパートナーとして出るならそれなりの格好をしろと主張し、そんなの誰も期待してないしわたしじゃ見苦しいじゃないと卑屈なことを言ったBJと喧嘩になる。最終的に派手な色もデザインも避ける、マナー違反でもカラータイツを履く、ノースリーブなら必ず羽織り物をする、と互いに譲り合って決着した。
 結果として黒レースのトップにキャメルの切り替えスカートのワンピースが選択された。そこに厚手のカラータイツが装備──キリコの感覚からすればまさに装備だ──された時、今度はキリコが唇を鳴らしてブーイングをし、また喧嘩になった。メイクのために来てくれていたユリに半ば力尽くで仲裁されたことにより、大幅な遅刻を避けられた。
 わたしが笑いものにされたら責任取って廃業しろ、とタクシーから降りる前にBJが吐き捨て、笑った奴らの名前を片っ端から控えてACLUに垂れ込む方が建設的だ、とキリコが返し、そこまでやるんだ……! とBJをある意味怯えさせた。
 ACLUは合衆国の最大規模の人権団体、かつ日本の人権団体を発足した存在でもある。特定の政党を支持することはないとしているが、実際のところは共産カラーが強く、政治的な影響力もかなりのものだ。今夜の主催の製薬会社のような企業からすると相当神経を使う、むしろ関わりたくない相手のはずだった。
 そもそもキリコからすれば、なぜBJが笑われるのかが理解できない。いや、知識として理解せざるを得ない程度には社会というものを知っている。かと言ってなぜ笑う人間がいるのか、なぜそれが許されると思っているのかが不思議でならなかった。誰かを正当な理由なく嘲笑う人間の顔の醜さを彼らは知らないのだろうかとも思う。
 だがキリコにとっては美しい女だし、そもそも決して醜い部類ではない。むしろ傷と皮膚の印象に捕らわれずに美形だと見抜いた人間が機会を得れば、素直な賛辞を送る程度には充分に美しいのだ。タクシーを降り、会場があるホテルのロビーを歩く道すがら、綺麗だよ、と本音を口にすると、BJは唇をひん曲げて、キリコの肘に添えた指に力を入れた。
 既に始まっていたパーティは面倒なお偉方の挨拶が終わりかけているところだったが、二人が静かに紛れ込むにはちょうどいい頃合いだった。やがてお偉方の挨拶は終わり、無礼講という名のマナーで縛られた立食が開始される。
 適当に挨拶して2杯程度飲んで帰ろう、と思っていたキリコの目の端で早速BJがビュッフェに向かい、あいつが満足するまで食ったら帰ろう、と方針を変更した。
「ドクター、先生、いらしてたんですねぇ! お声掛け下さればよかったのに!」
 心からの営業スマイルを浮かべた既知のMRが早速声をかけてきた。グループ企業内で並ぶ者がない有能な、そして有名なMRが一番先に声をかければ、彼より下の職位の者は話しかけにくくなる。物珍しさで話しかけられることが多いキリコやBJにとってはありがたかった。
「あいつの夕飯を調達しに。腹が膨れたら帰るよ」
「いえいえ、どうぞごゆっくりなさって下さい! ──先生のお召し物、今日は一段と素敵ですねえ……!」
「流石にいつもの格好じゃ連れて来たくないからな」
「いつものお召し物も素敵ですが、いやはや、お綺麗でいらっしゃいます……!」
 踏まれてえ、とMRが呟いたような気がしたが、キリコは空耳だろうと思うことにした。互いの性癖を知りたい関係ではない。
 そのBJはビュッフェから調達した食事を手に上機嫌で戻ってくる。MRを見つけて「あれ」と言った。
「何だ、おまえさんもいたんだ?」
「先生にお会いできるならどこにでも潜り込みますよぉ」
「よく言うよ。おまえさんくらいの売り上げならこういうところは絶対出るんだろ」
 パーティの後半には優秀な社員に対する表彰式もあるはずだ。この男が表彰されないはずがなかった。キリコとBJはその時間までいる予定はなく、中盤で引き上げるつもりだった。その頃にはBJの腹も膨れる。
 人好きの営業スマイルを浮かべたまま、何かあったらお呼び下さいね、社内の者なら始末できますので、と裏の顔を窺わせることを二人にだけ聞こえるように呟き、優秀なMRはその場を離れて他の客へ挨拶に向かう。
 それがほんの30分前だ。話しかけてくる重役や招待客とキリコが会話をする横で、彼らの話しかけたい風情を無視したBJが食べたいものを半分ほど食べ終え、もうちょっとメインを食べようか、それともスイーツワゴンへ向かおうかと思案している時、横から声がかけられた。
 キリコにではなくBJへだ。欧米のパーティ会場ならキリコへの無礼極まりない行為だが、日本の企業パーティではそこまでのマナーが浸透していない。
「ブラック・ジャック先生?」
 声をかけて来た初老の男はいかにも学者然とした風体で、実際に大学で教鞭を執る文学者だと名乗った。キリコと話をしていた重役が気を遣って彼を紹介し、彼の立場を裏付けた。
「親戚が先生にお世話になりまして──私も手術の日に病院にいたんです。こんなところでお会いできるなんて」
「そう。それはどうも」
 誰だっけ、とBJは考える。自分の卓越した記憶力には自信がある。そのうち思い出せそう、と思ったが、今はメインディッシュのお代わりかスイーツへの移行かを考える方が重要だ。つまりこの男はどうでもいい。
「マフィン」
 あまり良い相手じゃなさそうだな、と直感したキリコはBJに声をかける。闇医者に依頼した親戚がいることを堂々と口にする文学者が扱いやすいとは思えない。
「何か食べたいものは? スイーツをもらおうか?」
「──ドクター、お優しい! 欧米紳士を見習いたいものでございます!」
 いつの間にかやって来たあのMRがすかさず口を出し、重役たちが相槌半分、本音半分で「まったくだ」と頷く。昭和の日本男児、いまだこの域に達することは難しい。
 だがキリコはMRが自分にちらりと視線を──闇の顔をする時の──送ったことを見逃さなかった。なるほど、と思った。
「こんな時に無粋で申し訳ないね。近いうち、きみと話をしたい」
 今、何か俺たちに有益なことをするんだろう、闇の報酬と引き換えに──言外にそう言い換えて伝えると、MRは目を細めて深く微笑み、いかにも感激だといった声で答えた。
「無粋だなんて! とんでもないことでございます! いつでもお伺い致しますとも! ──先生、あちらのスイーツワゴンはちょっとした見物でございますよ!」
「でもエビもまだ食べたい」
「エビ! よろしいですねぇ!」
「その後にワイン飲んでベリーのムース」
「素敵ですねぇ! 美味しいものをご存知でいらっしゃる! ささ、よろしければご案内致しますよ!」
 BJはキリコに視線を送り、行きゃいいんだろ、と目で語る。キリコも視線で頷き、MRにBJを任せることにした。MRは「闇医者から初老の文学者を引き離す」ことが重要だとキリコに教え、その役を買って出たのだ。この後、何かしらの手段で事情を説明し、報酬を提示するはずだった。おそらく高価な薬か、彼が日本で売りたいが承認を得られない、外国では効果が確認されている薬を購入することになるだろう。
「妻がご親戚のお役に立てたそうで」
 追いかけてもおかしくないほどに熱い視線をBJに向けていた学者にキリコは話しかけた。妻という言葉は効果的だったのか、学者は驚いて背の高いキリコを見上げる。
「先生が結婚を?」
「事実婚ですね。お国では評価が分かれるでしょうが、私の国では珍しくないことです」
 BJがここにいればまことしやかに足を踏まれていたはずだ。なぜか事実婚という言葉を嫌がるふしがある。それがこの時代の日本人女性の一部が持つ感性だとは、まだキリコには理解できていなかった。
「アメリカでは一般的らしいですね。しかし意外だったなあ、ドクターと先生が──」
 何かしらを察した重役が笑顔を作って話に入る。立場上、いつまでも一人の客と話し込むわけにはいかないのだが、今は離れるべきではないと察したのだ。MR上がりのその重役は、社内トップのMRがまともではないことに薄々勘付いていた。昔の自分と同じことをしているのだろう、と。そもそも闇医者二人が上得意なのだ、まともであるはずがない。
「私の従兄の娘がお世話になったんです。絶望的だったのに、先生が見事に救って下さって──」
「なるほど。今もお元気?」
「お陰様で。元気に学校に行っておりますよ。本当にありがたい、菩薩のような女性でいらっしゃる」
「菩薩」
 いや、ない。キリコは心の中で断言した。
「ああ、アメリカの方ではご存知ないかもしれませんね。菩薩とは──」
 知ってる、いや知ってるから。それくらい知識あるから。でも違うって、あいつが菩薩とか有り得ねえって。キリコはやはり心の中で呟きつつ、語り出した学者の話に取り敢えず頷いておく。MR上がりの重役がうまく話を誘導し、会社にとって裏へのパイプにもなる男が機嫌を損ねないようにととにかく場の取り持ちに努める。かつてのMRとしての技術が役に立ったと思えた瞬間だった。この学者を無碍に扱えない事情もあった。

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学者を無碍にできない事情はこれから考えるんだよ……