usual life

SSとか

洒落っ気も素っ気もない日常生活。時間が積み重なればこんなもんでいいと思うんですよね。
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 二人で帰国する時、大抵は崖の上の家へ向かう。長期に渡って家を空ける場合にはピノコだけではなくユリもいることが多く、BJとキリコの帰宅を喜び、話しても差し支えない外国の話を聞きたがることが常だった。
「ユリさん、今日は午後に戻るって。午前中に仕事の面接だって昨日の電話で言ってた」
「ああ、そう」
 空港に預けていた車を運転しながらキリコは生返事と言えば生返事を返してしまった。理由が分かるBJはつい苦笑する。兄の収入にぶら下がっていると見えながらも、実は働く意思がある美しい看護師は、どこへ面接に行っても国籍で断られるか、採用となっても短期間で辞めてしまうのだ。
「日本じゃまだ難しいと思うよ」
 短期間で辞めると言ってもユリが無能や怠惰ということではない。要はずば抜けて美しい容姿と気の強さが徒になる。女性が多い職場ではままあることだった。
「いっそ別の仕事をすればいいんだ、あいつは」
「無理じゃない?」
「──まあな」
 キリコは溜息をつきながらハンドルを切った。自分と自分の恋人がそうであるように、妹もまた医療従事者として生きることしかできないのだとよく知っていた。それにしては無職期間が長いが、そこはそれと考えを分けるしかない。
「お嬢ちゃんは家にいるのか?」
「うん。午前中に買い物に行くって言ってたけど、それ以外は用事がないって」
「ファッションショーはユリが帰ってきてからかもな」
「その方が賑やかでいいな」
 今回も可愛い娘には山ほど服を買い込んだ。大喜びでファッションショーを開催するだろう。あれが可愛いんだよね、とBJは嬉しそうに笑い、そうだな、と微笑んで頷きながら、キリコは心の中で「ユリがいるとコーディネートがどうだこうだってうるせえんだよな、いないうちにやってくれねえかな」と呟いたのだった。
 久し振りの崖の上の家は今日も海がよく見える。昼過ぎの陽光が降り注ぐ海面は穏やかで、波音が心地よく響いていた。
 車をいつもの場所に停めてトランクから荷物を下ろし、キリコはふと顔を上げる。おかしいな、と思ったのだ。隣にいたBJも同じことを思ったのか、首を傾げて「あれ?」と呟いた。
「寝てるんじゃないか?」
「だといいんだけど」
 キリコの予想、あるいは願望にBJは同意する。
 普段なら、ピノコは車の音を聞きつけるなり家から飛び出してくるのだ。それが帰国の楽しみのひとつでもあるBJは、残念がると言うよりもむしろ不安を覚えた。
「先に行くね」
「待て、一緒だ」
 愛娘を案じて先に行こうとしたBJを止め、キリコはまだ荷下ろしの済んでいないトランクを閉めて先に歩き出す。
 一般的な日本人の家なら「あの子ったら寝てるのかもね」で済む話だが、何しろ家主は一般的な稼業ではない。その恋人は出身国の習性として、(見た目は)幼い子供が一人で家にいる環境に元々難色を示していたし、普段と違う今の状況は心配ではなく警戒するべきだと思う男だ。
「洗濯物がそのまま。もう入れる時間なのに」
 気付いたBJが小声で言った。キリコは無言で頷いた。普段と違う、と認めざるを得ない瞬間だった。
 玄関のドアの前で一度立ち止まり、キリコはBJに向かって人差し指を唇の前に立ててみせる。もし不審者がいれば車の音で気付いてはいるだろうが、刺激しないためにも静かに入るべきだった。BJは頷いた。それから、キリコがコートから取り出した銃を見て溜息をつきそうになった。日本なのに、と言えない自分の人生に疑問を持たざるを得ない一瞬だった。
 ドアの軋みを最小限に抑えて開ける。いつも通りの光景が二人を迎えたが、家の中は静まり返っていた。血の通う生き物が動く気配が感じられない。BJがキリコの袖を掴み、視線で上がり框を示した。ピノコの靴があった。家の中にいるのか、それとも誘拐されたのか。
 誘拐という単語が脳裏をよぎった途端、BJはひっと息を詰まらせた。心拍数が一気に跳ね上がり、指先が冷たくなる。酷い動悸に目眩がしそうだった。どうしよう、もしあの子が、どうしよう──震え始めたBJに気付いたキリコが「ここにいて」と囁いた。わたしも行く、と言いたかったが、その勇気を出すことができなかった。
 キリコが静かに廊下を歩き出す。自分の血流を乱す不穏な動悸と荒い呼吸が家中に響くのではないかとBJが心配するほどに静かだった。
 やがてキリコが物音ひとつ立てずにリビングへと足を踏み入れ、BJの視界から消える。足の震えが限界でしゃがみ込んでしまった。口から心臓が飛び出しそうだ。
 それから僅か数秒後だった。
「マフィン」
 リビングから顔を出したキリコが小声で呼んだ。はっとして顔を上げる。
 全身の力が抜けて完全にへたり込んでしまった。キリコが笑いながらコートに銃をしまっていたからだ。──大丈夫だった、あの子は大丈夫だった!
「レディの秘密だ。俺じゃ対応できない」
 歩いて来たキリコが抱き起こし、頬を撫でてくれる。小さく何度も頷いて、自分が多少落ち着いたことを確認してから、BJはリビングへ向かった。
 リビングを覗くなり、キリコが「レディの秘密だ」と言った理由が分かった。
 テーブルの上に散乱するチョコレート菓子とクッキーは包装紙を破いただけで皿も出されていない。普段なら必ずコップに飲む分だけを入れるジュースは紙パックごとコーヒーテーブルに置かれている。商店街で買ったケーキは論外だ、箱から直接手掴みで食べたと一目で分かるテーブルの汚れよう。
 ソファの上には幼女がいる。ぐっすりと眠り込むさまはまるで天使──と言いたいところだが、口の周りをクリームでべったりと入念にメイクアップしているとなれば、この、この、と言葉もなく家主が震えるのは無理からぬことだった。
 やがてテラスで煙草を手に取ったキリコは、家主の怒声──自分に対するヒステリックな種類ではないことに安心した──とそれで飛び起きたのであろうピノコの驚愕の声を聞く。結果として平和で結構、と思いながら煙草の煙を細く、長く吐き出した。午後の海は穏やかで、母子の大騒ぎの声も聞こえていないかのように波音を響かせるばかりだった。
「ロクター、ごめんなさいなのよさ」
 一通りの説教が終わり、キリコも心配したんだからと言い含められたピノコは、テラスに出てキリコにも謝る。気まずい顔の恋敵に「気にしないで」と返事をしつつ、あいつはそんなに心配するならお嬢ちゃんを一人にしなけりゃいいんだ、と過去に何度も思ったことをまた思った。今までは口出しをしないようにしていたが、今回の件で話し合いをするべきだと決めた。
「ちぇんちぇいがいない時に、こーっそり、たまーにだけしてるのよさ。今日はうっかり寝ちゃったのわよ」
「まあ、秘密は誰にでもあるものだしね。俺も昔は家族の目を盗んで、ちょっとばっかり行儀が悪いことをするのが好きだったよ」
 恋敵に日常の逸脱行為を認められたピノコは嬉しそうに笑い、そうなのよさ、楽しいのよさ、とはしゃぎそうになったが、リビングから「掃除するよ!」と呼ばれ、飛ぶように戻って行った。煙草を揉み消して笑い、キリコも掃除へ向かった。
 やがて日が傾く頃、ユリが帰って来る。キリコが何かを言う前に「わたしが働くべき場所じゃなかったわ! むしろ早く分かって安心したわよ!」と宣言した。面接で性的に不適切な質問をされ、その場で断りを入れたと言う。
 たちまち女たちはそれは酷い、有り得ない、と片付けたばかりのリビングで井戸端会議という名の怒りの感情の共有会に突入した。女という性では重宝される時間だと知っているキリコは無言でコーヒーと茶菓子を用意し、盛り上がる女たち、主にピノコとユリから夕飯作成権を取り上げることにした。
 さりとて自分で作るのは面倒だ。何しろ長時間のフライトから帰ったばかり、そしてあの緊張の後なのだから。リビングへ戻り、「晩飯はケータリングだ」と一方的に決定事項を通達した。
 女たちに異論はなく、ロクターが好きなものがいいのよさ、にいさんが適当に決めちゃってよ、カレーがいい、と好き勝手を言う女たちをいなして馴染みの商店街の馴染みの店に電話をする。一時間もすれば魚屋の刺盛りと肉屋の野暮ったくも美味しい盛り合わせが届くだろう。カレーの希望は買い置きのボンカレーで満たされるはずなので考慮しなかった。
 キッチンでケータリング以外の酒と食べ物をどうしようかと考えていたキリコの元へ現れたユリが、棚から茶菓子の追加を出しながらしたり顔で言った。
「ビールとワインは冷やしてあるわよ。ワインはハーフボトルの白と赤、フルボトルだと先生が飲み過ぎちゃうからね」
「おまえが妹であることを誇りに思うよ」
「お帰りなさい」
「ただいま」
 家族のキスをしてリビングに戻るユリを見送り、換気扇をつけて煙草に火を点ける。BJに知られればずるいと頬を膨らまされるだろうと思いながらビールを一本冷蔵庫から取り出し、煙草を肴に飲み終える頃、魚屋と肉屋が仲良くやって来た。もちろんキリコが玄関に出た。元々はキリコの実家に代々続く「家に男がいる時にチャイムが鳴った時、男が来訪者の相手をする」という伝統のルールが、いつの間にか崖の上の家にも適用されるようになっていた。
 肉屋の主人が「妻がこれも持って行けって。サービスです」と言って渡してくれた生野菜のサラダと彼の妻に心から感謝した。
 それなりに誰もが満足できる夕飯の後、大規模なファッションショーが開催される。女たちがわあわあと楽しむリビングを脱出したキリコは書斎で時間を過ごす。
 ファッションショーの後はいつも通りに夜の支度を済ませ、ピノコが先に寝室に引き上げる。大人たちはテラスで夜の海を見ながら酒を飲み、やがて当然のように気を利かせたユリが姿を消すこともいつも通りだ。 
 それからキリコは少し、ピノコを家に一人にすることについて改めて話をした。BJは難しい顔をしながらも頷く。仕事に連れて行けない時もある、政情不安な地域には絶対に連れて行きたくない言うBJに、それなら家に残す間にもっと積極的な対策をするべきだとキリコは言う。
 長い時間を話し合い、具体的に実現できそうな対策をいくつか検討した後、今日の出来事と自分の対策の不完全さに落ち込んだBJの気分転換をするために浜辺を散歩した。波の音と月の光を反射する水面の美しさに、いとも簡単にその目的は達成された。
 家に戻って寝支度をし、流石に疲れていた身体の欲求に従ってベッドに入る。身体を寄せてくるBJの仕草を可愛いと思いながら抱き寄せ、遠くに聞こえる波の音の心地よさを受け入れた。
「疲れたけど」
 睡魔に連れ去られる寸前のBJが呟いた。
「いつも通りでよかった」
 家族みんなが安心して眠れるんだもの。
 よかった。
 その呟きにキリコが微笑み、そうだね、俺もそう思うよ、と言う前に、可愛い女は寝息を立て始めていたのだった。

SSとか

Posted by ringorira