chapped lips

SSとか

リップクリームって単語でオチを予想した人が正解です。テンプレって言われたらそうっすよ! って胸を張るしかない。少女ナースがシンボルのリップクリームの商品名が思い出せなくて書きながらイライラしてました。書き終わってぐぐったらメンソ●ータムでした。

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 普段は皮膚の状態にも気を使っている。美容にはあまり熱心ではないが、健康という意味では大切な部分だ。保湿だけはしっかりと。洗顔後に数百円のハンドクリームを塗りたくっているだけ──美容に熱心なユリが聞いた時にはぽかんと口を開け、しばらく声が出なかったものだ──だとは誰も思わない程度には美肌に部類に入る。BJ本人としてはスキンケアについて話し合う女友達がいないので自覚がない。
 美肌の自覚はないとしても、肌荒れが起きれば流石に分かる。今朝は仕方ない、と思いながら、いつもより少し丁寧にハンドクリームを顔に塗った。何しろほぼ徹夜の状態なのだから、肌荒れが起きても文句は言えない。仕方ない、あの本が面白かったのが悪い、と著者への賛辞で責任転嫁をする。
「ちぇんちぇい、お口もちょっと荒れてるのよさ」
「んー、夜更かししたし、いつもよりちょっと多めに煙草吸ったからかな」
 紙煙草のフィルターはいとも簡単に唇の油分を奪っていく。またパイプにしようかな、と思う瞬間だった。しかし紙煙草の手軽さは手放し難い。
「煙草は身体に悪いのわよ! やめるべきなのよさ!」
「やめろでやめたら医者はいらない」
 少女ナースがシンボルのリップクリームを塗る。この子はピノコみたいで可愛いね、と見せたら口やかましい奥たんはすっかり上機嫌だ。その隙にテラスに出て、懲りもせずに一服することにした。
 季節的にはまだ早いというのにすっかり夏の顔を見せる海を眺め、徹夜明けの眠気に任せて煙草を吹かす。今日は予定を入れていない。本を読んで過ごす予定を変更して昼寝に明け暮れるのもいいかもしれない。患者が来たらその時はその時だ。
 だが不意に口元を綻ばせる。今日の予定はまた変更だ。坂道を上がって来る、好きな男の車が見えたのだから当然だ。
 車を降りた男は玄関ではなく、真っ直ぐテラスへやって来た。土足ではテラスまでしか入れないと知っているのに、恋人がここにいれば必ず先に来る。BJはいつもそれが嬉しかった。
 キリコは仕事のスーツではなくカジュアルな服装で、今日もいい男、とBJは悦に入る。好きな男の見栄えが良ければ嬉しいものだ。自分の外見については棚に上げると決めたが、それを聞けばBJを愛する誰もが「上げるな」と言うことは、皮肉なことに本人だけが信じられなかった。
「おはよう」
「おはよう。死神が暇そうで嬉しい」
「当分はね」
「永遠にどうぞ」
「法律改正か倫理観の進歩に期待するんだな」
 言いながらキスをする。するとキリコが「ん?」という顔をしながら椅子に座り、煙草を咥えながらBJの顔を見た。
「疲れてる?」
「本読んでたら徹夜になってた」
 腐っても医者、とBJが言うと、好きな男は「名医とおっしゃい」と返して煙草に火を点ける。
「唇が荒れてるからさ。珍しいな」
「徹夜なのと、煙草吸い過ぎちゃって」
「そこまで面白かったか。何の本」
「先月の新刊で──」
 本のタイトルを聞き、ああ、あの本か、とキリコは頷いた。
「借りようと思ってたんだ。読み終わったら貸してくれよ」
「終わった。いいよ」
「ありがとう。徹夜しないように気を付けるよ」
「オッサンに徹夜はもう辛いんじゃないの」
「同じ徹夜なら読書よりおまえを抱いた方がいい」
 午前中からそういうこと言うのやめて、とBJはやや赤くなりながらキリコの腕を叩いた。本音は本気、対外的には冗談を言ったキリコは笑って痛がる振りをする。
 波の音に混ざるように、キッチンの方から湯の沸く音が聞こえた。ピノコがキリコの来訪に気付いてお茶の用意をしているのだろう。いつの間にか決まり事のようになっているひとつだった。
 日光を浴びてリセットされた体内時計と好きな男との空間の共有が眠気を急に誘って来た。BJは思い切り欠伸をする。
「眠い。寝ちゃうかも」
「飯時とおやつ時に起こせばいいんだろ」
「キリコは何してるの」
「今日の予定をこなすよ」
「どんな予定」
「お嬢ちゃんに頼まれてる雨樋の修理」
「あ、そう言えば壊れてた。よろしく」
「承りました」
「痛い」
「どうした」
「唇。欠伸したら切れそうだった」
 唇を尖らせて指でつつき、BJは眉を顰めた。可愛い、とキリコが思ったことなど知りもしない。
 テーブルに置いてあったナースの少女のリップクリームを手に取り、少し唇を舐めて湿らせてから丁寧に塗る。日本語しか話してはいけないこの家で、キリコが不意に「神よ」と呟いた声が聞こえたが、今はそれを咎めるよりリップクリームをしっかり塗る方が重要だった。
「クロオ」
「何」
「おまえ、外でリップクリームを塗るのはやめろよ」
「え、結構やるけど」
「今みたいに?」
「? うん、普通に」
「そうか」
「うん」
 何言ってんだろ、とBJは首を傾げる。するとキリコは理解していない恋人に短く命じた。
「禁止」
「意味分かんないんだけど」
 無論素直に聞くような恋人ではない。命令されれば反射的に反発する。これで何度痛い目を見たか分からないはずなのに、今日もBJは強情だった。
「せめてレストルームで」
「塗りたい場所が塗る場所なんで」
「リップケアはメイクだ、人前でやるもんじゃない」
「男の勝手を押し付けなさんな」
「分かった、分かったよ。妥協案だ」
「何」
 キリコの細い、だが男らしく筋張った指が動き、BJからリップクリームを奪う。何、ともう一度BJが言う前に、頬に手を添えられ、動きかけた唇にリップクリームが充てられた。
 BJは自分を見る青い瞳が綺麗だと思う。そこに映る女は随分と可愛らしく、男を信頼しきった顔をしている。誰だこいつ、と首を傾げそうになったが、確かわたしだ、と思い出して不思議な気分になった。──好きな男の目を通すと、どうしてわたしは普通の女に見えるんだろう。
 好きな男の指は丁寧に動き、綺麗にリップクリームで唇をコーティングしてくれた。青い瞳の中の女が何かを期待した顔をしている。わたし知ってる、とBJは思った。わたし知ってる。この女、キスをして欲しいと思ってる。してくれるって思ってる。
 その予想は正しかった。好きな男の顔が近づいて来て、すぐに、だが丁寧に唇を塞がれた。男のにおいがして嬉しかった。
 キスは存外短く、軽く終わった。足音とティーカップがかちゃかちゃと鳴る音が聞こえたからだと気付いた。
「妥協案」
「何」
「俺がいる時は俺が塗る。いない時は唇を荒らさない」
「傲慢な言い分だなあ」
「その代わり」
「何」
「俺が塗る時は、塗るたびにキスしてあげる」
 BJは唇をひん曲げ、男を批判する顔を作る。だがそれも長くは続かず、ばぁか、と呟きながらつい笑ってしまった。それで好きな男も笑ってくれた。男の青い瞳の中の可愛い女が嬉しそうに笑っていた。

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先生の家で集まる時は日本語だけ(キリコの家では米語だけ)という決まりでやっているのもあるんですが、キリコが先生に向かって「マフィン」って言うとどうしても欧米発音になっちゃうので最近は先生の家では意識して「クロオ」にしているらしい。
しかし食物としてのマフィンはちゃんとカタカナ発音できるという言語中枢の不思議。

と今こじつけた。
クロオってタイピングしたかっただけだ。

SSとか

Posted by ringorira