モブ視点

書きかけとか

「色んな人が歌ってきたように」に出てきたオリキャラとやんぶら時代の間ちゃんの話を殴り書きしました。置き場所に困ったのでここに置きました。以上です。としか言えない内容。でもこういうのはたまに書くと凄く楽しい。お好きじゃない人はすみません。

日本から来たメンバーの中でも彼女はひどく目立った。私は医療従事者でありながら、少々ならず奇異な目で彼女を眺めてしまったと思う。彼女はそんな私を一瞥すると、ふん、と鼻を鳴らして白衣の裾を翻し、目の前から去ってしまった。
 無礼をしてしまったと私が気付くまで、そう時間を必要としなかったのは幸いかもしれない。すぐに彼女を追いかけ、先程は済まなかったと言い訳をした。構わないよと彼女は日本語訛りの米語で返事をした。日本人は英語を話す人間が多いのに、彼女が米語だったことに驚いた。
 彼女は病院の中でも目立っていた。私の所属は小児科で、彼女や他の日本人とは異なり、あまり彼女と接する機会があったわけでもないのに、彼女が院内のどこかにいればすぐに分かった。あの見た目なのだから当然なのだと私は思っていた。
 ある休日、彼女を街中で見かけた。洒落っ気も化粧っ気もない姿はやはり目立っていた。少しばかり意地の悪い、恥知らずな私の国の人間が数人、彼女に聞こえるようにからかう言葉を言っていた。彼女は無視して歩いていたが、聞こえていることは明白だった。
 急に腹が立った。だから私は言っていた。やあ、ハザマ、僕を置いて行くなんて酷いじゃないか。彼女は驚いた様子もなく顔を上げて私を見て、それから、ああ、うん、と言った。
 彼女に意地の悪いことを言っていた連中は顔を見合わせていなくなった。私が典型的なWASPだったからだろう。ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント。この国でこの時代、白人エリートと呼ばれることもある。私自身は三流メディカル・スクールの出身で、エリートと言うほどの経歴ではないが、正直言って、はるばる日本から来たこの彼女よりも、ずっと恵まれた人生が約束されている立場だった。海外から短期留学に来る女性にいい思いをさせてもらえることも少なくない。
 私が傲慢だったと気付くのはこの数秒後だ。彼女は私に向かって言った。助けてくれてありがとう。構わないよと私が返事をする前に、彼女は私を打ちのめした。あんた誰。
 私はとてもとても、驚いた顔をしていたんだろう。彼女はばつの悪そうな顔になった。ごめん、助けてもらっておいて悪いんだけど、みんな同じ顔に見えるんだ。
 どうしてそう見えるんだい。私は訊いた。なぜかとても不思議な気分になった。彼女に顔を覚えられていなかったことすらどうでもよくなる程度には不思議で、彼女の質問に興味を持った。
 彼女は答えず、いや、その、とにかくごめん、と言って歩き去ろうとした。そこでわたしはようやく気付いて、慌てて言った。すまない、病院で──私の名前は──小児科の──早口で説明すると、彼女はやっと私を思い出してくれたようで、ああ、あんたか、と言った。相変わらずの日本語訛りで、そして米語で、蓮っ葉と言うよりは男のような口を利くんだな、と初めて知った。そうだ、私はろくすっぽ、彼女と話したことすらなかったんだ。
 この時の私はどうかしていた。話したことすらなかった彼女を食事に誘った。彼女は断った。ろくに知らない男と食事をする気にはなれないよ、と言って、日本人女性の貞淑さをこんなところで見せつけた。
 その日はそのまま別れた。ただ、どうしても私は忘れられなかった。彼女を忘れられなかったのではなくて、彼女が言った、みんな同じ顔に見えるんだ、という言葉が忘れられなかったのだ。
 病院で彼女を見かけるたびに声をかけるようになった。彼女は無愛想だったが、数日もすれば多少は態度を軟化させ、挨拶を返してくれる程度にはなった。彼女の先輩だという日本人がたまに私をじっと見て来たが、特に何かを言われることもなかった。言ったのは別の人間だ。日本人に入れ込んでるんだって? そんなことを色んな同僚に言われた。誰もがWASPだったり、WASPがアジア人に興味を持つことそのものに驚く連中だった。
 はっきり言えば彼らの気持ちも分かったし、ほんの数日前の私なら、同じことを思っていただろう。今だって別に、アジア人に興味があるわけじゃない。ただ、同じ顔に見えるんだという言葉が気になっているだけだ。
 次の休み、また彼女に会った。白状すると、私はそこに行けば彼女に会えるのではないかと思ったから家を出た。そこは小劇場や映画館が集まったブロックで、彼女は演劇や映画が好きなのだろうかと考えた。だから一枚のポスターをじっと見ている彼女を見つけた時、どんな映画が好きなんだい、と声をかけてみた。
 彼女は私に驚いて、それから、別に、と言った。私はそのポスターを見た。最近公開されたばかりの映画で、売り出し中の金髪の俳優が大きく写っていた。金髪と言うよりも銀に見える髪が彼のアピールポイントで、若い女性を中心に人気を集めていることを思い出した。彼女はこんなタイプが好きなんだろうか。
 彼の映画はどれが好き、と訊いた。見たことない、と返事をされた。ファンなんじゃないのかと問えば、そういうわけでもないね、とぶっきらぼうな声が返されるだけだった。そして彼女はそのまま立ち去ろうとして、私は今日こそはと思いながら言った。プロムのパートナーを憧れの女子生徒に申し込んだ時のように緊張していたなんて認めたくなかった。食事をご馳走したいんだ。もうろくに知らないなんてこともないだろう?
 足を止めた彼女は溜息をつき、私を振り返った。不愉快そうな顔ではなかった。てっきりOKされたと誤解した私の浮き立った心は一瞬後に破壊された。
 見世物にしたいならよそを当たってくれ、目立つのが嫌なんだ、私は目立ちたくてこんな成りをしてるわけじゃない。
 一体何を言っているのか、すぐに理解できなかった。だが不愉快を通り越して無表情になっている彼女を見て、私は全くそんなつもりはなかったのに、もしかすると彼女を傷つけたのではないかとやっと気がついた。彼女の前では忘れてしまうことがたくさんあると思った。
 見世物なんて思ってない。私は必死で言い訳をした。やっと気がついた。彼女は確かに目立つし、その理由もよく分かる。私だって初めて見た時はその傷に、肌の色の違いに、髪の色の違いに驚いたのだから。でもいつの間にかそんなことはどうでも良くなっていて、とにかく彼女の誤解を解きたいと思った。
 違うんだ。不愉快なことを言ったのなら申し訳なかった。そうじゃないんだ。私はきみと食事をしたかっただけだ。いいや、話をしたかったし、訊いてみたかったんだ。それだけなんだ。
 劇場や映画館へ向かう人々が私たちをじろじろと見て、中には口笛を吹いて囃し立てようとする者もいる。私は焦るばかりだった。目立つのが嫌だと言った彼女を、私のせいで充分すぎるほど目立たせてしまっている。
 彼女は言った。食事なんかしない。ここで訊けばいいじゃないか。答えてやるよ。
 そうじゃない。私はそう言いたかった。だがこれ以上何を言ったところで、硬化した彼女の心は解れやしないことも分かっていた。もしかすると明日から、病院でも返事をしてもらえなくなるかもしれないとまで思った。だから今、言うしかなかった。
 どうしてみんな同じ顔に見えるんだ?
 彼女は少しばかり考えたようだ。言葉を探していたのかもしれない。私が焦燥感を覚える程度には充分すぎるほどの長い沈黙の後、彼女はゆっくりと言った。
 病院にいるくせに患者のことよりも私に興味を持って、いかにも外見なんて気にしていないよ、気に障ったらごめん、ところできみってどんな奴なの、って、みんな同じことを言うんだから、みんな同じ顔にしか見えない。
 呆然とした。最初は彼女が言ったことを全て理解できなかった。だが彼女がじゃあさよならと言ってその場から立ち去って数秒後、私は震えるような恐怖を感じて身を震わせた。手指が冷たくなって、目の前が暗くなった。彼女が言いたいことがやっと分かった。
 私は彼女を侮辱していた。そんなつもりはなくても、あの若さで、私よりもよほど患者のことを考えていて、そして同時に──どうして分からなかったんだろう。
 私は彼女の外見を哀れに思っていた。彼女はそれを最初から知っていたのだろうし、きっと私みたいな人間に多く出会って来たんだ。
 腹が立った。腹が立って仕方なかった。私は恵まれた立場のはずなのに、そんなことも分かっていなかった。いいや、どこかで恵まれた立場にあぐらをかいて、私自身の成長を妨げていた。
 彼女が眺めていたさっきのポスターを引っ剥がした。周囲の目が非難を向けて来たが、知ったことじゃなかった。
 翌日、彼女に会った。正確には彼女に会いに行った。科が違うのに彼女を訪ねた私を周囲は面白がって見ていて、彼女はその視線が凄く嫌だったのだろう、私が話しかけるよりも早く──彼女と出会って初めてのことだった──あんたの仕事をしたらどうなんだ、と最初から喧嘩腰で言ってきた。だから私も言い返した。我ながら喧嘩腰だった。
 仕事はするべき時にするものだ。今はきみに用事がある。そう言って彼女にポスターを押し付けた。彼女は眉を顰めてそれを開き、何してるんだ、と言った。
 今のきみは全然可愛くない、と私は言ってやった。彼女が傷つく余地を与えないために早口でまくし立てた。外に出る時も洒落っ気ひとつない、化粧っ気もない、言葉だって美しくない、この国でそんな女性は見下される。患者だってそんな蓮っ葉な女医が来たら不安になる。そうだと思わないか。私が言うことに何か間違いがあるか。せめてこの俳優のファンだと言う言葉が似合うような真似をしてみたらどうだ。
 大きなお世話だ、と彼女は怒った。私は怒った彼女に満足した。初めて私に向かって怒ったな。怒るなら怒ればいい。飲み込んで我慢して鬱屈して、挙げ句の果にはみんな同じ顔に見えるだなんて。そんなの、きみが勝手にそう思い込もうとしているだけだ。人と関わる社会に生きるのなら、そこで医者だと言うのなら、自分から人を見つめるべきじゃないか!
 彼女は明らかに言葉に詰まった。私は些かの罪悪感に襲われたが、無視することにした。私は今、決して間違ったことを言ってはいない。だが過去には確かに間違えた。
 済まなかった。私は言った。きみに、他の皆と同じ顔だと思わせるような真似をしていたことは謝る。彼女は唇を噛み、何かを言おうと言葉を探しているように見えた。私は先に言った。
 私は医者だ。きみのことは患者の次に考えることにする。言った途端、周囲が妙に色めき立った気がした。理由は分からなかった。そして彼女はようやく言った。それは私の、いつの間にか彼女の前で肥大していた男性の自尊心が殴り飛ばされるような言葉だった。
 こんな意地悪しなくたっていいじゃない。凄く惨めな気分。大嫌い。
 弱々しい声だった。そして明らかに傷ついた女性の声で、それは私の居心地を果てしなく悪いものにした。医局の好奇の視線はあっという間に冷たいものになり、私に集中することになった。彼女の先輩だと言う日本人がやっと割って入り、今日はこれで、と言って彼女を守るように背後に隠し、私を医局から追い出す目をした。
 ベトナムで会った、好きな人に似てただけなの。もうきっと会えないの。彼女の泣き声が背後で聞こえた。彼女の先輩や同胞が懸命に慰める声も聞こえた。彼女はまた言った。泣きじゃくっていた。

「あそこに行けば、会えると思っただけなの」

 私なんか死んでしまえばいい、と思った。

 結局彼女とはそれっきり、挨拶すらしないままだった。何度も謝りたくて医局へ向かったが、医局の連中に完全にシャットアウトされた。彼らは私の言い分も分かると言ってくれたが、それでも彼女を傷つけたことには変わらないよという結論を伝えてくれた。私に反論の余地などないし、する資格もなかった。
 ほどなくして信じられないほど大きな騒動が起きた。その中心に彼女がいると知った時にはひどい衝撃を受け、そして明らかに嫉妬した。医師として嫉妬した。それから、信じられない、とも思った。暴走した私に秘めていた悲しい恋心を踏みにじられて泣いた彼女が、まさかあんな──
 それから何年も経った。私はケンウッドの病院に移り、金持ち相手に医療を提供していた。それでもあれ以来、患者のことを一番に考えるようになっていて、そんな私の姿勢を彼らはとても信用した。金と地位と傲慢を撒き散らかす彼らが、私の前ではひどく従順になると有名だった。
 いつの間にか小児科部長にまでなっていた。いいや、いつの間にかなんて嘘だ。少しばかり悪いことにも手を出した。結局私は俗な人間で、いつか彼女に言ったお綺麗な言葉に何も意味がなかった。それでも患者を一番に考えることだけはやめなかった。やめたくなかったのだと思う。
 そしてきっと彼女だろう、黒尽くめの天才外科医の名が耳に入った時、物凄く驚いた。当たり前だ。私の記憶の中の彼女は、医局での泣き声だ。ベトナムで会った、もう会えない男を恋しがって泣いたあの泣き声だ。私が酷い真似をして傷つけた時の、あの泣き声だ。
 一度でも闇に関わった私の元には様々な噂が入って来た。彼女のこと、彼女と対立していたはずの死神のこと。耳にするたびに、彼女が多くの人を救っているのだと思った。法外な金を巻き上げていることなど関係なかった。それの何が悪いのか、私にはもう分からなかった。
 大富豪の家の娘が救急車で運ばれて来たあの日、おそらく人生で一番驚いたと思う。私の部下が犯した誤診をろくな検査もせずに見抜き、ひどく強気な態度で私に言葉を投げつけた。少なくとも私を覚えている様子はなかったし、それ以前に記憶障害を起こしている気配があった。
 それでも懐かしくて仕方なかった。とても意外だったし、そして、似合うな、と思った。仕立ての良いワンピースに美しい靴、整えられた髪、化粧っ気は相変わらずなかったけれど、充分に美しかった。だから言っていた。

「珍しい服を着ているんだね、ブラック・ジャック」

 ハザマ、と呼ぶことはできなかった。あの日の彼女を失いたくなかった。洒落っ気も化粧っ気もなかった彼女を覚えていたかった。だからようやく気付いた。あの日の私は彼女が好きだった。きっとポスターの中の銀髪の俳優に嫉妬した。
 彼女と大富豪が帰ってから、遅れている闇への支払いを考える。そろそろ私の命で支払うことになりかねない。絶望が襲い来る。
 そう言えば、と思い出した。あの死神──彼女の恋人と噂される男は、彼女が記憶障害だと知っているのだろうか。
 少しばかり恩を売ってやるのもいいだろう。それで私の命も買えるかもしれない。
 いいや、恩を売られるべきは私なのかもしれない。彼女がここに現れなければ、こんなことも思いつかなかったのだから。
 闇に電話をかけた。支払いが遅れている言い訳をして、恫喝される前に彼女の話をした。電話の相手はあっという間に相好を崩し、本気で喜ぶ声を私に聞かせた。
 そりゃあドクター・キリコに教えなくっちゃ、今ね、これは内緒なんですが、ブラック・ジャック先生が行方不明で、ドクター・キリコから捜索の依頼が来ていたんです、いやあ、いい情報をありがとうございます、少し便宜を図らせてもらいますよ!
 どうやら私は生き延びられそうだ。安堵した。彼女に感謝した。そして不意に思った。少し聞きたいんだ。そのドクター・キリコって人はもしかして銀髪だったりしないかい。
 電話の相手は愛想よく、ええそうですよ、よく知ってますね、ベトナム帰りの凄いお医者さんですとも、と教えてくれた。
 私は溜息を付いて電話を切った。それから少し笑った。私なんか死んでしまえばいいと思ったあの日のことを、やっと思い出にしようと決めることができた。