腐のキリジャの練習

書きかけとか

珍しく腐でキリジャ。内容は何もない。腐の練習用に流し書きです。先生の字は「ミミズが大地震に遭って驚きまくってのたうった姿」くらいに汚いといいと思っています。読める人にしか読めない。たまに本人も読めないレベルの。

 BJの字はそれほど綺麗じゃない。むしろ汚い、と俺は思う。最初は俺が外国人で、こいつの母国語の模範的な字形を知らなかったからそう思っただけかと考えたが、アルファベットも壊滅的に汚かったから、俺の考えは間違っているわけでもないだろう。
 おまえさんの字は汚いね、と言うと、BJは怒った様子もなく鼻で笑う。読めりゃあいいだろう、つまらないことをお言いじゃない、と言いながら、くるりと指先でペンを回してみせる。器用なものだ。神の指をそんな遊びに使うもんじゃない。
 彼が書いたカルテはやっぱり汚い字で満ち満ちて、解読には少々ならずの努力が必要だ。でも俺は知っている。血眼で解読したがる医療者が多いってことを。そして俺もその一人だ。BJに言えば得意げを通り越し、何を言われているか分からないといった顔で俺を見るだろうから言ったことがない。
「おまえさんの字は落ち着きがない奴の字だ」
「自分でも落ち着きのある人間とは思っていない、その評価でも構わないさ」
 俺が眺めるカルテの向こうで、またくるりと指先でペンが回る。
「それよかキリコ、おまえさん。私が書いたカルテを見たって関係ないだろう。その患者はおまえさんの嫌ったらしい仕事なんぞ必要ないんだから」
 この口の悪さ、嫌味ったらしさも、きっとこいつの魅力のひとつなんだろう。悪い口に傲慢な態度、それでも患者には極限まで、愚かなまでに誠実な姿を見せるこの医者に、いわゆる「参ってしまった」人間は少なくない。
 多分、俺もその一人なんだと思う。俺の神聖な仕事を理解しない愚かさ、俺を正面からけなす傲慢さ、どこかで会えばしがみつくように俺を翻意させようとする必死な顔。
 そうだ、全てが「参ってしまった」と宣言する理由になるものだ。
 俺もいつの間にか、こいつに参ってしまっているんだろう。いつからだろうか。そんなことを考えるのももう面倒くさい。何を考えたって、何を言ったって、こいつは気が向けば憎まれ口を叩いて、気が向かなければぷいとそっぽを向いて、まるでこの空間に俺が、他人がいないような顔になるのだ。
 良くも悪くも自分の世界を確立していて、その根底には恐ろしいまでの自信と、そしてきっと、ほとんどの者に見せることのない歪んだ自意識、それは劣等感なのかもしれないけれど、確かに他人が理解できないものがあるんだろう。
 理解できないのか、理解させる気もないのか、理解されたくないのか。
 俺の知ったことじゃない。
 ただ、俺が分かるとすれば──
「思考に落ち着きのない人間の字、ってことさ。あっちこっちに考えが飛んで、人には分からない過程で結論に辿り着くんだ」
「まるで私が社会不適合者じゃないか。たかが字ひとつで失礼なことを言うもんじゃない」
「自分が適合者とでも?」
「私を不適合者にしたがるのはやめてくれ。おまえさんの場所まで引きずり込まれちゃたまらない」
 俺は手にしていたカルテをBJのデスクに置き、そうかい、と言った。我ながら諦めた声だった。こいつにはきっと、何を言っても否定で返される。こういう人間は確かにいるし、多くは無能か有能の二極端だ。こいつは医療関係として考えれば後者だろう。
「引きずり落とすつもりはなかったが。失礼したね、先生」
 また指先でくるりとペンが回る。今度は二度も三度も回った。それから俺は気がついた。
 天才医師が唇を尖らせていたことを。
「引きずり落とすなんて言ってない」
「何が違う」
「おまえさんのテリトリーに連れ込まれたくないってことだ。私はあっちこっちに考えが飛んでしまうから、私のペースでできる場所じゃなくっちゃいけない」
 何を言っているか分からない。天才医師の本領発揮と言うべきか。何を言っているんだい、と俺が問い返す前に、神の指を惜しげもなくペンに与える天才医師は言った。
「おまえさんが主導権を取る場所じゃあ、私がどうなっちまうか分からない。そんなの私じゃなくなっちまうじゃないか」
「……ふうん?」
「私にキスしたいんだったら、私のテリトリーまで入って来てくれよ。そして私のペースに合わせてくれ」
 相変わらず何を言っているか分からない。ただ、ひとつだけ分かった。こいつはキスをして欲しいらしい。なんとも面食らう要求だ。俺たちはそんなに愛しみ合う存在だっただろうか。セックスはした、確かに。だがそれだけだ。キスをするだの何だのと、今まで口にしたこともない。
 汚い字のようにとっ散らかった脳味噌が発する言葉は、俺にとって難解なことが多い。それでも今分かっていることがあるのなら上々だ、とでも思っておくべきだろうか。
 キスして欲しいのなら断る理由も特にない。その程度にはこいつの世界に踏み込んでやってもいい。
「キスだけでいいのかい」
「今のところは」
「今のところは?」
「カルテの整理が終わってない。終わったらセックスしたい」
 色気もへったくれもない。俺は苦笑する。苦笑に文句を言われる前に、何とも理解し難い、それでも実は単純な要求しかしない唇を塞いでおいた。