書きかけ

書きかけとか

続きはどうしようか考え中。
没にするかもしれないし、しないかもしれないし。
とりあえず適当に騒ぎでも起こしておくか単純にR18にするか微妙なところ。

 聖人より酒だ。魚だ。肴が魚だ、肴をさかなって読むことに決めた先人の賢さたるや、日本人には最高だ。口に出すことはないものの、BJは魚介のマリネと朝一番の安物の白ワインを胃袋に収めて幸福に浸る。朝からフルボトルを楽しんでも人目が気にならない外食は心底最高だ。朝一番と言っても大幅に寝坊し、既に10時を回っていた。
「ちぇんちぇい、プリンが食べたいのよさ。10時らからいいれしょ?」
「私が起きるまで待っててくれた忍耐への報酬として認める。──フランをこの子に頂戴、わたしはいらないわ」
 ここ数日で何とか習得したこの土地独特のアクセントで店員のアデラに頼むと、若い彼女は嬉しそうに「すぐ持ってくわ!」と返事をした。自分の土地の訛りを日本人が馬鹿にするわけでなく真似たことが嬉しかったのだろう。ひとつの土地に長めに滞在する時、BJがよく使う手段だった。
「ちぇんちぇいのシュペイン語はえねっちけーの講座と違うのわよ。ピノコ、難しいのよさ」
「NHKの方が世界的に通用するスペイン語だよ。別にガリシアのアクセントを覚える必要はないさ」
 数日前、仕事でこのガリシアを訪れた。聖人を讃える観光地として有名だが、観光の中心地を外れた土地は典型的な田舎で、観光客はほぼ訪れない。海外の仕事にピノコを連れて来ることは滅多にないが、自然が豊かな土地でしばらく過ごすのも良いかと思い、休暇がてらの滞在を決めた。
 幸いにも仕事は成功した。無論高額の報酬になったが、裕福とは言えない田舎では例外的に小金持ちの──都市部で起業を成功させて生まれ故郷に戻って来たのだと聞いた──依頼者の家計には問題がなかったようで、既に支払いも終わっている。しばらく滞在すると言ったら喜んで村の有力者に話を通し、あっという間に天才外科医と妻だと名乗る娘の宿泊先が用意された。
「はい、どうぞ。父さんの自信作よ」
「わあー!」
 おそらく普段の注文よりも豪華な盛り付けをしてくれたプリンが現れ、ピノコは歓声を上げる。いかにも田舎のデコレーションで、言うなれば野暮ったい。だがピノコは大喜びだった。BJはカウンターの中から様子を窺っていたアデラの父、店長兼シェフに目をやり、ありがとうと視線で伝える。店長は不愛想に頷くと、ランチの仕込みに戻った。
「先生、お友達はいつ着くの? ランチに間に合うならマリスカーダを用意するって、父さんが言ってたのよ」
「マリスカーダ?」
「シーフードのグリル。先生のお友達ならちょっと豪華にするんですって」
「想像するだけで美味しそう。白ワインもボトルで頼まないと」
「今のと合わせて2本目? 夜にはもう1本ね。うちのは評判がいいからぜひ食べて欲しいわ。先生もまだ召し上がってないわよね?」
「まだね。ランチには間に合うはずよ。間に合わなくたってわたしとこの子が頂くから、ぜひお願いして頂戴」
「分かったわ。──先生、今のはちょっとアクセントが違うわ。ガリシアなら──」
 土地のアクセントを冗談のように教えてから空いていたグラスにワインを注ぎ、アデラは父に伝えに行った。
 ほどなくして店内に村人たちが集まり始める。この土地の朝は早く、既にひと仕事を終えた人々が休憩の一杯を楽しむ時間だった。ランチは14時前後の習慣で、それまでは軽食をつまみ、軽くワインを引っ掛けて仕事をする人々が多い。日本人には向かない生活なんだろうなとBJは思いつつも、こんな生活も悪くないと、ピノコと共に充分楽しんでいた。
「ちぇんちぇい、こんな生活も悪くないのだわよねえ」
 可愛い娘が測らずも同じ気持ちを言葉にし、流石は私の奥さんだ、とBJは笑ってしまった。
「ね、ロクターとユリしゃんは都会に住んでゆのれしょ。らいじょうぶかちら?」
「どうだろうね。乾燥がないだけましじゃないかな」
 内陸は乾燥がもはや名物だが、この周辺は海に近い。緑が多く、気温も安定し、日本人や日本を拠点にする者には過ごしやすい場所だった。ただ、とにかく田舎だ。それほど都会的な生活をしていないBJとピノコでも不自由を感じることがままあったが、そこは世界中どこにでも飛んで行くモグリの医者とそのパートナーだ、すぐに慣れた。
 二人が慣れたことを感じ取った村人たちは喜び、閉鎖的な輪の中に喜んで二人を迎え入れてくれた。最初はよそ者ということ、そしてBJの傷を気にして遠巻きにしていた彼らは、今ではすれ違えば挨拶をしてくれるし、不自由はないかと気にかけてくれる。
「文句を言ったら叩き帰せばいいのさ。ユリさんには内陸の良いホテルを紹介すればいいし、キリコはどこへなりとも」
「ちぇんちぇいは彼氏に冷たいのよさ」
「おまえさんねえ、どこでそんな言葉を覚えて来るんだ」
「ピノコ、18歳なのわよ? 知ってて当たり前なのよさ。まったく、懐の広い奥たんに感謝ちて欲しいのよさ」
 彼氏を作っても怒らないんだから、とピノコは頬を膨らませる。
「れも、ロクターらからなのよさ。だめんずらったら許さなかったのよさ!」
 BJは何とも言えない気分になり、そりゃどうも、と言ってグラスを空けた。
 駄目な男という評価とは無縁な恋人とその妹は、今頃こちらに向かっているだろう。仕事を終えた後に何となく電話をし、何となく──ただしBJにとってはとても勇気がいる何気なさで──「しばらくいるから来れば?」と誘ってみた。意外なことにキリコは二つ返事で承諾し、更にユリを連れて行ってもいいかと訊いて来た。事情を聞くともっともなことで、BJが反対する理由はなかった。
「よう、先生、グラスが空いてるぞ。頼んだボトルは空けるのがここいらの流儀だ」
「そんな流儀があるなんて素敵な土地ね。──ああ、ありがとう。あなたもどうぞ」
「いいのかい?」
「日本の流儀よ。ご返杯って言うの」
 注いでくれた常連客に日本文化を気取って1杯渡し、店内を喜ばせる。あまり賑やかな場所を好まないキリコを思い出したが、この村ならきっと気に入ってくれるだろう、と思った。

 停めるように指定された空き地で、車から先に降りたユリを見た村人たち──特に若い男たち──は遠慮なくどよめいた。映画女優並に垢抜けた銀髪の美女が現れれば当然の反応だ。BJもしみじみと「美人だなあ」と思う。自分がもう少しユリを嫌いだったら、コンプレックスも相まってきっと嫉妬していた。だが無論そんな感情はなく、むしろユリに見惚れる男女に、どうだ、すごい美人だろう、私の彼氏の妹なんだぜ、と筋違いと言われてもおかしくない自慢をしてやりたいほどだった。
 その後に降りて来たキリコへの反応は半々だった。若い男たちはたちまち品定めをする目付きになり、細身ながらも引き締まった身体と、戦傷をにおわせるアイパッチを見て評価を考え中のようだ。若い女たちは男たちほど近い場所からではないものの、遠慮なく兄妹を観察し、小声で「なかなかいいわ」「兄妹かしら、素敵ね」と言いあっていた。
「あ、いた! 先生、ピノコちゃん、お招きありがとうございます!」
 迎えに来ていたBJを見付けたユリが大輪の花が咲き誇るかのごとき笑顔になり、駆け寄って来る。先にピノコが「ユリしゃん!」と歓声を上げて飛びつき、ハグし合って再会を喜ぶ。良い光景だ、と美女と愛娘が抱き合う姿に満足し、BJも笑顔になる。
「お招きってほどじゃないですけど、ようこそ。良いところですよ」
「にいさんが急に『行くぞ』って言って、びっくりしちゃった。にいさんと旅行なんて子供の時以来だわ」
 そのにいさんは車から荷物を出そうとし、親切、かつ外部の男がどんな人間かを探ろうとする壮年の男たちに手伝いを申し出られていた。礼を失しない程度に友好的に受け入れ、彼らに任せた様子を見せ、やっとBJに微笑んで手を振ってみせる。BJも振り返した。うまく微笑み返せず、はにかんだような顔になってしまったことはキリコしか気付かなかった。
「湿度があって助かるよ」
 開口一番がこれだ。内陸を通った時、乾燥によほど辟易したのかもしれない。乾燥が酷いと左目が痒くなるんだと言っていたことを思い出し、BJは「そりゃよかった」と言うにとどめた。キリコは笑ってBJにキスをし、それから屈んでピノコと握手をした。
「奥様、お招きをありがとう。お手伝いできることがあれば何なりと」
 紳士然としたわざとらしい口上にピノコは満足し、「ようこそなのわよ」と奥様ぶって返事をする。最近は見慣れた光景だった。アメリカの移植手術の件が終わってから、キリコは崖の上の家によく足を運ぶようになり、そのたびに必ずピノコを立て、家の権力者はあなたですよと態度で分からせてくれている。それですっかりピノコはキリコを受け入れた。BJが感心するピノコの扱い方だった。
 日本語を聞き慣れない人々が不安を覚えてはいけないので、と言う理由で、おおむね英語で話すことにした。ピノコも他の三人ほどではないが、BJの教育のお陰でかなりの英語を操ることができる。ピノコがどうしても分からない時には日本語で、と決めた。
「ユリさん、スペイン語は?」
「日常会話なら。しばらくスペインの病院で働いていたこともあったし、何とかなります」
「え、そうなの」
 兄に負けず劣らず、拠点を持ちながらの風来坊の一面を見せる。BJはユリと親しく話すことが多くなってから、何度も新しい驚きに直面していた。日常会話なら、とやや謙遜してみせたが、病院で看護師として働いた経験があるのならかなりの語学力だ。医療機関が他国の人間を看護師として受け入れる時、語学に関するチェックがとても厳しいことをBJは知っていた。
「それなら私たち以外と話す時はスペイン語の方がいいかも。アクセントが違うけど喜んでくれますし」
「英語は通じないんですか?」
「日本人と一緒。学校で習うけど、使わないからそんなに話せないし、あまり聞き取れないみたい」
 中には英語が分かる村人もいたが、堪能とは言い難かった。キリコとユリがスペイン語を話せることは僥倖だと言えるだろう。観光地でもないこの村を楽しむのなら、村人と少しでも同じ言葉を共有できる方が良いことは明白だ。
「手伝いと言えば早速」
 思い出し、BJは手をぽんと叩いた。
「早速かよ」
「借りてる家の窓枠が少しずれてるんだ。雨が降ったら大変だから早く直してよ」
「はいはい。一軒家? ホテルじゃなくて?」
「ホテルなんかないよ。患者にしばらく滞在するって言ったら、使ってない家を手配してくれたんだ。おまえさんとユリさんの部屋もあるから。ついでに窓枠がずれてるのはおまえさんの寝室」
「俺の予想で申し訳ないんだが、俺の寝室の窓枠がずれてるんじゃなくて、窓枠がずれてるから俺の寝室にしたんじゃないかって思うんだ」
「いやよ、ハン。わたしの口からそんなこと言えないわ」
「マフィン、こんなに嬉しくない正解はそうそうないよ」
 昔よりも気楽に、こんな時には遊びの口調が顔を出す。二人とも妙に気に入った時間で、他人には分からない遊び方だった。だがピノコとユリが顔を見合わせ、ふふ、と笑う。大切な人に大切な人ができて、その二人が互いに大切だと分かり合ってる姿は見ているだけでも嬉しいものだった。
「先生、旦那さんと妹さんの荷物は家に運んでおいたよ。悪いけど車はここに置いといてくれ。村の決まりなんだ」
「──分かったわ。どうもありがとう」
 今のこの状況、閉鎖的な田舎で「夫ではない」と言えば、何かと好奇の目が向けられることが予想できる。BJは訂正せずにそれを受け入れ、キリコは表情を変えずに「田舎だなあ。お嬢ちゃんは先生の連れ子だと思われてんだろうな」と思ったのだった。
 いつの間にか集まっていた多くの村人たちに急かされるようにしてランチを取りに向かう。道中、キリコとユリがスペイン語を話せると知った彼ら、彼女らは喜んで話しかけ、村の良いところを説明したがった。ユリが愛想よくそれに応じ、キリコは静かに頷く程度だ。それでも嬉しいのか、村人たちは機嫌良く話し続けた。
 店ではアデラが予告した通りの料理が4人を待ち構えていた。港から仕入れたてのシーフードを山のように、惜しげもなくグリルし、安くて酸味が強いが確実に美味しいと言える地元の白ワインのボトルがずらりと並べられている。女三人は目を輝かせて歓声を上げ、不愛想な店主とアデラを喜ばせた。店主は銀髪の男が目で挨拶をしてきたことに満足し、ようこそ、と彼にしては愛想を込めて返事をしたのだった。
 女三人は早速席に着き、ボトルを開け、ピノコにはジュースを用意して容赦のない食欲を満たすランチに突入する。
 しばらく会っていなかったBJとユリが近況報告をし合う中、キリコは常連客の間を縫ってカウンター向こうの店主の元へ行き、女たちの様子に苦笑しながら話しかけた。
「お近づきに、皆さんに1杯ずつ。もちろんマスターと可愛い店員さんにも」
 これだけでキリコへの視線は和らぎ、「都会から来た洗練されたお客さん」にランクアップした。
 娘を可愛いと言われた店主は仏頂面を保つことが難しくなったのか、唇の端を震わせながらその注文に応えたのだった。
「あ、じゃあ、あの後ってずっと日本? キリコの家に?」
「そうですね、大体はそんな感じ。しばらくはワシントンのにいさんのアパートメントにいたんですけど──先生が先にお帰りになられたでしょ? 邪魔してしまったみたいで心苦しかったんです」
「邪魔なんて、そんなことないですよ。随分日本を空けたからピノコが心配だったし、それで帰っただけです」
「じゃあ、本当はにいさんといたかった?」
「え、何、いえ、別に、そういうことじゃないから」
 口ではそう言うものの、瞬時に耳まで赤くなったBJを見てユリは嬉しさの余り何度も頷いてしまう。ピノコとしては複雑だが、最近BJが稀に女らしい言動を見せる時がある理由に納得し、それはそれで良いことなのだわよ、魅力的なのだわよ、と一人で納得していた。
 山盛りのシーフードと白ワインは女たちに任せ、キリコはカウンターの一席を陣取り、地元の人々が食べている小さな料理、いわゆるタパスと、皆が飲むデイリーワインが欲しいと店主に告げた。常連たちは一気に勢い付き、あれが美味しい、これが美味しいと教えたがる。店主が選び、素早く出してくれたのは茹でたタコにオリーブオイルとパプリカパウダーをかけたものだった。あまり期待せずに口運び、期待しなかった数秒前の自分を愚かだと罵りたくなった。日本や他の国では食べられない柔らかさと風味に一口でやられてしまった。
「彼女に──彼女たちにも、ひとつ」
 その要請に店主は仏頂面のまま頷き、周囲は愛妻家だと解釈して囃し立てる。
「すまないな、ランチタイムに腰を据えてしまって」
「毎日じゃ困るが、初めて来てくれた客をもてなすのにすまないも何もあるものか。余計な気を回すんじゃない。都会の人間は変に気を使うからやりにくいんだ」
「それは失礼。じゃあ、これからは気にしないことにするよ」
「そうしてくれ。──どこだ?」
 店主が一瞬だけ自分の左目をなぞる仕草をしてみせた。あまり言いたくはなかったが、この店主なら踏み込んだことは聞くまいとなぜか分かった。
「ベトナム」
「──あの時は悪かった。うちの国はあまり前に出る力がなかったもんでね」
「行ったのか」
「もう忘れたよ」
 しばらくの沈黙の後、かつての軍医と他国の見知らぬ当時の兵士は軽く拳を打ち合わせた。国が違っても兵士の挨拶が変わらないことを、互いに面白いと思った。
「妹さんかい」
「ああ」
「女優さんかと思ったよ。気を付けるんだな。あれだけの美人で、更にこの村じゃ女不足だ」
「本気の恋なら構わないがね。そうでもない相手には気を付けるよ」
「奥さんもな」
「──うん?」
 奥さんと言われ、咄嗟に分からなかった。すぐにBJだと思い至り、店主を見る。
「村で一番の金持ち──マドリードで起業して成功して、帰って来た奴なんだが。そいつの病気をあっさり治しちまった女神様なのはみんな分かってるんだ。でも女に必死な奴ってのはどこにでもいるもんさ」
「コブ付きで?」
 ピノコの存在を揶揄するのは本意ではなかったが、話が通じやすいことは確かだ。店主は頷いた。
「俺も最初はあの傷にびっくりしたが、おまえさんならよく分かってるだろう。あの先生、すげえ美人だろ。子供がいたって関係ねえさ」
「おや、バレてた」
 キリコは素直に口にした。惚れた欲目を覗いてもBJは美女の部類に入ると思っている。顔を大きく横ぎる縫い傷と、元々とは違う色の肌に注目されがちで、本来の顔の造作は美しいのだと気付かれることが少ないだけだ。
 傷そのものは本間教授の芸術として誇るBJだが、女性としての一般的な美醜に関しては劣等感を持っていると知っていた。キリコはいずれその劣等感も解消してやりたいと思っていたが、急いだところで良い結果は得られないと分かってもいる。ゆっくりと向き合っていくつもりだったし、何よりBJ自身に向き合いたいと言われた時に手伝うつもりだった。
「それに気が付いた奴がいたら気を付けるんだな。ここはポルトガルも近い。あっちの性質の悪い奴が週末に来ることもあるんだ」
「ありがとう、気を付けるよ。──良ければもう一杯どうぞ。好きなものを」
「都会の男は気が利いていけねえな」
「話が分かる男と一緒に飲めるのが嬉しいのさ」
「ルカスだ」
「キリコ」
 名乗った店主は初めて笑い、言われた通りに自分のためにワインを一杯注ぐと、軽く宙にかざして外から来た男への敬意と今後の協力を示した。